第四巻
「でも、なんで本部に行かなきゃならないんだよ。」
「それは当然、あんたの安全の確保や。あそこはうちらの唯一の安全地域やからな。」
俺達はバイタルを見下ろしながら会話していた。クレアのレジスタンスとやらは良く分からないが、俺の命が危険なのは良く分かっているつもりだ。俺はこの大男の攻撃を喰らったんだ。
「クレア、ちょっとお願いがあるんだけど。」
俺は妹の事を思い出し言った。クレアの表情は、俺に「ダルイ」と訴えかけている。
「二階の妹も、一緒に連れて行きたいんだ。」
「ええよ。」
あっさり許可。
「で、妹をクレアに連れてきてほしいんだけど。」
「なんで?」
そうなるよな。
「いや、実は……。」
俺は今までの事を話した。自動車事故で、俺だけが生き残り、両親は無くなった事。それが原因で妹がおかしくなったこと。
「意気地無しやな。」
クレアの唐突な言葉が俺の胸を突き刺した。
「いや、そうは言うけど、俺今妹と喋る自信ないんだって。」
クレアはじとっとした目で俺をしばらく睨みつけていたが、すぐにクレアは踵を返し、階段の方へ向かっていった。ひとまず安心だ、と安堵の息をつく俺に、クレアは突然
「貸し1。」
と言った。
「ええ!?」
クレアは俺にそれだけ言うと、風のように階段に消えていった。このまま増えて行くのでは……?俺はその場に立ちつくした。
しばらくして、また、耳をつんざくような音が響き渡った。俺はあからさまに落胆した。またガラスだ。
「……クレアを知らないか。」
俺はその姿を見て思わず後ずさった。彼は黒いローブを身にまとっていて、手には彼よりも背の高い巨大な鎌が握られていた。俺は一瞬死神を連想したのだ。だが、クレアを知っているという事は俺の命を取りに来たわけじゃなさそうだ。
「今、上の階に。」
彼は俺の足元に転がるバイタルを、まるで汚物でも見るかのような目で観察している。
「すみません、どちらさまですか?」
年齢は俺と同じくらいのはずだが、年上だった時を考えると丁寧語を使っておいた方がいいだろう。
「……俺はレリス。」
「俺は隼人です。」
……口数が少ない方のようだ。気まずい。
「おーい、隼人。あんたの妹連れてきたで。」
クレアが連れてきたのは、まさしく妹だった。髪はぼさぼさで、服装はパジャマのままだ。その目は俺を睨みつけている。
「あれ、レリス。遅かったやん。」
小さく頷くレリス。
「じゃあ、あたし達三人、頼むわ。」
「え、ちょっと待った。」
俺はストップを掛けた。
「今すぐ?」
「今すぐやけど。」
クレアは言う。
「ここには戻ってこれる?」
単刀直入に聞いた。
「分からん。この先、どうなるかは。……でも、努力次第では、どうにでもなるんやない?」
俺は一応頷いた。とにかく、今は自分の身の安全を優先しよう。俺が死んだら、両親が悲しむ。
「レリスの鍵の能力は“瞬間移動”やから、すぐ着くで。」
クレアはレリスと手を繋ぎ始める。
「ほら、早く手繋いで。」
俺は頭を抱えた。運悪く、妹と手をつなぐ構図になってしまった。
「痛い、痛い!」
妹の握力の強さに俺は叫ぶ。
「……行くよ。」
喚く俺を余所に、レリスは呟いた。
景色が突如変わった。
某魔法使いファンタジーの「姿現わし」のように、吐き気がするわけではなく、周りだけがするっと変化した、という感じで、俺には全く影響が無い。
「一等諜報員クレア、帰ってきたで~!」
ぐっと伸びをするクレア。俺は、その光景に、雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
近代的な、青と白で統一された巨大な空間。人が慌しく行き交い、上を見上げれば様々な物が飛び交っていた。
俺は、まるでタイムスリップをしたかのような、不思議な感覚に陥った。
「凄いやろ?」
クレアが自慢げに胸を張る。
「これ全部、ボスの能力なんやで。」
「ボス?」
「うん。あんたも後で連れってってあげるわ。その前に、受付すませへんと。」
受付は、この広場のような場所の中央にあった。クレアはカウンターで何やら話した後、すぐ帰ってきた。誰か、人を一人連れている。
「紹介するよ。うちら第一班の班長、元晴。あんたの妹はリーダーに預けるから。」
「本岐元晴だ、よろしくな、最後のホルダー! ちゃんとお前の妹は管理してやる!」
バンバン、と背中を叩き笑うリーダー。口元には、健康そうな白い歯が。目の上の太い眉は、嫌でも目に入ってくる。
小説なんかで良く居るタイプの人だ。まあ、妹を預かってくれるなら遠慮することは無いな。
「いやー、無事でよかったよ! 神狩りに捕まらなくて良かった! なんてったって、俺がボスに半殺しにされるところだったんだからな!」
テンション高いなー。
「ご苦労、クレア、レリス! 今日はゆ~っくり休んでくれ!」
「と、言いながらまた書類を整理させるんやろ。」
ぎくっと、マンガのようなリアクションをとるリーダー。
「はい、はい。ボスの所へ行った後やってあげるって。その代わり、夜食はリーダーのおごりやからな。」
「分かった、分かった!」
俺今月財布ピンチなんだけど、とリーダーが小声で言う。
「それじゃあ、気を付けてくれよ! ボス怖いから!」
また俺の背中を叩くと、妹を連れ、リーダーはその場を後にした。
「じゃあ、行こか。ここ広いから、迷子にならんようにな。」
さっさと歩きはじめる二人に、後れを取らないようついて行く。二人とも、歩くスピードが速い。
「急がんと、ボス時間にうるさい人やから。」
そうクレアが言う間にも、トランクや本等、様々な物が列をなしてすれ違って行く。
「でも、思ったんだけどさ。こんなに広くて、しかも物が飛ぶような場所、なんで見つからないんだ?」
「ああ。上層部の人の能力らしいで。周りからは、ここがボロ小屋にしか見えてないんやとか。ホルダーと、ここで働いている人にしか、ここは分からんらしい。で、その上層部は四人で構成されてて、今から会いに行くのがその中でもトップの人。うちらはボスって呼んでる。」
「ボスって、どんな人なんだ?」
「見た所、優しそうなおじいちゃん。でも、それは見た目だけで……。」
クレアとレリスはぶるっと体を震わせた。
しばらく歩くと、重そうな扉が見えてきた。エレベーターだ。
「あれに乗って、最上階に。」
乗り込むと、俺はボタンの多さに驚いた。
「これ、何階建て何だ?」
「分からん。昔は千行ったこともあった気がするけど。まー、増えたり減ったりするからなー。」
どういう構造なんだ。
クレアは少し身を縮めジャンプすると、一番上のボタンを押した。
音も無く動き始めるエレベーター。上っている感じは全くしない。
直ぐに扉は開いた。
「もう到着?」
がちがちになって頷くクレア。緊張している。
「い、いこ、隼人。」
巨大で、豪邸にありそうな扉。取っ手のライオンが俺を睨んでいる。
「お前は馬鹿か! 神狩りの一人や二人どうってこと無いだろうが!」
怒号が外にまであふれ出てきている。俺は、どこかでこの声を聞いたことがある気がしてきた。
「隼人、あんたが開けて。」
「は? なんで?」
「……な、何でもや!」
俺は扉をぐっと力を込めて押しあけた。扉の重みが伝わってくる。
「そんなこと自分で考えられんのか! 自力で何とかしろ! 応援は送らん!」
その後ろ姿は、ガチャンと乱暴に受話器を置いた。俺はピンと来た。この白髪の老人は……。
「おじいちゃん!」
椅子をくるりと回しこちらを向いた老人は、顔を輝かせた。
「おお、隼人!」
老人は立ち上がり、俺とハグをした。
「え!? あんた、ボスと知り合いやったん!? というか、おじいちゃんって!?」
「やかましい、クレア。私の名は叶忠文だ。忘れたのか?」
クレアは思い出したようにはっと目を見開き、へへへとごまかすように笑う。
「おじいちゃん、こんな仕事してたの!?」
「ちょっとな。」
「いつから?」
「だいぶ前からだ。私も忘れた。」
「家族は知ってたの?」
「秘密にしていた。」
俺は少し考えた。
「……おじいちゃんがここでトップの仕事をしてたって言う事は、おじいちゃんもホルダーなの?」
祖父は頷いた。
「とにかく、隼人を保護できて良かった。お前を殺されては、元も子もない。最後の鍵の能力が無ければ、私達の敗北は必至だった。」
「へへ、やっぱり私の力があったおかげやな。」
「黙れ、クレア。お前の力などまだまだ未熟だ。神狩りが唯の少年と護衛一人ぐらいなら大丈夫だと油断していたから勝てたのだ。軍勢を引き連れられていたらお前は間違い無く死んでいた。」
クレアの勢いが萎む。
「隼人。すまないが、鍵を見せてくれないか。」
俺がノートを差し出すと、祖父はそれをペラペラと捲り、また俺に返した。
「隼人、お前はこれの能力を使ったか?」
「俺、その日記の能力が良く分からなくて。」
「恐らく、この鍵の能力は、願いごとを言えばが全てが現実のものとなるものだろう。名前を付けるとすれば……そうだな、“絶対真言”、が妥当だろうか。」
おお、すごい! 金持ちでもなんでもなれるってことか!? それに、自分の能力に名前が作ってカッコいいな。
「願い事が全部叶うとか反則やんか!」
関西弁フランス人形が何か言っている。
「ま、でもおもろいな。なんかやってみてや。」
俺は少し考え、言ってみた。
「すごく可愛い美少女をこの部屋一杯にくれ!」
……………………。
何も起きない。俺は顔が紅潮するのが分かった。
「サイテー。」
うん、俺もキモイと思った。一年前に読んだラノベがまだ抜けてないみたいだ。
「馬鹿もん。」
脳天をかち割るような衝撃が俺を襲い、俺は床にめり込んだ。
「使えるわけがない。これを使うには、条件があるからな。」
「じゃあ先に言ってよ!」
俺がなんとか体を床から引き剥がし言った。ふっと祖父は笑う。前はこんなんだったか?
「だが、その条件が曲者でな。」
「曲者?」
沈黙が場を包む。祖父は目を閉じる。俺は無意識に身構えていた。
「条件の一つは、その能力を使えば、お前は鍵に引き込まれる。その可能性、ではなく、これは確実に起こることだ。」
祖父は、少し間を置き、口を開いた。
「もう一つは……一つ願いをかなえるたびに、命が……つまり生贄が必要になるという事だ。」
祖父の言葉は、俺に深い衝撃を与えた。それは絡まり、俺に重圧を掛けるように働く。
え? 俺はがくりと膝をついていた。それは、俺には出来ない。
俺の脳裏を、妹のあの、乱れた様子がよぎった。
死が人をどうしてしまうのか。俺は身をもって、知っている。
「……文恵とお前の父親の事は残念だった。あれは不幸な事故だった。」
祖父が俺に哀れみの目を向ける。
「ボス、それは神狩りが……」
「黙れ!」
クレアははっと口を抑えた。
場の空気が、さらに重みを増す。
「神狩りと……俺の両親に何か関係があるのか?」
祖父も、クレアも、スパイトも何も言わない。
祖父は俺に背を向けると、椅子に座った。
「……今日は帰りなさい。そして、明日、もう一度来なさい。まだ、その鍵について言う事がある。」
俺は納得できなかった。だが、俺はクレアに手を引かれた。俺は、止むなくその部屋を後にするしかなかった。
俺には、このノートが急に恐ろしく見えて仕方がなかった。
それに、両親の死が、この組織と神狩りに関係あると思うと、なにか、歯がゆい気もした。
絶対に、真相をおじいちゃんから聞き出そう。
俺は閉まる扉を背に、決意した。