第2章
翌朝、だいぶ陽も高くなってから隆也は目覚めた。
ノロノロと起き出した彼は、宿屋の一階にある食堂で、朝の残り物らしき、怪し気な食事を取った。そうしながら、今日一日どうやって過ごそうかと、取り留めもなく考えていた。
その挙げ句。宿を出た隆也の足は、無意識の内に古城に向かう橋に向った。
再び、あのアンヌという娘に会えることを、期待しない訳ではなかった。だが、昨夜の別れ際に彼女が言った通り、今日の橋の上には誰の姿もなかった。
一抹以上の寂しさを覚えながら、隆也は城跡へ通じる細い山道を登って行った。
「今日は、来ないのかと思ったわ」
彼らが崩れた石壁を片付けた城の中に、見覚えのあるイーゼルと、若い娘が立っていた。熱心にスケッチしていたアンヌは、隆也の方を振り返ると、明るい笑顔でそう言った。
ほとんど陽の差さない、薄暗い城内であるためか、アンヌは彼女のトレードマークのような、大きな麦藁帽子を床に置いていた。
その、余りに予期しない、意外な光景に、隆也は完全に言葉を失った。
「外側の絵は、ほとんど描き上がったの、だから今度は内側を描こうと思って‥‥‥決して、あなた達の御邪魔はしないから、いいでしょう?」
もちろん、隆也に拒む理由も、権利もなかった。
後で考えれば、ピエールが何というかという問題はあった。もっとも、この場所は彼らの私有地というわけではなかった。だから自分達がここで好き勝手をしている以上、彼女を締め出すこともまた不可能だろうと、隆也は自分を納得させていた。
「どうしたの?ひょっとして、この場所で何かするのかしら?なら、すぐにどくけど‥‥‥」
何をするでもなく、隆也ただボーッと立ち尽くしたまま、画布の上に木炭を走らせるアンヌを見つめていた。そんな間の抜けた日本人の態度に、しばらくして気が付いたアンヌは、そう言って腰を浮かしかけた。
隆也は慌てて、彼女を止めた。事実上、調査の指揮を執っているピエールがいないために、今日は特に自分にすることはないのだと、彼は肩をすくめて見せた。
「本当を言うと、僕はただの手伝いでね、彼がいなければ何もできないんだよ。今日も、本当は‥‥‥」
そこで隆也は言葉を切って、周囲を見回した。外はよく晴れていたが、この中はヒンヤリと涼しく、なんと言っても、恐ろしいほど静かだった。
崩れた壁や、屋根の隙間から差し込む光は、薄暗がりの中で画布に向かう娘の肌を、透けるように浮き上がらせていた。その中で、彼女の金髪だけはほのかに輝いて見えた。
娘は、ふいに口をつぐんだ隆也に不審を持ったのか、その手を止めてソバカスの浮かんだ顔を彼に向けた。
「本当は、ここに来てもすることがなかったんだけれど、何となく、その、君に会いたくて‥‥‥」
顔を赤らめて、呟くようにそう言った隆也に、アンヌは女の男に対する優越を感じさせる微笑を向けた。
「光栄だわ、そう言っていただけると。でも、今日、わたしがここにいると、どうしてわかったの?」
隆也は首を振った。彼は正直に、自分に何の確信もなかったことを打ち明けた。
「だから、橋の上に君の姿がなかったことで、心底落胆したんですよ。予想はしていてもネ。でも、考えてみたら、僕は、あなたの居場所を、あの橋の上以外には、まったく知らないわけで‥‥‥」
「それで、この城跡で、傷ついた心を慰めようとなさったわけ?」
「まァ、そう言うわけです」
アンヌの微笑みが、眩しいのか視線を石畳の床に落としながら、隆也は小さい声で答えていた。そんな隆也を、アンヌは木炭を握ったまま、黙って見つめていた。
薄暗い、ヒンヤリとした石壁の中で、ここだけ時の流れが止まってしまったかのような静寂が、二人の間を支配していた。やがて、その静けさの中で、アンヌが画布の上に木炭を滑らせる音が、微かに響き始めた。
隆也は、そんなアンヌの姿を、見つめていて良いかと、許しを得ようとして、すんでのところで言葉を飲み込んだ。
以心伝心とか、目は口ほどにもの言うとか、そんな考えはどちらかと言えば日本人独特のものだということは、隆也も充分に承知していた。普通の欧米人にとっては、大胆な感情表現こそ重要だった。
ただ、この時のその場所には、そんな発言を封じる、崇高な気配が漂っていたと、隆也は信じた。それは、彼の単なる勘違いであったかも知れなかった。だが、今時の日本人には珍しく殊勝な隆也には、それで充分だった。
「ねェ、お腹空かない?」
黙々とスケッチを続けるフランス娘と、それを黙って見つめる日本人青年の奇妙な沈黙は、アンヌのその一言によって破られた。
石壁の外では、陽がいつの間にか西に傾き、静寂に支配された二人がかなり長い時間、そこで過ごしていたことを教えていた。隆也には、そんなに長い時間を過ごしたという自覚は、まるでなかった。もっとも、彼の腹時計は、それが紛れもない事実であることを告げていた。
昨夜と同じ店で食事することを、隆也が断わるはずはなかった。ただ、アンヌはそんな隆也に一つの条件をつけた。
「今度は、わたしに驕らせてネ!」
女性は、男性に驕られて当然と考えていると、漠然と隆也は思っていた。増してや、フランス人女性は、男に驕られ慣れているに違いないと、彼は信じていた。
アンヌに言わせると、それは間違った認識であり、大きな偏見だということだった。
「そりゃ、観光客の相手を商売にするような女性は違うでしょうけど、普通の友達関係なら、自分の分は自分で払うものよ。驕るというのは、プレゼントと一緒、特に男性と女性の間ではね‥‥‥」
「それは、君の意見なの?それとも、フランス人女性一般の考えなのかな?」
食事を待つ間、隆也は率直にアンヌに尋ねた。彼には、相手に合わせて、会話を作るような技術はなかった。
そんな隆也に対して、アンヌは微笑みながら答えた。
「少なくとも、お腹が空いているからって、好きでもない相手と食事を一緒にするようなことは、わたしはしないわ」
「では、僕は好かれていると、自惚れていいのかな?」
隆也は声がうわずるのを押さえようと苦労しながらも、その表情が、彼の努力を無にしていることを知らなかった。
「わたしは、友達だと思っているけど、あなたの方は違うのかしら?」
「いや、違わないよ。うん、違わない!」
明らかに社交的な会話術では、アンヌの方が上であることを、隆也は素直に認めていた。
アンヌの返事は、隆也が期待した最高のものでもなかったが、最低のものでもなかった。とりあえず、彼はホッとして、運ばれた料理に手を伸ばした。
そんな隆也の様子に、アンヌは無邪気な微笑みを浮かべていた。
「それで、あなたなら、どんな建物を建てるわけ?」
「そうだな、僕なら、古い城はそのままの外見や内装を残すね。もちろん、ガスや水道、それに電気は引かなきゃならないけど、そういったエネルギー関係の配管はすべて土中や壁に埋め込んで、照明なんかも、出来るだけ古い形のものをそのまま利用したいな」
「でも、それなら、そこら辺にある観光用の古城ホテルと、変わらないじゃない?」
「ずいぶん、言い難いことを、ハッキリ言ってくれるね‥‥‥」
食事が進むに連れて、いつとはなしに二人の会話は、調査中の古城のことから、隆也の専門分野の話に移って行った。昨夜とは違って、隆也は自分の考えを口にすることに、抵抗がなかった。
隆也の持つ、女性恐怖症的な先入観が、アンヌに対して薄まって来ていたことは事実だった。だが、何よりも、この金髪でソバカス顔の典型的なフランス娘が、本当に熱心に隆也の話に耳を傾けたことが、大きな理由だった。
隆也は時々、果してこんなことが、若い娘に面白いのだろうかと疑念を持ちながらも、促されるままに、話を続けた。なんであれ、彼にとって、こういう話をすることはまったく苦にならないことだった。それどころか、何よりも楽しいことの一つだった。
「いいかい?今あるような、残念ながらその多くは、我が日本の企業が買収しているんだけど、古城ホテルという奴は、そのほとんどがハリボテなんだ!」
「ハリボテ?」
「外側だけそれらしくして、中身はそっくり近代建築ってやつさ。凄いのになると、鉄筋コンクリート製だったりする」
「まさか‥‥‥!」
「ほんと、ほんと、それで堂々と中世の城でございと、謳ってたりするんだ」
「それじゃ、詐欺じゃない!?」
「ところが、それを有難がるような連中が、大勢いるのさ」
「日本人?」
頷く隆也に、アンヌは同意したものかどうか、困惑の色を顔に浮かべた。
隆也は、そんなアンヌの表情には気が付かないまま、地元産のワインを一息に喉に流し込むと、苦そうに顔をしかめた。
「問題は、それだけじゃないんだが、余り細かいことはともかくとして、僕にとって興味があるのは、全体との調和‥‥‥関わりかな?」
「全体って?」
「その建物を取り巻く街や村、場合によっては自然かな‥‥‥」
「でも、それを考えると、その城が建った時代とは、当然そぐわなくなるんじゃない?」
「その通り!」
もともと、隆也は酒に弱かった。その隆也が、アンヌとの話に熱中して、知らぬ間に何杯ものワインを空けていた。
隆也の呂律は、次第に怪しくなって来た。一方のアンヌは、隆也よりもはるかに早いピッチで、杯を空けていた。だが、さすがにワインを水代わりにするというお国柄だけあって、ほとんど顔色一つ変わっていなかった。
「つまり、僕の目指す建築は、古来のデザインと機能を活かしながら、現代の状況に、違和感なく溶け込むことにある‥‥‥それは、建物だけではない、空間の活用とデザインなんだ!」
叫ぶようにそう言った隆也は、同時に前のめりに倒れると、テーブルの料理の皿に自分の顔を突っ込んでいた。
「タカヤ!」
「だいじょうぶ、だいじょーぶ!」
そう言いながら、何とか隆也は皿から顔を起こすことには成功した。
だが、ソースをべったりとつけた表情は、滑稽ではあったが、大丈夫と言うにはほど遠いものだった。
アンヌは、手早くテーブルのナプキンで、このだらしない日本人青年の顔を拭うと、給仕を呼んで勘定を済ませた。
「申し訳ない‥‥‥」
「何言ってんのよ、ここはわたしが驕ると言ったでしょう?」
アンヌは意図的にか、隆也の詫びの言葉を別の意味に取ると、それ以上の彼の謝罪の口を封じた。
隆也は、不本意ながらも、アンヌの肩を借りるしかなかった。ここ何年か、感じたことの無い酔い心地を、彼は感じていた。
翌朝、ひどい二日酔いで目覚めた隆也は、自分がアンヌによって宿屋まで連れ戻されたことを知って、ひどく恥ずかしかった。今度会う時に、いったいどんな顔をすれば良いのかと、彼は宿の主人が用意してくれた、酔い覚ましのカフェを前に、頭を抱えていた。
そんな彼に、宿の主人が会いたいという人が来たと告げた時、隆也はてっきりアンヌだと思って、顔色を変えた。
しかし、主人は若い娘ではなく、初老の紳士だと告げた。それも、政府の役人だと。
キチンとした身なりの初老の紳士は、隆也に対して、フランス政府の管財人であることを告げると、正式な身分証明書を見せた。
その紳士は、穏やかに、しかし、疑惑を込めて隆也に尋ねた。
「あなた方は、あの古城で、何をなさっているのですか?」
にわかに、隆也の脇に冷たい汗が流れ、彼は緊張した。
二日酔いの、ひどい頭痛の中で、隆也は必死に考えていた。そして、初めてアンヌと会った時のことを思い出すと、彼女に話したことと、同じ説明をすることに何とか成功した。
途中で何度も言葉に詰まったが、それはひどい二日酔いのためだと誤魔化した。彼にしてみれば、上出来の言い訳だった。
もし、昨日一昨日と、アンヌとあんなに話をしなければ、これほどスラスラと、言い訳することも出来なかっただろう。それを思うと、隆也は心の中でアンヌに感謝した。
「では、あなたと御友人は、たまたま、あの城で一緒になり、一緒に調査をなさっているのですね?」
管財人は、メモを取りながら熱心に隆也の話を聞いていた。
やがて彼の話が一段落すると、にこやかに微笑みながら、隆也にとっては意外なことを尋ねた。
「ところで、あなたは、ド・オラニエ嬢とはどこで知り合われたのですかな?」
「ド・オラニエ?誰ですか、それは?」
キョトンとして聞き返した隆也ではあったが、そのオラニエという名には、どこかで来き覚えがあった。
「アンヌ・マリー・ド・オラニエ。昨日、あなたが食事を共にしたはずの、若い女性です」
何がなんだか、隆也にはわからなかった。何度も聞き返す内に、管財人は彼に穏やかに説明をした。
昨日、隆也が一緒に過ごした娘は、あの古城の所有権を主張する一族の末裔を名乗っていた。しかし、現在のところ、彼女がその一族の末裔であることは証明されても、古城の所有権まであるのかどうか、確たる証拠がなく、それは宙に浮いていた。
「このままで行けば、あの城は国家の財産となります。ちょうど、この辺を観光地として整備する計画がありましてね、そうなると、あの城の持ち主であると決まれば、かなりの補償や収入が期待できる。とまァ、そういうことです」
紳士は、そう言うと帽子を取って立ち上がった。聞くべきことは、聞いたという態度が、そこには現われていた。
「そう言う訳ですから、山師の言うことなど当てにせずに、旅の先を急がれた方がいいでしょうな‥‥‥」
「それは、もうあの古城には、近付くなという意味ですか?」
隆也の言葉に、紳士は静かに頷くと、丁寧なお辞儀をして外に出ていった。
後には、隆也が呆然と取り残されていた。
「何だって!政府の管財人!?」
不安に駆れる隆也のところに、パリからピエールが戻ったのは、夕方近くになってからだった。
「君のことを、山師だと言っていたぞ!」
「それは、否定しないよ。宝探しなんて、山師のすることかも知れない。どうする、やめるか?」
「やめるかって、じゃァ、まだ続ける気なのか?」
驚く隆也を尻目に、ピエールは持っていた二枚の図面を広げた。
一枚は、以前の見取図、もう一枚はそれより一回り大きい図面だった。
「君の言った通りだった。調べてみたら、別の時代の図面があった。ただ、こいつがいつ頃のもなのか、時間がなかったからよくわからないんだ。どう、思う?」
挑戦的な金髪の美青年の視線を受けて、隆也は図面を見比べた。やがて、彼の目に学問的な興味の輝きが増した。
しばらく、熱心に二つの図面を見比べていた隆也は、ゆっくりとその二つの図面を重ね合わせた。
「二つの図面の縮尺が同じなら、こんな苦労はいらないんだけど‥‥‥」
そんなことを呟きながら、隆也は自分のバックから電卓を取り出して、計算を始めた。そんな隆也の様子を、ピエールは面白そうに見つめていた。
やがて、いくつかの数字と、何本かの縮尺率を示す線が、図面の隅に書き込まれた。
「別の紙はないか?」
隆也の言葉に、金髪の青年は、自分のノートの一ページを破いて渡した。
隆也はその破り取られたノートの頁に、電卓の薄い側面を定規代わりにして、簡単な図面を引き始めた。
「さすがに、建築屋だ。うまいもんだ‥‥‥」
「そうかい?」
ピエールの言葉が、御世辞とわかっていながらも隆也は少し得意だった。考えてみれば、彼がこのフランス人青年に誉められたのは、知り合って以来初めてのことのような気がした。
やがて隆也は、簡単だけどと前置きしながら、二つの図面に描かれた城の間取りを、破線と実線で同じ紙の上に再現して見せた。
「こりゃ、どういうことだい?」
実線で描かれた城の外側に、それを囲むような破線で描かれた、城の間取りを示されて、ピエールは首を傾げた。
「破線は、君が後から見つけて来た図面の城の間取り。実線は、前から持っていた図面のものだ。共通する部屋の形や、壁の長さから、同じ縮尺に直してみたのさ。ザッとではあるけでネ」
「それはわかる。でも、何でこんなに大きさが違うんだ?」
「古い城が、増改築によって、規模が拡張することは良くあることなんだ。恐らく、この城も最初の図面の方から、後の図面への方へと、改築されたんじゃないかな?」
「じゃ、この新しい方が、今の城跡の正しい図面ってわけか!?」
意気込むピエールに、隆也は首を振ってみせた。
「そこが、あの古城の問題なんだ。明らかに、外側の壁は、その新しい図面の配置に近いと思う。ところが、城の中心部分は、間違いなくその古い図面の通りなんだ。だから、最初は僕も、君の持っていた図面が間違っているとは思わなかったんだ」
「タカヤ、俺は建築屋じゃないんだ。わかりやすく、言ってくれないか?」
隆也は、充分にわかりやすく説明していたつもりだったので、それがこの金髪の美青年特有の冗談かと思って、口の端で笑いかけた。
だが、彼の表情を見つめるピエールの眼差しは、真剣そのものだった。表情に出しかけた笑いを、苦労して飲み込むと、隆也は慎重に言葉を探した。
「つまり、この最初の図面は、城の中心部において正しく、新しい図面は外側に関して、正しいんだ」
明らかに困惑した表情で、金髪の美青年は隆也を見上げていた。
「ここから先は、建築学と言うより、考証学的なことだから、余り自信の無い、僕の推測なんだが‥‥‥」
「構わないよ、君の推測を聞かせてくれ」
「この城は、ある時期、たぶん十六世紀の終わりか、十七世紀の初めにかけて、この新しい図面のように、拡張される途中だったのじゃないかな‥‥‥」
「途中?」
「うん、今でもよくやるだろう。人が住んでいる家を改築する時に、人が住む部分を半分残して建て替える。それが完成したなら、人は完成した方に移って、残り半分を建て替える。この城も、まず外側の壁から、作り直していたんじゃないのかな?それが、何かの理由で中心部を建て替える前に、止めてしまった‥‥‥」
「十六世紀の終わりから、十七世紀の初めというのは?」
「これこそ、まさに当て推量だよ。一般的にこの辺の城はその前後に、大きく変化している。中世の軍事的な城塞から、政治的というか、日常的な生活する場所としての、城館という形にネ。場所や、時期によって、その変化は同じではないけど、この新しい図面のデザインからすると、まァ、その位じゃないかと‥‥‥」
「ズバリだ!」
「えッ?」
ピエールは大きく頷くと、その美しい金色の前髪を掻き上げて、満足気な笑みを浮かべた。
今度は、隆也が不得要領な顔付きをする番だった。
「前に言ったと思うけど、この城の所有者は、十六世紀末のオラニエ公以来、ハッキリしていない。これだけの改修工事は、そのオラニエ公以後では、恐らく無理だ!」
「ちょっと待ってくれ!今、なんて言った?オラニエだって!?」
「ああ、大昔はこの辺一帯を治めていたらしい、大貴族だが、それが‥‥‥」
ピエールは、それがどうしたと続けるつもりだったが、興奮した隆也の剣幕に押されるように、言葉を飲み込んだ。
隆也は、そんなピエールの肩を掴むと、激しく揺さぶっていた。
「オラニエ!そうだよ、どこかで聞いた名前だと思ったんだ!あの娘がオラニエだったんだ!!だから、あの城の持ち主だんなんて話が出たんだ、なんだそうか!貴族の子孫だったんだ!!」
「なんだ、おいッ!いったい、何の話だ!?」
興奮して、一人で納得して、喚き散らす隆也を、今度は逆にピエールが激しく揺さぶると、順序だてて説明させるのだった。
一通りの興奮が収まると、隆也はピエールの煽てに乗って、橋の上の女子画学生に声を掛けたことから話し始めた。そして、彼に忠告を与えに来た政府の管財人が、その女子画学生の本名をオラニエと言ったことまでを、一気に説明した。
「ひょっとすると、彼女は貴族のお姫様で、あの城の城主かも知れないってことなんだろう!?どうした、ピエール?」
世が世なら、大貴族のお姫様だったかも知れない娘と、自分が知り合ったということが、隆也はただ単純に嬉しいだけだった。
そんな、何かウキウキと楽しそうな隆也に対して、ピエールの表情は暗く、険しくなって行った。
「冗談じゃない!そんなことになってみろ!ここまで苦労して、探してきた俺の立場はどうなる!?そのアンヌ・マリーにしろ、他の子孫にしろ、そんなやつらが所有者になってみろ、あれを見つけるどころじゃなくなっちまう!もちろん、国の所有物になったらなおさらだ!こいつは、ことを急ぐ必要があるな‥‥‥手伝ってくれるだろう、タカヤ!?」
はじめて見せる、ピエールの激しい迫力に押されるような格好で、隆也は何がなんだかわからない内に、彼の申し出を承知してしまっていた。
その夜遅く、彼らは大急ぎで準備を整えると、あの古城跡を目指して、暗い山道を登って行た。