第四話
《始まりの》《穏やかな》《草原》。王国の各所に設置されたオーバーテクノロジー装置。
その一つであるカオティックゲイトに三つの単語を打ち込む。
軽く腕が震えているせいで何度か打ち間違えたが、幸いにして他のプレイヤーは見当たらない。
青褪めた顔のアイヒを抱き締め、円環状の光粒子が瞬き、意識が一瞬漂白されていくのをキリュウはぼんやりと感じつつ、どうしてこんな事態になったのかを思い返す。
『世界観に関しては各自調べている筈だろうから置いておくよ。知りたかったらメニューウィンドウのヘルプを参照してほしい。こめかみに指を当て、脳内でメニューオープンと唱えてくれれば表示されるよ』
その言葉に幾人かの人物達が指をあてがう動作を示す。声こそ奪われたが、その表情から成功したらしいとキリュウはぼんやりと判断できた。
『さて、他にも説明すべきことは山ほどあるんだが……殆どは省かせてもらう。その方が楽しいだろう? まぁ、重要なシステムだけ教えておくよ。まず、この世界唯一の国家であり、王国であるこのキングダムだが、ここから外に出るには“ワード”と呼ばれるものが必要になる――――』
次々と語られる事項をなんとかキリュウは自分なりにまとめていく。
ワード、それは全プレイヤーの腕に装着された過去の超文明の遺産の一つ、“ストレイジャー”と呼ばれる腕時計のようなものに蓄積される、言わば移動の為の特殊キーワードである。
このワードと呼ばれるものは三種類に分類されており、これらを組み合わせて王国各所に設置されたカオティックゲイトと呼ばれる機械に打ち込む。
すると対応したフィールドにプレイヤーは飛ばされるという仕組みだ。
ワードの入手法や、更に細かい部分、例えば、移動先のフィールドに出現するエネミーの強さは確認できるかなどは説明されなかった。
『全プレイヤーは強制的に王国の“探索者”に登録されている。依頼も殆どは小型情報端末機から受注できるようになってるから活用してくれ。さて、これで最低限探索のための説明はしたと思う。足りない分は自分の足で探し、確認して欲しい』
どのプレイヤーも浮かべる表情は微妙だ。キリュウだってその不親切さには頭が痛くなる。
ただ、こんな状況を招くような相手にセオリーだとか、あるいはまともなチュートリアルを期待する方がおかしいのかもしれない。
『ここからが本題だ。まず最初にこのゲームではPK、つまりはプレイヤーキリングの行為が可能になっている。なんせリアルに近い環境をモットーにしているからね、当然さ。まぁ、この王国を含めて、一部特殊な場所ではPK不可になっているけど、それくらいの救済措置はある。因みに一度アバターが死亡判定をもらうと、ゲーム内に復帰することが出来なくなるよ。それがログアウトになるなんて思ってもらっちゃ困るけど……』
告げられた言葉。今までだって十分に訳がわからなかった。だがしかし、今度のはそれを容易く上回り、そして塗りつぶしていく。
PK? 確かにそれはMMORPGならありがちな要素だろう。
死亡判定、デットをくらうとゲームに戻れなくなる? それはログアウトになるのではないか?
だが藤堂院正太郎は口にした。それがログアウトになるとは思わない方がいいと。
誰もがあっさりと思いつく。デスゲーム。ゲーム内での死は現実のソレとイコールになりえる可能性。
明確に告げられた訳じゃない。しかし、それを想像するだけのカードを藤堂院は提示してきたのだ。
そわそわと声にならないざわめきが広がり、心なしか他者と距離をとろうとする者が見られる。
『王国でのPKも不可能じゃない。特殊条件下ではあるけどね。それと、プレイヤーは全員、毎日一定額のゴールドを国に上納しないといけない。これはレベルや環境によって変動するから注意が必要だよ。上納金が国に支払われなかった場合……は、まぁ、身をもって制裁を体験することになるだろう』
言葉だけなのに、どこか肩を竦めるような雰囲気。その飄々さとは裏腹に、言われた内容は随分とえげつのないものだった。
少し頭が回れば告げられた内容がプレイヤーの不利になり、更にはPKを助長させるものだと分かる。
ようは、キングダムと言うPK不可領域で安穏と過ごすことを望まないがゆえの措置。
『ああ、それとリアルをモットーにってことに関してだけど。まず、大幅な倫理規制が解除されている。賢しい者ならこれだけできっと多くの判断が付くだろうね。反面、一部の生理現象はカットされている、これはささやかな運営からのプレゼントだよ……因みに飲食は可能だし、と言うか普通に餓死もあるから注意だよ。ただまぁ、このゲーム、世界観上食物はちょっと高いのが難点なんだよねぇ』
気楽に言われる言葉の数々。だがその一つ一つがまともに考えれば決して優しくなど、利点などではないのだと理解できてしまう。
仮想の肉体だと言うのに、まるで胸焼けを起こすかのように気持ちが悪くなる。初期装備である簡素な布のシャツにズボン、その裾を掴むアイヒの腕はがくがくと震えていた。
正直言えばキリュウだって泣け叫びたい。なんせ一ヶ月は施設から帰れない、逆に言えば一ヶ月は何があろうと助けがこない。
しかも理由は不明だがどうも政府そのものが一枚噛んでる。下っ端が知らされているかはともかく、自衛隊も警察もあてにならない可能性が高かった。
それでも自分は兄であるとキリュウは自負している。妹の前で無様にうろたえることは決して許されない。だからこそ、少しでも情報は見逃せなかった……
『さて、今度はPKに関して話そうか。この世界にはエネミーと呼ばれる、いわば魔物と呼ばれるものがいるわけだけど。そいつらを倒せば経験点が貰え、それが一定数溜まればレベルアップできる。ただ、これはプレイヤーをキルしても手に入る。むしろ同レベル帯の魔物なんかとは比べ物にならないほど貰える。PKされた側は残念なことにインベントリ内、および装備の一部をドロップしてしまうから、PKされないよう注意してくれ』
明らかなPK推奨システム。これだけじゃない、先程から出てくる話しはどれもPKを助長させるものばかりだ。
理由は不明なれど、運営はどうやらプレイヤー同士でPKを行わせたいらしい。
そうとしか思えないシステムばかりだ。そしてそれは多くのプレイヤーが思ったことであった。
『まぁ、悪辣なシステムばかりなのは否定しない。でも考えれば現実より優しいだろう? まぁ、それでも可哀想だからね、幾つか飴も用意したんだ。まずはリバイブポイント。これはとある条件下でプレイヤーに与えられる“蘇生権”だ。ストックは初期において二個であり、全プレイヤーには初期時から一ポイント与えられている。これがあればメニューウィンドウで設定した安全エリア内で復活できる』
確かにそれは救済措置と呼んでも差し支えないものだった。デスゲームの危険性をおおいに緩和してくれるだろう。
だがキリュウはそこに違和感を覚える。今までのPK推奨ともとれるシステムの数々。
それがここにきてLPなどと言う安全弁を提示してきた。その思惑はどこにあるかがあまりに不気味。
少なくとも、藤堂院が口にするようなものではない。何か裏があると思えてならなかった。
『さて、残り幾つかだけ説明しておこうか。一つ、この世界は現実よりずっと早く時が流れている。君達のテスト期間が終わるまででおよそ三年。そしてその三年が経過すれば君達は現実に無条件で解放される。それ以外にも方法はあるから、探してみてほしい。二つ、PK時、相手がLPを保持していない場合だが、その場合に限りテストの報酬である日本円にしておよそ五十万円がPKした側に譲渡される。また、この時相手が複数PKを行っていた場合、その金額全てがPK側に加算される。そして最後だが、よく聞いておくがいい、これが最も重要だからね……』
今までの軽々しい内容とは違う、重苦しくも感じる空気。
そしてそれは真実それだけの重みがあった。
時間の流れとか、意味不明な報酬の譲渡とか。いや、それがあるからこそ、報酬の譲渡なんてマネが可能なのだろう。
つまり――――
『ゲーム内で行われたあらゆる犯罪行為は、決して現実では裁かれない。如何なる悪徳も、この世界で躊躇う必要はない。君達はこの世界において、限りない自由と、限りない理不尽を追求する権利がある。それでは全プレイヤー達が、その身に宿す欲望を十全に満たせることを祈っているよ…………』
誰もが突きつけられた爆弾に唖然とする中、一方的なチュートリアルとも呼べないソレは終わりを迎えた。
その瞬間奪われた声は戻り、広場は地獄絵図のような叫びに包まれた。
誰かが誰かを殴りつける。PKは出来ないんじゃないのかと誰かが喚く。
逃げ惑い、広場から脱出しようと誰もが走り出し、ぶつかり、転び、誰かを容赦なく踏みつける。
痛い痛いとありえない筈の痛覚に、小さな、明らかに小学生くらいの女の子が泣き叫ぶ。
狂乱したかのような広場の中、キリュウは逸早くアイヒの手を引いて走り出した。
家屋と家屋の隙間に入り込み、我武者羅に駆け出していく。そして見つけ出したカオティックゲイトらしき装置。
薄汚い汚れた石畳の裏路地。そこに似つかわしくないSFに出てきそうな装置。藁にもすがる思いでストレイジャーを操作し、そこに記述されていた複数のワードを打ち込んでいった……
「ここ、は……キングダムから出られたのか?」
「……草原、でしょうか」
今だ強張るアイヒはキリュウに抱きつきつつ目に映る光景を口にする。
そこはあたり一面の原っぱだった。足首を覆う程度の草花が生い茂り、生温い風が吹きつけ、空は僅かな雲と青で支配されている。
背後を振り返ればそこにカオティックゲイトの姿はなく、広大な草原の中に二人だけが取り残されていた。
「……ッ」
ぐらりと、緊張が解け尻餅をついてしまう。僅かな痛み、草花の感触が手に感じられる。
青臭い匂いが鼻腔をくすぐり、今更膝が笑って震え出す。
「兄さん……」
一緒に転んでしまったアイヒが心配そうに名を呼ぶ。
「どうしてこんなことになったんだ…………」
だがそれに返事を返す余裕はなく、口から零れるのはすべてのプレイヤーが思ったことだった。
後書き
今回はキリのよいとこまでいこうと、やや長めですが、基本はもうちょい短いです。
説明されていない部分もありますが、おいおい作中で出していく予定です。
題名に反し、まだまだ主人公はゲスではありませんが、それも時間の問題。