03
―狭い裏路地を抜けると、いつか国崎と2人で歩いた大通りに出る。
今は平日の午後。幸い、道にはたくさんの人がいた。
――とりあえず、S大まで行こう。あそこなら隠れ場所がいっぱいある。
そう思い立った私は、出来るだけ体をかがめ、人ごみに紛れながら、走る。
なに、私は逃げ足は速いんだ。アイツに見つからなきゃ確実に逃げ切れる――
「那津っ!待て!」
……見つからなきゃ、ね。
動きがピタリと止まった。国崎が私の行く道に、横からイキナリ現れたのだ。
……てか、追いつくの早っ!!
当然、急いでUターンし、駆けだす。国崎も私を追いかける。
―リアル鬼ごっこ、スタートだ。恐怖すぎる。
走りながら私は大声をあげた。
「っだー!何でそんなとこにいるんだよっ!!」
「お前の行動パターンなんか見え見えだっての!どうせ大学に行くつもりだったんだろっ!」
……ええ、図星ですけどっ!?
ギリ、と唇を噛んでさらに走るスピードを上げる。後方で舌打ちが聞こえた。
「おい、待てっての!話があるっ」
「私は無いわー!とにかく消えろボケェ!!」
地面を蹴り、走りまわる若い男女。傍から見てるとアホらしい追いかけっこだが、両者とも必死だ。
……特に、私。
――絶対、捕まってたまるかぁああああ!!!!
――
「はっ…はっ……」
走り始めて、どのくらい経ったか分からない。
だが、着実に2人の距離は縮まっていた。単純に体格と体力差だ。
私はもう、息も絶え絶えだった。対するヤツは、多少息を切らす程度。
―っ、水族館の時の思ったが、コイツ、体力ありすぎだろ!
いや、私はかなりナイ方だがっ!
私はついに商店街の表側……かなり大きな道路に出た所で、足を止めてしまった。
「…もう、追いかけっこは終わりか?」
国崎の声が、静かに響く。
私は、国崎から見てほんの数メートル前にいる。もう獲物は目前、とでも言うように、彼は嘲笑った。
……ちょ、何その悪役のセリフ。
嫌みのようにゆっくりと近付く男を私は睨みつけた。
「……っは、う、る……さい!」
ぐいっと額の汗を拭う。後から後から流れ出る汗を忌々しく思った。
「…相当辛そうじゃねぇか。もう諦めろって。」
「……私、は!捕まら……ないっ!!」
「まだそんなこと言うのか?」
「…………」
近づく国崎。もうヤツの顔がしっかり確認できるほど距離が近い。
だが。
…まだ、だと?
はっ、私がこんな所で止まった理由が分からないのか?
――最終手段だ。私は息を大きく吸いこんだ。
「…イケメン好きの女子のみなさーーん!!噂のS大の王子様、国崎聖悟君がデートのお相手を探してるそうですよーーーっ!予約は速いモン勝ち!!さぁ寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!!」
ありったけの声が、辺りに木霊した。
「っ、おい!?」
動揺する国崎の言葉は、
きゃあああああああ!!!―という、もんの凄い歓声でかき消された。
…というか、最早悲鳴に近い気もするが。
そして、ぞわっと、女子たちがどこからともなく現れた!
流石、S大学の近くということもあって、彼を知る女子大生が集まる。だが、何も知らない一般の女性も、イケメンを一目見ようと群がった。
―そうして、国崎はあっという間に女子軍で囲まれてしまった。
『国崎君!私っ私とデートしよっ!!』
『いや、私と!!』
『うっさいブス!生まれ変わってから言えよ!』
『聖悟くんが決めてっ!どんな子がタイプ?』
『オニーサン、マジかっこいいね!若い子に飽きたらアタシでもっ!』
『ババァはスッこんでろ!顔の皺何とかしなっ!!』
ギャーギャーと罵詈壮言が飛び交う中、私はこっそりその集団から抜け出し、ニヤリと笑みを見せた。
「っ那津!待てよっ!!」
中心にいる国崎の声が聞こえた気がするが、私はそれを空耳と信じ、ゆったりと歩きだす。
―やはりこんな時頼りになるのは、恐るべき女子パワーだな。これほど有効な兵器もなかなか無いよ?ホント、助かったわー。
優雅に歩を進め、国崎と女子軍が少しづつ遠のいていく。
つんざくような女子の叫び声も段々と小さくなり、やがて消失する。
私はまた、口を歪めて笑った。
――私を甘く見るなよ?国崎。君から逃げるためだったら、何だってしてやるさ。
―――
――
「……さて、と。どこに行こうかな……」
女子の波から遠ざかるように上手いことすり抜けた私は、あてもなくふらふらと彷徨う。
国崎の登場のせいで、残念ながら大学とは反対の方向にしか行けない。
…故にその近くにある自宅にも帰れないわけで……
行き場を無くした私は、こうしてただ移動しているしかないのだ。
…立ち止まってると、追いつかれるかもしれないしね。
―チラリと腕時計を覗くと午後5時を回ったところだった。
まだ、バイトまでも時間がある。
「…ハァ………」
どうにもツイてないな、私。
ため息をひとつついて、とりあえず道路に沿ってぐねぐねと曲がった道をたどって行った。
――
しばらく道なりに歩き、足を止めたのはバスの停留所の前だった。
そろそろ体力的にも限界で、体が休息を要求していたので、私はベンチに座って休むことにした。
――…裏道を通ってきたから、そう簡単には見つからないハズ。
しばらく休んだら、どっかの店に入って隠れよう――
そう思って、背もたれにもたれながら、リラックスする。
空を仰ぐと、古ぼけた屋根の隙間から夕暮れの景色が覗いた。涼しい風が吹き、体を癒してくれる。
私はフッと口を緩め、そのまま、視線を正面に戻した。
座っている私の目の前を、幾人もの人が通り過ぎる。
学校帰りの子供、散歩中のお年寄り、慌ただしいサラリーマン………
みんな、歩幅も違えば表情も、雰囲気も違う。みんな、違う。
……ああ、いつか考えてたっけ。こんな大勢の人が皆他人なのは、なんだか不思議だって……
でも、別に何も不思議じゃないよね。人は、知り合いより他人の方がよっぽど多いから。
そして私も、その一部だ。
人の波に流れて、ほぼすべての人の『他人』として、生きていく。
道行く人々のように、何の関わりも接点もなく。
でも――――
『好きだ、那津。』
『…欲しくて、たまらねぇんだ。』
国崎のカオが、また音も無く浮かんでくる。
こっちが恥ずかしくなるような、ストレートなセリフと共に。
―――…何で、君は、他人のまま終わらせてくれなかったんだ。
こんなに人がいるんだ。日本だけでも人口は1億3千万ちょっと。
男も女も、もういらないってくらい、いる。
なのに、どうして、君は、私を見つけてしまったんだ。
明らかにスルー推奨女なのにね。
私は、君に――――
――…出会ってよかったんだろうか?
「~~あー、くそっ」
私はぐしゃぐしゃと頭を掻き、バッと勢いよく立ちあがった。
――ダメだ。立ち止まってると余計なこと考えるっ!
…しかも、もーコレ何回思い出してんの、私。
そしてその度に赤面するなよ、本城那津の分際で!この阿呆っ!
しっかりしろ!と、自分で自分を叱り飛ばしながら頬を叩き、私は大股で歩き出す。
……挙動不審?分かってるって、そんなこと。今更でしょ。
できれば見ないで下さい。ええ、目に毒ですから。
―よし、遠くに行こう。できるだけ遠くへ行って、頭を冷やさねば―――
そう思ってしばらくずんずんと歩いていると、
――――キキッ
軽快なブレーキ音が、した。
灰色がかった白い車が私の目の前にキレイに停まる。
「――え?」
驚いて目をパチクリしていると、運転席側のウィンドウが開き、運転者と目を合わせる。
中の人物は、ニコリと笑った。




