02
―ふいに、肩にぽんっと手がおかれた。みると、隣の男の右手が肩に乗っかっている。―聖悟の手だ。
振り向くと同時に彼の怪訝そうな顔と、ばっちり目があった。
「…那津、どうした?」
「ん、何でもない。」
「嘘」
「はー?ホントだって。」
「どーせまた下らないことで悩んでんだろ。」
…断言された。いや、実際そうだけど別に分かってもらわなくていいってば。
『教えろよ』『教えない』と問答を繰り返し、じっと目を合わせたまま睨み合っている私たちを見て、
何を勘違いしてるんだか、水谷はからからと笑った。
「はは、仲がよろしいことで。」
…どこが?どー見ても険悪なフンイキだろうが。全く、こいつのKYっぷりには頭が下がるわ。
私はギロリと睨む対象を変えたが、そいつはおもむろに時計を見るなり、頓狂な声を上げた。
「…おっと、もうこんな時間か。じゃあ、俺らそろそろ行ってもいい?」
「…ん?何、なんかあるの?」
「ああ、今から二人でデートしようと思って。」
水谷は照れくさそうに歯を見せて笑った。
…ほぉ。お熱いことで。まあ、本当の恋人同士なら当然、やるよね。付き合いたてだし。
まあ、自分が一件落着した今、もうどうでもいいや。(酷)
――そう思って、私は適当に言葉を選び……
「へーそうなんだ。じゃ、行ってらっしゃ………?」
―しかし、言いながら、何かが引っかかった私。唐突に口を閉ざす。
――デート。
…ん?でー、と?
確か、過去になんかあったような……?
『……デートの約束しようと頑張ってみたの……っでも…、ダメだった…っ!』
――!!
「あーー!!」
一気にソレを思い出した私は、大きな声を上げた。
当然のように、飛び上がる3人。水谷に至っては、椅子から転げ落ちた。
「…こ、今度はナニ!?ナッちゃん!」
「デート!デートだよっ!!」
「はあ?」
意味が分からない、と首を傾げる彼を流し、興奮冷めやらぬ私はまたバンッと机をたたいた。
「麗奈さんと聖悟、まだデートしてないじゃん!!」
「……はぁ?」
私の言葉にいち早く突っ込みを入れたのは、水谷だった。
気まずそうに顔を逸らす麗奈さんたちとは対照的に、本当に意味不明だ、といった顔を作っている。
―あれ、そうか。これは水谷だけ知らなかったっけ。
「どういうこと?ナッちゃん。」
「っだから……むぐ!」
―だが、事情を説明しようと椅子から身を乗り出した瞬間、聖悟に口ごと抑え込まれた。
「…んんっ!ふぁにふんの!!」
「…それはこっちのセリフだ。何言ってんだよ、お前は。」
聖悟はさらに左手をプラスして、私の頭をぐりぐりと押しつける。……身動きがとれない。
―ので。
「…!」
「ぷはっ!」
思いっきり、ガブリとその指に噛みついてやった。
慌ててひっこめられる彼の手。同時に解放される私の口と頭。
「ふう。」
脱出成功。
「っ、フツー、噛むか?」
「イキナリ塞いできた聖悟が悪い。」
「いや、人間として。」
「じゃ、前世が犬だったんじゃない?私。」
「な、アホな……「なあ。そんなことはどうでもいいからさ、」
イライラしたような水谷が、会話を途中で遮る。
「どういうこと?聖悟と麗奈が、デートするはずだったのか?」
「そう、そうだよ!麗奈さんがしたがってたのに、聖悟ったらスッパリ断ったの!」
「~~!な、那津。もうその話はいいから……」
麗奈さんが顔を赤くしてそう言うが、私はキッと彼女を睨みつけ、叫ぶ。
「や、ダメだよ!なんかやりきれないし、嫌な感じ!」
「……やりきれないって、お前が、か?」
「そう!」
「…………」
あれ、なに皆さん、その微妙な眼差し。
ええ、THE☆自分勝手ですけど、何か?自重はしませんよ?
「……ってわけで!麗奈さん、行ってきて!!」
「……え?どこに?」
「だから、デートだって。聖悟と!」
「あぁ?」
また何を言ってるんだコイツ、という眼差しを向けてくる聖悟。
あ、あと水谷と麗奈さん……って、全員か。
テーブルを囲んだ人全員が、私の方を見た。麗奈さんがおずおずと話し掛けてくる。
「…あの、那津。私はもう聖悟君のことは……」
「…君が水谷と付き合ってるのはもう分かったって。でもさ、あんな形で失恋しちゃってオワリなんて悲しいでしょ。…聖悟と最初で最後の記念デート、してくればいいじゃん。こんな機会、もうないと思うし。」
―嫌な出来事で締めくくるなんて、後味が悪いし悲しいことだ。
何故なら、最終的にそれしか、記憶に残らないから。
だから、彼女にこれくらいはやってあげたいと思う。
聖悟との最後の記憶はいい思い出で終わってほしい。
…結局は、私のワガママに変わりないが。
「でも………」
未だ煮え切らない態度の麗奈さん。私はピンっと指を突き付けた。
「もー、いいから一回だけ行ってきてよ!そしたらスッキリするし!」
「…那津が、だろ?」
―正解。
私は満足気に笑い、表情だけで返事を返した。
「―ね、水谷。いいでしょ?」
「………。」
「水谷?」
問いかけると、彼はなんだか難しい顔をしてうんうんとうなっていた。
「…信二君……」
そしてちらっと麗奈さんの方を向き、さらに考え込み………
―やがてガバッと顔を上げた。
「……分かった、いいよ。麗奈が聖悟を好きだったのは知ってたし、それで気が済むならどうぞ。」
「…はぁ?信二まで何言ってんだよ!?」
「おお、さっすが水谷!!話分かる!」
激昂する聖悟の隣で、私はしめた、とばかりに指を鳴らす。
ナイス、水谷!物分かりいいじゃん!
水谷を味方につけた私は、今度は聖悟の方をじっと見つめる。
「…ほら、聖悟もさ。一回くらい、いいでしょ。」
「…………。」
「ね?頼むよ。」
「…………。」
必死でお願いをするが、返ってくるのは無言のオンパレード。
むすっとした表情を崩さない聖悟。
……なかなかしぶとい。別にいいじゃんかよー。一回きりなのに。
何がそんなに嫌なんだろう、こいつ?
――しかし、めげずに交渉を続け、最後には聖悟が折れた。
…ケーキを焼いてやるのが交換条件だけどね。めんどくさ。
私は人知れず、そっと息をついた。
「じゃあ……行くね。」
ついにガタッと席を立ち始めた彼ら。なんだかんだでやっぱり嬉しいのか、麗奈さんは頬を染めていた。
―よかったね、麗奈さん。
私はそれをニヤニヤと見つめながら、手を振った。
「お二人さん、行ってらっしゃーい!」
「……おー。」
聖悟は力なく私の言葉に返事をし、麗奈さんに行くか、と促した。そして背を向け、歩き始める。
――が、
「じゃ、ナッちゃんは代わりに俺とデートしようか。」
「あ、うん、いいよー。何処行く?」
数歩も歩かないうちにそれはピタリと止まった。
「…せ、聖悟君?」
「…………。」
麗奈さんの呼び声も聞いてない。
ぎぎ、と踵を返し、さっきとは比べ物にならないくらいのスピードでテーブルに戻る聖悟。
私と水谷はそれに気付かず、話を続けていた。
「あ、またカラオケでも行く?俺、新曲歌えるようになったからさ。」
「へー、いいねぇ。私も最近行ってないから行こうよ。」
「よっしゃ、歌うか!俺、安い所知ってるぜ?」
「おぉ!じゃ、それで――」
「オイ。」
途端、ガッと、頭を掴まれる感覚。
ふと顔を上げると、今しがた歩いていったばかりの聖悟がすぐそばに戻ってきていた。
「ん?何、忘れ物?」
「今、何て言った?」
「へ?」
イキナリ、何。意図が分からん。てか、今の話聞こえたんだ。スゴイね。
私は首を傾げながらも、一応彼に答えた。
「―今?カラオケのハナシ?」
「…信二と二人で行くって……?」
「ああ、君らがデートするから、私らも代わりにデートしようって……」
ガシ。
「―――へぇ?」
――発言は途中で止められる。
聖悟の手によって上を向かされ、頬を掴まれた。目の前に広がるのは、黒く笑う聖悟の顔。その顔を見るなり、私は冷や汗をだくだくとかいた。
――あ、れ?
やばい、こいつ。……超怒ってる。
「……せ、聖悟、くん?」
麗奈さんのように可愛らしく言ってみようとしたが、大失敗。私の声は震えていた。
…いや、全身、ガタガタと震えが止まらない。何だ、この尋常じゃない瘴気。
―しかし、聖悟は表情を崩さず私に目を向けたまま水谷を呼んだ。
「…ごめん、信二。やっぱり、お前と高宮さんで行ってくれないか。」
「…お、おぉ…?」
「俺、お前ほど大人じゃないみたいだ。」
「っひゃ!!?」
突然、ぐいっと腕を引かれ、立たされる。
そして、水谷や麗奈さんの返答を待たないままずんずんと歩きだしてしまった。
―私の腕をしっかりと掴んで、だ。
「おい!聖悟!?」
後方から聞こえる、水谷の制止の声も何のその。聖悟は歩みを止めない。
「っちょ、何すんのぉ!」
私も若干混乱状態でバタバタと腕を振るが、効果はなし。気が立っているのが掴まれている腕からも伝わってきて、私は恐怖した。
「うるせぇ。お前はまだ誰のモノか分かってないみたいだな……」
「はぁ!!?」
「いいから、行くぞ。」
「え!?」
「俺ん家。」
「うわ、私の心を呼んだかのような鮮やかな回答!いや、待て!何故そんな流れにぃいいい!!」
――じたばたと暴れ、逃亡を試み、最終的には担ぎあげられた女を人々は興味深そうにすれ違いざまに覗いた。
…ともあれ、複雑な心情の男と、哀れな悲鳴をあげる女は、そこから立ち去ったのだった。残されたのは、二人の男女。両者はしばらくの間、呆然として動かなかった。
「…………。」
嵐が去ったように静けさが舞い戻ってくるテラス。ぼうっと前方を見ているだけだったカップルはとりあえずまた座りなおした。
「…はー、聖悟もやるなあ……」
ようやく、口が動く。信二はそうぼやきながら、隣の女をちらりと横目みて、ぽつりと声をかけた。
「……で、よかったのか?聖悟とデート。」
「え?」
ハッとしたように麗奈は振り向くと、ふて腐れている彼氏の顔が見えた。思わず吹き出してしまう。
「何?して欲しかったの?」
いたずらっ子のような表情。信二はバツが悪そうに頭を掻く。
「…いや、ぶっちゃけ嫌だったけど。」
「だったら、止めればよかったじゃないの。」
「…う。でも、お前、聖悟が好きだったんだろ?麗奈が望むなら――「ううん。」
麗奈は男の言葉を遮って、ふふっと笑みを零す。
――まったく、最近の男の子は、みんな可愛いんだから。
「いいの、別に。もういい思い出になったから。…それより、私の本当の望みは、ね。」
にこり。
「あの二人みたいにラブラブになることよ。よろしくて?」
輝くような笑顔でそう言いきる美女。
ぱちり、と目を瞬かせた信二は数瞬後、ようやく言葉を脳に送りこませ、弾けたように笑いだした。
「はっ、そりゃあ、また高いハードル設定してくれたな。」
努力します、とだけ呟いて、男は女の肩を抱いた。
END