04
―――
――
翌日、そしてその翌日も。
那津の母親と俺は、大体の時間を一緒に過ごした。
たわいのない世間話の相手から、買い物、畑の手伝い。色々なことに付き合わされた。
何故たかが居候、しかも他人の俺がこんなことをしているのか?というと、他でもない。彼女がそう望んだからだ。
『私、聖悟君ともっとお話ししたいわ。』といった具合に、彼女は俺相手に笑顔を振りまいた。
本当に、分かりやすいくらいの気に入られようだった。
「聖悟君?」
「あ、はい。」
「もう、私の話、聞いてた?」
「すみません、ぼーっとしてました。」
――そして、今現在も、進行中。
ようやく涼しい風が吹き込む午後三時。
ティーカップ片手に俺の隣を陣取る女は、不満げに頬を膨らませた。
「ちょっとぉ、ちゃんと聞いててよねー」
女性は俺を上目づかいに見上げ、若干高めに設定された声で言う。
おいおい、年齢考えろよ……
那津という大きな娘がいることから考えて、おそらく彼女は40代半ばくらいだろう。そのいいトシしたオバサンが顔を赤らめ、目をうるめ…って。
現役大学生バリの『技』に、俺は心中、盛大に引いていた。
実際は、相変わらずの偽笑顔を貼りつけていたが。
「いや、すみません。おばさん。」
「私のことは美香子さん、でいいわよー。おばさん、なんて他人行儀じゃない。」
「はい、美香子さん。」
「そうそう!きゃー、なんかこれはこれで照れるわね!聖悟君、いい声してるから。で、さっきの話なんだけどー……」
再び、話し出す妙齢の女性。
…なんだ、この拷問。
そろそろ那津に会って癒されたいところだが、このおばさん、話し出したら中々止まらない。
その癖、内容はない。良くも悪くも模範的な『オバサン』の特徴だ。
必要最低限しか話さない那津とは、これまた正反対だ、と思った。
女性特有の高い音が、天井の高い居間の中、響く。
この家には今、俺と彼女以外誰もいなかった。
本城唯月は仕事関係の用事で外出、駿介は友達の家に遊びに行っている。父親は接待ゴルフだと言う。
そして――那津は、数十分前に家を出て行った。
今晩の夕飯の材料で、買い忘れたものを買いに行ったらしい。
買い物袋片手に、玄関先で手を振るのを見た。
――だが。
それは、この人の『嘘』だろう、と俺は気付いていた。
お使いを頼んだ彼女の口がいやらしく笑っていたのを見たからだ。
そして、おそらく――
「あのね、聖悟くん。」
考察中の俺にそう声がかかる。先程までのように声色に甘さが無い。
俺は振り返った。
「何ですか?」
「あの…突然こんなこと、言うのもなんなんだけど…」
「…何ですか。」
「あの子と、別れてくれないかしら。」
夏風がカーテンを揺らす。
言葉を発した女は特に表情を変えず、普通の調子だった。
俺は一瞬息をのみこみ、しかしまた口を開いた。
「何で、ですか?」
「貴方だったらもっと…その、可愛い子とかいるじゃない?何で態々うちの子と付き合ったりするの?明らかに釣り合ってないのに。」
「………。」
「ただの遊びのつもりだったら、別れてほしいの。あの子が傷つくわ。」
本城美香子は、真剣な顔でそう言い切る。外面は、娘を心配する母親そのものだ。
しかし、言葉の端々には棘が光っている。
他にも、那津を貶め、なじるような態度。ギラリとした、欲にまみれた目。俺からしてみれば、バレバレの演技。
すべてが那津を否定し、妬んでいる証拠。
それに俺が気付いていないとでも、思っているのだろうか?
あーあ。まったく。
――笑えるくらい予想通りの女だ。
「それは、実体験ですか?」
「え?」
そろそろ、こんな下らない茶番は、終わりにしよう。
俺はにい、と笑みを浮かべた。
「外見ばかりいい男に釣られて、騙されたのは貴女の方なんでしょう?だからですか?」
「…何を言っているのかしら。私はただ、あの子が心配で……」
「それだけなら美談ですけどね。…貴女の場合、そうではないんでしょう?」
「…な……」
女は、俺の様子が今までとは違うのに気付き、うろたえているようだった。
だが、追及を止めるつもりは毛頭ない。これが、元々の目的であったからだ。
下らない世間話にも付き合わされたんだ、こっちの質問にも答えてもらおうじゃないか。
「いつまで、那津を離してやらないつもりですか。」
打って変わって静かになった彼女に、諭すように言う。
途端に面白いくらい表情を変えていく女を、俺は冷めた目で見ていた。
「聖悟、君…?」
「俺、知ってるんですよ。貴女が、あいつに今まで何をしてきたか。」
「―!」
俺は淡々と話した。那津が今までどのような目に遭ってきたか、そして現在もまだ。
呪いのようにつきまとう女に、悩まされていることを。
お前の良心が痛まないのか、実の娘だろう、と鋭く刺すように。
「あいつにだって幸せになる権利がある。…貴女はどうしてあいつの幸せが許せないんですか。」
「………。」
「答えてください、美香子さん。」
「………。」
すると、ふふ、と小さな笑い声が聞こえた。
先程から俯いて、黙ったままの女から洩れる声。
その不快な音に眉をひそめると、女はゆっくりと顔を上げた。
釣り上がった目が細められ、ルージュが三日月型に引っ張られている。
「なるほどねえ……」
――至極、楽しそうな表情だった。
「あの子があなたにそんなデタラメを教えたってわけ?」
「…デタラメ、ですか。」
「そうよ。ねえ、聖悟君。あの子の言うことは信用しないほうがいいわ。ちょっと昔からどこかおかしくてね。妙なことばっかり言う子だったのよ。」
本城美香子は、困ったように笑った。
―ああもう、あの子ったら何も変わってないんだから。
そう呟く声が、まるで皮肉のように聞こえる。
「那津が…嘘をついていたと?」
「そうに決まってるじゃない。何処の世界に娘を憎む母親なんているのよ。あの子の妄想にはホント、呆れるわ。」
「………。」
「でも今度のは、少し度が過ぎてるわね…。ありがとう、話してくれて。後で、私から叱っておくから。」
そう言い残して、自然に腰を上げる彼女。
だが立ち上がろうとするその手を、俺は反射的に掴んでいた。
「待って下さい。」
「…なあに?」
首を傾げる女の耳触りな声に、頭がくらくらする。
―我慢の限界はとっくに過ぎていた。
全部、那津のせいにして、誤魔化して、責任から逃れて。
また、自分は何も悪くないと嘯くのか。
―そんなことは、絶対に許さない。
もとより、話し合いだけでどうにかなるとは思っていない。
この女には、決定的な一撃が必要だ。
―もう二度と、馬鹿な真似などできないように強烈な一打を打ち出してやる。
俺はとっておいた切り札を、するりと場に出した。
「宮野 幸博(ミヤノ ユキヒロ)。」
「――!!!」
――予想通り、本城美香子はかなり驚いたようだった。
目も口も開け、手首がわなわなと震えている。俺は彼女の手を離し、下から覗きこんだ。
「那津の――本当の父親の名前、ですよね?」
「アンタ……いえ、貴方、それを、なんで――」
「まあ、ちょっとした伝手がありまして。調べてもらったんです。」
大変でしたよ、と余裕たっぷりに笑ってみせる。
まあ、実際に調べたのは俺ではないが、情報は確かだったようだ。
動揺を隠せない彼女を横目に、俺は茶封筒を取り出して淡々と続きを話した。
宮野幸博、52歳、既婚者。妻と三人の子供を持ち、現在は商社マンとして会社勤務。
公私ともに充実した生活を送っている――
封筒の中には何枚かのスナップ写真と、情報を連ねた紙が入っていた。
机のうえにぶちまけてやると、彼女は唖然とした表情でそれを見ていた。
「聞けば、大きな会社の令息で、近々親の会社を継ぐ方だとか。スゴイですよね。」
ちらりと、彼女の顔を覗く。
先程の余裕は影も形もなくなって、ついでに顔色をもなくしていた。
俺はにやりと口をゆがめた。
「――そんな人の愛人だったなんて、ね。」
台詞とは裏腹に、無感動な口ぶりで言う。女の体がびくりと震えた。
―消し去ったはずの過去が、突然女を追いかけてきたのだ。
それも、俺という赤の他人の手によって。それはそれは、驚くだろう。
俺は無表情で資料から女へと目を移した。
「結局、あちら側には那津の存在は伝えなかったんですね。公表してやる手もあったのに、何故ですか?養育費も貰えたでしょうに。…ああでもどっちにしろ、揉み消されたでしょうね、相手が相手ですし。」
「………。」
「まったく、馬鹿なことをしたもんですね。恋は盲目ってやつですか?俺は、あんまりお手本にしたくはありませんが。」
「…アンタ…一体、何がしたいの?」
そこで、彼女はやっと口を開いた。
強い眼差しで俺を睨んでいるが、声に力が無い。
相当の衝撃をうけたようだ―それが証拠に、隠していたはずの本性すら、姿を見せ始めていた。
俺はふっと息をもらし、
「那津を傷つけた貴女を、許せないだけです。」
そう、きっぱりと主張した。
――はっきり言って、那津の父親だの、目の前の女の悲惨な過去だのに興味はない。
どうでもいい。俺には関係のない話だ。
…ただ、那津が昔、傷つけられたのと同じくらい、痛めつけてやりたいだけ。
そのために、必要なカードを切ったまでだ。
俺は立ち上がり、強い意志を持って彼女を睨みつけた。