第六話
※STR=ストレングス、力。VIT=ヴィタリティ、耐久とかそんなもの。DEX=デクスタリティ、器用さとかそんなもの。AGI=アジリティ、俊敏さとか、そんなもの。
LUC=ラック、運。CHR=カリスマ、所謂魅力値。
「ふっ!」
手に持ったナイフ……ではなく、無造作に蹴り上げられた足先。、正確には初期装備である編み上げのブーツが白い毛皮にめり込む。
柔らかな感触は一瞬で、体長にして40センチ程であるその小さな体躯は簡単に吹き飛ぶ。
最初の一撃でも十分な致命打。よろけた隙に叩き込まれた再度の蹴り飛ばしで致命傷。
そして今命中した三度目の蹴りでついに“ホワイトバニー”は絶命した。
「あー、流石に殆ど無抵抗の存在をなぶるってのは気持ちのいいもんじゃないな……」
キリュウが呟く目の前で光の粒子となり掻き消えるホワイトバニー。
いくらゲームの中とは言え、感覚は限りなくリアルであり、足先に感じる柔らかな血肉の感触は正直、倫理が欠け落ちたキリュウをもってしても不快である。
反撃してくる訳でもないまさに小動物、弱い者虐め。常人であれば躊躇は無論、場合によっては最初の一撃で暫くは行動不能になりかねない。
無論、初期レベル帯のエネミーがこのホワイトバニーだけとは限らないだろうが、それでもどことなく運営の嫌らしさが感じられた。
あまりにもリアル過ぎる為に、感覚がこの世界を現実として捉えてしまうのも忌々しい。
「それにしても、レベル上がりませんね兄様……」
最初の一体はなんとか。しかし、三体目で顔色を青くしたアイヒが溜息と共に口にする。
経験値は戦闘前に行ったPT設定で分配式とは言え、先程のホワイトバニーで、その討伐数は既に二桁に達しているだろうか。
それなのに今だレベル上昇はしておらず、キリュウもアイヒも1レベルのままだった。
既にホワイトバニーに関する情報はフィールド情報に記載され、そこからリンクされたドロップ情報も取得済みだ。
「まっ、これくらいなら昔からあるMMORPGでも珍しくはないさ」
地面に転がっている6面体の物体、キューブを回収しながら答える。
どうやらこのゲーム、現在の経験値の総量、あるいは次のレベルに対する残りの経験点が見れない仕様らしい。
それでも今以上にレベルが上がりにくいゲームも知っているキリュウからすれば、特に目くじらを立てる内容でもないのだが……
アイヒにとってはそうでもないらしく、少し血色を取り戻した頬を膨らませては文句をたれている。
「ごめんなさい、兄様。まったくお役にたてなくて……」
次の獲物を求めて原っぱを歩いていたキリュウの横で、アイヒが眉を八の字にして申し訳なさそうに口にする。
「そんなものだろうさ。いくらゲームだって言っても、五感がフルに再現されているんだ。アイヒみたいな状態になるのが普通だよ。むしろ、この世界にあって、きっと正常はなによりも貴重な宝になるだろうな」
「宝、ですか」
「ああ。今はまだいい。もう少し経てばきっとプレイヤーも落ち着きを取り戻し、治安も回復するだろう。でも、その後は?」
歩いていたキリュウがくるりと回り、最後の問いを正面からぶつけてくる。
問われたなら答える。それは兄との長い生活で培った、隠し事をしないための決まり事。
くるくる、くるくると脳が回転し、震えながらも耳に届いていた藤堂の言葉を思い出す。
導かれた答えはちょっと頭があれば思いつく事だが、それにしたって快いものではなかった。
「えっと……端的に言えば、PKにはしる者達が出てくる?」
アイヒの言葉にキリュウがにっこり微笑み、満足そうに首肯する。
「その通りだよ。落ち着きが出たら、人は思考を始める。それは常人も異常者も変わらない。正常者はいいけど、異常者はそこで何を考えるだろうね。LPなんて免罪符まで用意されて……俺ならPKに手を出すね」
「でも、LPがあるってことは、口封じが出来ないってことじゃないでしょうか? 他のプレイヤーに情報が回ったら、困るのはPKだと思います兄様」
まぁそうだねと、キリュウは答える。確かに一時の楽を求めて手を出すには、“一見”危険に思えるプレイヤーキリング、PK。
だがそれは冷静になって考えてみれば考慮に値しないものだと分かる。
「それじゃあ、だ。もし、顔が分からなければ? 例えばお面のような装備。例えばマントのような装備。そしてこれが一番重要なんだが……そもそも、どうやって相手の名前を知る?」
「……え?」
言われて初めてアイヒは気づく。そう言えば、普通のMMOなら表示されるネーム表示が、このゲームには存在していないことを。
ホワイトバニーは無論、アイヒも、兄であるキリュウも同じく名前は表示されていない。
スキル、魔法消費に伴うマジックポイントゲージ、それに残りの生命力を示唆するヒットポイントゲージ。
この二つならステータスウィンドウを表示させ、それを固定化することで常に把握できるのだが、名前はやはり載っていない。
「…………」
思わず口を噤んでしまう。脳裏に駆け巡るのは嫌な想像ばかり。顔も、装備も、名前すら割れないのなら、PKを行うデメリットが殆ど存在しない。
無論、絶対は存在しないだろう。魔法やスキル、あるいはアイテムで名前を暴くものがあるかもしれない。
だが、逆に言えばその逆の可能性もある。名前はおろか、情報の多くを隠匿する魔法やスキル、そしてアイテム……
――――ぞくりと背筋が凍えるような気がアイヒはした。
「多分、その想像は間違っていない」
真剣な顔をする兄。同じ作りの顔の筈なのに、自分より随分と凛々しく見える表情にアイヒは訳も分からず安堵する。
「PKに手を染めても犯人が分からない。そしてなにより、そんな犯罪者が我が物顔でキングダムで同じ空気を吸っているかもしれない。友が、知り合いが、隣人がプレイヤーキラーかもしれない……大型掲示板なんてあるんだ、情報の共有はあっという間だろうな。そうすれば第2の大混乱だ。誰もが誰もを疑うようになる、そしてPKに手を出す者が増えていく――――」
――――そして正常者は異常者に成り代わっていくんだ。
最後にそうキリュウは告げて再び歩き出す。
その後ろを不安気な顔をしたアイヒが黙ってついて行った…………
「やっとレベル2か、まさかこんなに時間が掛かるとは思わなかったな」
「私も予想外でした。30体近くも倒さないといけないなんて……お陰で少しですけど、呵責がなくなってしまいました」
ほんの2時間前は青白い顔をしていたアイヒも、兄だけに負担はかけられないとホワイトバニーに手をだした。
結果、最後の方は殆ど躊躇がなくなり、顔色は血の気を取り戻した反面、その内心は複雑なところである。
「……嫌な傾向だな」
レベルが上がり、5ポイントと言うSP――ステータスポイント――がステータスウィンドウに割り振られているのを確認。
それぞれ対応した基礎ステータス、STR・VIT・INT・DEX・AGI・LUC・CHRの内、ラックとカリスマ以外に割り振る事が出来るのも確認。
地面に座り込み、どうしようかと2人で悩みつつ話し込んでいれば、アイヒの状況を見てふとキリュウが言葉を吐いた。
「このゲームってさ、所謂バーチャルなんだよな」
「ええ、はい。5感を完全に再現した没入型の体感ゲームです」
「アイヒはさ、じゃあ、そのバーチャルが成立した大元の技術って知ってる?」
「……確か、シナプス間を伝わる電気信号。その全てを明らかにした、脳科学、ですよね兄様」
それが嫌なことと何の繋がりがあるのか内心首を傾げつつ、言われた事を条件反射のように答えていく。
世に名高い天才科学者の、ノーベル賞をも獲得したと言うとある論文。
それは脳が送り出す電気信号のメカニズム及び、その種類全てを解き明かしたと言う驚異的なものだった。
それを根幹として、今のバーチャルシステムは構築されている。
「そうだ。月宮聖提唱の理論、俗にヒジリ理論と呼ばれてるもののお陰でバーチャル技術は完成した。だけどな、これってつまり、脳が出す電気信号を操作、ないし誤魔化す技術なんだよ。じゃあ、だ。今感じてる感情、5感は本当に正しいものなのか?」
言われてアイヒはようやくキリュウの伝えたいことを理解した。
世界は、全ては脳が認識している。世界が世界として見れるのも、すべて脳がそう認識し、指示を出しているからに他ならない。
じゃあ、それを誤魔化し、改竄出来る装置に繋がれているプレイヤーは、本当に生来の感情、意識のままでこの世界にいるのだろうか?
ゲームとは言え、ほんの数時間前まで生物を殺めると言う事に対して震えていた少女が、こんなにも早くその行為に慣れてしまえるものなのだろうか?
それは偽りの感情じゃないか? 気づかない間に改竄されたものではないか? 殺しに適応させる為の、運営の未知なる攻撃ではないか?
違う? …………本当に?
「大丈夫だ……ゆっくり大きく息を吸って吐いて……」
「……っぁ、にい、さま」
そこでアイヒは己が呼吸もせずに震えていることにようやく気づいた。
歯の根が合わずにガチガチと音を立て、寒くもないのに悪寒が止まらない。
今認識しているものが、見知らぬ誰かによって弄りまわされたものであるかもしれないと言う恐怖。
短い間に想像した内容はあまりにおぞましく、恐ろしいものだった。
それでも恐怖に震えるアイヒは我を失わず、キリュウの言葉に従いゆっくりと深呼吸を繰り返す。
(大丈夫……そもそも、政府公認とは言え、人格や感情の全てを操るなんてそう簡単に出来るものじゃない筈です。出来たとしても、それを100万に及ぶテスターに遍く伝えるなんて、過負荷が大きすぎて現実的じゃありません)
背中をさする兄の暖かな手。よくよく考えれば流石に突飛すぎた内容だと、想像だったと思い出しほっと息を吐く。
その手はまだ小さく震えていたが、先程よりは随分と治まりを見せていた。
「ありがとう御座いました兄様。もう大丈夫です」
「そっか、よかった……にしても、言い方が悪かったな。流石に大規模な電気信号の改竄なんて無理だろうさ。この世界を構築するだけで、リソースなんて殆ど喰われていると考えてもいい。精々出来て世界に順応出来るように精神の適応を促す、その程度だろうさ」
無論それは可能性の話しであり、絶対ではない。それはアイヒも分かっている。
兄が自分を慰めようとしてくれていると言う事実、それだけで十分だった。
現金なものだと理解していても、心配してくれる兄を見るのは嬉しい。
そっと手を握れば黙って握り返してくれる。暗い表情は払拭され、顔には笑みが浮かんでいるのだと自分でも気づきながら、それをアイヒは制御できない。する気もない。
「よし。クエストもあらかた終わってるし、今日はもうキングダムに戻ろう」
「はい、無理は禁物ですものね」
「ああ、情報も集めないといけないしな。大手を振って行動するのは、それからでも遅くはない」
そう笑ってキリュウとアイヒは手を繋いだままに歩き出す。
心地よい風が流れる草原。歩いて10分程たった頃、2人して重大なことに気づいた。
――キングダムに戻る方法を知らないと言うことである。
後書き
書くの忘れてました。
今回は色々状況認識の話でした。
次回は出せたら掲示板ネタとかやりたいですね。
それでは、感想評価、お気に入り、とくに感想はモチベにダイレクトに響くので気楽にお願いいたします。