02
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――
「―用事ができて今週の土曜、行けない?」
「……うん。」
―そして、来ました。死亡フラグその2。国崎聖悟くん。
私は乾と別れた後、すぐに彼の部屋に行き、話を切り出した。
いつにもまして鋭い視線が私に突き刺さる。…うう、痛い。
「俺とのデートより大事な用か?」
「…いや、そういうわけでもないけど……」
「じゃあキャンセルしろ。」
これまたスパッと断言してくる聖悟。
…貴方も大概無茶を言いますね。さすが傍若無人の俺様。
いや、それが君なんだけどさ。分かっていたけどさ。
私は天を仰ぎながら素早く心の準備を済ませ、口を開いた。
「だからさ、補講なんだって。土曜日の2~4限。今日掲示されたから知らなかったの。」
「補講?補講予備日でもないのにか?」
「教授の都合じゃない?あの人学会で海外よくいくから、スケジュール合わなかったとか。」
「どうしても休めない?」
「…うん。必修だから、受けないと。課題でるかもしれないし。」
「…じゃあ、その後は。4限なら5時には終わるだろ?」
「その後、学部で飲み会、らしい。」
「…………。」
ペラペラと話す私に、納得行かない、と言った風に低く唸る男。
いや頼むから何も突っ込まないでくれ。嘘がボロボロバレる。
…つーかデートどれだけ楽しみだったのよ。
私は眉をしかめ険しい表情を作っている男を冷や汗交じりに覗きこんだ。
「…聖悟、ゴメン。」
「………。」
…やだ何この無言。
むっつりと黙る男は私を睨みながら、まだ不貞腐れているようだ。
…あーあ、機嫌悪くすると面倒くさいんだよなあ、こいつ。
「もー、ごめんってば。また今度行けばいいでしょ。」
「今度って、いつ。」
「…う。」
しかし弁解の為に走らせた口は瞬時に閉じられる。
じっとりとした視線が一段と強くなり、私は思わずたじろいだ。
―聖悟は、私に約束を取り付けるのがどんだけ難しいか知っているのだ。
さらに今回は本当に久々のデートだった。聖悟が怒るのも無理はない。私だって残念に思う。
…乾の野郎め……本当に厄介なことを押しつけやがって……!
私は内心で舌を打つ。
いや、あの幻の小説はしっかり頂きましたけど。帰って存分に堪能しますけど。
ああでもやっぱりこいつを相手する手間考えたらやめといた方がよかったのかなあ。
…もらった時点でもう手遅れだけど。
ええい、こうなったら――
「…聖悟。」
「ん?………!!」
――力技で押してやる。
私は突発的に立ち上がり、聖悟の傍まで行くと彼に抱きついて唇を押し付けた。
絡まる腕、目を見開いた聖悟の間抜け面。
予想通りの反応に、私はニヤリと笑った。
「ゴメン、ね?」
「……お前、こうすれば毎回許してもらえると思ってないか?」
「違うの?」
「………。」
ちゅっと音をたてて口を離し、至近距離で彼の瞳を見つめていたら、そのままぎゅっと抱きしめられる。男の厚い胸板に顔を押し付け彼の体温を感じた。
「…っあ~もう。分かったよ!行って来い。その代わり次は絶対ドタキャンすんなよ。」
―そのまま体勢でじっとしていると、しばらくして彼の苛立ったような声が耳元で響く。
聖悟も終に降参したようだ。私は内心でほっと息をつきながら、聖悟に笑いかけた。
「ありがと、聖悟。大好き。」
なんだかんだで最後には私に甘い聖悟。…いや、都合がいいとかは思ってませんけど。
ちゃんと私の事情を聞いて思いやってくれるところはやっぱり好きだな、と思う。
まあ、今回は嘘八百、吐いているわけだけどさ。…ばれたら死ぬな、多分。
心の中でそんな風にひやひやしていると聖悟の目が弓なりに光り、私を抱く力が強くなった。
…あれ、なにその不穏な空気。
「……那津。そういうの軽々しく言うなよ。」
「何で?」
「危険だから。」
『俺が。』
そう、彼の低い声が耳に届いた、と思えば。
どさ。
「………へ?」
あっという間に体の上下が入れ替わり、聖悟に押し倒されていた。
「ちょ…っと、せいご?」
「お前が悪いんだからな。」
「え?」
いつの間にか完全復活している俺様ドS聖悟様。私を見下す、今日もカッコイイお顔にある種の恐怖を感じた所で。
…今度は紛れも無い冷や汗が、たらりと背を伝った。
――まあ、その後は語らなくても分かるだろ。色々と大変だった、とだけ言っておく。
なにが琴線に触れたかは知らんが、いきなり野獣と化す男が彼氏って……
なんかもう。…はあ。
――――
―――
――
「おや、どうしたんですかナツさん。なんか、やつれてません?」
「……聞くな。乾…」
誰のせいだと思ってんの。
―来る土曜日。
私は体調不良を訴える体を引きずりながら待ち合わせ場所である駅の改札で乾と会った。
そして、第一声が先ほどの会話である。
ああ、もうウザイ。
私はため息をつきながらじわじわと痛みを訴える腰に手を当てる。
いつもながら胡散臭い爽やかオーラを装備している男に目を向けた。
「―で、どこに行くのかな?電車で行くわけ?」
「ははは、まさか。そんな面倒なことしませんよ。高級車が迎えに来るに決まってるじゃないですか。」
「ははは、ですよね。」
悪かったな、庶民的発言で。てか、『高級車』を嫌に強調して言いやがって。
ぶっ殺そうか、本気で。
「あ、ほら来ましたよ。」
「……。」
―なんて、物騒な考えをしている内に迎えとやらが来たようだ。静かなエンジン音を鳴らしながら私たちの前にぴたり、と停まる。
…えと、ろーるすろいす?だっけ、これ?傷一つない綺麗な外車が目の前にあるんですけど。
てか駅前のロータリーにこれはひどい。あっという間に人だかりが。
「さあ、どうぞナツさん。」
「や、どうぞって言われても無理やっぱり私帰っちゃだめですか「駄目です。ほら、乗って乗って。」
「いやだあああ!助けて攫われりゅ!」
「噛むほど緊張しなくていいですから。」
―そんな茶番のような会話をしている間に乾に車内に連れ込まれ、パタンとドアが閉じられた。
私の意志とは関係なく静かに車は発進する。
ああもう。麗奈さんの時と全く一緒じゃないの。車に連れ込まれる率が高すぎて怖い。
……なんで私の周りには『周囲の目』を気にする人がいないのだろう。
私はどうあっても上手くいかない状態(もはやテンプレート)に、がっくりと肩を落とした。
「それでですね、ナツさん。今から色々と準備に……って、聞いてます?」
「…………。」
乾が横で何かを話しているが、無視。つーんと窓の方を向いて頬杖をつく私。
―もういい。こうなったら不貞寝だ。ちょうど寝不足だし、着くまでくらい寝かせてもらおう。
「…ナツさん?ナツさんってば。」
「うるさい、乾。私、着くまで寝るから、説明は後で。」
どうせ、起きたら現実に戻らないといけないんだ。今くらいは逃避させてくれよ。
私は彼を一瞥すると、すぐにふかふかの座席に身を沈め、目をつむった。
「…はは、仕方ありませんね、全く……」
ものの数秒で寝息を立て始めた私を、優しい目で見つめながら撫でる乾。
そんな彼のことは、もちろん知る由もなかった。
―――
――
「で、何これ。」
「現実です。」
「言われなくても分かってる。この、状況は、何だと聞いてるんだ!!」
私は隣に立つ男を睨み、悲痛な声を上げた。
きんきらきんに輝く落ち着いた雰囲気の店内。床はぴかぴかの大理石、インテリアも凝っていて、高級そう。スタッフは全員、清潔感あふれるにこやかな女性。
―どれもそんじょそこらではなかなか見られないような光景だ。
だからこそ、理解できない。…何故、私がこの場に立っているのか。
THE☆場違いでしょ。何これ、頭くらくらする。マッハで立ち去りたいこの気持ちは何だろう。
そんなことをぐるぐると考えながら、ぱくぱくと口を開閉する私を面白そうに覗きこんでいる乾。
ああ、絞殺したい、こいつ。
「車の中で説明したじゃないですか。」
「聞けるかっ!寝てたじゃん、私!」
「ああ、すいません。じゃあ今言います。今からナツさんにはブティックでドレスの採寸をし、その後宝飾店でアクセサリーや靴等の装飾品選び。さらに全身マッサージとエステ、ネイルサロンに言って体を磨いてもらうんですよ。」
「…………。」
言いながら、乾は予約がびっしり書き込んでいる手帳をぱたんと閉じる。
………。
…いやいや、待て待て。おっしゃっている意味が理解できない。
この?高級店で?ドレス?サロン?……はあああ?
「や、待って。そんなこと約束のうちに入ってました?」
「やだな、ナツさん。うちのパーティを普段着で参加できるはずないじゃないですか。あ、もちろんこれらの代金は払いますからご心配なく。」
「そーいう問題じゃなくてだな!」
「あ、時間だ。さあいってらっしゃい、ナツさん。綺麗になって返ってきてください。」
「人の話聞けぇ!ちょっと、乾!!」
取り付く島もなく流された私は、さらに大声を出そうとした、が。
次の瞬間、女性店員の波が押し寄せ。
「さあさあ、お客様。乾様もこう言っておられるのですし。行きましょうか。」
「大丈夫。私たちが腕によりをかけて素敵なレディへと変身させてあげますわ!」
「ああ、コンタクトレンズはこちらでお造りしてあります。どうぞ後で付けてくださいね。」
口ぐちにそう話して私の両腕をがっちりホールド。乾がひらひらと手を振っているのがどんどん遠ざかり、きらきらフィールド内部に……って、え?
「え、あの、その……」
たらり、と冷や汗が垂れる。しかし、今の私に逃げ場はなし。
やけににこやかな店員が迫り、
「では、はじめましょうか。」
「……うぎゃあああああ!!」
私の絶叫が、高層ビル内部に響き渡った。
―――
――
…約四時間後。
私はようやく解放され、ふらふらになりながら最後の店を出た。
見送ってくれるのは、終始笑顔を崩さなかった店員(悪魔)たち。
私たちは彼女らにアリガトウゴザイマシタと棒読みで言い、笑い返した。
もう、誰も信じない……ぐすん。
―さて。簡単に説明しよう。中で何が起こったかと言うと、だ。
まずは乾の言うブティックとやらに行き、ドレスの採寸をした。
ドレスはオーダーメイドであることは勿論、なんと下着からカーディガンまですべてそろえると言う徹底ぶり。あちこち体にメジャーが巻き付けられ、寸法を測られた。
その後、私にはどんなドレスが似合うか、などスタッフ内で延々と繰り広げられる議論。
…悪かったな、魅力なくて。バストとウエスト見てこんなに深刻に考えられると、ちょっとへこむわ。
―それがようやく決まったら次は装飾品だ。
ビル内の別店舗に移動させられ、高級ソファに座らされた。
そして、選んだドレスに合わせて次々と運び込まれるキラキラしたアクセサリー。指輪、ブレスレット、ネックレス、ピアス、イヤリング、バレッタ、カチューシャ……
たくさんの光りものが所狭しと並べたてられ、『どれがよろしいでしょうか』などと問われる。それもすべて目が飛び出るくらいお高い。
え ら べ る か !
…私は引きつった笑いを浮かべるしかなかった。
…結局、全部おまかせにしてしまったけど、あれでよかったのだろうか。
まあ、困るのは乾だし、いいかな。私のせいではない。断じて、ない。
―まあ、ここまでは私に害を為すことなく、すんなりと済んだ。…ここまでは。
ああ、そうだ、問題はその後だ。
「いらっしゃいませー!」
やたら明るい店員の声が大理石の壁に反射し耳を刺激する。
思えばこの時点で嫌な予感しかしなかったんだ。
「いいえ!結構ですってば!」
「いえいえ。こちらも仕事ですので。」
「や、もうだったらそれ、キャンセルでいいです!」
「恥ずかしがることはありませんよ?スタッフは全員女性ですから。」
「そういう問題じゃなくってぇええ!いやー!脱がすなー!」
――最後の難関、エステ&ネイルサロン。
抵抗も空しく、私は瞬く間に裸に剥かれ、個室に直行した。
そこでは、延々と彼女らの『仕事』を受けましたよ。はい。
全身すべすべになるまでマッサージ(?)をされ、いいにおいのするオイル(?)を裸身に塗られ、髪は高そうな香油(?)でつやつやになり、流行りだと言う付け爪にネイルチップ(?)を盛り付けられて手を弄られまくり、普段めったにしない化粧をこれでもかというほど手をかけてされた。
…疑問符が多いのは勘弁してくれ。知識がなさ過ぎてこれで合っているのかすら分からない。
――そんなわけで。
疲労困憊の私は脱力しながら店の傍のベンチにどっかりと座りこんだのだった。
乾に向けて準備が全て終わった、とメールを打つと、パタンと携帯を閉じ、無造作に鞄の中に突っ込む。
「はあ……」
ため息をひとつ。そして磨き抜かれたガラス越しに自分の顔を覗いた。
反射して映るメイク+裸眼、そして小綺麗な服装に着替えた私は、まるで別人のようだった。
…まあ、別人といっても元は私の顔だ。
彼女らの仕事にケチつけるわけじゃないが、少し身だしなみを整えたところで、たかが知れているだろう。
でも無料で綺麗にしてもらったのはよかったな、うん。肌がかつてないほどつるつるになったし、いつも寝ぐせだらけの髪もサラサラだし。
せっかくだし、聖悟にも見せたいなあ。なんて言うだろうか、あいつは。
ぼんやりとそんなことを思っていると、ようやく迎えが来たようだ。
こつ、と革靴の音を鳴らしながら、乾圭太朗が現れた。
私は振り向いて彼の顔を見上げる。
「ちょっと、遅いんだけど。」
「………。」
「…乾?」
「………。」
返答、ナシ。
不思議に思って顔を覗いてみると、彼にしては珍しい、呆気にとられたような顔が見られた。
―あれ。どうした、こいつ。
「いぬいー?」
「……ああ、はい。」
目の前で手をひらひらと振ってやると、ようやく我に返ったように乾は私と目を合わせた。
「どうしたの?黙っちゃって。」
「…いや、変わるものだなあと思いまして。」
「ああ、成る程。まああの店の人たちの腕がスゴイってことだよね。」
「いえ、そうじゃなくて、」
「え?」
目を瞬かせる私。なにか言いたそうにする乾を促すが、
彼は『…やっぱいいです』と言いなおして、ごほんと誤魔化すように咳をした。
「そうですね、月並みですが馬子にも衣装、と言わせていただきましょうか。」
「…ホントにいい性格してるよね。君。」
「いいえ、それほどでも。」
「褒めてねぇし。」
本音が出たな、この野郎。端的に言ってくれるな、まったく。
…まあ、でもお世辞抜きに言えばそうだよなあ。
私程度が着飾ったところで、たかが知れてるし。
一人うんうんと頷いている私に、苦笑しながら肩を落とす乾。
そうやってしばらく二人で談笑していると黒スーツの人が数人現れ、準備が出来ました、と乾に伝えた。
「じゃあ、行きましょうか、ナツさん。」
「…ん、分かった。」
ともに立ち上がり、駐車場の方に歩きだす。そして私は彼に手をひかれながら、来た時と同じく車に乗せられ、彼の実家(会場はそこであった)に向かったのだった。