04
昼食後、私は二階に上がり、聖悟の部屋に足を踏み入れた。
それについて来ようとする霧島涼を聖悟が蹴り落とし(階段上から)、
ドアを荒々しく閉めたのはつい先ほどの出来事。
…あれ、大丈夫かな。俳優なのに青アザついたらまずくない?
そう聖悟に聞いたら、
体鍛えてるから多少は平気。何回もやったことあるし。
という問題発言が飛び出してきた。
…打たれ強い変態とか、ある種最強じゃないか。
思うんだが、ここの親子関係、殺伐とし過ぎてないか?
「…那津。おい、那津!」
ハッと我に返って顔を上げると、聖悟がしかめ面でこちらを見ていた。
あ、また自分の世界に入ってた。この癖はどうも治せないなあ。
「ごめん、何?」
「何って…だからその…」
「ん?」
突然、口ごもる聖悟。
私から顔をそむけ、居心地悪そうに胡坐をかいた足を擦り合わせる。
なんだ、そんな言いにくいこと話してたのか?
「何?」
「……親父の話だよ。」
私が下からじいっと覗いていると、少しの間の後、聖悟はぼそりと答えた。
その仕草は、なんとなくさっきの霧島涼を彷彿させた。
おお、流石は親子。
「霧島涼の?何で?」
「だから…幻滅しただろ?実はあんなんで。」
「んー、別に幻滅するほど『霧島涼』のこと知ってるわけじゃないし。」
「…相変わらず毒舌だな。」
そりゃ、生来、毒舌女ですから。
でも、表に出ている分―まあ、最近は増加しつつあるけど―は、まだマシだけどね。
うなだれる聖悟に、私は苦笑した。
「でもさ、悪い人じゃないっていうのは分かるよ。だって、あんなに一生懸命じゃない。」
―少なくとも、あれほど情熱的な父親を私は見たことがない。それも、息子相手に。
スキンシップ過剰なのは言うまでもなく、聞けば聖悟の学費、家賃、果ては車(例の国産黒色自動車)まで、全部払っているらしい。
あと、月に仕送りがン十万円も届くとか……くそ、うらやましい限りだ。
まあ、愛情はお金だけでは測れないが、本当に全力で愛されているな、というのが感じられた。
…というよりも、否応なく知らされた。
「それに、あの変貌ぶりは面白かった。テレビと全然性格違うじゃん。」
「…まあな。」
「流石、君のお父さんだね。」
「褒め言葉と取っていいのか?」
「勿論。」
言いながら、ニヤリと笑って見せる。
――実際、あの『霧島涼』は嫌いじゃない。
ツンケンしたクールな彼のイメージが私の中でどんどん形を変えていく。
最初はそれに戸惑ったものの、『霧島涼』ではなく『国崎茂彦』としての彼には意外な一面、どころか二面も三面も見られた。
それは良くも悪くも人間らしく…なんだか可愛く思えたのだ。
「よかった。」
すると、聖悟はほっと息をついた。安堵したように体を弛緩させ、ベッドに背をつける。
そして、手を伸ばして私の頭を撫でた。
「…何が?」
「いや、だって那津、盛大に引いてただろ?」
「まあね。」
「…親父のこと、嫌いになったかと思って。」
言いにくそうに、だがしっかりとそう言葉を連ねる聖悟に、私は吹きだした。
「なんだ、聖悟。お父さんのこと好きなんじゃん。」
「…別に、そんなんじゃねぇけど。」
また口ごもる聖悟。
…うーわ、なんだこれ。可愛いぞ、こいつ。
もしやデレ回か?この章。
コレ含めて、改めて見ると彼と聖悟には案外共通点が多いことに驚かされる。
なんだかんだで、仲いいんじゃないか?二人とも。
いや、ホントに。
「はは、素直じゃないなあ、君は。」
「…那津にだけは言われたくない。」
「でも、少なくとも大事には思ってるでしょ?」
「………。」
しばらく、聖悟は黙した。
複雑な心情なのだろう、口をとがらせ不機嫌そうな顔を作る。
だが、やがて静かに口を開き、
「…まあな。あんなのでも父親だからな。」
そう言って、聖悟はふっと照れたように笑った。
そんな彼の顔が眩しくて、私は思わず目を細める。
―愛されている聖悟に、大切に思われている彼の両親。
何もなくとも見えない絆で結ばれているような、温かい雰囲気。
普通の家庭とは、こういったものなんだろうか。
私には、なかったものだからよく分からないけど…
なんというか――すごく、うらやましく思えた。
――
「聖悟の隣に立ちたかったら、私に認めさせてみろ!」
「……は?」
聖悟とぐだぐだ話をして数十分後。
階下に降りた私たちを待ちうけていたのは、仁王立ちの霧島涼だった。
そして、開口一番で言われたのが冒頭の台詞だ。
…全くもって意味が分からない。
「…あの、何の話ですか?」
「決まっているだろう、聖悟との結婚はそう簡単には認めないぞ!」
そのひとことに、目を見開く私。
まだ、話が続いてたのか!?
「今から私の言うことがクリアできれば、正式に交際を認めてやろう!どうだ!」
「………。」
…いや、『どうだ!』って言われても…
色々とツッコミどころ満載デスヨ、お父さん。
その自信ありげなドヤ顔やめてください。
…つーか、本気でテレビの中の人に戻ってほしい。
「ごめん、那津。さっきの一言、訂正していいか?」
「ごめん、私もなかったことにしたい、あの会話。」
私と聖悟は同時に呟いた。
本気で、さっきまでの全てを無に帰したい衝動に駆られる。
…台無しだ。
本当に残念だ、この人。
そんな風に聖悟と私が階段前で棒立ちしていると、雅美さんが影からひょっこり顔を出した。
「ごめんなさいねぇ、那津さん…こうでもしないと、あの人認めてくれないらしくて…」
「原因、母さんかよ!」
「あら、いけない?いいじゃない、予約は早い方がいいわよ。ねえ、那津さん。」
いや、だからこっち振ってくんな、頼むから。
そんなキラキラした目でこっち見んな。肯定はしませんから。
「…那津。挨拶は済んだことだし、もう帰るか?」
聖悟が疲れたようにそう話しかけてくる。私は間を一秒とおかず、こくりと頷いた。
「そうだね、そうしたい――」
「駄目よ!那津さんはウチのお嫁さんになるんだからっ!」
「それは許さん!断じて許さないからな!」
「………。」
ぎゃーぎゃーと喚きながら私の肩を押さえる雅美さんと、聖悟にしがみつく霧島涼。
その凄惨たる光景に、頭の中に『カオス』の文字が浮かぶ。
…もうやだどうしよう、この人たち。
この中から見ると聖悟がマトモに見えるってどんなマジック。
「…分かりました。何をしたらいいんですか。」
―とはいえ、ここは私が何とかしなければ事態は収まらないだろう。
私は大きなため息をついて、仕方なしにそう呟いた。
「料理は中々のものだったが、掃除はどうだ!ずぼらな女性は許さないぞ!」
「あ、リビングは聖悟の許可を取って、貴方がたがいらっしゃる前に掃除機かけて雑巾がけしときました。ワックスもかけましょうか?」
「…裁縫!手先の器用さはすべてにおいて重要――」
「あ、シャツのボタン、とれかかってますね。付けますよ?」
「せ、洗濯はどうだ。干すスピードと手際が必須になる――」
「はい、溜まっていた洗濯物、ベランダに干しておきましたよ。いい天気ですから、シーツも一緒に洗いますか?」
「………。」
その後。次々と出される『テスト』とやらを淡々とこなす。
つーか、何なんだろう、この下らない雑用は。
やるだけ無駄だろう。
家事なら子どもの頃から嫌と言うほどこなしてきたから、
基本的にできないことはないって言ってるのに。
「す、すごい。なんて無駄のない動き…やっぱり私にも指導してほしいわ…」
「やっぱり那津はスペック高いな…ま、知ってたけど。」
―なんて、勝手なことを言っている外野を覗きながら、
私は只今磨き上げた窓ガラスを背に、霧島涼に問いかけた。
「はい、次はなんですか。」
―もう次で終わり、とかにしてほしいものだ。
そろそろネタも尽きてきた頃だろうし。
「……容姿。」
「は?」
俯き、肩を悔しそうに震わせていた霧島涼がぼそりと呟く。
そして、パッと勝ち誇ったように顔を上げた。
「そう、容姿だ!聖悟と並んで遜色のない華のある可愛らしい女性でないと認めることはできないな!」
自信たっぷりの台詞に思わず、ぽかんと口を開けてしまった。
――ようし、って。いや、それは。
「いい加減にしろよ、クソ親父。」
すると、聖悟が私の代弁をするかのように口をはさみ、ギロリと父親を睨みつけた。
「欠点が見当たらないからって何が『容姿』だ。那津は十分可愛いだろうが。」
「いやだ!聖悟に相応しい、見目麗しい女性でないと私は嫌だからな!」
「もういいから死ねよ。葬式くらいは上げてやるから。」
「聖悟、やめて。」
それは本気で冗談になっていない、となんとか聖悟を抑え込む。
獣のように唸った男は、荒々しくソファに腰を下ろし、むっつりと黙りこんだ。
まったく、相変わらず子どもっぽい男だ。
私は何度目かのため息をついた。
――しかし、容姿とは。
私はうーん、と考え込む。
まあ、確かに芸能人の目から見ればさぞかし華のない面だと思う。
地味で陰気な雰囲気漂う、私の容姿には我慢ならなかったのかもしれない。
…だが、流石に顔はなかなか変えられないだろう。私にどうしろって言うんだ。
「…分かった。那津、アレをやってこい。」
―と、ソファの上にふんぞり返っている聖悟が私に命令する。
振り返ると、ニヤリと口角を上げた彼と目が合った。
…あ、嫌な予感。
「え、アレ?」
「ああ。母さん、着替え手伝ってやって。」
「え?なんだかよく分からないけど…いいわよ?」
「え、ちょ、マジで?」
「マジで。いいから行って来い。」
聖悟にぐいぐいと背中を押されて(+雅美さんに腕を引かれ)、リビングから退出させられる。
「な、なんだ、アレって…」
「いいから。…親父、那津のアレを見た後に文句は言わせねぇぞ。」
「だから、アレって何なんだ!?」
そんな霧島涼の叫び声を最後に、私は部屋を後にした。
…あーあ。もう知らないからね、私は。