02
―――
――
「……………。」
「……………。」
那津ん家に入ってから、数分経過。いきなりの無言。
俺は気まずさに耐えきれず、視線をあちらこちらに送る。
―いや、覚悟は決めてたはずなんだけど、どう切り出せばいいか分からねぇ。
何だか知らないけど、さっきから那津はじーっと俺を見てるし。
……言いづらい。
「…なあ…「あのさ。」
意を決して口から出した言葉は、那津に遮られた。
真っ黒な瞳が俺を見つめる。
その目が思いのほか真剣で、俺は思わず委縮する。とりあえず話を聞こうと、隣に座る那津の方へ体ごと向いた。
「……何だよ。」
「…………。」
「…那津?」
何度か静止して、考え込む。それを繰り返す那津。
その謎な動作はなにか躊躇しているように見えたが、しばらくしてようやく彼女は口を開いた。
「……えっと、これでいいのか分かんないけど、」
「…?なん……っ」
瞬間。
ふわっと舞う黒髪が視界に映ったかと思えば、ぎゅっと抱き締められた。
細い腕を俺の腰辺りに巻き付け、しがみついてくる那津。
「~~~!?」
途端に俺の心臓はドクン、と跳ね上がった。顔に熱が集中していくのを感じる。
―俺の胸に顔を押し付ける那津には、自分の顔を見られないのが幸いだ。多分、今の俺の顔は見せられたもんじゃない。
―何だ。なんだなんだ、何の罠だ、これは。
超、柔らかい。細い。小さい。これ、生物なのか、ホントに?
つか、いつも俺からだけど、那津から抱きつかれるのって、初めてじゃ……?
「……聖悟。」
「!」
色々と考えを暴走させていると、胸辺りから声が聞こえた。その吐息が服にかかるのが微妙に感じられる。
冷静ではいられない要素が溜まりまくっているが、とにかく落ち着こうと、俺も那津の身体に腕を回し軽く撫でてやる。そして、何だ?と小さく投げかけた。
すると、
「……ごめん。」
「…は?」
―返ってきたのは、そんな囁きのような謝罪の意思で。俺は顔の見えない彼女に疑問符をたき付けた。
「んーなんか、不安?…なのかな、と思って。」
たどたどしく、那津は少し悲しそうな声色でそう続ける。俺の胸に顔を埋めたままなので表情は見えないが、すごく不安そう。
―俺なんかより、ずっと。
「…ごめん、聖悟。デート、行けなくて。」
「…………。」
「…あの、私、あんまり人と関わってこなかったから、こういう時どうすればいいか分かんないんだけど。」
これであってた?とおもむろに聞かれた。
…いや、何情報だか知らねぇが………百点満点、だぞ。那津。
その証拠に、俺が言いたかったことゼンブ頭から吹っ飛んだ。
―普通に、嬉しすぎる。
ニヤけた顔を元に戻す暇も無く今度はすっと腕を離し、身体を起こした那津。そして俺と向きあいながら再度口を動かした。
「私、君とどう接していいか分からないからいつも戸惑ってる。…彼女らしいことも、全然出来ないし。」
「…那津、」
「何も言えなくてごめん。私やっぱりこういうの、向いてなくて……」
ぼそぼそと吐き出される那津の本心に、心臓が落ち着いてくれない。
…いかん。このままじゃ、俺、萌え死ぬ。
「……分かった、もう分かったから、「けど!」
―だが、那津は必死すぎて聞いてはくれない。
じいっと俺を見つめる大きな瞳。純粋に、綺麗だと思った。
「せ、聖悟とはいつも一緒にいたいと思ってる。…大好きだから。」
ずぎゅんっ!!
――と、ハデな音を立てて、俺の胸が貫かれた。
前をガードしていたら、後ろからレーザー砲で貫かれた。…くらいの衝撃だった。一気に体温が上昇し、心臓が高鳴る。
―ヤバい、何だこの破壊力。本気で、死ぬ。
「…マジで?」
「うん、ちゃんと……好き、だから。」
顔を赤らめながら、最後にそうポツリと言い残す那津。その仕草も、実に俺のツボを刺激してくれる。
……ああ、もう………無理。
限界。
―可愛すぎるよ、お前。
「せい…っ!?」
刹那、俺は那津を抱き返し、そのままの勢いで押し倒した。一瞬だけ驚いたような瞳と目が合ったが、気に留めていられない。
「っ、せいご……」
「もういい。少し、黙れ。」
ボソリと耳元で呟いてやると、返答も待たずに彼女の唇を塞いでやった。唇全てを覆い尽くすと、すぐに舌を出し自分のを那津のと絡めさせる。彼女すべてを奪い尽くすように深いキスを続けた。
もっと、深く、深く。
―ぜんぶを、俺にくれ。
「……ん、…っ、」
那津の苦しそうな声が俺の口内で消える。
――でも、足りない。止まらない。
叶うなら、この感情のままどうにかなってしまいたい。
頭の中では、さっきの宏樹のセリフがリフレインしていた。
『彼女の望みなんて、簡単でしょ。どの女も一緒だよ。』
『彼氏と、一緒にいたい。』
―そうだ。
証なんていらない。縛る必要なんて、ない。
何もなくても、那津は俺を好きでいてくれる。俺だって、那津と一緒にいられれば、他に何もいらない。
それなのに、勝手に悩んで、不安になって。
―何をしてるんだ、俺は。
「那津。」
「…ん……?」
そっと唇を離して、ほど近い距離を保ったまま那津に話しかける。彼女は薄く目を開き、ぼんやりと返事をした。
「俺も好き。大好き。」
「…うん、知ってる。」
「那津は?」
「さっき、言った。」
「もういっかい。」
そう言って、ちゅ、と頬にキスをすると面白いくらい目の前の顔が赤く染まる。この意外と照れ屋なところは分かりやすくて好きだ。思わず喉を鳴らして笑ってしまう。
「…、からかうなっ」
「からかってないけど?真剣、真剣。」
「…私は、君みたいに思考回路が直線で結ばれてないんだって。」
「行動が直結しないってこと?言ってくれるまで待つから、別にいいぞ?」
「…この、腹黒。」
「なんだと、コラ。」
ムッと眉をつり上げてみると、今度は那津も楽しげに笑った。
ふわっとしたこの笑顔は最近よく見る。これも、大好物。
まあ、怒ってる顔も不機嫌な顔も、ちょっと泣きそうになってる顔も好きだけど。
今、このときもぎゅっとしがみついて来るこの華奢な手も。潤んだ瞳も、いつも甘い味がする唇も。
全部、好きだけど。
――つまるとこ俺は、こいつに『べた惚れ』ってやつなんだろう。
……多分。
…ヤバいな、まったく。ハマりすぎだろこれ。
なんだか恥ずかしいくらい乙女思考なんだが。ああ、これもまた初体験か。
―まあ、でも
「で?那津、はやく。」
「…まだ言うか。もういいでしょ。」
「やだ。言え。」
『なんかもう命令口調だし……』と呟く那津の言葉は聞こえないふりをして。抱き締めたままの腕にもう一度力をこめる。
――悪くないな、こういうのも。
「!?ちょ、くるし……」
「那津?言わないと……」
「っ、分かった、言うから!」
那津は慌てた様子で俺のセリフを遮る。
…へぇ。前してやったことでも思い出したのか?学習効果はあるみたいだ。
…それはそれで面白くないけどな。
那津はなんだかもういっぱいいっぱいの様子で俺を睨みつける。そして、ぐいっと俺の耳元に顔を近づけ、ぼそっとささやいた。
「…す、好き、って言ってるじゃんか馬鹿。」
それを聞いた瞬間、身体がなにか温かなもので包まれた感触がした。
『スキ』なんて安直で素直なただの言葉。
しかし、そんな些細なものでガキのように喜んでしまった俺は、よくできました、と口の中で言い再び彼女の口を塞いだ。
―もうさっきまでの心配ごとなんて、きれいさっぱり消え去っていて、ただただ、満たされた。
―――
――
話を聞いた那津は、パチクリと目を瞬かせた。
「へ?聖悟、そんな下らないことで悩んでたわけ?」
「……悪いか。」
下らない言うな。…フツーに凹む。
「……くくっ、変なの。君、顔真っ赤だよ?」
那津はそう言いながら俺を覗きこむ。急に短くなった距離にびっくりしながらも、
「うっせ、どけ。」
ぐい、と腕を掴んで彼女を引きはがす。那津はごめんごめん、と言ってまた笑った。
「…じゃあ、彼氏って、彼女に色々とプレゼントしてくれるものなの?」
「―ってのが普通だろ。でも那津は全然甘えてこないし。」
「……甘えるとか、そんな高等スキルは持ってないよ。無理無理。」
那津はあからさまに嫌そうな顔を作って、手を左右に振る。
……ほらな、こういう奴だから、こっちもどうしていいか分からないんだよ。
俺ががっくりと肩を落として見せると、那津はそうだなー、と考えながらまた口を開く。
「…まあ、そうだね。別に特に何もいらないし、欲しいものがあったら自分で買う。」
「…な、そう言うだろ?」
はあ、と息をつく。
やっぱり、オトコゴコロってもんを何にも分かってない、こいつ。
「で、それが、何なの?」
「…なんか、嫌なんだよ。何もしてやれないみたいで。」
「ふーん?」
すると那津はすっと腰を上げ、隣の本棚に手を伸ばした。返ってきた右手が握っていたのは、小さな箱。それをひっくり返し、
「私は、これだけで十分だけどな。」
その中身を俺の目の前に突き付けて来た。シャラ、と軽い音をたて、キラキラと銀と青に光るソレは。
「……水族館で買った、ネックレス?」
「うん。」
ぷらぷらと垂れる鎖を握り、那津は嬉しそうにはにかんだ。
出てきた意外なものに多少驚き、じっと銀のペンギンを見つめる。そして素直に驚嘆の意を表した。
「…まだ、持ってたのか。」
―正直、捨てたかと思った。結構色々あった時期だったから。
「ん、まあね。一時期ホントに捨てようかと思ったけど。」
「…おい。」
「ははは、でもいーでしょ。こうしてちゃんととっておいたんだしさ。これはこれで、記念だもん。」
軽く笑いながらも、大事そうに手の内のアクセサリーを仰ぎ見る。そして、なにやら思い出したように彼女はほほ笑んだ。
「聖悟からの初プレゼントでしょ?これだけでいいよ、私は。」
「……………。」
そのセリフに、俺は口をつぐんだ。ため息混じりに顔を逸らす。
――ああ、そうだ。こういうヤツなんだよ、那津は。
一見薄情そうに見えて、実は人の気持ちにものすごく敏感で。俺のことだって、なんだかんだでちゃんと分かってくれてる。
―たまに弄ばれてんじゃないかとも思うけど、な。非常に癪だ。
「…貸せ。」
「へ?」
「つけてやる。」
言うが早いか、俺は彼女からペンギンを奪い金具をはずす。そして、向き合っていた那津の肩を掴み、後ろを向かせた。
「…何で、今?別によくない?」
「いいから。」
ぶつくさ言う那津は無視し、カチリと銀の留め具をうなじあたりで留める。
「ほら、できた。」
「ん、あり、がと?」
振り向く那津の首元で揺れる、青いトルコ石とつやつや光るペンギンのモチーフ。明るい電灯の元で見るソレは那津となんだかマッチしていて、自然に笑みがこぼれた。
「まあ、そうだな。考えてみりゃ初デートで買ったもんだし。」
「あのときは嫌々もらったけどね。思い出深いって言えばそうだねー。」
…んなコトは覚えてなくていいんだよ。
いらないことを言う那津に心の中で悪態をつきながら、彼女の腰に手を回し、もう一度腕の中に閉じ込めた。
「わっ!?ちょ、」
「いい加減、慣れろって。」
「な、慣らしたいなら先に言ってよ!イキナリは嫌だ!」
突然引きずり込まれ、驚いたような声を上げる那津。わたわたと慌てる姿を見て少しいい気味に思った。
「…じゃあ那津。コレ、ずっとつけてろよ?」
「は、ずっと?」
「そ、ずっと。」
「えー、面倒くさいなあ。時々じゃダメなの?」
「ダメだ。それ、俺のだっていう目印にするから。」
「…わあ、俺様ですね。変わらないなー、そういう所は。」
「ほぉ、襲ってやろうか?」
「冗談です!!」
途端、腕から離れようと暴れ出す那津。
もうそれが可愛くて愛しくて。つい、いじめたくなる。
俺は、ちょうど目の前にあるペンギンにちゅっとキスを落とした。
「那津、好き。」
さらに、そっと彼女の耳元に口を近づけ、甘い言葉をかけてやればもうイチコロ。真っ赤な顔をした那津が奇声を上げる。
「っ、ちょ、耳……!いや、ペンギンじゃなくて首にもキスマークつけただろ、今!!」
「ああ、それも俺のだって、印。」
「わあああ!こんな目立つ所につけやがってぇえ!」
わあわあと騒ぐ彼女。
全然、変わらない。変わりようがない、那津とのこの距離。
―最終的に 俺は
なんだか自分が考えていたことなんて、バカらしくなってしまった。
…やっぱりうじうじ悩んでるのは性に合わない。
変化球だったら、それなりに対応してやったらいい話だ。
――もう、俺は俺のやり方でこいつを愛してやる。
叫びまくる那津を黙らせるため、俺は何回目かのキスを落とした。
END