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脳内計算  作者: 西山ありさ
その後の短編+番外編
125/126

02




卒業式は順調に進み、そして滞りなく終了した。

大学長の『これからそれぞれの道をしっかり歩んでほしい』というなんともありきたりな挨拶で式は締めくくられ、学生たちはホールを退出する。

人の波に従い、卒業生の五人も、そのまま外に出た。


桜をバックに写真を撮ったり、卒業証書を片手に談笑したり、しばらくは卒業生らしくはしゃぐ五人組。

だが、斎藤、水谷、乾の三人はやがて同学部の友人に連れられ、その場を後にした。

後に残されたのは、聖悟と那津のみ。二人は並んで石段に腰を下ろした。



「…那津はさ、就職するんだよな。」



しばらくは沈黙を守っていた二人だったが、ふと聖悟がそう言った。

ぼうっと散りゆく桜を見ていた那津が、男の方を振りむく。


「そうだよ。もう内定とれたし。」

「俺はこのまま大学院に進むから…2年は就職しない。」

「うん、そうなるね。」


突然、何を言いだすのか、と那津は首を傾げる。

確か、自分の就職については企業が決まった段階で聖悟に話しておいたはずだし、自分も彼が院に進むことは知っている。

今更確認するような事柄だろうか?

それとも、この『卒業』という独特の雰囲気に押されて、口走っているだけか?

…うーん、らしくないな。

那津がそのように考えていると、聖悟はまたもひとりごとのように呟いた。


「つまり、完全に歩む道が違えるわけだ。今みたいに気軽に会えることもなくなるし…ひょっとしたら連絡すら取れなくなることもあるかもしれない。」

「…うん。」

「分かってんのか?」


聖悟はじっと那津を見つめる。

彼女も彼を見返し、分かってるよ、と答えた。


「つまり君は、私と離れるのが辛いってことでしょ。」

「…おう。」

「んで、私のことだから忙しさにかまけて音信不通になって…いつしか自然消滅、みたいな。」

「んなことさせるか!!」

「言ってみただけでしょ。まあ、あり得そうっちゃ、あり得そうだし。」


悪気なくそう言った那津に、はーっと息をつく聖悟。

真面目で、責任感が強く…そして恋人への優先順位が低い。

それが本城那津だ。

そんなことはずっと前から分かっていたはずだが。


…これがあるから怖いんだ。

那津のことだ、どうせ仕事と俺となら仕事をとるに決まってる……


聖悟はうなだれた。



「聖悟?」


と、隣の彼女から声がかかる。

いつも通りの様子で、きょとんと彼の顔を覗く那津。

それが聖悟には妙に腹立たしく思えた。


――本当に分かってるのかよ、こいつは。


聖悟は肩をおとしたまま、ちらりと視線を那津の方に向け、観念したように呟いた。



「…そうだよ、俺は不安なんだ。社会人になって、お互い忙しくなって別れるカップルなんか、腐るほどいるからな。」



この年になると、先輩方の様々な恋愛体験談を聞く。

しかし、学生時代の恋愛がそのままゴールインにつながった、という話は驚くほど聞かない。

社会人になって、周りの環境が変わり、会う回数が減り…

その他色々な要因によって、いつしかすれ違ってしまう、なんてことはザラにある。


――俺達が『そうならない』なんて保証が、どこにあるんだ。


そう、今になって俺ははじめて那津の気持ちが分かった。

変わることが、変化が怖いと思ったんだ。



「大丈夫。そんなことにはならないよ…多分。」

「言いきらない所が全くお前らしいな…」

「そう?」


淡々とした態度で、那津はそう返答する。

だが、話を真剣に聞いていないわけではない。

確証のない約束はしない、これも彼女の性格である。


――でも俺は、


聖悟はふーっと息を吐き、また話しだした。



「…二年後に俺は就職する。これは絶対だ。」

「うん。」

「でも、そこから仕事に慣れて、昇進して、ある程度貯金して、って…なんか生活が安定するまでは結構、時間かかりそうだな。」

「まあ…そうなるだろうけど……だから、何が言いたいの?」

「相変わらず、こういったことには察しが鈍いのな…」


苦笑する聖悟。

むっとした顔を作った那津に、

鋭いときと鈍いときの差が激しいんだよ、と返しながらおもむろに立ち上がった。

黒い裾を翻し、依然座ったままでいる那津の正面に立つ。

風が吹いてふわりと彼の茶髪が揺れた。



「――約束を、してほしいんだ。」



しばしの沈黙の後、聖悟はそう言った。


「約束?」


那津は再度、疑問符を口にする。

今度は何なのか、と少し笑ってしまったが、彼女を見つめる彼の表情は真剣そのものだ。

すぐに顔をひきしめ、彼の言葉を待った。


「そう、俺と約束してくれるか?」

「…内容によるけど。」


言いながら那津も石段から立ち上がり、聖悟の前に立つ。

対等な位置に立つ両者の間に、また風が吹き抜けた。



「5年後か10年後か分からねぇけど…俺がちゃんと金を稼げるようになって、那津を幸せにする覚悟ができたら、迎えに行く。


その時は…俺と結婚してくれないか。」



男の口がためらいがちに開き…しかし、はっきりとそう言葉を紡ぐと、途端に女は目を見開いた。

―が、それだけだった。

じっと聖悟を見つめているものの、返答も意見も否定もせず、ただ無言を貫く那津。


―そのまま二人は、時が止まったように硬直していた。

他の卒業生や父兄たちのざわめきがやたら遠く聞こえる。行きかう複数の足音すら聞こえない。

完全にお互いのことしか目に入っていなかった。


「……な、那津?」


しばらくして、沈黙に耐えかねたのか、聖悟は彼女の様子を伺うように、そう問いかけた。

流石の彼も、人生初めての真面目なプロポーズをしたことに、かなり緊張している様子だ。

那津の口からどんな言葉が飛び出すのか、と戦々恐々としている。


それに対し、ようやく返された彼女の答えはごくごくシンプルだった。



「いいよ。」



ゆっくりと目をつむり、また開く。

そして那津はその三文字を伝えると、にこりと笑った。


―その瞬間、聖悟は何も考えられなくなった。

彼にしては珍しく、『頭が真っ白になった』のだ。

ようやく我に返った時、那津が半笑いでこちらを見ているのに気付いた。


「何さ、その顔。」


堪え切れないように吹きだす那津。

だが、リアクションをとる余裕のない聖悟は、しどろもどろになりながらまた彼女に尋ねた。


「あ、いや……本当か?」

「本当だよ。」

「…前みたいに冗談で言ってるわけじゃないぞ。本気で、俺と結婚してくれるのか?」

「こっちだって、冗談なんかじゃないって。」


那津は思い出す。

彼と付き合い始めた最初の夜。

泣きながら醜い己のすべてをさらけ出したその日、

何を言っても、どんなに罵っても、

離れることのなかった、この馬鹿な男のことを信じてみようと、『賭け』たのだ。


――それは、二年と半年前に始めた賭けは、まだ継続中だ。

予想以上に長く続いていると思うが―しかし、それがいつ切れるかは分からない。

ひょっとしたら数年後、急に千切れるかもしれない。そんな、男女の危うい縁なのだから。


でも、もしかしたら。

それはずっと繋ぎとめられて、ゆるゆるとこの先の人生も続いて行くのかもしれない。

ずっと、何も考えずに彼の隣にいれるのかもしれない。


―どう転ぶかは分からない。

随分前に『計算』を捨てた自分には、全くの予測不能だ。


でも、最後のゴールくらいは、約束しておいてもいいと思ったから。

彼がそう望むのなら、『賭け』てみてもいいと思ったから。


それだけだ。



「もし、君が…5年後か10年後か分からないけど、私を迎えに来るって時も、

まだ性懲りもなく私を好きだったら…結婚してもいいよ。」



那津は言った。

確かな未来を、彼女は彼との間に約束したのだ。



「…那津!」


それを聞いた瞬間、聖悟は那津の腕を引き寄せた。

ぎゅうっと痛いほど抱きしめ、那津の小さな体を腕の中におさめる。

その顔にはいかにも幸せそうな、歓喜の感情が浮かんでいた。


「ああ…俺、今が人生で一番幸せだ。」

「幸せ、ね。」

「そうだ。…まあでも、これからどんどん『一番幸せ』が更新されていくんだろうけどな。」


ニヤリと笑ってそう断言する聖悟。茶髪の隙間から自信たっぷりな色を宿す瞳が覗く。

成る程、彼らしい発言に那津は苦笑した。


「とか言って、目標が達成できなかったら、カッコ悪いよ?」

「ふん、俺を誰だと思ってるんだ?」


すぐに、証明してやるよ。

そう呟いて那津の額に軽く口づけを落とす。

そして、少し体を離すと、彼女を真っ直ぐに見据えた。



「愛してる、那津。絶対に結婚しような。」

「…面白い。やれるもんなら、やってみなよ。聖悟。」



顔を見合わせ、二人は笑う。

春風がまた彼らの間を走り抜け、祝福するように桜が舞い散る。



幸せな二人の『賭け』は、まだ始まったばかりだった。





次回、最終話です。

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