不安
*seigo side*
「おい、那津。聞いてんのか?」
俺は眉に皺をよせながら目の前の女に話しかけた。
――那津と付き合い始めて早…二週間と少し。
当初、うるさく騒いでいた周りもようやく落ち着き始めてきて、二人の時間を過ごす余裕ができた。
―だが、問題はまだあった。むしろ、ここにこそ、だ。
「…ん?なに?」
那津はきょとん、と俺を見て、聞き返す。
―那津の家。
彼女はゴロゴロと寝転がりながら本を読んでいた。
俺はその隣で胡坐をかき、那津の気のない返事に眉をしかめる。
話、聞いてないし。…また。
「だ・か・ら!デートだデート!俺ら付き合ってから一回もしてねーだろ!!」
俺は苛立ちをそのまま手のひらにこめ、バンッと勢いよく床を叩く。
じいんと痺れが伝わり、かなりの音がした。
「ちょ、下に響くでしょ、止めてよ。」
「~、どんっだけボロいんだこの家!」
「その分家賃が安いんだっての。てか仮にも私が住んでる家にケチつけんな。」
むっとしたように眼鏡の下から睨んでくる那津。…あーもう、イライラする。そんな顔すんなっての。
「つか、そんなことはどうでもよくて!」
「デート、ねえ……」
「…暇な日、言えよ。せっかく今週は天気がいいんだ。どこか行こうぜ。」
「……んー。」
そう言うと、那津は何か考えているそぶりを見せる。そして、数秒後。パッと目を合わせると、
「無理。」
綺麗に一刀両断してくれた。
「…は、なんで?」
「バイト。今週毎日あるから無理。ごめん。」
淡々とそう言って、また本に目を落とす那津。
……冷たい。
「…バイトくらい、休めばいいじゃねーか。」
「いや、私の場合、生活費がかかってくるから。なるべく休みたくないんだよね。」
「……つか、そんなにバイト入れてるのか?」
―俺よりもバイトを取るのか?…なんて女々しいことは言わない。
や、思ったけど、一瞬。
それより毎日はやりすぎだろ。大学の授業もあるくせに。
深夜のシフトは入るなって言ったのに、まだやってるんだろうか、こいつは。
「だから、リアルにお金がないんだって。仕方ないよ。」
「でも、夜遅くに入るのは止めろよ。」
「深夜は時給高いから入りたいの!だーいじょぶだって。そんな危険な場所でもないし。」
「そういう問題かよ。」
「私にとってはそうだよ。」
「…………。」
那津はあくまでも軽く、静かに言う。その様子を見て、とうとう俺は何も言えなくなってしまった。ため息も自然と出てしまう。
「…あー、そうかよ。もういい。」
ついには那津から背を向け、黙り込むという始末。
イライラする。
………なんだ、コレ。自分で自分が意味分かんねえ。
――別に。那津の私生活にまでぐちぐちと口を出すつもりはない。
一人で何でもこなしてきた那津には重荷だろうし、うざったいと思われるのも嫌だ。
俺だって色々と横から言われるのは腹が立つし、実際にそういうウザイ女もいたから気持ちも分かる。
…でも、心配なんだよ。時々、不安になる。
なんでも自分でやってしまって、俺に頼ることなんて一切ない、俺の彼女。
―そんな那津に、俺は必要とされているのか、って。
「…………。」
ちらっと横目で彼女のほうを向くと、まだ熱心に小説を読んでいる。
細い足を投げ出して、無防備にそばで寝転がっているこいつを、
…手を伸ばせばすぐに抱き寄せることもできるのに。
ものすごく距離感を感じる。
…好き、とは言われたし、そうなんだろうけど。なんか、絶対俺のこと適当に扱ってるよなこいつ。
俺ばっかりが好きで、あいつの気持ちはそれほどじゃないって証明されてるみたいで、なんだか気持ちが落ち着かない。
普段の俺はこんな小さなことに悩まされたりしないが…那津のこととなるとこのザマ。
マジで、まったく余裕がない。カッコ悪いな、ほんと。
思えば、『愛』を教えてやるとか大口をたたいたくせに、結局何もできていない。
というか俺自身、そんな不確かなもの、どうやって教えたらいいのか実際分からない。
でも離れてほしくない。つなぎ止める証が欲しい。
プレゼントでもしてみようか。
服?鞄?靴?アクセサリー?あれ、俺、こんなときどうしたっけ?
……何をすれば、何をあげれば那津は喜ぶのか、全く思いつかない。
思いつか、ない。
…今まで女を適当に扱ってきた俺への罰だろうか。こんなんじゃ……
「…ごめん。俺、帰るわ。」
――ダメだ、那津じゃないけどこのままじゃどんどんネガティブになる。なんだか本格的に落ち込んできて、俺はゆっくりと腰を上げた。
「……ん、そう。じゃーね。」
那津のそんなそっけない返事にも若干傷つきながらも、俺は扉を開けて外に出た。
…那津が、そのときどんな表情をしていたのかも知らないで。
―――
――
「――と、いうわけなんだが……」
「…へぇ。ちょっと質問いい?」
「何だ?」
「何故、それを俺に相談するかな?」
ニコリ、と音も無くほほ笑んだ斎藤 宏樹に背筋がぞくぞくっとした。
な、なんてプレッシャーだ…!俺は押し掛けた宏樹の部屋の中で、大げさに後ずさった。
「い、いやほら…お前暇そうだったし……」
「へ~。電子工学と複素関数のテスト間近、さらに電磁気のレポートの〆切が近いっていうこの俺が暇、ねえ……」
さらに笑顔で俺を追い詰める宏樹。ゴゴゴゴ…と後ろで蔓延している黒いオーラが俺には見える。
…ヤバい、話題変換ミスった。つか、そんなに忙しかったのか。
「……悪ぃ。でも、宏樹なら男心を分かってくれるかと思って…」
「本気で殴ろうか?」
…結局何言ってもダメじゃねぇか。
「まあ、何にしろ……」
はあ、と息をついた宏樹は煙草を一本取り出して口にくわえた。
ライターで火をつけ、煙を細く吐き出す。…スポーツマンなのに喫煙者って、いいのか。
「いい薬じゃん。聖悟、今まで女の子のこと考えなさすぎたんだから。」
「…それは、俺も思ったけど……」
「まあ、ナツちゃんはちょっとばかり特殊だからね。俺でもどうすればいいか分かんないかも。」
「だろ!?」
やっと同意が得られて、俺は身を乗り出す。
―が、
「…でも、聖悟は分かってない。」
「は……?」
一気に撃ち落とされた。思わずぽかん、と目の前の喫煙者を見上げる。宏樹は煙草を指にはさんで放しながら、俺を睨みつけた。
「何か贈り物をしないといけない?恋人同士って、そんな利害関係で結ばれてるもんなの?」
「……!」
「何かして欲しいって、ナツちゃんに頼まれた?」
「いや……」
「『愛』という名目で何かを与えて満足できる?自分に置き換えて考えてみろよ。女に服だの小物だの貢がれて、心は動くか?」
……動かない。絶対。
そんなことしても、餌を与えられて飼われているような気分になるだけだ。それは、『愛』ではない。それは――
「仮にそんなことをしても、満足するのは聖悟だけだろ。そういうのを『エゴ』って言うんだよ。」
宏樹の声が静かに室内に響いた。
「…そう、だよな……」
宏樹のセリフがじんわりと胸にしみこむ。俺はぽすん、と脱力したようにソファに沈んだ。宏樹は笑いながらそんな俺を見ていた。
「本当、変わった。聖悟もそんなの悩むようになったんだねえ。」
「…うっせ。らしくなくて悪かったな。」
「ま、大丈夫。大学生ならギリギリセーフだよ。」
「何の?」
「青春、の?」
アホか、とツッコミながら二人でまた談笑する。さっきよりだいぶ楽になった自分の心。すっきりとしていい気分だった。
「なあ、宏樹。俺、どうすりゃいいと思う?」
俺がついで、とばかりにそう聞くと宏樹はあきれ顔を返してくる。
「…流石にそれは自分で考えなよ。俺に聞かれても。」
「や、そうだけど……」
…少しくらい、いいじゃねぇか。
露骨に愛情表現しても、全然伝わらないからな、那津には。
正直、俺には最初からお手上げ状態。…投げ出すつもりは毛頭、ないけど。
いやもしかしたら、俺も那津と同じくらい恋愛初心者かもしれない……
ぶすくれた顔でまた悶々と悩む俺を見て、宏樹はじゃあひとつだけと助け舟を出した。
「…案外、単純かもね?ナツちゃんの願い。」
「は?」
「だからさ―――」
意味ありげな笑みを覗かせて淡々と語られた言葉に、俺は目を見開く。
そして手短に礼を言って、すぐに部屋を飛び出した。
「…まったく、慌ただしい。いつまでたっても手のかかるヤツだね…」
嵐のように去って行った男の背中を見送り、煙を吐き出した後、憂鬱な課題を片づけるため宏樹はパソコンの電源を入れた。
―――
――
PLLL……PLLL……
ピッ
『……はい、もしもし。』
「…那津か?」
『うん、今度は何?聖悟。』
「…入れてくんない?」
『は?』
「今、お前ん家の前にいる。」
手の中の電子機器に向かってそう呟くと、一瞬後に目の前の扉が開いた。呆気にとられた様子の那津が、俺を出迎える。
「ホントにいた……」
「嘘ついてどーすんだよ。」
「いや、てか、どこのメリーさんだよ…こっちがびっくりした。」
言いながら笑う那津はいつもと変わらない様子で。さっきのことはあまり気にしてないみたいだ。
…でも。
「じゃ、邪魔するぜ。」
「…いーけど。」
俺には、話したいことがある。怪訝そうな那津の背中を見ながら、俺は再度彼女の部屋に入った。