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脳内計算  作者: 西山ありさ
その後の短編+番外編
118/126

03




しかし、運命の神サマとやらは何とも悪戯好きなもので。

俺とナツを嘲笑いながら引き離す。



自分の気持ちを自覚した次の日も、俺はいつものように公園に向かった。

少々緊張した足取りで歩き、そうっと公園を見渡したが。

そこに、ナツはいなかった。


――なんだ、今日は遅いのか?


無人の滑り台に違和感を覚えつつ、俺はそのまま彼女を待った。

だが、二時間ばかり待ってもナツはとうとう姿を現さなかった。


―おかしい、と思った。

ナツと話すようになってからすでに一カ月近く経っていた。

アイツは、少なくとも平日の夜は、ずっとあそこにいたはずなのに――


なにか、あったんじゃないだろうか?

まさか、もう来ない、なんてことは……


絶望的な予感が頭をよぎる。

強い疑問に後ろ髪を引かれながらも、

今日はたまたまこなかっただけだろう、とその日は自分を納得させ、家に帰った。


が。

――嫌な予感は当たるものだ。

次の日も、その次の日も、一週間たっても。

ナツは一度も姿を現さなかった。


はあ、とため息をつく。

近頃じゃ、俺が公園に通っているようなものだ。…アイツに会うために。

正直言って、参っていた。

家族には『なんで早く帰ってこないんだ』とどやされるし、胸の中にもやもやは溜まっていく一方だし。


しかも、俺は。

決定的にナツのことを知らなかった。


ナツ、小学校6年生、もうすぐ12歳になる女の子。

知っている情報はこれだけだ。

家は?学校は?家族は?

問われたって何も分からない。そもそも『ナツ』という漢字をどう書くのかすら知らない。

俺は、自分の不甲斐なさに苛ついた。


あれだけ毎日話していたっていうのに、何も聞きださなかった俺を責めたい。

そもそも、元々会う約束すらしていなかった。

俺は、ナツはいつも公園の、あの滑り台の上に座っていると勝手に思い込んで…ただその優しい空間に浸っていただけだった。


「何処に行ったんだよ…」


机に突っ伏し、唇をかむ。


―会いたい。

会って話したいことがある。

とにかく、お前に会いたいんだ、ナツ。



******************



それから、一年と半年の月日が流れた。

相変わらず、ナツが公園に現れることはなかった。

引っ越したのか、単にこられなくなっただけか。事情は分からないが、あの日から忽然と姿を消してしまった。


――そして、その間。俺自身にも大きな出来事があった。


母親が亡くなったのだ。


相手の飲酒運転による、交通事故。

母はそれに巻き込まれた歩行者で、即死だった。

中学生の俺にとって母親の死は受け止めがたい現実で。

急に執り行われた葬儀、小さくなってしまった母の体。

すべてが他人事のように思えた。


葬儀後しばらくは、ぼうっとして何も手がつかなくなった。

時間とともにだいぶその状況から回復したものの、俺はいつも以上の喪失感に苛まされた。

そして、荒れた。


少ししたことで苛立ち、暴力を奮ってしまう。感情が抑えきれない。

同じく胸に穴があいたようにぼうっとする父親にも手を出してしまうことがあった。

それが情けなくて、俺は父を避けるようになった。

見るからに危なそうな、ヤバイ連中とつるみ、夜も家に帰らなくなった。


――もう、俺はダメなんだろう。

そう感じることが常となった。


きっと、このすさんだ心はどうにもならない。

誰にも改善させることなんてできやしないだろう。

このまま不良として無意味な日々を送って死ぬ。そうとしか考えられなかった。



――それでも、俺はまだナツを覚えていた。

忘れられなかった。

ぼーっと煙草を吸っている時、敵対している連中とケンカしてる時、適当に女と遊んでいる時……ふとした瞬間にあの寂しそうな笑顔が浮かんでくる。


短くない年月が過ぎ、あの頃とは180度違う人間になっても。

俺はやっぱりナツが好きなままだった。


ナツがいればすこしは違った『俺』になったのかな、とまで思うことすらあった。

もうあの公園には足を運んでいないが、また滑り台の上のナツに会って話すことができたら、と。

だが、彼女を探そうとは思わない。

探す宛てもないし、時間の無駄だ。

ガキの頃の淡い想いなんて、さらに時間が経てば薄れていくだろうと踏んでいた。


でも、もし。

もしお前にもう一度会えたなら、その時は―――



―――

――



「唯月、話がある。」


ある日、父親にそう切りだされた。

珍しいこともあるもんだ、と俺は金髪頭をがしがし掻きながら振り返る。


「―何。」

「父さん、再婚しようと思うんだ。」

「………。」


――衝撃、といえば衝撃だった。

母さんが死んでから一年少し。

再婚のタイミングとしては早いのか遅いのかよく分からなかったが、その選択はないだろうと勝手に思っていたから。

だが、やはり父も寂しかったのだろう。

俺と同じように夜の街に繰り出す父の姿を何度か見かけたこともあった。


「…いいんじゃねぇの、別に。」


最終的に、俺はそう言った。

それを聞いて、父はそうか、とだけ呟いた。

その表情に安堵の色がにじんでいたのを俺は見た。


――別にいい。父さんの選んだ相手なら。

そう思ったのは事実だ。父は父の好きなようにやればいい。

ただし俺には関係ない、ってだけで。


俺はハッと自嘲するように笑った。


取り返しのつかないくらい荒れ果てた心は最早修復不可能だ。戻すつもりもない。

新しい家族が出来たところで、関わるつもりはなかった。

聞けば再婚したいという女には中学生になる娘がいると言う。

向こうもバツイチか未亡人かってコトのようだ。

つまり、再婚によって俺には義母と義妹ができるということ。


しかし、仲良くする気はさらさらなかった。

向こうもどうせこの外見の俺に進んで近づこうとなんて思わないだろうし、俺は俺で今まで通りやっていければそれでいい。

勝手にしてくれ。


――そこまで考えて、俺はあくびをした。

何にせよ俺の日常が崩されることはないと、気軽に考えていたから。



――



そして、話はトントン拍子に進み、顔合わせ――というか、初めて自宅にその相手が来ることとなった。

父親はその日、朝からそわそわと何やら準備をしていた。


「…何、緊張してんだよ。」

「す、するに決まってるだろう!…お前がいいと言ってくれるかどうか分からないし。」

「だから、俺は父さんがいーならいーって。」

「本当か?娘さんもいらっしゃるそうだが…」

「別に、どうでもいい。」


ふん、と鼻を鳴らしてソファに座りこむ俺。

再婚(予定)相手がどんな人なのか、気にならないと言ったら嘘になるが、はっきり言ってそこまで興味はない。

来るなら来るでいいから、早く終わらねぇかな、と思っていた。


その内に、ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴らされた。



「はじめまして。東野 美香子(トウノ ミカコ)です。」



――紹介された女性は、愛想のよい笑顔で俺を迎えた。

顔立ちは整っているし、優しそうな雰囲気には好感がもてる。

俺も立ち上がって軽く会釈を返した。


「本日はお招きいただきまして…」

「いえいえ、こちらこそ……」


繰り広げられる男女の会話を聞き流し、退屈にまかせてあくびをかみ殺す俺。

―やっぱり興味ねぇや。もういいから、早く帰らねぇかな。

そう考えながら腕を組んで黙っていると、ドアの向こうにもう一人いるのに気がついた。

それに気付いた女性は俺に笑顔を返す。


「ああ、そう。今日は娘も連れてきましたの。ほら、入りなさい。」


言うと同時にガチャ、とドアが開かれる。


何気なくそちらに顔を向けそして――

――現れた人物を目にした途端、俺は目を見開いて固まった。



「――東野 那津、です。こんにちは。」



そう言ってぺこりと頭を下げた小さな女の子には、見覚えがあり過ぎた。

小さく、細い体躯、大きな目を隠す黒縁眼鏡、一カ月間、ほぼ毎日聞いていた低めの心地いい声。


俺が探し求めていたあの『ナツ』が、目の前にいた。


「――っな、な……」


ぱくぱくと口を動かすが、言葉にならない。

父さんも女性も俺を怪訝そうに見ていたが、全く気にならなかった。

ただただナツを見つめ続ける。


――とにかく、信じられなかった。

目の前の『奇跡』が。


「お、おい唯月…?どうしたんだ?」


父さんの困惑しきった声。

二度も三度も少女の顔を確認し、やはりそうだ、と確信した瞬間。


「父さん!再婚しろ、今すぐ!!」

「…は?」


俺は歓喜の声をあげた。





*************



「もしもし、那津?」

『あ、兄ちゃん?どうしたの?』


電話口から聞こえる、我が妹の声。

あれから7年ほど経つのに、少しハスキーな耳をくすぐる声は変わらない。

那津はあの時から変わらず…いや、昔よりもっと、いい女だ。


俺はビール片手に、ふっと息をもらした。


「いや、まあ大した用でもねぇんだが…俺が出した荷物、届いたか?」

『届いたよ!いつもありがとうね。』

「で、見た?」

『?…何を?』

「プレゼントだよ。」


そう言うと、那津は黙った。

そして電話の向こうから何やらごそごそと物音が聞こえてくる。


『ああ!うん、見た見た!』

「…今、確認しただろ。」

『…はは。バレましたか。』


楽しそうに笑う那津の声が耳に届く。

仲のよい兄と妹。昔から全く変わらない位置関係だ。

…そう、『昔から変わらない』のだ。

俺は、那津に気付かれないようそっと息をついた。



那津との再会後、何もしていなかったというわけではない。

ことあるごとに露骨に那津にアピールしたし、実際に『好きだ』と言ってみたこともある。

―明らかに『兄妹』以上を望んでいる、と。


だが、兄妹という壁は思った以上に厚く、大きな障害として俺の前に立ちはだかった。

那津は、最初から最後まで俺を『兄』と扱い、態度が変わることはなかったのだ。

何を言っても冗談だ、と笑い飛ばし、全く相手にしない。

生来鈍いということもあるが、それはある種意図的にしているようにも思えた。


俺以外の人間に対しても変わらず、いつも一定の距離を置き、誰も立ち寄らせないようにしていた。

そりゃあ、家族の中では俺は彼女に一番近い人物で、信頼もされていたと思う。

だが、それだけだった。


何年かかっても、俺には那津の心の扉を開けなかった。



――でも、あいつには、できたんだよな。


瞬時にあのムカつく茶髪男のことを思い出す。

国崎聖悟。

どこからどう見ても、否の打ちどころのない色男。

奴が那津の彼氏として紹介された時は怒りで気が狂うかと思った。

誰よりも近い存在である俺を差し置いて、那津の内側にまんまと入りこんだのだ、奴は。

見るからに自信満々なその男に、俺は最初からブチ切れ寸前だった。


――そんなことが、許せるわけがない。

俺は奴とサシで話し合った。

半端な気持ちなら捨てろ、那津の前から消えろ、と脅しのように繰り返したが、しかし。

奴には全く効果がなく。

…それどころか、嘲笑うように説教までしくさった。


その時、俺は負けた、と思った。

国崎聖悟という男は、確かにいい男だ。賢く、行動力があり、ツラもいい。

だがそれだけではない。


――ヤツは誰よりも那津のことを想っていたのだ。


しかもついこの間は、実家にまで押し掛け、

例の最悪な女と那津との長年のしがらみすら解いてしまった。


数年かけても全く関係を動かすことができなかった俺とは雲泥の差。

しかも、那津の方もあいつを必要としてる、とくれば。


……これはもう、負けを認めるしかないではないか。



『兄ちゃん?どうしたの?』

「ああ、すまん。ちょっと考え事だ。」



無言が長い間続いたのを怪訝に思ったらしい。那津が少し大きめの声をあげる。

俺はハッと我に返り、返事を返した。


――まあ、でも。


俺はまた口を開く。



「なあ、那津。」

『何?』

「俺は、お前の『兄』だ。」

『…?うん。』

「で、お前は『妹』だ。」

『……うん、そうだね?』

「俺たちはずっと兄妹だよな。」

『そうだけど……え?』

「俺が言いたいのは、そういうことだ。」

『え?だから何なの!?』



意味が分からない、といった風に叫ぶ那津。

俺はいいんだよ、分からなくて、と笑った。


――那津の傍に、ずっと寄り添える関係には到達できなかった。

それでも、『那津の兄』という立場は俺だけのモノだ。

那津を妹として愛で、見守る。

これは俺だけに許されたこと。


だから。



「誕生日、おめでとう。那津。」



――いつまでもずっと、お前の『兄』として、お前を愛そう。


俺は祈るように瞳を閉じた。




END






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