フクザツ感情
―――バタ、ン!
見慣れた黒い日本車のドアが多少荒々しく閉まる、と同時に、正面からまた思い切り抱き締められた。
……言わずもがな、国崎に、だ。
ヤツは私の腰に腕を回し、肩に顔をうずめている。
「………」
「………」
そして、この無言。
…どうしてくれようか、この男。いや、どうしたいんだろ、この男。
「…オイ。国崎、離せ。」
「………。」
だから無言は困るっての。どうしてさっきからずっと顔見せないのさ?
しかも――体、超痛ぇ。
「……っは、苦しい、てか痛いから!離して!!」
私のアバラ、その他の骨が悲鳴を上げていることを訴えると、ようやく少し力を弱めてくれる。
しかし、体勢を変えるつもりは無いのか、全く動いてくれない。
……だから、何がしたいんだってば。もう………
「…何を、された?」
しばらくして、やっと国崎の低い声が耳元で聞こえた。
「……何を、って?どういう意味?」
「…未央に、何をされたかって聞いてんだよ。」
言いながら国崎は体を少し離すと、私の頬を右手でなぞる。
それが何だか恥ずかしいんだか、くすぐったいんだかで、私はフイと顔をそらした。
「……や、別に何も…「嘘つけ。」
私のおどけた口調は、彼の鋭い声で即座に遮られた。
「何も無いわけ、無いだろ。こんな……怪我、して。」
さらに悲しげな声を発すヤツの視線の先は、服の隙間からわずかにのぞく、白い包帯だ。
――なんだよ、その声。まったく君らしくもない。
心配なんて、いらないのに。
私は観念したように軽く肩をすくめると、ヤツと目線を合わせた。
「……あぁ、そうだよ。彼女になんか廃墟っぽいところに連れてかれて、そこにいた男どもに殴られた。」
「…………っ!」
無言で見つめてくる国崎に、私はあくまでも軽い口調で話す。
「……あー、でもまぁほんの数発もらったくらいだから、大したことナイナイ。」
実際は数十発だろうけど。あえて言う必要はないだろう。
「…………。」
「…えっと、その、性的なことはされてないし?精神的ショックはない。」
今思えばラッキーな話だな。…ま、こんな私の体だからな。
「…………。」
また無言を貫く国崎の様子を、私は恐る恐るうかがう。
「…あの、だから心配には及ばないってこと。全然大丈夫――」
「大丈夫なんて、言うなっ!!!」
突然の大声に、ビックリして固まる私。国崎は苦しそうに顔を歪め、また私を包んだ。
―今度は壊れ物を包むように、優しく。
「……ごめん、ごめん那津っ…俺のせいだ……」
耳元でボソボソと謝罪を繰り返す国崎。彼のささやきを、私は黙って聞いていた。
その声は本当に苦しそうで、聞いているこっちが切なくなる。
もういいから、と言いたくなる。
しかし、
そんな彼に、目をスッと細めた私は
「……そうだね、君のせいだよ。」
――容赦ない一撃を与えた。
国崎は驚いたようにバッと身を離し、私の方を見る。私は恐らく無表情。ただ静かに彼を見ているだけ。
「っ、………なっ」
「―だって、本当にそうだろ?君と一緒にいなけりゃそのミオさんにも目をつけられずに済んだ。こんな目に遭うこともなかった。」
国崎の手を振り払って助手席に座り直し正面を向く。
凍てつくような視線を送りながら、有無を言わさない口調で続ける私。彼にはどう見えているのだろうか。
「…もう、たくさんなんだよ。私の生活をことごとく乱しやがって。君と出会ってから、ホントにロクなことがない。」
そして、彼を真っ直ぐ見て、決定打を打つ。
「国崎。頼むから、私にはもう関わらないでくれるか?」
「―――!」
しん………と静寂があたりを包む。
私は国崎の目を見たまま動かなかった。彼の方も、一瞬息をのんだかと思えば、目を見開いたまま動かなくなった。
――今言った言葉は、半分嘘で半分ホントだ。
本当は。
本当は怒ってなんか、ない。
しかも、篠原さんに襲われたのは間違いなく彼女のせいであり、国崎の方に過失などありはしない。
―でも、本気で謝る国崎を見て、性格の悪い私はそれを口実に使い、関係を断ち切ろうとしたのだ。
そこまで言うなら、もう会わなきゃいいじゃないかと。
…ついでに篠原さんとの約束も果たせるしな。一石二鳥てなもの。
それに、後半は本当の気持ちを言ったまでだ。
もうそろそろ潮時だろ。
――私たちは会うべきではない。
そんなの、最初から分かっていたこと。
―いずれ崩れるモノを、それでもズルズルと引き摺るように続けてきてしまった関係を、失くす。
ただ、それだけのことなんだから。
「それで、どう?国崎。」
「…………」
「君も、そろそろ私に飽きただろ。目ぇ覚ませよ、いい加減。」
いや、マジで。
「…………」
国崎はしばらく何事か考え込んでいたようだったが、ふと口を開き話し始めた。肩を落としたように俯き、顔は見えない。
「……そうだよな。こんなことが起こったし、そうでなくても俺と一緒にいると目立つわけだしな…お前の言い分も、分かる。」
…おお。なんだ、なかなか物分かりがいいではないか。
私は首を上下に振って同意した。
「そうだね。だから……「でも、それは無理だ。」
…………。
―――は?ええー?
―――ちょ、待とうか一回。CM入ろう、とりあえず。
何だ、それ。そのまさかの返答。この流れは完璧『yes』ルートだったでしょうが。普通は。
相変わらず意味不明すぎて、意図が全く読めん。
私は頭に?を飛ばしながらそのまま疑問を口にした。
「…何、無理って。」
「那津から離れるとか、俺が無理。」
「……はぁ?」
ナニ言ってんのよ、こいつは。マジで、本当に。
まだ肩を落としたままの国崎の表情はうかがえないが、多分真面目に言ってる感じだ。
………このセリフでか?
「…はあ、あのね、国崎。いくらトモダチでもこれは干渉しすぎ。最初に言ったでしょ?その辺を理解しろって。」
「……友達、ならな。」
???
「…え?君、なに言ってんの?私は君の友達なんだろ?」
少なくとも私は、その代名詞を背負ってきたと信じてるんだが。
……友達じゃなかったら、一体何。
「…………。」
「…友達、じゃないの?じゃ、何よ?」
知り合いとか?あ、これは格下げ?
「…………。」
ちっ、まただんまりかい。いきなり会話ブチ切られるこっちの身にもなってほしい。
ため息をひとつついて、また話しかける。
「……国崎、だから何が言いたいん―――」「友達じゃ、嫌だ。」
―――へ?
「…え、――んっ」
突如、何の脈絡もなく重なった唇。
いつの間に距離を詰められていたのだろうと、考える暇も無く、ぐっと顔を掴まれヤツの口を押しつけられる。
数秒遅れてやっと意識が戻り、私は顔を赤く染めた。
――っ…なんだ、一体。こいつは何がしたい?
そしてこのキスはどういう意味だ。
―またもや徐々に破壊されつつある脳内の計算機。
しかしまだストックされていた理性を働かせ、抵抗しようと手をバタつかせたら、意外にもすぐに解放された。
…と言っても、国崎は口同士がくっつきそうなくらいの近距離で顔を止める。しかも、極上の笑顔つきだ。
顔がアツい、のに視線がそらせない。まるで魔法にかかったように全く体が動かないんだ。
「…まだ、分かんない?」
「……っ、何が…」
「ったく、ホント鈍いな。鈍すぎ。フツー気付くだろ、ここまでされたら。それとも、言葉にしなきゃ分かんないわけ?」
「………は……」
ゼロに近い距離で見る国崎の顔はやっぱり綺麗で、思わず見とれてしまう。
そして、目を細めたヤツの口が弧を描き、ゆっくりと言葉を発した。
「好きだ、那津。どうしてもお前が好き。…もう友達じゃ嫌なんだ。」
――私にとっては、衝撃の言葉を。