承
「つまりさ、結局人生が楽しいかなんて、本人が決めることなんだよ。いくら周りから尊敬されても、つまらないと思う奴はいるし、蔑まれて満足してるような奴もいるんだしねぇ」
そう言って彼は、声無く笑う。
学校が終わった後、私は帰り道にある河川敷の土手で、一人の男性と会っていた。
西日が、河川敷一体を橙色に染めている。
彼と会うのは、これが初めてじゃない。一ヶ月程度前からこの河川敷で知り合って、以後毎日、私は放課後、彼に会いに行っていた。
「だから、何が言いたいんですか」
「ああ、君が毎日ここに来るのは、何か事情があるのかなって思ってね。いや、最初は俺から君に声を掛けたワケだし、来てくれるのはありがたいんだけどさ」
「それがさっきの人生観と、どう関係あるんです?」
でも彼の言った通り、事情が無いと言えば嘘だった。けど、あると言ってもそれは嘘になるんだと思う。厳密に言えば、事情が無いから私は毎日河川敷に足を運ぶ。
そういえば、似たような話を前にも彼としていた気がする。確かその時は、他にやることが無いから、みたいなことを言ったっけ。
つまり、どんな言い方をしても、結局は暇潰しで私はここに居るのだろう。
学校もつまらない、私生活もつまらない、そんな何も楽しむことが無い私にとって、彼との他愛も無い会話が、いつの間にかクセになっていたんだと思う。
「関係あるじゃないか。俺は、君が毎日ここに来ることの意味を、まだちゃんと教えてもらってないからねぇ。それとも、何も考えずに毎日ここに来るとでも言うのかい? さっきも言ったろ? 何が楽しいかなんて、本人にしか解らない。だから俺も、君にとって、ここへ来て俺と会うことが、どういう意味を持つのか、知りたいだけさ」
「貴方は、どうなんですか」
「質問を質問で返されても困るねぇ。まずは君が答える番だ」
そう言うと、彼はコートの胸ポケットから煙草を取り出し、口に咥えて火を着けた。煙草特有の臭いが漂い、私は微かに眉を寄せた。
「あれ、煙草の臭い、嫌いだったかい?」
「いえ、そういうワケじゃ、ないですけど」
「けど?」
ハッキリ言って、楽しくは、ない。彼はなんでも見透かしているような表情や口振りで、話していても決して良い気分にはならない。
二度目になるけど、事情が無いから。だから私は彼に会いに行って、事情を作っている。
今のは理屈的な話だけど、私自身としては彼をどう思っているんだろう。否定的な認識はしていない筈。でないと私がこうして毎日、彼と話している筈が無い。
「私がここに来てる理由ですよね」ふと、頭の中に浮かんだ結論「依存、だと思います」
「ふぅん、依存か。正直に嬉しいねぇ、君にとって俺は、そこまで大きな存在だったのか」
この、何でも見透かしていそうな彼の口振り、表情が、今まで人付き合いが極端に少なかった私にとって、どこか刺激が強くて、依存すべき対象になっていたんだと思う。
「じゃあ、今度は貴方の番ですよ」
「お、そういえばそうだったな。俺が君と会うことの意味か。……ふむ、思ったよりも、これは難しい質問だねぇ」
その質問を私に問い掛けてきた彼に、その言葉を言う資格は無いと思う。
彼は咥えていた煙草を、指で口から挟んで離し、ふぅ……と煙を吐いていた。
「そうだな……俺も、君と同じかもしれない」
「同じ?」オウム返しで聞いてから「互いに依存しあっているってことですか?」
「まぁ、そういうことなんだろうねぇ。ただ少し違うのは、依存の理由かな」
つまり、理由の理由ということになる。
私が彼に依存している理由は、他に事情が作れず、彼と話すことが唯一の、放課後の過ごし方になるからだ。簡単に言うと、暇潰しの為に、私は彼に自然と依存している。
「君が、他にやることが無くて俺と会う、ってのはこの前聞いたけど、俺はその逆なんだよ」
「じゃあ、他にやることがあり過ぎて、なのに私に依存してるんですか?」
「安直な発想だな。まぁ、大体あってるけどねぇ。――そう、謂わば現実逃避だ。なぁ、お互い、酷い理由で俺達は話し合ってると思わないかい? 君は単なる暇潰しに、俺は現実逃避に」
「まぁ、褒められる理由ではないですね」
それでも、私と彼はこうやって一ヶ月も話し合っている。
そもそも、私も彼も、特に理由なんて無いのかもしれない。ただ理由が無くてここに来るのが何か嫌で、無いものを無理矢理搾り出して出たのが、暇潰しとか依存という、そんなありがちで、下らないものだっただけで。
閑話休題。
それにしても、ここにきて初めて、彼のことについて聞けた気がする。今までは自分のことになると、いつも上手くはぐらかしていたのに、今日は当たり前のように答えてくれた。
でも、彼曰くやることが多過ぎて、多忙である彼の、この河川敷以外の姿は、一体どういうものなんだろう。普通のサラリーマンだろうか? でもサラリーマンがこんなに早く終業なんて聞いたことが無い。それともどこか大規模な企業の幹部とか。それなら多忙というのも頷けるけど、それならそれでこんな所で時間を潰していてもいいのだろうか。
私は、まだ彼を知らない。
もっと彼を知りたいと、こと時深く思った。
「だろ? でもこれが一ヶ月以上も続いてる。積極的な理由より、消極的な理由の方がなんだかんだ言って長続きする、良い証拠だよ」
そう言うと、彼は吸いかけの煙草を携帯灰皿に全部押し付けて立ち上がった。
「さぁ、今日はもうお開きだ。暇潰しも現実逃避も終わりにして、そろそろお互いの日常に帰ろうじゃないか」
私の返事を待たずに彼は背を向けて、私の帰路とは逆の方向へと歩を進める。
この一ヶ月、いつもこんな感じだった。何を基準にしているかは知らないけど彼は、適当にここで私を会話を繰り広げた後、こうやって一方的に会話を切ってどこかに行ってしまう。その背中を私はただ呆然と見ていて、彼が遠くなったところで私も帰路に着くんだけど。
「いつか」
今日は、その背中に声を掛けた。
「うん?」
彼が少しだけこちらに振り返り、片目だけで私を捉える。
「いつか、貴方のことをもっと教えて下さい」
私の言葉を聞いて彼は、少しの間、特に何の変化も見せずに固まっていたが、口元に軽い笑みを浮かべると、何も言わずに私に背中を向けて、河川敷を土手に沿って歩いて行く。
私はいつものように、それを呆然と見ているだけで。
ふと、西日の光が、より一層強くなった気がした。