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脳内計算  作者: 西山ありさ
その後の短編+番外編
108/126

04


――――

―――



*natsu side*




「はあ……」


ふらふらとあてもなく歩いていた私は、

広場の横…バス停のベンチに腰を下ろし、深いため息をついた。

――また、逃げてきてしまった。

という悔恨と自分への怒りで頭がごちゃごちゃしている。

しかも、せっかく心配して兄ちゃんが来てくれたのに、すごい失礼なことを言ってしまった…

…やっぱり最低だ、私。

太陽のまぶしさに目を細めながら、ずーんと落ち込んでいった。

―私の性格を知っているからか、兄は追ってこない。頭が冷えるのを待ってくれているのだろう。

こういう優しい所は数年前と全然変わらない。だからこそ、さらに申し訳なく思った。


「実家に帰れ、ねえ……」


しばらくぼうっと思考していたが、思い出したかのように彼が持ち出してきたそもそもの問題をぽつりと呟いてみた。

しかし、言葉は全く現実味を帯びない。帰りたい、という気持ちがないのだ。

どれだけ家族に関して無関心なのだろう、私は。

―まあ、大きくなった弟とか父さんには会いたいし、心配かけてるなあとは思うけど。

それでも、私は――


「無理。やっぱり無理。」

「―何が無理?」



突然かけられた声に、私はびっくりして顔を上げた。

見ると見知った男――聖悟が私を覗きこんでいる。いつぞやと同じような登場シーンだ。

…なんだ、気配がないのか、こいつは。

『近くにいてよかった、すぐ見つかった』と笑う彼に、私は憮然とした態度を取る。


「…何でもない。」

「そ?で、帰らないのか?」

「もう帰るよ。頭も冷えたし。」

「…お兄さんが言った通りだな。」


そう言うと、聖悟は少し不服そうに唇を尖らせた。

何でだろう。

首を傾げたが、今度は聖悟の方が顔を逸らし、何でもない、と呟いた。


「ほら、じゃあ帰るか。」

「うん。」


―気持ちは落ち着いたし、もういいや。兄ちゃんにも謝らないといけないし。

私は聖悟に手を引かれ、ベンチから腰を上げた。




―二人で手をつなぎ、家に戻る帰り道。

私は聖悟としゃべりながら道を歩く。話題はもっぱら私の兄についてだ。


「お前がいない間、お兄さんとちょっと話してた。」

「へえ、そうなの。兄ちゃん、見た目はちょっと怖いけどいい男でしょ?」

「ああ、でも…ムカつく男だった。」

「何それ。」


ムカつくて。

聖悟の言いように思わず噴き出したが、彼は本気で言っているらしい。

眉間にしわを寄せ、なんだかイライラしているみたいに見える。

―マジで何の話したんだよ、兄ちゃんと。

唇を尖らせ目の前を睨んでいる聖悟に、また笑いがこぼれた。


「―で、結局どうすんだ。実家、帰るんだろ?」


―笑いが、ぴたりとおさまる。突然の発言に脳が停止してしまった。

いや、予想はしていたが対応ができなかった、と言った方が正しいか。

―とにかく、ふいにそう話しかけられ、私は表情と一緒に足まで止めてしまった。


「…那津?」

「………。」


私の様子がおかしいと思ったのか、彼は首を傾けてこちらを覗きこむ。

しかし、言う言葉の見当たらない私は黙ったまま俯く。


「…やっぱり、帰らないといけないかな。」


…結局、不自然の間の後に飛び出してきたのはそんな台詞だった。


「そりゃ、普通はな。普段傍に居ないんだから、休みの時くらい親に顔くらい見せにいくもんだろ。」


聖悟は一瞬眉をひそめたが、すぐに何でもないような風な顔をして答える。

―そんなことは当たり前だろう、と。


実家。両親の庇護下に置かれていたころ、住んでいた場所。

大学生にとっては当然帰るべき場所で、そこに居るだけで親に甘えられるし、安心できる。

――…でもねぇ。


「…うーん。」

「なんだ、帰りたくない理由でもあるのか?…あの、金銭的な問題以外で。」

「や、別に……」

「あるんだな?」

「え、えと。」

「吐け。」


―な、なんでそんな断定口調ナンデスカ、聖悟さん!

怖い怖い、そんなにじり寄ってこないで頼むから!

しかも『吐け』だなんて、どこの刑事さんなの、君は!

さっと顔色を変えた私は彼から離れようとするが、ぎゅっと握られた手に握力をかけられ、逃げられない。

たらーりと一筋の汗が額をつたった。


「ああ、…うーんと、」


どうにか切り抜けようと言葉を探し、目を泳がせる私。

…どうしたものか。このことは兄ちゃんにも話してないし…っていうか誰かに話す予定はなかった。

もっと言えば、私自身も―それを忘れたかったのだ。


「誤魔化したり、嘘ついたら…」

「わ、分かってるって!言う、言う!!」


―しかし。そう、この男は『待つ』ってことを知らない。

犬以下かよ、オイ!?

と脳内でツッコミを入れながら

いつもの癖で(これが癖になっちゃったってのもどうかと思うけど)、私は慌てて彼に向かって噛みついた。

途端、ニヤリと満足げに笑う聖悟。

…く、『狙い通り』みたいな顔しやがって。やっぱムカつく。マジムカつく、コイツ。

悔しかったので、女とは思えない酷い顔で、盛大に舌打ちをしてやった。


「ほら、言えよ。」


全く、効かなかったけどね!ああ畜生。


「――那津?」

「…い、いい言うってば。…帰らないのは…まあ、金銭的な問題…もあるけど……」

「けど?」


―う、言いにくい。

言葉の先を続けたくないが、せかすように睨む男から、逃れられないことを私は知っている。

隣の男とばっちり目が合い…いや、逸らしても合わせられ、さらに逃げ道を失った。

――うう。ああ、もう。


「……帰ってくるなって、言われてるからさあ。」

「は?」

「あの人に、言われてるから。」


ついに観念し――努めて軽く言ったつもりだったが、やっぱり駄目だった。

無機質な色を瞳に宿した私が、聖悟の瞳に映っていた。




―もう、帰ってこなくていいわよ。

あの人は何気なく言った言葉だったのだろう。しかし、それは私にとっては『命令』だった。

その時は何も言わずに頷いたが――それは私も正しく望んだことだ。

計算機をまわして愛想笑い、他人に合わせて言葉を選んで――その度に心が軋んでいくのを感じていた。


もう、嫌だったのだ。

家でも外でも、違う自分を演じて、笑って。

大丈夫、いつもいい子でやってますよなんて。


一人でいたかった。

誰にも何も言われない、空っぽの『本城那津』が欲しかった。

それこそが、私の望んだ『自由』だったから。

だから―とにかく実家から―あの人から離れたくて、わざと遠い大学を受験した。

高校時の担任や義父にも『あそこの大学じゃなきゃダメだ』と何かと理由を付けた。

そして、奇跡的に認められた『自由』。

千載一遇のチャンス。

逃す手はない。

そのためにどんな条件がつけられようと、私は飲むつもりでいたんだ。


だから――別に、帰る場所なんかいらなかった。なくて、よかった。

今まで、望みもしなかったのに。



私は唇をかみしめた。隣の男の顔が見れない。

繋いだ手の温もりを感じながらも、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

――聖悟は、私を変えてくれるのだと言った。闇から救い出し、私に全てを与えてくれるんだと。

…でも、悪いけど―やっぱり、私は多分、変わらないと思う。

誰よりも、変わることを恐れているのだから――



「…ふん、やっぱクソみたいな母親だな。」

「……?」


―すると、俯いた私の上に彼の声が降ってくる。

私にはそれは聞こえなかったが、見上げた彼のカオは苦々しげに歪んでいた。

そして。


「―いい。なら、俺も行く。」

「…え?」


あっけなく放たれた言葉に、私は思わず目を丸くする。

ぽかん、と無様に口まで開いた。


「決めた。俺も那津の家に行くから。」

「はぁ!?」


―どうやら、先程のは聞き違いではなかったらしい。

うん、と一人頷いた聖悟は手を打った。


「はい決定。そうと決まれば日程合わせないとな。お前、いつ空いてる?」

「っちょっと、待ってよ!何で聖悟が私ん家来るわけ!?」

「ん、未来の家族に顔を見せに行くのも悪くないだろ?」

「へ!?」

「ってのは冗談で。」

「はっ!?」


声を上げ、混乱を分かりやすく表現してみせる私。

ごめん、ちょっと展開についていけない。何がどうしてそんな結論に陥ったかな、君は!


私は、さらに問い詰めようと口を開いた―

―が、次の彼のひとことで、ぴしっと心臓が凍りついた。



「…お前の母親に会いに、な。」

「―!」



一瞬で、固まった脳、身体、表情。同時に何も考えられなくなった。

いつの間にか立ち止まってた彼は、私を鋭い眼差しで射抜く。

はりつめた無音の空間が場を支配した。


―あの人に、会う。あの人に、聖悟が?

何で。

そんなの……嘘だ。



「…誰が、そんなこと頼んだの。」



低く、冷たい声。目つきの悪さも手伝って、今、かなり凶悪な顔になっていることだろう。

私は目の前の男を睨みつけた。


「那津。」

「兄ちゃんなの?兄ちゃんに何か言われたから?」

「違う。俺は――」

「うるさい!」


強引に手を離し、私は男を突き飛ばした。大きな声を上げ、怒鳴る。

ここがまだ街道の真ん中だ、公共の場だ、なんてことはすでに意識の外にあった。

頭に血が上り、沸騰する。

錯乱、錯乱。

意味ガ分カラナイ。

――やめて。


「放っといてよ!私はそんなこと望んでない!」

「……。」

「何もしてくれなくていいって言ってるでしょ!私は――」

「那津。」


何その冷静な声。ムカツク。

私に何をしようって言うの、君は。

諭すの?なだめるの?

…そんなの、いらない。

私は、変わりたくない!

焦点の定まらない目をぐるぐる動かし、感情のまま手を振り上げる私。


「――っ、」


―瞬間。

その手が捕まった、と思えば身体の左右に腕がのび、そのまま思いっきり抱きしめられた。

密着する男と私の身体。ドクン、と心臓が高鳴った。


「せい――」


今度は額に唇が落ちる。次に、こめかみ、頬。なぐさめるように繰り返されるキス。

―しばらくそれが続けられた後、彼はぽつりとこぼした。


「…大丈夫か、那津。」

「……。」


『落ち着いたか』、と頭を優しく撫でられ、背中をぽんぽんと叩かれる。

…まるで小さな子をあやすみたいだ。

―いい歳した大人なのに…恥ずかしい。

彼の言葉通り、少し冷静になった私は羞恥で赤くなった顔でこくりと頷いた。


「でも、さっきの話は、本気だからな。」

「―!」


―ちょっと、何それ。

耳に言葉が届くと同時に顔を上げ、至近距離にある聖悟の顔をキッと睨んだ。


「いいっ!試験終わったらちゃんと帰るし、聖悟には関係ない!」

「関係ないことない。」

「大丈夫だってば!ちゃんと兄ちゃんとも話すから。心配ない――「…那津。」


感情的になりかけていた私を静かに遮る聖悟。

彼の両腕がぐっと胴体に絡まり、さらに密着した。

距離は、ゼロ。

お互いの顔が瞳にしっかりと映っていた。


「ごめん。俺さ、多分お前の都合なんてどうでもいいんだ。」

「―っ!」

「お前が傷つけられるのを、黙って見ていられないだけ。」


男らしい口調でそう言い切り、男は抱きしめる力を強くする。



「―俺が助けてやる。だから、もう逃げるなよ、那津。」



――全部、なんとかしてやるから。

そう呟いて、頬を伝う熱いものが優しくぬぐわれた。

…いつの間にか、私は泣いていたらしい。

そんなことすら気付かなかった。瞳から零れる滴が後から後から流れ落ちる。


網膜は優しく微笑む聖悟を映し出し、正確に脳内に情報を送る。

それがもう、まぶしすぎて―私は目をつぶって現実逃避をしたいような、そんな衝動にかられた。


―ずるい。君は、ずるい。

いつだってそうだ。

その声に、存在に。君と言う光に透かされるといつも。

――私はどれだけ絶望的な色の中にいても、あさましくも希望を見てしまうんだ。


「………。」


ぼやける視界にとっくに停止している脳。

何がなんだかもう分からずに――気付けば私はぎゅっと彼の服を握りしめ、ただ頷いていた。





END


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