温かい手
――長い長い話が、終わった。
外はすでに真っ暗で、一点の光も見えない曇天。…いつの間にか深夜になっていた。
「……………。」
「……………。」
話し終えた途端に、広がる静寂。私はぼんやりと少し薄汚れた天井を見上げた。
…ああ、話してしまった。話しちゃったよ。あーあ。どうしようかなー?
なんて。
ただの事実確認のように、心の中で呟く。
先立つものは、後悔でも空しさでもなく、ただただ、『無』。
――私は、まさしく空っぽだった。
まるでつまらない映画を1本見たように、過去の自分を透かし見ることができた。
こうして見ると、自分と言う人間はこんな下らないモンだったんだな、とも思えた。
私はいつも通り、冷静だった。
「………ねー、国崎。」
イタい沈黙の中、最初に口を開いたのは私。国崎の方は見ずに、そのまま顔を上に向けていた。
「…呆れるくらい、下らない話だったろ?こんなんが、君の聞きたがった『私』だよ。」
汚くて、卑しくて、失敗ばかりの、欠陥女。
…いや、中身が決定的に欠けているので、人間ですらないのかもしれない。
ふっと、口を歪めて笑って見せる。涙はとうに乾き、無表情を貼り付けていた。
――さてさて、国崎くん。
君は、このお話をどう思いましたかな?感想などがあれば、今、受け付けますよ。それがないようでしたら、ご退場願えますかな。…そして、2度と入りませぬように。
頭の中の私は幕を引き、観客の男を嘲笑う。
すると国崎は、顔を逸らす私をぐっと掴み、彼の方を向かせた。
否応なしにバッチリと視線が絡むが、彼はさほど表情を変えずに私を見続ける。
いつも通りの、真っ直ぐな瞳で。
……何だよ。
や、つーか今地味に首、痛かった。ゴギって音がしたけど、大丈夫か?
首逸らしてた私も悪いけど、相変わらず強引な。
「…那津………」
そんな阿呆なこと考えていたら、国崎がボソリと呟いた。ピリッとした空気を感じ、私も身構える。
そして、ヤツは眉間にしわを寄せ、複雑そうな顔をして、
「……バッッカじゃねぇか。」
暴言を吐いた。
……………って、は?
あれ?
え???
な ん だ そ れ ? ?
「…え、……は?」
いやいやいや待てや、オイ。ちょ、予想外にも程があるよ?君。
こっっんだけ重い話聞かされて、『バカ』はないだろ。
…うん、ない。
しかも、ちっちゃい『ッ』2つもつけやがって。
そんなバカなこと言った覚えもねぇよ、こっちは。
…とりあえずリアクションとして正しくはないって、絶対。
那津さん、対応に困るんだけど。…あ、逆に君の頭がバカになったの?
「……あの、国崎……」
私は本気で彼の脳を心配し、恐る恐る話しかけてみたが、
「………うぶぇっ!?」
同時に、両頬に痛みが走った。
「……ったく、お前は…」
「ひた、ひたたたたた!!!」
……痛みの原因は、国崎の、顔のすぐ横に置かれた両手。
眉間にしわを寄せたまま、私の両頬をつねり、ぐにーっと伸ばしてきた。
…本気で、容赦がない。痛い。
むに~っと、私の頬は面白いくらい横に伸びた。
――あ~~~っ!ヤメロ、ヤメロって!!
ほっぺ伸びる!!何だ、この生産性のない意味不明な行動はぁああ!!
フラストレーションが限界まで溜まったかと思うくらいイラついた私は、キッと国崎を睨んだ。
「…きゅに、ひゃきぃ!はなへぇ!!」
「なに、きゅにひゃき、て。誰?」
「…っ!!」
ふっと鼻で笑ってコッチを見てくる鬼。…全く取り合おうとする様子はない。
……この野郎。
てか、さっきから君、仏頂面のままなんだけど。……怒ってんの?
「……っこのぉ…」
ワケもヤツの意図も分からないが、抗議しようと開きかけた口は、
「………んな、下らねぇことで傷ついてんじゃねぇよ。」
半開きのまま、止まった。同時に目も、見開かれる。
…………え?
「……な、……」
怒りに、ピクリと眉が動く。眉間にも皺が寄る。
今、なんつった、君。…「下らないこと」、だって?
……フザケンナ。
「……ひがうっ!!」
「!」
私は突如ガバッと顔を上げ、ヤツに掴みかかった。
すると、いきなりの行動に驚いたのか、国崎も手を離す。その勢いのままのしかかり、ヤツの胸倉をガシッと掴んでやった。
痛む頬なんて、二の次。それよりも、ヤツを睨みつけるので、私は忙しい。
「……なにが、下らない、だ!君に何が分かるっ!」
「ああ?」
ギロリ、と彼も私を睨んだ。
……ガラの悪い兄ちゃんみたいな声出しやがって。…ちょっとビビってしまった自分を殺したい。
「…っだから!君にそんなこと言われる筋合いはないんだって!私の記憶にまで口を出すなっ!」
それでも負けじと大声を張り上げる私。ここは、どうしても譲れなかった。
――過去は、私を形成してきたもの全て。
例えそれがキズしかなくとも。幸せな記憶など、断片すらなくとも。
それがあるから、今の私がある。…それを否定する権利が、君の何処にあるのか。
今まで支えてきたもの全て、君に崩される理由は無い―――
私のセリフの後、急に訪れた、静寂。肩で息をする私を、国崎は服を掴まれながらも、静かに見ていた。
…いっそ、灯りなど無ければよかったのに。
近付いては見たものの、ヤツの顔など見れるわけがない私は、やっぱり俯いた。
「……那津は、間違ってる。」
静かな空間の中、国崎は再度口を開く。
驚いて顔を上げると国崎の眼差しが私を射抜いた。全く緩むことのない鋭い視線に、また体が跳ねる。
「お前は、何も悪くない。」
「――!」
急速に冷えるからだが、危険を予感させる。
私は、息をのんだ。
「…っなに、言って……?」
「…那津は、誰も傷つけてなんかない。そう、勝手に自分で思いこんでるだけだ。」
「……っ、」
国崎は再び手のひらで私の頬を包む。すぐに私の顔はその大きな手ですっぽり隠れてしまった。
ドクンと、心臓が動いた気がした。
―動揺する。瞳が揺らぐ。
…………no, but, not.
……いや、違う。そんなの、断じて違うから。
「……嘘、だ。私はいつも皆を傷つけるんだ。私は何も持ってないし、何も分からないから。」
確信をもった意味を含ませ、私は呟く。
―いつだって、私が悪いんだ。いない方がいいんだ。
そして、それならいっそと、消えることを選んだ私は間違ってない。
それだけが、真実。……そうだろ?
「なら聞くけど……」
国崎はふう、と息をついた。
「…お前が、誰を傷つけたっていうんだ?」
「………?」
「お前の母親も、友達だっていった奴も、全部お前のせいにして、押しつけて、逃げただけだろう。…何でそれを那津が背負う必要があるんだ。」
「……え、」
言い聞かせるように、胸に沈みこませるように国崎は言葉を選んだ。その1つ1つが重く響く。
手が震えているのがバレてしまわないよう彼の服から手を離したが、国崎はそれを片手で抑え込んだ。
「お前は、何も悪くない。」
もう一度、国崎は繰り返した。それは今まで聞いた中で、誰よりも優しい声で。
じんわりと温かい手の体温をも、今更になって感じた。
「―――っ、」
――いつの間にか、私は泣いていた。
じんわりと国崎のシャツが円形に滲んでいく。
…またしても、キャパオーバーだ。感情があふれ出して止まらない。
ドキドキと心臓が鳴るが、決して緊張、とかではなくて。
どうにも、胸が痛くて、困る。
…ウソみたいに、満たされてる感じがしてしまう。
「…もう、全部自分のせいにするのは止めろ。お前は、」
ヤツの囁くような声にもゾクゾクしてしまう私は、もしかして変態か?
何でそんなに優しいんだ、君の声は。何の魔法だ。…この、アホ国崎。
また、新たな涙が伝ってしまう。ぽつぽつと服にシミを作る。
……もう、最後までやられっぱなしだ、この私が。
「――お前は、もっと人を頼ってもいいんだ。だから、とっとと俺にすがれよ。」
言うと同時に、ぎゅうっと、国崎に抱きしめられた。
たくましい腕に、私はなすすべもなしにそのまま包みこまれる。
―あぁ、もう末期かもしれない。
最後の俺様発言にすら、救われたような気がしてしまうんだから。