02
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「本城 那津。S大学2年生、19歳。で、聖悟の彼女です。」
意外と広い部屋の中。
ソファに通された後自己紹介をし、よろしく、と声をかけてきた彼女――ナツさん。
同時に、ガラスのコップに入ったお茶を差し出してきた。
「ああ、ご丁寧にドーモ。俺は、新井山 拓史(ニイヤマ タクシ)。J大、って知ってる?他県だけど。そこの2年ね。さっきも言ったけど、聖悟の高校の時の同級生だよ。」
俺も人の良さそうな笑みを浮かべ、彼女に返答した。そして、改めて目の前の女性を観察する。
一度も染めたことのないだろう、真っ黒の肩くらいまでの髪。
ひょろりと痩せた小柄な体。黒縁眼鏡とその奥の黒目がちな瞳が印象的で……
いや、決して不細工というわけではないが、飛び抜けて美人でもない。なんというか……普通な感じ。
―趣味変えたな、聖悟も。高校時代はビジンとばっか付き合ってた癖に。
――第一印象はそんなものだった。
「聖悟の高校の時の友達、ねぇ。じゃあ、水谷とか斎藤とか、知ってます?」
「ん、知ってるよ。てか、聖悟の家教えてくれたの、信二だし。」
「……ほお。」
言うなり、ダークなオーラを放つ聖悟。
不機嫌を隠すそぶりも見せず、ナツさんの横でふんぞり返ってそう呟いた。
―あ、ゴメン信二。多分後でボコられるわ。
何となく…いや、絶対そうなるだろうと確信した俺は、心の中で一応、謝っておいた。
「―まあ普段は他県に住んでるんだけど、今日は姉貴の家に遊びに来ててさ。近いし、ついでに聖悟に会おうかと。」
「へえ、そうだったんですか。」
ナツさんはお茶をひとくち飲んでそう言った。ちらりと顔を窺うと、無難な愛想笑いが返ってくる。
―どうやら俺の印象はそう悪くない、かな。彼女の心中をそう察した俺は、さらに話題を振った。
「しっかし、変わらないよねー、聖悟も。」
「あぁ?」
「…ま、こんな物騒な感じではなかったけどさ。ちょ、その目止めてくれる?」
心が、芯から凍るって。苦笑しながら促すと、聖悟はフン、とそっぽを向いた。
「聖悟の高校時代かー。どんな感じだったんですか?」
――と、ナツさんからの質問。
乗ってきた、乗ってきた。
「そうだねー、ひと言でいえば、『カンペキ人間』、かな?」
「わー、予想通り過ぎて逆につまらないー」
「…お前は俺がどうあってほしかったんだよ。」
嘆息する聖悟。
「えー……頻繁に放課後の呼び出しくらってリンチされるとか?保健室や屋上というメジャーな所は避け、敢えて音楽室とかでサボるとか?」
「…つまりは不良やってて欲しかった、てとこか?」
「だって、そっちの方が面白いじゃん。」
くすくすと笑うナツさんに、頬杖をつきながら呆れる聖悟。俺も笑みを浮かべながらそれに便乗した。
「まあ、あながち間違いでもないけどねー」
「え、本当ですか?」
「ホントホント。ケンカも裏でやってたし、ばれないようにサボってたし…40パーくらいは事実」「黙れカス」
―が、調子よく話していた言葉をピシャリと跳ね返されて、俺は瞬時に口をつぐんだ。
…危ない、危ない。ふざけすぎたら殴られる。…聖悟の攻撃、シャレにならないくらい痛ぇんだよな。
つか、やっぱり猫かぶらなくなったな。こいつ。
彼女の前だから遠慮ナシってことか?
…ふーん?ならこの話題ならどうだろうか。
「…そんでね、やっぱモテてたね、すっごく。」
「へぇー。」
「同学年、先輩、後輩関係なく。しかも教師まで狙ってたらしいからね。マジで凄かったんだよ。」
「…へぇー。」
「……なんだよ、その目。」
「別にぃー。まるで学園の王子様みたいだ、と思って。チョコレートとか、いくつ貰ってたの、毎年。」
「確実に三ケタは乗ってたね。」
「…おい、なんで拓史が答えんだよ。」
「やだなあ、毎回処理しろって言ってきたじゃん。食べきれなくて。」
「ほー、甘党にも限界があったってことね。」
「…………。」
にこにこ、というよりはニヤニヤと表現する方が正しいような笑みを浮かべ、しきりに聖悟を弄るナツさん。聖悟は力なく息を吐いた。
―それを見て、思う。
――ナツさんて、なんか、ホントに今までの子とタイプ違うな……?
彼女よりか、女友達のノリみたいだし。
女関係の話し振っても面白そうにしてるし。…フツー、こういうの、彼女なら気になるもんだろう?
何でだ?
――
「……でさ、聖悟ってば昔は女にだらしなくってさ、」
「ああ、それ。水谷からもちらっと聞きましたよ。まあ、そんだけモテてたら当然ですよね。」
「…………。」
――その後も延々と『聖悟についての恋バナ』をつらつら重ねていくも、ナツさんの反応は変わりがない。むしろホントに会話を楽しんでるみたいだ。
しかも。
「……お前ら、いい加減にしろよ。拓史も、こんな話をしに来たってか?」
正面には、眉を吊り上げて分かりやすく怒りを表現する聖悟。
…逆にコイツが怒りだす始末だ。ま、トーゼンっちゃ、トーゼンの流れだけどさ。
俺は内心で嘆息した。
―こんな動かしにくい女、初めてだ。貼り付けた笑みが、一つ一つの受け答えが。
…本心なのかそうでないのかすらわからない。
―そして、
聖悟が何故この女に惹かれるのかすらも、理解できない。
話してみても、仕草を見ても。良くも悪くも彼女は『普通』そのもので。
―聖悟は、この人のどこに惚れたのだろう?
なんて考える。
…詮索難航。
俺は、まったく進展がない会話を続行するのに、苛立ちすら感じ始めていた。
「…あ、もうこんな時間だね。」
すると、ナツさんがそう声を上げる。
ぱっと壁掛け時計を仰ぎ見ると、長針はすでに12に重なろうとしていた。
―意外と長いことここに居座って話していたものだ。苦笑しながら彼女に向かってそうだね、と相槌を打った。
「あー、朝ごはん食べそこなった。今からじゃ昼じゃん。」
「…おい、お前のせいだぞ、拓史。」
「ごめん、ごめん。」
そういえばさっき朝ごはんが云々言ってたっけか。悪いことしたかな。
俺は、手を合わせて少し申し訳なさそうな顔を作った。
――と、
「あ、そうだ。新井山さんも食べます?今から作りますけど。」
「え?」
ナツさんから、まさかの提案。
「那津、コイツはもう帰すからその必要はない。2人分でいい。」
即座に聖悟に否定されたが、俺はにこやかに答えた。
「や、せっかくだから頂くよ。ナツさんの手料理。」
「食うな。出てけ。」
「いいじゃんか、別に。」
「よくない。大体、図々しすぎるんだよお前は!」
目を吊り上げ怒鳴る聖悟。…おお、怖。
「二人も三人もあまり変わんないよ。ね、聖悟。いいよね?」
早く帰れとしきりに促す聖悟だったが、ナツさんもそう言ったので最終的に、嫌々了承してくれた。
…こっちとしてはまだ観察が足りない。もう少し長く居る必要があったから、願ったり叶ったりだ。
俺は人好きのする笑顔でありがとう、と言葉を残し、台所の方に消えていくナツさんを見送った。
その隙に聖悟は悪態をつきながら、俺の脛を蹴る。…地味に痛かった。
―――
――
「あーー!ちょっと、聖悟!醤油がないじゃんっ!買っといてって言ったのに!」
ナツさんが昼ご飯を作り始めて十数分後、ナツさんの大声が響く。
「ん?そうだったか?」
聖悟は俺とゲームしながらそれを聞き流した。
「『ん?』じゃない!昼が作れないでしょ、コレじゃ!…あ、砂糖も足りないし!」
「あー、じゃあメニュー変えればいいじゃねぇか。」
「無理。大方作っちゃったし。つべこべ言わずに早く買ってきて!」
「はぁー?面倒くさいな。」
ナツさんが腰に手を当てながら聖悟を怒鳴りつける。聖悟は頭をかきながらメンドい、とか言う。
俺はそれを面白そうに眺めていた。
本人たちは気付いてないだろうが、はたから聞いてりゃまるで主婦とその夫だ。いかにも面倒くさそうにうなる聖悟を横目に俺は人知れず笑った。
「―ほら、買って来いってさ。」
「…拓史、お前が行けよ。ただ飯食わせてもらうんだし。」
「いや、俺、この辺の地理分かんないもん。」
ギロリと睨む彼に害のない笑みを向けてそう言うと、
「チッ、役に立たねぇな。」
舌打ちをしながらとびきり極悪な顔でそんなことを言って下さった。
そして、冷や汗交じりの俺。
…いやー、こいつ、マジでヤクザ行けると思う。顔がイイから睨まれると通常の1.5倍くらいは怖いし。
「ほら、早く行ってきてよ!買ってきてほしいもの、メモに書いたから。」
しかしナツさんがそう催促して一枚の紙を突き出すと、聖悟は何度か考えるそぶりを見せた後、はあ、と息をついてその紙と車のキーチェーンとを手にとった。
…やはり空腹には勝てないのか、それともナツさんに勝てないのか。
嫌々ながら行く決意をしたようだ。
「…分かったよ。すぐ戻ってくるから、待ってろ。」
「はい、じゃあよろしくー。」
「よろしくー。」
腰を上げ、踵を返して玄関に向かう聖悟。それをナツさんと俺の二人で見送った。
――やった。
バタンと音を鳴らして閉じられたドアを見て、ニヤリと心の中で笑った。
…まあ、その途中で何発か食らったのは置いといて。
絶好のチャンスだ。
―聖悟の部屋で、ナツさんと二人きり。
さぁて、ようやく本領発揮できるかな。嘘吐きの仮面をかぶった俺は不敵にほほ笑んだ。
「……ね、ナツさん。」
聖悟がいなくなって数分後。俺はおもむろに彼女に話しかけた。
ナツさんは、キッチンで忙しそうに手を動かしながら答える。
「なんですか?新井山さん。」
「拓史でいいよ。あ、学生時代はタクシーって呼ばれてたけど、そっちでも。」
「じゃ、タクシーさん。」
「はは、なんかタクシーの運ちゃんみたい。ま、いいけど。それで。」
くすっと笑う仕草。俺は、あくまでも『聖悟の友人』として気のいい男の演出を続けた。
「ナツさん。」
「はい?」
「聖悟は、優しい?」
「……ええ、そうですね。優しいですよ。」
「そうかー。そうだよね。」
わざとらしく、ボリュームを上げた声を不審に思ったのか、ナツさんは眉を少し上げた。俺は彼女に一歩、近付く。
「みんな、『最初は』そう言うんだよねぇ。」
「へえ、みんな、ですか。」
「そ、聖悟の彼女はみんな、ね。」
ぴたり、と彼女の手が止まる。
意味深な言葉にか、俺の影が立っている彼女に重なったのが分かったからか。
俺は、すでに手を伸ばせば届いてしまうくらい近くにまで移動してきていた。
「…さっきも言ったけど、聖悟は女の子にはみんな優しいんだ、昔から。」
「それが、何ですか?」
「……だから、君だけが、特別じゃないってことだよ。」
マンションの一室に俺の声が静かに響く。
にこっと笑った顔は自分で言うのもなんだが、かなり無機質で気味悪く見えるだろう。
通常のオンナはこれを見て顔の色を変える。
そして、問い質してくる。その言葉の意味を。詳細を。
しだいに俺の『嘘』にどんどんハマっていく。簡単に、俺を信じる。
―そうなれば『仕事』は完了したも同然だ。
俺は今回もそうなるだろうと思い、彼女の言葉を待った。
――しかし、この女は。
「…………。」
先程から全く表情を変えず、いや、俺以上に無機質な顔で俺を見上げて来た。身長差を気にした様子もなく、まっすぐ俺を覗きこむ黒い瞳に、俺の方が少し動揺していたかもしれない。
そして、彼女はふう、と一つため息をつくとようやく口を開いた。
「――で?」
「……は?」
「せっかく聖悟を追い払ってあげたんだから、言いたいことがあるんならハッキリ言えば。」
ぴしっと、仮面にヒビが入った音がした。どくっと心臓が鳴る。
――なんだって?
追い払ってあげた、だと?
「…何言ってんの?ナツさん。」
かろうじて動揺を悟らせないよう、平静のままそう問う。
―いや、隠せていたかどうかは分からない。何故なら今までにないほど、俺は吃驚していたから。
やや低い声も、すこし乱暴な口調も、気だるげにこちらを見る眼差しも。
彼女は、本城那津は、
さっきとは、まるで別人のようだったから。
「…何、ってそのまんまだけど。タクシーさん、聖悟に話があるってよりは私に用があるみたいだったからさ。わざわざ聖悟に出かけていってもらったんじゃないの。」
―だが、彼女は意に介した様子も無く、普通の調子ですらすらとしゃべった。ああ骨が折れた、とばかりに肩を落とすナツさん。
あまつさえ、
「あ、時間なら気にしないでいいよ。こっから超遠いスーパーにしか売ってないもの指定しといたから。」
――などと言う始末。
多分聖悟は2、30分は帰ってこないだろう、と自信満々に話す彼女に俺は絶句した。
…ってことは、この状況は、わざと作ったのか?
この女が?俺と話すために?
――嘘、だろ。
「……口調がさっきと違うようだけど。」
心臓がバクバク鳴って、嫌な汗をかく。
それを必死に隠そうと口から出てきたのは、それだけの言葉だった。
「ああ、あれは外向けキャラっていうか、まあ、仮面みたいなもの……かな。」
「きゃら?」
「うん。最近はあんまり作らないようになったけど、やっぱり癖でね。コッチの方が素に近い性格。」
「へえ……」
照れたように頭を掻く彼女に短い肯定を残して流す。
なんだか言ってる意味はよく分からなかったが、読みとれた事象はただ一つ。
――この女はタダモノではないことくらい。
ちっ。
ここにきて、幾度かの舌打ち。
しかし、こちらもプロ並みと自負する『嘘吐き』。キャラ被りだの性格作り屋だの知らないが、そんなものに負けてたまるものか。
―俺の『嘘』は見破らせない。
俺はすっと息をのみ、再び幾重もの仮面をかぶって彼女を見下す。ナツさんは俺の方を退屈そうに見つめていた。
その表情がなにか余裕そうでさらにムカつく。俺は目を細め、ふっと笑みを浮かべた。ナツさんと目を合わせる。
――見てろ
「…言いたいこと、ね。あるよ。」
「うん。」
「というか、やりたいこと、かな?」
「………え?」
――その余裕、粉々にしてやるから。
―どさっ
「――っ!」
言うが早いか、ナツさんの手を引き、肩を押してソファに押し倒す。
彼女の黒髪が一瞬浮き、すぐ散らばる。軽い身体がぼすっと音を立てて押し込められるとすぐに、俺はそのまま両手首をつかみ、ソファに縫い付けた。