オイカケッコ
――それから、あの日から5日。
私は、今日も元気に。
……ズズ、ズー
「あー、美味し。」
――コーヒーをすする。
相変わらずガラガラなマスターの喫茶店は私が好む、平和で、静かな空間だ。
聞こえる音と言えば、私がコーヒーを飲む音と、小説のページをめくる音だけ。
…ああ、癒されるなぁ。
「マスター、おかわりー。」
「…ナツちゃん、それもう5杯目なんだけど。てか、暇だね。」
「うっさい、いいから入れて。」
マスターはカウンターから呆れたように私を見た。
―失敬な。好きで暇してるわけじゃないって。
私が目線で促すと、呆れながらもマスターはコーヒーを注いでくれ、目の前に新たな1杯が出される。
私は嬉々としてそれを受け取った。
「ナツちゃん、ここ最近よく来てくれるけど、どーしたの?」
「……んー、別に。ちょっと家に帰り辛いというか。」
「…は?」
怪訝そうな顔でこちらを向くマスター。私はため息をつき、新たにページをめくった。
…てか、帰れないんだって。
――
―そう、色んなことが起こった例の日の翌日から、私は時間を見計らないと家に帰れないのだ。
理由は簡単。――国崎が、待ち伏せしてやがるから。
よくウチの前にヤツの車が停まっていて、うかつに玄関に入れない。
…全く、迷惑千万な話だ。自分の家なのに入れないとか。
いつから篠原さんみたいなストーカーに成り下がったんだか、あいつも。
おかげで私は彼が帰るまでこの喫茶店か、大学、バイト先に身を潜めているしかない。
……どこの逃亡者だ?
暗い気分で頬杖をついて、入れたてコーヒーをひとくち飲んだ。
……まあ大学内でも、私の全スキルを駆使して避けまくってるものだから、ヤツも最終手段に出たと思うんだが……
――絶対に、今は会えない。
何故なら。
「…あ、そういえば国崎君だっけ?ナツちゃんの彼氏。何で一緒に来ないの?」
「―――!」
がしゃーん。
瞬間、持っていたコーヒーカップが手から離れ、重力に従って床に落ちた。
カップは細かい破片となり、茶色いシミが床に広がる。
「…!ちょ、ナツちゃん何やってんのっ!」
慌てて私の方へ駆け寄ってくるマスター。怪我はない?とかなんとか問われる。
―しかし、私は顔を俯かせたまま、動かない。
「………ナツちゃん?」
「……マスター、頼むからヤツの名前は出すな。あと、彼氏じゃないから。」
マスターからは見えなかったと思うが、下を向いた顔は真っ赤だった。
――名前を聞いただけでこうなるから、会うのは無理だっつの。対面して、普通の顔は絶対できない自信がある。
……はぁ、相当の重症だな、私も。
とにかく、この、顔面赤面症および不整脈が治らない限りは、絶対国崎と接触できねぇ!
せめて、対国崎用の仮面とキャラが完成するまでは待ってくれ。
今会ってしまったら、この気持ちに気付かれてしまう。100%。
そしたら、私は終わりだ。気付かれては、駄目。今までの自分が壊れてしまう気がする。
だから。押し殺せ、この感情を。
「…………」
マスターは何か言いたげに私を見ながら、割れたカップを片づけ始めた。
―――
――
――今日、店に入ってすでに2時間が経過。
「……ナツちゃん、いつまでここにいるのかなー?」
流石に長居しすぎている私に、マスターのボヤキが聞こえて来た。
「…んー、ごめん。もうちょい。」
ごめんマスター、バイトの時間まで待ってくれ。それに、今日はなんか嫌な予感がするから動きたくない。
ぼんやりと思考しつつ、何杯めかのコーヒーを傾けていると、
突然、
ドタドタとやかましい足音が聞こえた。
途端、ぎくりと動きが止まる。
――なっ!?まさか………
「マスター!那津、来てないかっ!」
そして一瞬後に、乱暴にドアを開け、男が入って来た。カランカランとうるさくベルが鳴る。
息せききった様子のその男は、――言うまでも無い。
国崎、だ。
最近姿すら見なかったが、間違うわけがない。
…しかも第一声、それかよ。
そして、そのお尋ね者の私は、
「……あー、ナツちゃん、ね…」
マスターがちらと視線を下にやる。
――間一髪でマスターの居るカウンターの下に身を潜めていた。
………ホント、危なかった。
無様な格好でへたり込んでいる私はマスターに全力で『NO!』を伝えると、気配を消すように身を縮めた。
「…今日は来てないかな。」
「そう、か……」
マスターの返事を聞くと、国崎はドカッとカウンター席に腰を下ろした。
……え、いやいや座ってんじゃないよ。ここに居ないつってんだから、余所行けや。
声に出さずにツッコむが、出るつもりはないのか、国崎は勝手に話し始める。
「っだー、くそ。アイツ、どこにいるんだよ……」
何処となく苛立った口調だ。
…こりゃ、見つかったら本気でヤバいな。
「何、ナツちゃん探してるの?」
「そ。那津、大学でも全然捕まらないんだよ。携帯も着信拒否にしてるみたいだし……」
うわ、バレたか。
直後の『今度会ったらどうしてくれようか……』っていう呟きは聞かなかったことにしよう、…うん。
「へぇ…だから、ね。」
しかし、部外者であるマスターはすごく楽しそうだ。
…こっちにちらちら視線送るの、やめろ。気付かれるだろうが。
「…何が?」
「ん、いや、こっちのハナシ。てか国崎君、ナツちゃんに何したの?そんな避けられるって。」
「…………」
マスターの放ったひと言で、しばし沈黙が流れる。
――気まずい。
……そういう質問は、本人がいないときにしろよマスター。
なんか私まで緊張するだろ。
そんなこと思いつつ、私も彼の返答を待った。
国崎は『あー』だの『うー』だの言っていたが、やがて小さな声で呟く。
「………告白、した。」
ぽつり、と漏らした国崎の声に私の心臓がドクンと跳ねる。何とも切ない声に、また顔に熱が集まっていく。
――うぁ、何コレ恥ずかしいいぃっ!
言った本人より言われた方が恥ずいって!!
「へぇ!そうなんだ?」
一方、マスターはすごく嬉しそうな様子。
…このおっさん、完全面白がってるな。年甲斐も無く声、弾ませやがって。
「んで、どうだったの?返事は?」
「……マスター、分かってて言ってるだろ。嫌みか?」
「はは、ゴメンゴメン。いやーしかし、国崎君もナツちゃん相手じゃ苦労するね~。」
「全く、だ。」
すぐ近くで身悶える私のことなど知りもしない彼は、自嘲気味に笑った。
私はふと動きを止め、三角座りをしながら国崎の声を黙って聞く。また、何やら話しだしそうな雰囲気だ。
――いや、でもソレ、このまま私が聞いてていいのか?この先を聞くのが怖い。ドキドキする。
マスター相手にする国崎の話は、紛れも無く、本音だから――
……と言っても、もともと動けない私にはどうしようもないってハナシだが。
黙って彼らの会話が進行していくのを聞いているしかなかった。
「……俺、今までマジで恋愛してこなかったんだと思う。」
国崎は少し間をおいた後、よく通る低い声で話始めた。張り詰めたような声は、彼が真剣な証拠だ。
「…えー?国崎君は恋愛経験豊富そうだけど?」
マスターは少し驚いたような顔を作り、聞き返すが、
「…は、『経験』だけならな。でもそれだけだ。誰かを好きになったりとか、無かったかもしれない。」
国崎はあくまで真剣な口調を崩さない。
「………そう。」
彼もまた静かな声で答えた。
異様な雰囲気が店を包む、と共に、彼らの話はそのまま進行していった。
―まぁ、それがダイレクトに聞こえるんですけどね。位置的に。
……何でいきなりシリアスになってんの、この2人。しかも話してる内容、めちゃくちゃ嫌なんですけど。
………居辛い。ハッキリ言って、強烈な居心地の悪さを感じる。
自分が話題なわけだし。
しかもタチ悪いことに胸の鼓動がおさまらないのよ。
……もう、何なの、コレ。