02
「産まなきゃ、よかった、ですってぇ……?」
「げほっ、ぐ、げほ……」
「よく言うわ。…アタシだって好きで産んだわけじゃないのに。」
「…っ、は?」
唐突な言葉に目を丸くする私。女はまた繰り返した。
「だからぁ、アンタなんか好き好んで産んだわけじゃないって言ってんの。」
酔っているからか、いつになく饒舌に話し笑う彼女。私はその言葉がどうにも引っかかって、
「どう、いう…意味だ……っ」
思わず素を出してしまった。
あ、しまった、と一瞬思ったが、どうせ酔っ払いだ。明日になったら忘れるだろう。
彼女も私の表情の機微など気にせず、続けた。
「…アタシは、アンタを育てる気なんかさらさらなかった。」
静かな声が部屋を満たす。私も、真剣な顔でそれを聞いた。
「…ただあの人の心を繋ぎ留めたかっただけよ。」
「……あの人って?」
「アンタの父親。」
「…っえ、」
『父親』。その単語を聞いた刹那、私は目を瞬かせる。
―私にもいたのか、そんな人が。
当たり前のことだが、やはり少なからず驚いた。
――
彼女はすらすらと私の生い立ちについて話した。
―なんでも、私の父親とこの人は結婚したわけではなかったらしい。
関係を持った時、その男にはもうすでに妻がいたという。…そう、正妻が。
つまり、父とこの女は不倫関係にあった、ということだ。
―初めから先の無い、無謀な恋――
それでも女は男を愛し続け、どうしても彼の心をつかみたがった。
―その執念か、ついに子を宿したのだ。
……それが、私である――
言い終えると、彼女は顔を崩してへら、と笑った。
「あの時は…嬉しかったわ……やっとあの人が、振り向いてくれるんじゃないかって…でも………」
ふいに顔に影をおとし、声のトーンも下がった。私の方も、緊張する。
―1度も聞いたことのない父親のハナシをされているのに、不思議なくらい心は動かされなかった。
…むしろ、嫌な予感しかしない。――聞きたくない、と思った。
「あの人はね、」
それでも構わず言葉を紡ぎだしていく赤い唇。それがぐにゃりと歪んだのを見た。
「――子供は生まれなかったことにしろと、言ったの。」
「――!」
グサリ、と心に棘が突き刺さったような気がした。血が吹き出て、ダラダラと赤が流れる。
――痛い、痛い。何これ。抜けない。
「…もちろん、アタシは猛反対したわ。せっかく作ったチャンスだもの。すがりついて必死に説得したんだけど、」
ザク、ザクと何本も何本も突き刺されるような痛み。
―やめろ、もう言うな。
「……無理だった。結局、アタシはアンタを嫌々引き取ることになったのよ。」
心臓が、凍りついた。
動揺しすぎて目の焦点が合わない。足はガクガクと震え、私は思わず床に倒れ込む。
―ひんやりとした床の感触だけが、やたらリアルだった。
女はそんな私を見て狂ったように笑いだした。
「…あは、あはははっ!あははははははっ!!」
女の下品な笑い声が響く。耳にまとわりつき、反響し、離れなくなる。まるで、呪いだ。
「どぉ?分かった?アンタは誰からも望まれなかった!いらない子なのよ!」
「…っ、」
ああ、頭が痛い。もう意味が分からない。
…五月蠅い、喚くな。どうして貴女は、私を痛めつけるのがそんなにうまいんだろう?
「…っうぇ、え」
呼吸ができなかったせいか、強烈な吐き気がこみ上げ、その場で胃の中のものを吐いた。
それと同時に大粒の涙がボロボロと零れ落ちた。
「あら、泣いているの?可哀想に。」
くすくすと笑いながら、母親と呼ばれる女は泣き崩れる私に近付き、しゃがみこんだ。
「………っ、」
ぐいっと髪を掴まれ、顔を上げさせられる。
歪んだ顔をした女と、目が合った。…その瞳には、確かに狂気が宿っていた。
「ねぇ、那津……アタシは不幸な女だったわ。」
彼女は、ふっと口を緩めた。
「…男の愛情を求めて振りまわされて、傷ついて。挙句には酒びたりよ。ホント、自分でもサイアクな人生だと思うわ。」
ぺらぺらと、自嘲するような口調で記憶を吐き出していく。
「…………。」
私はただただ呆然とそれを聞いていた。すでに情報量は私のキャパを大幅に超えている。
…それも、認めたくない事実。
この女が何を言いたいのか、理解しようとすることすら放棄していた。
また涙が溢れ、零れ落ちた。
「……それでも、アンタよりはましよね。」
赤い口紅が私を嘲笑う。
―だって。
「アンタは誰からも愛されないのだから。」
だって、与えてないもの。そんなもの。
……1度たりとも。
――アイサレナイ。
涙で視界が滲み、目の前は良く見えないが、聴覚は研ぎ澄まされたように音を拾いコトバを胸に刻みつける。
――頭がどうかなりそうだった。
「ふっ、ふふふふふ、そう、そうよ!愛されない!アンタは愛情を受けることも与えることもできないの!」
眼をギラギラさせながら、女の口はよく動く。
―女は、狂っていた。
言ってるコトは支離滅裂だし、甲高い声をあげ、喚いているだけに聞こえる。
――だが、その言葉で死ぬほど心を痛めつけられる私も。
「愛?そんなの、アンタには分からないわね、一生。」
――相当、狂ってる。
―――
――
彼女はそのセリフを吐き捨てた後、部屋に戻り死んだように眠った。
私はただ床の冷たさに身を浸す。
もう何が何だか分からなくって、頭の中がゴチャゴチャして、
感情を吐き出すように、ただ、小さな子のように泣き続けた。
「っ……ふ、ぅ……」
止まらない嗚咽。流れ出る透明な汁。
これだけ水分を出しても涙は枯れることは無く、次々と流れ出て私の頬を濡らした。
――別に。話自体はよくあるハナシ。
男が浮気して、愛人に孕ませ、その子供は認知されなかった。それだけだ。
…だが、想像以上にショックだった。
私が、父にも母にも『いらない』と思われて、うまれてきたなんて。
――結局、私に価値など無くて。
ただの厄介もので。
誰にも必要とされなくて。
…そんな私に、生まれた意味がどこにあるというのか。
……嫌われてる、なんてものじゃなかった。
私は彼女に、親の敵みたいに恨まれていたのだ。生まれながら。
役に立たない道具に過ぎない私に、どれほど失望したのだろう、あの人は。
「…っうう、……く、」
そう思うと情けなくて、苦しくて、悲しくて……胸が潰れそうになった。
………いや、もう、それならばいっそ。
――捨ててしまえばよかったのに。
そんなに憎いのなら。
愛せないというなら。
いらないというなら。
―いっそ、失くしてしまえばよかったんだ。
捨てるのが駄目なら、施設に預けたり、方法はいくらでもあったはずだ。
……そうすれば私も、まだ幸せだったろうに。
こんな思いをせずに済んだのに――
…私だって、好きで生まれてきたわけではないのに。
『愛情』
私がのどから手が出るほど欲しかったもの。
同級生が家族で仲良さ気に歩いているのを見て、うらやましいと思わなかった日は無い。
いつだって、純粋に憧れた。
あるわけないけど、私だって、いつか……って、妄想した。
でも、やはりすべて、ただの夢想に過ぎなかった。
そのくらいの幸せすら、私には許されなかったんだ。
まるで真っ暗闇のなか一人で取り残されたように、意識はただ虚空を彷徨うばかり。
私は、完全に自分を見失った。




