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良き伴侶  作者: 氷中冴樹
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第1章

かなり、作者自身が気に入っている作品です。ただ、どうも他の人の評判は、芳しくありません!なぜでしょう?ただ、ジャンルがオカルトかファンタジーか、それとも恋愛か!?散々悩んだ末、この物語のテーマは「恋愛」だということで、恋愛を洗濯しましたが……間違ってますでしょうか?読んだ方に、御意見があれば是非お聞かせ下さい!

 フランス南西部を流れる、ロアール川の流域には、いくつかの古城が点在し、この国に無数に存在する観光ルートの一つとなっている。

 しかし、フランス政府の財政事情も手伝って、そのどれもが見学可能という訳ではなかった。外観は立派でも、中は廃虚同然であったり、土台と外壁以外は、すべて崩れ落ちてしまったようなものも、少なくはなかった。

 観光ビザで入国した秋津隆也あきつ・たかやは、そんな古城の一つの、廃虚のような内部にいた。

その古城も、外から見るとそれほどでもなかったが、一歩中に入ると、石積みの壁が大きく崩れていた。崩れた石壁は瓦礫の山を築き、その上には蔦のような植物が生い茂っていた。その場に立ち尽くすと、そこが華麗な建物の内部とは、とても思えない状態だった。

 そんな薄暗い城の中で、隆也は大きく口を開けた石畳の奥に向かって、強力なライトの光を当てながら、声をかけた。

「どうだいピエール、何かあったかい?」

「もうちょっと、奥を照らしてくれ!そうだ!」

 穴の奥からは、元気な声が響いて来た。

 隆也は、ため息混じりに、両手で抱えたライトの位置を変えた。そのライトは、電池式ではもっとも強力な種類で、当然のように日本製だった。

 やがて、穴の下に伸びていたロープがピンと張り、ライトの明りの輪の中に、金髪の青年の顔が覗いた。

「ダメだ、どうも、地下室はないらしい。単純に、土台が崩れて、床が抜けただけじゃないのかな‥‥‥」

 そう言って、穴から這い上がって来た青年は、頭に被った炭坑夫が使うような、ライト付きのヘルメットのスイッチを切った。

 隆也も、強力ライトのスイッチを切った。辺りは、急に夜になったように暗くなった。

「また、最初からやり直しだ。畜生、この城のどこかにあるはずなんだ、隠し部屋が!」

 土で汚れた顔を、手袋を脱いだ掌で拭った青年はそう呟くと、隆也の傍らにどっかりと座り込んだ。そして、隆也の手から大きな紙を受け取って、地面に広げた。それは、この古い城の見取図らしかった。

 この青年の名はピエール。ピエールなんというのか、隆也は聞いたような気がしたのだが、忘れてしまっていた。そして、本人もピエールとだけ呼ばれることに慣れているようで、二人は互いに、タカヤ、ピエールで通していた。

「そのことなんだがな、ピエール。この見取図は正確なのかい?」

「どういうことだ、タカヤ?」

「うん、どーも、建物の配置が図面と微妙に違うようなんだ‥‥‥」

 隆也が、この絵に描いたような美しい金髪の、フランス人青年と会ったのは、初めてこの古城を訪れた時のことだった。

 立派な石作りの壁を持つ古い城は、ロアール川の辺に建ってはいたが、川の方角からは木々が邪魔して、よく見えない位置にあった。

 この城全体を見るためには、川を渡る橋から、かなり急な坂道を登る他なかった。それも、ほとんど草に覆われて、道があるのかないのか、さっぱり見当も付かないような坂道だった。

 そんな不便な場所にあるために、この城、正確には城跡は、完全に完全に観光ルートからは外れてしまっていた。

 隆也にしても、この国に入る前には、こんなところに城があることすら知らなかったのだ。

「遺跡泥棒ですか?」

 それが、土と埃にまみれて、懸命に崩れた石壁を取り除いているピエールに向けた、隆也の第一声だった。

 ピエールは、その端正な横顔を、微かに歪めて答えた。

「日本人にしちゃ、正確なフランス語に敬意は表するが、遺跡泥棒と、宝探しの区別くらいは、つけて欲しいな」

「宝探し?」

隆也は怪訝な顔で、その土と埃に汚れたフランス人青年を、しげしげと見直した。

 言われてみれば、相手は登山家のように厳重な服装で身を固め、さらに炭坑夫の使うような、ライト付きヘルメットまで被っていた。確かに、人目を忍ぶ泥棒にしては大袈裟な格好だった。

「宝が、あるんですか?」

「ああ、俺の勘が正しければな‥‥‥それより、あんたこそ、こんな崩れかけた古城に、何の用があるんだ?はるばる、日本くんだりから?」

 考えてみれば、地元フランスのピエールが、物好きにもこんな場所を掘り返すことは、それほどおかしなことではなかった。それよりも、日本人である隆也がこんなところに来ることの方が、よほど怪し気に思われても不思議はなかった。

 なぜ自分が、誘われるままにこの国を旅する訳を、なぜ古城を巡るかを話したのか、隆也にもよくわからなかった。あるいは、ピエールの人懐っこい瞳の輝きが、隆也に安らぎを与えたのかも、知れなかった。

「そうか、隆也は日本の建築家なのか、それで古い城を見学して、日本建築に取り入れようって訳だ。なるほど、何かと日本人は他の国の良いところを取り入れるのは、得意だもんな」

「それは、その通りなんだけど、ちょっと、違うな‥‥‥」

 勧められるままに、ピエールがリュックから取り出したワインの小瓶を口に運びながら、隆也は寂しそうに笑った。

 その笑いを、青い目の美青年は見咎めた。

 促されるままに、隆也は自分が日本を出た理由を話した。それまで、日本にいた時でさえ誰にも話したことのない、本当の理由だった。

「ピエール、あんた、日本の住宅事情ってやつ知っているか?」

「ああ、以前この国の首相がウサギ小屋とか何とか、悪口を言っているらしいな」

「あれは、本当のことだ。日本人のほとんどは、悔しい思いをしながらも、心の中であんたの国の首相に頷いている。そうだ、その通りだ、誰だってこんな家に住みたいなんて思わない!ってね。でも、現実はその通りさ。東京では、パリのアパルトマンの部屋と同じくらいの敷地に、家を建てることだって容易じゃない‥‥‥」

 ぐっと、ワインを飲み下して、隆也は顔をしかめた。甘いはずのワインが、なぜか苦かった。

 隆也は、日本の大学で建築工学を専攻した。特に、近世ヨーロッパの城塞や宮殿建築を中心に、大規模建築の研究に没頭した。文献を読む必要から、その時フランス語も学んだ。

 隆也の研究は教授にも認められ、大学に残ることを勧められた。だが、彼の目的は単なる研究ではなくて、実践だった。

 自分が研究した工法や建築デザインを、実際の現代建築に応用することこそ、隆也の望みだった。

「うん、立派な考えだと思うよ。実際に生かせてこそ、研究する価値もあるってもんだ」

 ピエールはそう言って、隆也の肩を叩いた。

 だが、隆也は再び寂しそうに笑った。

「それが、そもそもの、間違いだったんだ」

 フランスのベルサイユ宮殿を一つの頂点とすれば、ヨーロッパの大規模建築とは、言わば現代の都市計画と同じような、総合建築だった。

 建物そのものはもちろん、それを取り巻く庭園や堀。そして、その周囲の地形や景観全体。果ては、周囲の街や村までもが、その建築の対象となり得た。

 建築家は、それら全体のバランスを考えながら、最終的な建物のデザインに知恵を絞った。だが、現代日本において、都市全体の景観など考慮して建築する余地など、絶無に等しかった。

「日本の現代建築で要求されるのは、いかに狭いスペースに、効率よく建物を建てられるかという技術でしかない。建物と調和する庭園なんて、考えるだけ無駄なんだ!」

 隆也は、吐き捨てるようにそう言った。

 それでも、最初は隆也も理想に燃えていた。狭い空間にも工夫次第で、全体的に調和の取れた建物が建てられるはずだった。

 だが、彼のアイディアは、専門家や芸術家には歓迎されたが、肝心の仕事の発注者には理解されなかった。というよりも、彼のアイディアを生かすだけの余裕が、現実的な空間にも、人の気持ちの中にも、存在しなかった。

「それで、仕事はどうしたんだ?」

「就職したのが、大手の建設会社だったから、給料は人並以上だった。しかも、そこのコンセプト・デザインと言って、最初のアイディアさえ自分が出せれば、後は注文の主と実際の設計担当が具体的なプランを煮つめてくれる。考えようによっては、実に気楽な仕事だった‥‥‥」

 だが、隆也はそれに満足できなかった。自分のアイディアが次々と改編され、周囲との調和を考え抜いた設計が無惨にも変更される度に、彼は言い知れぬ無力感に襲われた。

 そして、彼を絶望の淵に叩き込んだのは、ある大きな官庁の本部建物のコンペの時だった。

「土地は広く、空間には余裕があった。古い街並みを残した周囲との調和が、そのコンペに与えられたテーマだった」

「それは、君の理想だね?」

「そう、そう思って、我ながらよくやったよ。ありったけの知識と、アイディアを使ってね!ところが‥‥‥」

 隆也の設計が、決して悪かった訳ではないことは、その年のもっとも優秀な設計に与えられる、学会の賞が贈られたことからも明らかだった。

 だが、彼の設計はコンペに落ちた。彼に代わって採用されたのは、与えられた土地を極限まで使い切り、しかも高さにおいて、その当時の最高を競うという超高層建築だった。

 もちろん、その外観は周囲に威圧感を与えることはあっても、調和と安定と言うには、余りにも掛け離れたデザインだった。

「後で、そのコンペは、あらかじめ採用が決まっているデキレースだったと、慰めてくれる人もいたけど、その時の担当の役人の言い訳が、とどめだった」

 コンペのテーマに見合うのか?と言うジャーナリズムからの質問を受けた担当の役人は、胸を張って答えた。

 官庁舎は、まず機能的でなければならない。そのためには、大き過ぎるということはないのだと。

 建物が、単に機能的であれば良い、収容量が多ければ良い、というのなら、そもそも隆也の設計理念は成り立たない。この時、隆也は日本における自分の理想の実現に絶望した。

「かと言って、狭い土地にチマチマと家を建てることは、どうしても好きになれなかった。結局、仕事が出来なくなって、会社を辞めたのさ‥‥‥」

「それで、ここに逃げて来たのか?」

「そう、自分の理想を、過去の遺物の中に埋め込もうと思ってね。これからのことは、それから考えればいい‥‥‥」

 いつの間にか、荒れ果てた古城には、夕闇が迫っていた。

 空になったワインの瓶をリュックにしまったピエールは、立ち上がって、隆也に向かって手を差し出した。

「泊まるところがないなら、俺の宿に来ないか?汚いところだが、料金は格安だ」

 ワインでホロ酔い加減になった隆也は、喜んでその意見に賛成した。

 溜りに溜っていた自分の心の内を、遠い異国の地で、見知らぬ外国人青年に話したためか、彼は久しぶりに晴れ晴れとした気分になっていた。飲んだワインの量以上に酔った隆也を、青い目の青年は呆れたよう見つめた。

「これだけのワインに酔うなんて、タカヤ、お前はずいぶん酒に弱いんだな‥‥‥」

 自分を肩に担ぐようにして、山道を降りるピエールにそう言われた隆也は、ただ嬉しそうに笑うだけだった。

 そんな日本人青年に、金髪の美青年は、やれやれとため息を吐くと、暗い山道で肩を貸しながら、トボトボと降りて行くのだった。

「すごい部屋だな‥‥‥」

 ピエールが隆也を担ぎ上げた宿屋は、看板に書いてある文字を読まなければ、まず宿屋とは思えないような古びた建物だった。

 ドイツ訛に似た、ひどく強い訛を持つ宿屋の主人の言葉は、その半分も隆也には理解できなかった。ただ、ピエールが何とか隆也を自分と同部屋にしようと、説得しているらしいことは、酔いの回った頭でも察しがついた。

「助かったよ。これで、今日から宿代は半額だ」

「それはいいんだが、僕はどこに寝るんだ?」

 他の部屋が空いていないわけでもないのに、ピエールと同室にされてしまった隆也は、素朴な疑問を口にした。

 もちろん、部屋にはベッドは一つしかなかった。

「君さえ良ければ、一緒に寝ても構わないんだが‥‥‥わかったよ、寝袋があるから、それを床に敷くといい、毛布は余分があるからな」

「で、誰が床に寝るんだ?」

「とりあえず、今日のところは、君はお客さんだからベッドに寝るといい。明日からは、そうだなコインの裏表で決めるか?古風だろう!?」

 イタズラっぽい美男子の微笑みに、隆也は開いた口が塞がらなかった。

 自分の宿代を浮かせるために、頼みもしないのに同室にしておいて、ベッドの使用権はコインで決める?信じられない神経だが、なぜかその屈託の無い、無邪気な笑いに吊り込まれるように、隆也は頷いていた。

 話が決まると、ピエールはベッドの下から、余り洗濯されているとは思えない寝袋を取り出した。手慣れた調子で床に広げた彼は、さっさと毛布を被っておやすみと言った。

 何か狐に摘まれたような気持ちで、隆也はほろ酔い加減の体をベッドの上に運んだ。だが、そのベッドからも何やら、異様な臭いが立ち昇っていた。

 少なくとも、寝袋の代わりだけは、何か見つけてこよう‥‥‥そんなことを考えながら、いつの間にか隆也は深い眠りに落ちていた。

 翌日から、二人の宝探しが始まった。別に急ぐ旅でもなかったので、誘われるままに、隆也はピエールを手伝うことになっていた。

「いったい、どんな宝があるんだい?」

「それは、ナイショだ。誰かに知られて、ここから追い出されたりしたら、せっかくの苦労が水の泡だ。それに、誰かに知られた時に、君を疑わなくて済むだろう?」

 昼なお暗い古城の中で、崩れた石壁を取り除く作業をさせられていた隆也は、そんな素朴な疑問を口にしてみた。

 だが、金髪の美青年はそんな奇妙な理屈に、日本人青年は不思議な暖かさを感じて、それ以上追求しようとは思わなかった。

断片的なピエールの説明によれば、彼が探しているものは、小さな箱のようなものではないようだった。彼はひたすら、大きな部屋のような場所、それも隠し部屋のようなものを捜していた。

「その隠し部屋さえ見つかればいいんだ。例え、何もなくても、俺の考えが正しかった証明にはなるだろう?」

 この城が建っていた当時の古い図面を、廃虚の瓦礫の上に広げて青年は笑った。その笑い顔が、何だか隆也には眩しかった。

 ピエールは隆也に、この城の簡単な背景を説明した。

「十六世紀の末まで、この近くを支配していたオラニエ公という貴族が建てた城なんだが、その後の領地争いや戦争で、オラニエ公はこの土地を離れた。その後、様々な貴族がこの城の所有者になったが、やがてこのロアールの川沿いの他の城と同様、利用価値がなくなって、忘れ去られた」

「ということは、ここは三百年以上も廃虚なのか?」

「そうかも知れない」

「そんなところに、どんな宝が残っているって言うんだい?例え残っていても、三百年以上も経って無事だと思うのかい?」

「さァ、どうかな‥‥‥」

 ピエールは、曖昧な返事で口を濁すと、再び崩れた壁の調査に取りかかった。隆也もそれ以上追求できないまま、肩をすくめるようにして手伝いを再開した。

 それから何日かすると、一部ではあったけれど、崩れた石壁が取り除けられ、石畳の床が二人の前に姿を現わした。その床を丹念に調べていたピエールは、その床の下が空洞になっている部分を見つけた。

 あの汚い部屋のどこにしまっていたのか、日本製の強力ライトを持ち出したピエールは、その操作を隆也に任せて、床の下に潜って行った。どうやら、そこは長い年月の間に、床下の土砂が流れ出して出来た穴のようで、さんざん探し回った挙げ句、何の成果もなかった。

 隆也は、以前から自分が抱いていた疑問を、この時初めて口にしてみた。それまでは、確信を持って行動しているピエールに遠慮して、敢えて口を挟もうとは、思っていなかったのだ。

 壁や床の瓦礫を除いた上で、その壁の構造や配置を、隆也は自分なりに眺めていた。その中で、実際の古城の構造が、ピエールの持っている図面と食い違っていることに、彼は気付いていた。

 隆也の説明を聞いたピエールは、意外にも素直にその事実を認めた。

「やっぱり、君の言うとおり、この見取図は少し違うな、この図面が古過ぎるのかな?」

「この見取図はコピーだろう?オリジナルは、間違いなく本物なのかい?」

「これは、十六世紀のものだということだが、オリジナルが本物であることは間違いないと思う。何しろ、政府公文書館の貴族目録に載っていたものだからな‥‥‥」

 政府公文書館の貴族目録は、比較的容易に閲覧することが出来る。だから、ピエールがこのコピーをそこから手にいれたことは、不思議ではなかった。

 問題は、この見取図そのものが、現在の、この廃虚と化した城のものかどうか、ということだった。元の城が無くなった後に、同名の城が少し離れた場所に作られることも、決して珍しくなかった。

「どうやら、こいつは、もう一度、調べてみる必要があるな。わかった、明日パリに戻って調べてみよう。君は疲れただろうから、明日一日、ゆっくりして待っていてくれ」

 そう言って見取図を丸めたピエールは、意味有り気に片目をつぶって見せた。

「橋の上のお嬢さんを、食事にくらい誘ったらどうだ?俺は今晩帰らないから、何なら部屋に泊めても構わないぜ」

 ピエールの言葉に、隆也は耳まで赤くなった。

 橋の上のお嬢さんというのは、この城に通じる唯一の橋の上で、ここ数日、毎日絵を描いている若い娘のことだった。大きな麦藁帽子を被り、Tシャツにジーパンというラフなスタイルだったが、なかなかの美人であることは間違いがなかった。

 隆也がその娘に気が付いたのは、ピエールと共にこの古城で宝探しを初めてから、数日経ってからのことだった。ひょっとすると、それ以前から、彼女はその同じ場所で絵を描いていたのかも知れない。

 村の街道と、古城のある小高い山は古い小さな石造りの橋一つで結ばれていた。その小さな橋の上の同じ場所に、その娘は毎日ように立っていた。彼女は、イーゼルを立てかけた画布に、熱心に絵筆を走らせていたのだった。

 隆也達も、毎日のように、その傍を通り抜けて古城に向かっていた。だが、彼らが帰る頃にはその娘の姿はなかった。そのため、その娘に惹かれるものを感じていながら、今日まで隆也は何をするでもなく、ただ通り過ぎる時に、熱い視線を注いでいるだけだった。

 そんな隆也の不器用な態度は、とっくに、この金髪の美青年には、知られていたらしい。

「バカなこと言うなよ!」

「やれやれ、日本人が奥ゆかしいというのは、昔のことじゃなかったのかね?今時の日本人男性は、老いも若きも、パリのモンマルトル辺りで、女性を引っかけることに夢中だっていうのに!」

 そんなフランス人青年の皮肉に、隆也は言い返すことが出来なかった。最近の日本人が、観光よりもナンパや女買いに熱心なことは、隆也も良く知っているし、旅の途中で何度も見ていた。

 隆也は、日本にいる時ですら、ロクに女友達も出来ない男だった。彼は、旅の恥はかき捨てといって、気軽に女性に声を掛けられるようなタイプではなかったのだ。

そんな隆也を、古城に置き去りにするように、ピエールはさっさと山を降りて行った。隆也は、慌ててその後を追うのも何だか憎らしいような気がして、しばらくそのまま薄暗い古城の中に留まっていた。やがて、仕方なく自分も山を降りた。

 そうそう、都合のいいことがあってたまるものか、きっと、どうせもう、帰ってしまっているに違いない。などと、自分に言い聞かせるように言い訳を考えながら、隆也は橋に差しかかった。

 ところが、彼の思惑に反してというか、彼の期待に答えと言うべきか、その娘は来た時と同じように、橋の真ん中で絵を描いていた。

「あの、失礼ですが‥‥‥」

 一端足を止めた隆也は、呼吸を整えるとロアール川にかかる石橋の上を、何気ない様子で歩いて行った。

 橋の中心で、熱心に絵筆を走らせている娘の近くまで来た隆也は、なるべくさり気なさを装いながら、意を決して声を掛けた。

 別に、ピエールにけしかけられたためでもないが、せっかくの機会を逃すこともないと、自分に言い聞かせた末の決断だった。

「食事をご馳走して下さるのかしら?」

「何でそれを?」

 画布に視線を落としたままの、娘の意外な返事に、隆也は驚いた。

 大きな麦藁帽子を被った娘は、そんな隆也の反応に、堪え切れないという感じで、次第に肩を震わせると、ついに声を立てて笑い出した。

「ごめんなさい。だって、さっきの人が、あなたがそう言って話しかけるだろうから、その時は遠慮なく食事をたかれって‥‥‥人畜無害の、臆病な日本人だから、身の安全は保証するって‥‥‥」

「ピエールのやつ!」

 隆也は、金髪の美青年の人の悪い笑顔を見たような気がして、空に向かって拳を振り上げた。

 その様子を見て、またひとしきり笑った娘は、ようやく隆也に向かって、そのソバカスの浮かんだ白い顔を上げた。

「で、どうなの?ご馳走していただけるの?」

「あの、その、お誘いしたら、付き合っていただけますか?」

「喜んで!」

 その返事を聞いて、隆也はようやくホッと胸を撫で下ろした。こうなってみれば、ピエールのイタズラも、好意として受け取っておくことも、悪くないような気がしていた。

 娘はアンヌ・マリーと名乗り、パリの美術大学に通う画学生だと言った。

「ピエールって言うの、あの人?いい、お友達ね」

 イーゼルを持つと、自分と並んで橋を渡る隆也に、画材を抱えたアンヌが尋ねた。

「友達ってわけじゃないんだ‥‥‥」

 近くのレストランへ行く道すがら、他に話題もないので、隆也はピエールと知り合った経緯を、話して聞かせた。ただ、宝を探していることは、慎重に避けた。

 アンヌは、興味を引かれた様子で熱心に尋ねた。

「じゃ、あの城のことには詳しいのね?」

「詳しいっていう程のこともないけど、建築学的に興味があるネ。ピエールは歴史学的にだけど‥‥‥」

 隆也は、勝手にピエールを歴史学を専攻する学生ということにしておいた。それに、自分が建築学をやっていることは事実なので、嘘を吐く必要はなかった。

 レストランで食事を取りながら、隆也はピエールに聞かされたあの古城の歴史を、簡単に語った。もちろん、自分の建築学の知識を織りまぜて、膨らみを持たせることは忘れなかった。

「だから、あの城は、中世の初期に建てられた典型的な‥‥‥ごめん、こんな話、退屈なだけだね‥‥‥」

 隆也は、アンヌの視線が宙をさまよっていることに気が付いて、フォークを皿の上に下ろした。

 柄にもなく、美しい金髪のフランス娘を前にして、興奮したらしいと自分を恥じていた。

「いいえ、退屈じゃないわ!それどころか、とっても面白かった。本当よ」

「いや、いいんだ。僕はどうも、この国の男性と違って、ロクな口説き文句も言えない。だから、この年になっても、女性とは縁がないんだ‥‥‥」

「まァ、そんなことないと思うけど‥‥‥」

「今日だって、ピエールが取り持ってくれなかったら、君と話が出来たかどうか、わからないんだ‥‥‥」

 変な風に気落ちした隆也を、慰める言葉はアンヌにはなかったのか、その後、言葉少なに語り合った二人は、食事が終わると間もなく別れた。

 ただ、隆也は別れ際に、またあそこで絵を描くのかと尋ねた。

「いいえ、もう、あそこでは描かないと思うわ」

 アンヌの返事は予想していたものの、隆也には少なからぬショックだった。彼は、重い足取りで宿屋に帰った。


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