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脳内計算  作者: 西山ありさ
その後の短編+番外編
107/126

03





「――は?」


途端にぐっと眉間にしわを寄せた男は俺をさらに厳しい目つきで睨みつけ。


「別れろ。」

「いきなりそれですか。」


スッパリと言われた言葉を即座に切り返す。

まあでも、これは予想の範囲内だ。最初からこの人に歓迎されてないな、とは思ってたし。

俺は笑みを貼りつけながら『嫌です』と答えた。


「別れろ。」

「だから嫌ですって。お兄さん、シスコンも大概にしといたほうがいいと思いますよ?」

「誰がシスコンだ。俺はあいつを妹だと思ったことはない。」

「……は?那津は、貴方の妹でしょう?」

「再婚相手の連れ子同士だ。血はつながってない。」

「…え。」


ついでのように言われた告白に、俺は目を丸くした。


―ああ、でも。

そういえば以前に那津から聞いたことがある。

那津が中学生の時に母親が再婚し、義理の父と兄が出来たと。数年前に弟も生まれたと言ってたか。


その義兄が、この本城唯月という男。

そして…血がつながってない=他人ってことか。


「でも、だからって――」


言いながら何か嫌な予感がした。

言いかけた言葉を中途半端に切ったところで信じられないようなひとつの仮定が浮かび、俺はハッと目を見開く。


――え、でも。まさかそんなことは……


すぐにそんな下らない想定を打ち消し、口を閉じ彼の返答を待つ。

だが、



「俺は、あいつが好きだ。…もちろん、一人の女として。」

「………。」



ソレは、奇しくも見事に的中してしまった。




「…は?」


今度は俺の方が眉を吊り上げ、眉間にしわを寄せた。

いや、マジかこれ。

こいつも妹萌えか?なんだ、流行ってんのか最近?


「何ですか、それ。昼ドラ的なやつですか。わざわざ妹に恋愛感情もつとか。」

「んだと?義理の妹なんだから関係ねぇだろ。」

「結婚できる、とかそういう問題じゃないでしょ。…大体、那津は貴方をそういう対象として見てるんですか?」


あの、鈍感なあいつが。


「………。」


俺が放ったひとことはだいぶ痛い所をついたらしい。男は一瞬で黙ってしまった。

…やはりな。


「兄ではなく一人の男として那津が好き?それで俺たちを別れさせようって?男として見られてもいないのにそんなこと、傲慢過ぎませんか?」


ハッと鼻で笑い、見下すように言ってやった。


―分かった。どうやら俺の直観は間違っていなかったらしい。

目の前にいるのは那津の兄じゃなく、ただの那津狙いの男。

つまり――敵だ。

まあ、元々気に食わない相手だと思っていたから逆に楽だ。俺は早々に態度を改めた。


本城唯月はチッと舌を打ち、荒々しく机に頬杖をつく。

コップに注がれた液体の水面を揺らした。


「…おい、色男。お前なら何もしなくても女が湧いて来るだろ。那津である必要はない。」

「俺は那津じゃなきゃダメなんです。お兄さんこそ、お相手はたくさんいるんじゃないですか?」

「…お前なんか、たかが数カ月一緒にいたくらいだろ。俺はもう七年だ。」

「期間なんて関係ないでしょう。何を言われても那津は絶対渡しません。」

「…っこの野郎。」

「なんですか?」


段々と口調が荒くなっていく俺と…本城唯月。

彼のその、暗く怒気を孕んだオーラがまた恐怖を生むが、退く気は一ミリもない。

得意の外向きスマイルを顔面に張り付けた。


――つーか狙ってる男、いたじゃねぇか、こんなに近くに。

しかも手強そうな奴が。

那津の鈍感――いやむしろ無神経、の域に達する無頓着さに呆れてしまった。



俺はすっかり氷の溶けた麦茶をすすり、ちらりと歯ぎしりする男を見た。

改めて見るとやはり意志の強そうな強面…だが切れ長の目や整った輪郭は女性には好意的に取られるだろう。

黒い短髪、スーツがバッチリきまっていて、なんというか大人の男っぽい。

改めて見ると本城唯月は、容姿は『イケメン』の部類に入るだろう、いい男だった。

…『色男』?そっちもいい勝負ではないか。


「…ああ?何見てんだよ。」

「いえ、別に。」


―まあ、容姿は、だが。


―その後も本城唯月は時折話を脱線させながらも、那津のことは再婚する前から知っていてずっと好きだった、今も気持ちは変わらない、などと戯言をぬかした。


…そう、戯言だ。

だってそうだろう?伝えられない気持ちなんて何の意味もない。

どれだけ想っても、あの馬鹿の心に届くわけがない。

実際、那津は彼の気持ちなど、全く気付かなかったようだ。


まあ、形だけでも二人は兄妹だ。世間体だのなんだので、なかなか素直にソレが伝えられないのかもしれない。

――ま、俺には関係ないことだし…むしろ好都合だけど。


荒ぶる感情のまま吐露する男を冷めた目で傍観していると、男が再度、拳を机に叩き付けた。


「―とにかく、俺はお前を認めない。あいつは、俺が守る。お前の出る幕は――」

「…よく言うな。守れなかったくせに。」

「…何だと?」


ぼそりと言った一人ごとがどうやら聞こえたらしい。ピリ、と空気が張り詰める。

だが――そろそろ、俺も限界だった。


「…那津の母親の話ですよ。」


自分でも驚くほど低い声で、そう呟いた。




「…あの女のことか。」


本城唯月は途端に険しい表情を作る。

苦々しく呟いた様子を見ると、彼もその女の本性を知っているらしい。

だが、俺が口を開く前に顔をもとに戻し、憤然とした態度を取った。


「お前には関係ない。家庭内の問題だ。口を出すことは――」

「……お兄さん」

「テメェにお兄さん、なんて呼ばれる筋合いはない。」

「いいえ、『お兄さん』。」


俺はわざと強調して言ってやった。お前は『那津の兄』だと、確認するように。


「何で、那津は未だにその人にいじめられてるんですか。」

「……。」

「気付いていなかったんですよね?お金のことも、那津が何故帰らないかも。」

「………。」


黙ったままの男を見下す。どうやら図星のようだ。何も言わない彼にもまた、苛立った。



「――何が、守るだ。笑わせるな。」



―あいつは、また傷ついてる。

一人で。

誰にも何も言わず。

それが――俺には許せない。


男の息をのむ音がやたらはっきり聞こえた。



――那津の母親。

親としての義務を放棄し那津をどん底まで陥れた、最低、最悪の女。

心を壊された那津がどれほど孤独だったか。…むしろ、孤独にすがることしかできなかったのに。

事情がなんであれ彼女のやったことは許されたことではない。

俺としては、徹底的に非難して糾弾して、社会的に抹消してやりたい。

しかも、今も――現在進行形で那津を蝕み続けているなんて――


本城唯月だけでない。その事実を知らなかった俺自身も――腹立たしくて仕方がない。

俺はギリ、と唇をかんだ。


「…俺は約束したんです。俺があいつにすべてを与えてやるって。今まで奪われて、失くしてきたもの全て、取り返して埋めてやるって。」

「……お前、」

「でも――まだ奪われているというなら、話は別だ。」



「あいつを傷つける奴は誰だろうと―例え実の母親だろうと、許すつもりはない。那津が許しても、俺は絶対にその女を許さない。」



お兄さんに宣言するように、自分に言い聞かせるように。俺ははっきりとした口調で言い切った。



―言いながら、俺は決意した。

もう遠慮はしない。

今までは那津の内面を優先してずるずると先延ばしにしていたが、これ以上はもう黙ってはいられない。


―最近になって、ようやく『那津自身』の感情が芽生えてきているのに。

根本的な部分が解決できてないのでは意味がないではないか。


あいつの障害になるものは――那津を傷つけるものはすべて、

俺が――徹底的に、つぶしてやる。



俺は目を細めニヤリと、不気味な笑顔を浮かべる。

それは他の人から見れば獰猛な獣のように映ったことだろう。

それが証拠に、本城唯月は俺の顔を覗き、未だ固まったままだった。


いきなり口調と顔つきが変わった男に驚いてるのだろうか、それとも俺の吐いたセリフがひっかかってるんだろうか。

ま、別になんでもいいけど。

俺はふん、と鼻を鳴らし、さらに声をかけた。


「それに…お兄さん、那津にあまり信用されてないんじゃないですか?」

「―っなんだと!!」

「ちょっと、痛いですよ。」


…我に返ってくれたのはいいが。

いきなり胸倉をつかむのはやめてくれ。首が締まる。


「俺はあいつの兄だぞ!しかも数年前まではあいつの一番近くに居た!信頼されてるに決まってるだろ!」


知ってるよ、そんなこと。

てか『家族』とか『ずっと近くに居た』とか持ち出してくるなよ、ムカツクから。

むっとした俺はしかし、圭太朗ばりの胡散臭い笑顔を貼りつける。

感情的な相手には冷静に対応するのが正解だ。それに、このくらいで切れてるようじゃ、話が進まないからな。


「確かに素の態度で接してましたから…心は許しているみたいですね。」

「だろ!?」

「でも肝心な所は踏み込ませなかったのでしょう?那津は。」

「~!」

「ホントに、あいつの扱い方が分かってないですねぇ。」


敵認識した相手だ、容赦はいらない。『お前とは違う』と違いを見せつけるように、俺は男を見下した。



「…じゃあ」


しばらくして、男はぽつり、とこぼす。

俯いていたので表情はうかがえないが、少し声のトーンが下がり、雰囲気が変わったのを感じ取れた。


「じゃあ、どうしてやればよかったんだよ。」

「え?」

「あいつは何も受け取らないし…助けだって求めないっ!俺が、何をしても……」

「………。」


言葉は段々としぼみ、ついには消えた。

唇をぎゅっとかみしめ、うなだれるお兄さんは年相応に幼く見える。


――その様子に、彼がどれほど苦悩してきたかが分かった。

未だ語られていない、那津の幼少期には本当に色々とあったのだろう。

そして、それを知りつつも何もできなかった…那津の義兄、本城唯月。

ただやるせなく見ていることしかできなかった。

それが兄としても男としても、許せなかったのだろう。


「そう、難しいですね、那津の心を開くには。何しろ、年季が入ってますし。」

「…分かるか?」

「そりゃ、俺も相当苦労しましたから。」


――手に入れるために、散々みっともなく追っかけまわしたっけなあ。

…本当に厄介な女だよな、那津は。

男に深く共感する俺。自然に出て来たため息に、苦笑してしまった。


――まあ、でも。



「…でも、最近は、意外と簡単なことだと思いました。」

「―は?」

「人の親切を素直に受け付けないのが那津です。だから強引に与えてやればいいんですよ。」


それは、物ではないし、繋ぎとめる証でもない。形の見えないもの―それが例え、俺の自己満足でも。

国崎聖悟に持てる力、全力で向かえばいいだけだ。

それに気付いたのは、本当につい最近だけれど。


俺は口角を上げ、ふっと笑った。



「――じゃあ、そろそろ那津を迎えに行ってきます。待っててください、『お兄さん』。」


返答も待たず、俺の台詞を反響し考え込んでいるお兄さんを横目に腰を上げる。

まあ、言いたいことは言ったし、那津の行方が気になるところだ。

言い逃げしてしまえ。


そのままさっさと玄関の方に足を向けた。



「――おい待て!俺は、まだ認めてないからなっ!」



お兄さんが部屋の奥の方で吠える。そんな悔し紛れのようなセリフを背に、俺はドアを開けた。






ブラック聖悟再臨。

基本的に那津以外に弱点のない男でした、彼は。(笑)

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