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脳内計算  作者: 西山ありさ
本編
72/126

02





「産まなきゃ、よかった、ですってぇ……?」

「げほっ、ぐ、げほ……」

「よく言うわ。…アタシだって好きで産んだわけじゃないのに。」

「…っ、は?」


唐突な言葉に目を丸くする私。女はまた繰り返した。


「だからぁ、アンタなんか好き好んで産んだわけじゃないって言ってんの。」


酔っているからか、いつになく饒舌に話し笑う彼女。私はその言葉がどうにも引っかかって、



「どう、いう…意味だ……っ」



思わず素を出してしまった。

あ、しまった、と一瞬思ったが、どうせ酔っ払いだ。明日になったら忘れるだろう。

彼女も私の表情の機微など気にせず、続けた。


「…アタシは、アンタを育てる気なんかさらさらなかった。」


静かな声が部屋を満たす。私も、真剣な顔でそれを聞いた。


「…ただあの人の心を繋ぎ留めたかっただけよ。」

「……あの人って?」

「アンタの父親。」

「…っえ、」


『父親』。その単語を聞いた刹那、私は目を瞬かせる。


―私にもいたのか、そんな人が。


当たり前のことだが、やはり少なからず驚いた。



――



彼女はすらすらと私の生い立ちについて話した。

―なんでも、私の父親とこの人は結婚したわけではなかったらしい。

関係を持った時、その男にはもうすでに妻がいたという。…そう、正妻が。

つまり、父とこの女は不倫関係にあった、ということだ。


―初めから先の無い、無謀な恋――

それでも女は男を愛し続け、どうしても彼の心をつかみたがった。

―その執念か、ついに子を宿したのだ。

……それが、私である――


言い終えると、彼女は顔を崩してへら、と笑った。


「あの時は…嬉しかったわ……やっとあの人が、振り向いてくれるんじゃないかって…でも………」


ふいに顔に影をおとし、声のトーンも下がった。私の方も、緊張する。

―1度も聞いたことのない父親のハナシをされているのに、不思議なくらい心は動かされなかった。

…むしろ、嫌な予感しかしない。――聞きたくない、と思った。


「あの人はね、」


それでも構わず言葉を紡ぎだしていく赤い唇。それがぐにゃりと歪んだのを見た。



「――子供は生まれなかったことにしろと、言ったの。」

「――!」



グサリ、と心に棘が突き刺さったような気がした。血が吹き出て、ダラダラと赤が流れる。

――痛い、痛い。何これ。抜けない。


「…もちろん、アタシは猛反対したわ。せっかく作ったチャンスだもの。すがりついて必死に説得したんだけど、」


ザク、ザクと何本も何本も突き刺されるような痛み。

―やめろ、もう言うな。



「……無理だった。結局、アタシはアンタを嫌々引き取ることになったのよ。」



心臓が、凍りついた。


動揺しすぎて目の焦点が合わない。足はガクガクと震え、私は思わず床に倒れ込む。

―ひんやりとした床の感触だけが、やたらリアルだった。

女はそんな私を見て狂ったように笑いだした。


「…あは、あはははっ!あははははははっ!!」


女の下品な笑い声が響く。耳にまとわりつき、反響し、離れなくなる。まるで、呪いだ。


「どぉ?分かった?アンタは誰からも望まれなかった!いらない子なのよ!」

「…っ、」


ああ、頭が痛い。もう意味が分からない。

…五月蠅い、喚くな。どうして貴女は、私を痛めつけるのがそんなにうまいんだろう?


「…っうぇ、え」


呼吸ができなかったせいか、強烈な吐き気がこみ上げ、その場で胃の中のものを吐いた。

それと同時に大粒の涙がボロボロと零れ落ちた。


「あら、泣いているの?可哀想に。」


くすくすと笑いながら、母親と呼ばれる女は泣き崩れる私に近付き、しゃがみこんだ。


「………っ、」


ぐいっと髪を掴まれ、顔を上げさせられる。

歪んだ顔をした女と、目が合った。…その瞳には、確かに狂気が宿っていた。


「ねぇ、那津……アタシは不幸な女だったわ。」


彼女は、ふっと口を緩めた。


「…男の愛情を求めて振りまわされて、傷ついて。挙句には酒びたりよ。ホント、自分でもサイアクな人生だと思うわ。」


ぺらぺらと、自嘲するような口調で記憶を吐き出していく。


「…………。」


私はただただ呆然とそれを聞いていた。すでに情報量は私のキャパを大幅に超えている。

…それも、認めたくない事実。

この女が何を言いたいのか、理解しようとすることすら放棄していた。

また涙が溢れ、零れ落ちた。



「……それでも、アンタよりはましよね。」



赤い口紅が私を嘲笑う。


―だって。



「アンタは誰からも愛されないのだから。」



だって、与えてないもの。そんなもの。

……1度たりとも。




――アイサレナイ。


涙で視界が滲み、目の前は良く見えないが、聴覚は研ぎ澄まされたように音を拾いコトバを胸に刻みつける。

――頭がどうかなりそうだった。


「ふっ、ふふふふふ、そう、そうよ!愛されない!アンタは愛情を受けることも与えることもできないの!」


眼をギラギラさせながら、女の口はよく動く。


―女は、狂っていた。

言ってるコトは支離滅裂だし、甲高い声をあげ、喚いているだけに聞こえる。


――だが、その言葉で死ぬほど心を痛めつけられる私も。




「愛?そんなの、アンタには分からないわね、一生。」




――相当、狂ってる。



―――

――



彼女はそのセリフを吐き捨てた後、部屋に戻り死んだように眠った。

私はただ床の冷たさに身を浸す。

もう何が何だか分からなくって、頭の中がゴチャゴチャして、

感情を吐き出すように、ただ、小さな子のように泣き続けた。


「っ……ふ、ぅ……」


止まらない嗚咽。流れ出る透明な汁。

これだけ水分を出しても涙は枯れることは無く、次々と流れ出て私の頬を濡らした。


――別に。話自体はよくあるハナシ。


男が浮気して、愛人に孕ませ、その子供は認知されなかった。それだけだ。

…だが、想像以上にショックだった。


私が、父にも母にも『いらない』と思われて、うまれてきたなんて。



――結局、私に価値など無くて。

ただの厄介もので。

誰にも必要とされなくて。


…そんな私に、生まれた意味がどこにあるというのか。


……嫌われてる、なんてものじゃなかった。

私は彼女に、親の敵みたいに恨まれていたのだ。生まれながら。

役に立たない道具に過ぎない私に、どれほど失望したのだろう、あの人は。


「…っうう、……く、」


そう思うと情けなくて、苦しくて、悲しくて……胸が潰れそうになった。



………いや、もう、それならばいっそ。


――捨ててしまえばよかったのに。


そんなに憎いのなら。

愛せないというなら。

いらないというなら。


―いっそ、失くしてしまえばよかったんだ。


捨てるのが駄目なら、施設に預けたり、方法はいくらでもあったはずだ。

……そうすれば私も、まだ幸せだったろうに。

こんな思いをせずに済んだのに――

…私だって、好きで生まれてきたわけではないのに。


『愛情』


私がのどから手が出るほど欲しかったもの。

同級生が家族で仲良さ気に歩いているのを見て、うらやましいと思わなかった日は無い。

いつだって、純粋に憧れた。

あるわけないけど、私だって、いつか……って、妄想した。


でも、やはりすべて、ただの夢想に過ぎなかった。

そのくらいの幸せすら、私には許されなかったんだ。


まるで真っ暗闇のなか一人で取り残されたように、意識はただ虚空を彷徨うばかり。


私は、完全に自分を見失った。






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