転
「突然だけど、君は神様って信じるかい?」
学校が終わった後、私は帰り道である河川敷の土手で、一人の男性と会っていた。
西日が、河川敷一帯を橙色に染めている。
「本当に突拍子も無いですね、宗教にでも嵌ったんですか?」
彼と会うのは、これが初めてじゃない。一ヶ月程度前からこの河川敷で知り合って、以後毎日、私は放課後、彼に会いに行っている。
「そういうワケじゃないけど、ほら、時々うんざりするくらい、不幸が連続する日ってあるじゃないか。そういう時に、これは神様の悪戯だ、とか逃避したくなるけど、君にもあるのかい、そういうの」
今日は随分とネガティブな話だな、と心の中で呟きつつ、少し真剣に考えてみた。
というか、神様の悪戯という言葉の使い方を間違っているんじゃないだろうか。いや、間違っているというか、別にそういうマイナス方面で使うだけじゃなくて、別にプラス方面でも使い道はあるのでは、という意味なんだけど。
そもそも、神頼みだとか言って、居るかも解らない神様に全部投げて、自分は逃げる言葉もあるくらいなんだし、そう考えてみれば、神様って不憫。
それで、神様の悪戯でも神頼みでも、結局自分は現実逃避していることに違いはないんだなと、自分でも良く解らない結論が出たところで、本題を思い出した私は、
「……神様を信じるなら、私をこんな性格にした神様を恨みます」
結構本気で言ったのに、彼は私の答えを聞くや否や「ぶっ」と噴き出し、後は口を押さえて地面を叩き、背中をふるふると震わせながら、必死に笑いを堪えていた。っていうか、堪えきれてないし、笑い声。
何だか、癪に障る。
「あの、今は怒っても良い場面ですよね」
「ああいや、ごめんごめん、君って思ったよりも自己嫌悪が凄いんだなと思って」
ある程度収まったのか、彼はそう言いつつも、まだ愉快そうに笑っている表情が残っていた。
でも、そういう類の考え事は、人間生きていれば誰にでもあることだと思う。誰でも、自分には無いものを欲しがったり、無いものに縋って救われた気持ちに陥るのが人間だ。私も最近特に、普通の考え方を持った性格になりたいと思い始めていた。
少なくとも、私が普通だったなら、やることが無くて毎日ここに来ることも無いのに。
「でもさ、そう思っているなら、どこに居るかも知れない神様に八つ当たりするより、自分で直そうと努力したほうが良いんじゃないかい?」
「無理です、そんな性格だから」
即答すると、彼はやれやれ、と言わんばかりに両手を肩の高さまで上げて左右に倒した。
私自身、屁理屈を言っているのは解っている。でも無理だ。学校の教室の空気、あの空気が異質としか思えない、吐き気がする。
朝に登校してきて、四方八方から聞こえてくるクラスメイト達の会話。何故、あれだけ他愛も無い話に、コロコロと表情を変えることが出来るのか、解らない、気持ち悪い。
一度、無理をしてその、本当にどうでも良くて吐き気がする会話を試みたところ、気持ち悪すぎて嘔吐していしまったことがあるくらいなのだ。
「まぁ、そんな君だから、毎日ここに来ては、俺と特に意味も無い会話をしているんだろうねぇ」
妙なところで納得されてしまっていた。
……あれ? 考えてみれば、彼とも交わす会話は、教室でクラスメイト達が話すような、他愛も無い話よりも他愛ないし、何よりどうでもいいし、彼はコロコロと表情を変えている。なのに、私は気分も悪くならないし、ましてや嘔吐感なんて皆無だった。
彼に対しては、大丈夫なんだろうか。
「? どうしたんだい? 真剣な顔して」
まぁ君はいつでもそんな顔か、ははっ。と彼は続けたのは、まぁ聞き流すことにして。
「いえ……もしかしたら、私にとって、ここで貴方に会うっていうことには、何か意味があるんじゃないかなって思って」
「ああ、そりゃそうだろ。意味が無いのは会話の内容だけさ。俺達がここで会って、話をしている。それは俺にとっても君にとっても、意味が無くちゃやってられないことだしねぇ。ほら、前にも言ったじゃないか、俺は現実逃避でここに来てるんだよ」
彼の説得力がありそうな説明を聞いても、私の胸の、モヤモヤした感じは晴れない。
どうして私は彼とだけは毎日無駄話に明け暮れているのか。
どうして私は彼と話している時だけ、気持ち悪くなったり、嘔吐感に襲われたりしないのか。
……答えなんて、解っていた。解りきっていた。
彼は、私にとっての特別なんだ。
でも、
そうじゃないって、心のどこかで、強がってる私が居た。
「神様って、居るんでしょうか」
「唐突だね、宗教にでも嵌ったのかい?」
さっきとは立場が逆のやり取り、嫌な気はしなかった。
この数分間の間に、宗教に嵌る理由なんてある筈もないので、それは彼の言葉遊びとして受け取っておく。ただ、もし本当に神様がいるんだとしたら、この、人間達の世界を創り上げ、それを常に見守っている人達がいるんだとしたら、彼らはこんな私達の会話を、どう思っているんだろう。
……そんなことを考える私を、神様はどう見ているんだろう。
「んー……、どうだろう。こういうのって、殆どが悪魔の証明だからねぇ」
「悪魔、ですか……?」
どうして神様から悪魔の話になるんだろう。
「あれ、知らないかい? 悪魔がいることは証明出来るけど、いないことは絶対に証明出来ないってやつ」
「いることも、証明出来ないと思いますけど」
「はっはぁ、珍しく君が普通の子に見えるな」
どういう意味よ。
なんだか無性に腹が立ったので、じっと彼の顔を無表情で見つめてやった。
すると彼は不敵にニヤリと笑い、そのままの表情で私と顔を近付けてくる。
なんだか、悪い人に絡まれたような光景になっていた。でもそんなことは良いとして、取り敢えず顔が近い。鼻が当たりそうである。
「ちょ、ちょっと……」
ちょっとした反抗がまさかこう返されるとは思わず、私が彼から視線を逸らしてしまったところで、彼は近づき過ぎている顔を離し、満足そうな笑みを浮かべていた。
「悪魔がいることを証明するのは簡単さ。悪魔を連れて来れば良い」
「……そんなの、いないんだから結局無理じゃないですか」
さっきの名残で、まだ胸の辺りがドキドキしているのを悟られないようにそう言う。
「そこだよ、いないんだからって言い分、悪魔がいないことを証明しないと通用しない。でもさ、悪魔がいないことを証明するって、どうやっても無理なんだよ」
「無理……?」
「そう、無理。どんな論文を並べたって、『いない』って事は消極的な表現しか出来ないからねぇ。そこから積極的表現の証明『する』っていうのは不可能なのさ」
ああ、成る程。確かに、言われてみればそんな気がしてきた。
先入観から悪魔なんている筈が無い、と思いがちだけど、それはどこまでいって思い込みなワケで、『筈』なのだ。決定的な悪魔がいない証拠なんて、絶対に無い。
「それにさ」彼は、続ける「どんなに賢そうな学者が、どんなに賢そうな言葉で説明してきたって、『いるかもしれない』の一言で、全部ひっくり返せるんだよ。その点、いることの証明は簡単だねぇ。悪魔がいることを前提にしてるんだから、ごちゃごちゃ言ってねぇで、悪魔を探して連れて来ればいい」
そしてそれは、当然神様にも当て嵌まる。
というか、空想上の生物全てに言えることなんじゃないだろうか。神、天使、悪魔、妖怪、とか、色々あるけど。
「でも、まだ見つかっていないんでしょう?」
「そりゃそうさ、悪魔なんて、いるワケ無いんだしね」
さっきまで、悪魔の証明とかなんとか活き活きと説明してた人が言う台詞なんだろうか。
「じゃあ、神様もいないと?」
「さぁね、悪魔なんて信じても何もならないけど、神様は色々と効果があるし。プラシーボ効果ってやつ、知ってるかい?」
それくらいなら知ってる。思い込みで、人の体に何らかの変化が表れる。とか何とか。具体的な例としては、何の医療効果も無いただの小麦粉を押し固めて作った錠剤を、医者が風邪を引いた患者に「これは風邪が治る薬ですよ」と言い渡し、そう思い込んだ患者が錠剤を飲んだら、実際に風邪が治った。というもの。
これが嘘みたいな本当の話で、知っている人は知っている。
「知ってますよ、神様なら、合格祈願とかにも使われるし、やっぱり悪魔なんかよりかは、ずっと価値があるんじゃないですか」
私がそう言うと彼は側頭部を片手で押さえて、声無く笑った。
「おいおい、神様を道具扱いかよ。君には敵わないな」
その仕草に、若干イラッと来る。
「褒め言葉ですか……?」
「そう聞いてくる時点で、褒められてる実感は無いんだろう?」
まぁ、そうなんだけど。
むしろ馬鹿にされてる感が、なきにしもあらず、ってところなんだけど。
「貴方に褒められても、嬉しくないですし」
「はは、酷いことを平気な顔で言うねぇ。俺はショックを隠せないよ」
隠すも何も、笑ってそんなことを言ってる人に、そんな感情がある筈ないと思う。
そんな見え見えの彼の嘘に、半ば呆れて溜め息を吐こうとした時だった。
……あれ?
鼻から吸い込んだ空気を、口から吐き出す直前、ふとした疑問に辿り着いていた。
「――っていうかさ」
ちょうどその瞬間、彼の目が細くなり、鋭く刺すような瞳で私を見て、いつもと違う雰囲気で……そう、トーンの低い、真剣な口振りで言ったのは、そんな短い言葉。
吐く筈の空気が、無くなっていた。
彼は続ける。
私自身、たった今気付いたことを。彼は言おうとしている。できれば気付きたくなかったことを、気付いたところで、どうしようも無いことを、彼はその口から、流れるような滑らかさで言葉にしていく。
それは、あまりにもつまらない言葉。
否。あまりにも、つまらない人間を指す言葉。
そんな、残酷な言葉。
「君が誰かに褒められて、嬉しくなる時なんてあるのかい」
ガツンと、脳を直接殴られたかのような錯覚があった。
私の中の時間が、止まったような気がした。