03
―*―
荒んでしまった私の心。それが元に戻ることは決してなく。
…でも、表には出さなかった。
押し込んで、しまいこんで、平気なフリをした。
―それでもまだ、私は愛されたいと願ったから。
家庭が駄目だから、学校と言う狭い社会空間で。
そう、私は誰かに好かれていると自覚したくて、今まで以上に友達に関わるようにしたのだ。
――友達は好きだ。好きになった。好意を好意として受け取ってくれ、簡単に返してくれる。
軽い言葉や、挨拶。何の代償もなしに気軽に話かけてくれる。一緒に遊んでくれる。
温かい気持ちの側で、素直に笑える『自分』がそこにいた。それはとても幸せで、楽しくて、嬉しいこと。彼ら、彼女らと一緒に居るだけで温かく満たされた感情が湧きおこった。
――この感情に報いたい。どうすればこの喜びを返すことが出来るのだろう――
そう考えた私は、出来るだけ相手に呼吸を合わせ、相手が一番欲してると思われる答えを言うようにした。
楽しんでくれるよう、時には道化も演じる。重い相談にだって乗ってあげる。
――たくさんの『私』を使って。
それしか、私にできることはなかったから。
友達は喜んでくれるし、私も相手を救ってあげられたという、満たされた気分になる。
…それでいいじゃないか。彼らもそれを望んでいるわけだし。
―誰も、傷つかないんだから。
これで、いいの。
――そうやって、無意味な偽善を何のためらいもなく繰り返していた日々。
…いや、私は壮大な偽善を行っていたことに、気付いてすらいなかった。
それは単に、家庭で求められない「情」の代償を、彼らに求めていたに過ぎなかったのに。
――だから、なのだろう。
逃げて逃げて、現実から目を逸らし続けた私に与えられたのは、
…耐えがたい罰、だった。
きっと、天罰に違いなかった。
―*―
それは突然起こった。
前夜に母親から再婚を宣言されたせいかもしれない。もしくは、もう精神が限界だったからかもしれない。
――とにかく私は、大きな失敗をしてしまった。取り返しのつかない、ミスを。
――
ある友達に真剣な顔で『相談したいことがある』と言われたのは、放課後のことだ。
誰もいなくなった教室に2人だけが机をはさんで向かい合わせで座った。
沈黙の中、橙色の夕日が室内に差し込む。すると、友達は重い口を開いて話し始めた。
―どうやら彼女の両親が離婚するらしい。
それはもはや決定事項で、変えることはできないようだ。
また、彼女には弟が1人いて、今ではどちらがどちらを引き取るかをもめているらしい。
―崩壊寸前の、家庭。冷めきった冷戦状態が続いている。
「…勝手、だよね。大人って。」
私が悪いわけじゃないのに。何で家族をバラバラにされなきゃならないの。
―ホント、酷すぎる。
彼女はそうポツリと呟いて、泣いた。透き通った粒が、床の木目に弾けて消えた。
―私には、彼女の気持ちが痛いほど分かった。
苦しいのに、悲しいのに。自分ではどうすることもできない。
…結局、社会の不条理に流されて従うしかないのだ、私たちは。
そんなどうしようもない状況下、誰かに助けを求めたい、と思うのは当然のことのように思えた。
「……ねぇ、那津。私、どうすればいいのかな?」
「……………。」
予想通り、すがるように私を見る女の子。私も黙って彼女を見つめ返した。
―新たな沈黙が部屋を支配した。
――暗転。
暗闇の中、冷めた瞳で私は『私』を見下す。
…この場面を思い出す度に思う。
ここで何を言えば彼女は救われたんだろうか。
…何を言えば、壊れずに済んだんだろうか。
答えのない問いが永遠に続く。
そして、私が何かを言う前に、物語は進行していく。
――
似合わない制服姿の私と彼女は、長い間黙っていた。
…彼女は待っているのだ、私の答えを。
しかし無言の訴えが、また私を焦らせた。
脳はフル回転で答えを探す、が、何を言えばいいか見当もつかない。
何を言ったら正解なのか。どうすれば一番いいのか。
それが、全く出てこない。
『エラーが発生しました』と、頭の中の私が悲鳴を上げる。
――だって、私にはこんなとき何もなかった。
誰も何も言ってくれなかったし、聞いてくれなかったから。
どうすればいいかなんて、分かるわけがない―――
そのうちに、つい先日の出来事が頭をかすめる。いつの間にか、冷や汗が背中を伝っていた。
――やめろ、入ってくるな。
頭で否定しても、黒い感情がじわじわと私を攻める。侵食する。
いつも学校には家庭のコトは持ち込まなかったのに。全てを忘れて、友達と笑い合っていたのに。
……ナンデ。
「~~っぁ、」
ついに私は頭を抱えた。…酷い頭痛。心臓がドクドクと脈を打つ。
彼女の大きな瞳は、急に苦しみ出す私の方を、訝しげに見ていた。
……嫌だ。考えたくない、のに。…友達の前なのに。
――その瞳が、ムカつく。とか、思ってしまう。
両親を罵りながら言葉を吐き捨て、苦しんでいる彼女は、まるで鏡映しの私。
あまりにも自分に似すぎていて、
「……な、つ?……大丈夫?どうしたの?」
――似すぎて、いて。
憎い。嫌い。いらない。
――こんな自分、死んじゃえ。
私はふっと顔を上げた。
そして
「……知らない。勝手に、すれば。」
――出て来た言葉は、あまりにも冷たく残酷だった。
女の子は、今度は驚愕に目を見開く。
「………っ、え……」
友達は、何を言われたのか理解できない、と言った風に瞬きを繰り返していた。
いつの間にか涙は止まっている。
――しかし、私の言葉は止まらなかった。
もはや私は、彼女ではなく、自分自身を相手に言っているような気さえしていた。
―これは、自分に送る戒めの言葉、だと。
まさに自問自答。終わることのないクリカエシ。
ただ、感情を爆発させていた。
「…私には、どうもできないし、何も言えないよ。そもそもこんな問題、他人に相談することが間違っている。」
だから。
「一人で、何とかしなよ。」
そう、独りで。
私は、ずっとそうやってきたんだから―――