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脳内計算  作者: 西山ありさ
その後の短編+番外編
105/126

兄ちゃん、登場

*seigo side*


※途中で視点変わります



今回の話からは番外編というよりは正統派続編ですかね。

お楽しみいただければ、と思います。






「――那津は、夏休みどうするんだ?」

「ん?何が?」


カーペットの上に胡坐をかき、目の前の彼女に問いかける。

黒縁メガネを反射させながら、那津は顔をあげた。


「だから、もうすぐ前期が終わって夏休みに入るだろ?実家にはいつ帰る?

俺は期末試験終わって一週間後に帰るけど…那津はもっと早いか?」

「ん…いや?」

「じゃあ、いつ?」

「多分……そうだな、お盆かな。」

「…そりゃまた、随分先だな。」

「うち、遠いから。行ったらなかなか帰れないし。」

「そういや、実家どこ?」

「○○県。」

「…本当に遠いな。確かに気軽に行ける距離じゃねぇか。」

「でしょ?交通費がバカにならないんだよ。」


那津はまた視線を戻し、カタカタとキーボードを打つ。

期末試験期間が近づき、レポートの〆切が近いらしい。俺もそうか、と言って自分の参考書を開いた。



「それに、夏休みは稼ぎ時だからね。せいぜいアルバイトに費やすよ。」



そう、どこか他人事のように呟いた彼女の手が、少し手を震えていたことに。


俺は。


―気付いていたはずなのに。








************




ちらちらとカーテンの隙間から洩れる光が顔を照らし、覚醒を促す。

…どうやら、朝が来たようだ。

しかし、まだ寝足りない俺は布団の中で寝がえりをうとうと、目をつむったままもぞもぞ動いた。


「ん……」


―そのとき、自分のすぐそばでうなるような小さな声を聞き、動きを止める。

身体に寄りかかるもう一人の存在、右手と胸にさりげなくかかる心地よい重み。

薄く目を開けると、予想通り見慣れた女の顔が間近に見えた。

―本城那津、俺の彼女だ。


くたりと身体を俺に預けて心地よさそうに寝息を立てている。

そういえば昨日は那津の家に泊ったんだっけと思い返しながら、そのまま頬杖をつき彼女を観察することにする。


眼鏡を取りあどけない寝顔を見せる彼女はやはり、いつもよりだいぶ幼く見える。

無防備に半開きになっている口はなんとも美味しそうで―――

――おっと、いけない。

朝から盛ったらまた怒られてしまう。

つい先日のことを思い出し、苦笑しながらその長い黒髪をさらりと撫でた。


すると、目の前の黒目がちの瞳がゆっくりと開き、自分の顔が映る。

那津はぼんやりと目を瞬かせ、俺の存在を認めると口を開いた。


「……せいご?」

「ん。起きるか?」

「もうちょっと……」

「そうか。」


髪を撫ぜ、おやすみとチュッと額にキスを落とすと、また目を閉じ夢の世界に逆戻りする彼女。

那津は低血圧だから、朝はいつもこんな調子だ。

しかしいつもとは違う寝ぼけ交じりの拙い台詞とか、大人しく力を抜いて抱きしめられているところとかが、たまらなく可愛い。俺はまた人知れず自分だけの幸せをかみしめる。


片手だけ布団の外に出して携帯を開くと、まだ朝も早い時間帯。

―幸いにも今日は土曜、休日だ。まだ眠いし、しばらくはこの幸せに浸っていたい。

そう考えた俺は、携帯を放り投げた。


しかし、彼女をまた抱きしめ、自分も二度寝を決め込もうと目を閉じた、その時。

ピンポーン、と軽快なチャイム音が鳴った。


「!」


びくっと身体をこわばらせ、ばっちり目を開く俺と那津。あんまり驚いたので、心臓が跳ねたままおさまらず、鼓動がドクドクと鳴る。

……ああ、びっくりした。


「…誰?」


俺と同じく夢から一気に目が覚めたらしい那津。

しかし安眠を妨害されて腹が立ったのか、機嫌悪そうだった。眉間にしわを寄せ、玄関の方を向く。


「さあ…セールスか?」

「こんな朝早くに?しかもそんなもの、来たことないんだけど…」

「じゃあ何だ?知り合いか?」

「さあ……」


布団の中でぼそぼそと会話を続けるが、その間にもしつこく打ち鳴らされるインターホン。那津はついにはため息をついて、身体を起こした。


「とりあえず出ようか…」

「ああ、いい。俺が出る。…お前は服着てろ。」


―が、起き上がった彼女の白い肌が視界に入り慌ててそう言ってやる。

その格好で出れるわけねぇだろこのバカ、と少し非難しつつ俺も起き上がって布団から這い出た。

そしてそこらに落ちているジーパンをはきTシャツをかぶって、はだしのまま歩く。

『ああ、そう?じゃあ頼むわ』と呟く彼女の声を背に、狭い通路を抜けた。


―しかし、誰だよこんな時間に。非常識は拓史だけで十分だろ……


心の中で文句を言いながらドアの前に立った俺は、直したあとのあるチェーンロックをはずし、ドアを開けた。



「―はい、どちらさんですか?」


少し苛立った声になったかもしれないが、まあ別にかまわない。どうせセールスか部屋を間違えた酔っ払いの類だろう。早々のうちに追い返そうと思いながら、俺は正面を向いた。


「………。」


―だが、そこにいたのは甲高い声をあげて話すオバサンではなく、酔ったオッサンでもなかった。


俺の目の前には一人の、成人はとうに過ぎているようなスーツの男が立っていた。

短い黒髪に肉付きのよい身体、高い身長。睨むようにこちらを見ている男はどう見てもカタギに見えない。…要するにヤクザっぽい。

―なんだ、こいつ。

俺は目を見開き、若干逃げ腰になりながらも男に再度問うた。


「誰、ですか?」

「…てめぇこそ誰だ。ここは那津の家だろ?」

「…は?」


男の口からは確かに俺の彼女の名前が飛び出した。

――那津の、知り合い?この男が?

そのことに驚きながらも、およそ丁寧とは言えない対応、そして馴れ馴れしく『那津』なんて呼ぶ男に眉をひそめる。イライラとした感情は増していくばかりだった。


「いいから那津を出せ、今すぐに。」

「は?…あんた誰だよ。那津とどういう関係?」

「んなことどうでもいいだろ。とっととどけよ。」

「っおい、待てよ!」


あくまでも不遜な態度で、挙句強引に部屋に上がろうとする正体不明の男に俺は切れる寸前だ。

―イキナリ那津の部屋に来て何してんだ、この野郎!

俺は勢いよく男の両肩を掴み、玄関に押し戻した。


「何すんだ、離せ。」

「不審者を中に入れるわけにはいかないんで、ね!」

「不審者はお前だろ。どけ!」


怪しい男と俺は、そのままどけ、どかないの押し問答を繰り返す。

だが、本気で力を入れて押し返そうとしても、鍛えられているらしい男の体はなかなか動かない。

岩みたいに不動の体勢の男に、俺は舌を打った。



「いい加減に――」

「聖悟―、誰だったの?」


―すると、奥から影がのび、姿を現す人物が一人。

ふあ、とあくびをもらしながらこの部屋の家主がこちらに向かってくる気配がした。

―くそ、なんてタイミングの悪い、と悪態交じりに視線を後ろに流す。

だが、待て、まだ来るんじゃないと背後の影に伝える前に、抑えこんでいる男が目を見開き息をのむのが分かった。


「―!」


そして気を抜いて力を少し緩めてしまった瞬間、ものすごい力で押し返され。



「那津っ!!」


ひょっこり顔を出した那津を見るなり、男は土足で部屋にあがり彼女に勢いよく抱きついた。

短い悲鳴の後、どたん、と廊下に倒れる二人。


「……えっ!?な、なんでここに…!」

「那津…!」


那津は男を見、驚いたような表情を作っていたが、呆然とソレを見つめる俺の視界には入らなかった。

―眼前に映し出されているのは、押し倒されている彼女と、その体をしっかり抱きしめ肩口に顔を埋める無礼な男。

そんな最悪な映像を見てしまった瞬間、ブチッと俺の頭の中の何かが切れた。



「…………浮気、か?」



地を這うような低い声が自分の声から発せられる。

頭の中は煮えたぎっているくせに、妙に冷静な声。一瞬で青ざめた彼女を視界の隅に捉えた。


「ちょ、ちが…っ違うから聖悟っ!」

「分かった。退け、那津。コイツを殴り倒してから後でお前には言い訳を聞く。」

「だから違うんだってば!!この人――」


必死に弁解をしようと口を動かす那津だが、イイワケなら今は聞く必要はない。

俺は無防備な男の背中めがけ足を振り上げ――



「――私の、兄ちゃんだよっ!!」

「―え?」



そう那津が叫んだときにはもう遅く、繰り出した蹴りが男の体を吹っ飛ばした。



――



「……本城唯月(ホンジョウ イツキ)。22歳、那津の兄だ。」

「…どうも。俺は国崎聖悟です。」


打ちつけた腰をさすりながら自己紹介をする男――那津の兄を見て、俺も頭を下げた。

しかし言葉とは裏腹に、テーブルに向かい合わせになって座る俺と彼の間には険悪なムードが漂っている。特に、男の方が俺をじっと睨みつけてくるのだ。

…まあ、彼―那津のお兄さんを勝手に暴走して蹴り倒してしまったのだから(それもかなり本気で、だ)、彼の怒りも理解できるが……やはりヤクザ顔負けのプレッシャーに、内心ひやひやしていた。

この人、顔が怖すぎる。


「あの、すいません俺、なんか勘違いしてしまって……腰、大丈夫ですか?」

「…フン、どうってこたぁねぇよ。」


男はぶっきらぼうな口調でそう言ったものの、視線の強さは全く変わらない。やっぱり怒ってるじゃないか、と乾いた笑みを貼りつけながら俺は視線を下に向けた。


「で、何しに来たの兄ちゃん。」


一方、妹の那津はというと、普段通りの様子。人数分のお茶を用意しテーブルに並べるとそう切り出した。


「何って……」


那津のお兄さんは、今度は視線を那津の方に向けぐっと眉間にしわを寄せる。そして、目が合ってへら、と笑う那津の頭をガッと鷲掴みにした。



「お前がずぅーっと実家に帰ってこないから、様子見に来たんだろうがっ!!」

「いた、いたいいたい!脳が縮むって!」



ぐぐぐ、と力を入れて頭を圧縮され悲鳴を上げる那津。

本気で痛がっているのか、目には涙が浮かんでいる。さっきも思ったが、那津のお兄さんはかなり筋肉がついていて力も強い。おそらく相当な重みが加わっているに違いない。


うわ、痛そうだな、と彼の怒声と腕力におののきつつもしばらくは兄妹喧嘩を見守っていた俺。

だが那津が本泣きになってきたので、もうそのへんでいいでしょう、と程よい所で那津の開放を促した。ちっと舌打ちを打ちながらも俺の進言を聞き入れてくれたお兄さんは、すっと手を離した。


「うう、痛かった…」

「大丈夫か。」

「兄ちゃん、手加減ナシだもんなあ…」


と、うるうると瞳を潤ませて泣く那津を慰める係を買って出る。掴まれた頭を優しく撫でてやると、腕にすり寄ってくる那津。…うん、役得、役得。

…まあお兄さんに射すくめるように睨みつけられたので、慌てて手は放したが。


―にしても那津、そんなに帰ってないのか、実家。

遠いと言っても普通なら三ヶ月に一回くらいは帰るだろ。俺もそうだし。



「な・ん・で、帰ってこねぇんだよ那津!みんな心配してんぞ!」


オニのような顔で凄み、わめくお兄さん。だが、一人暮らしの妹を心配してのひとことだ、当然だろう。俺も隣の那津に視線を向ける、が、彼女は気まずそうにそっぽを向いた。


「…帰ったじゃん、去年の年末…」

「俺は会ってない!しかもあのときも二泊しかしなかっただろ!自分ん家のくせに何でもっとゆっくりしていかないんだよ!」

「正月の短期アルバイトが入ってたから、移動時間含めるとそれだけしか滞在期間とれなくて。」

「~っ、実家出たサラリーマンすらもっと帰ってくるぞ!」

「だからごめんって。」


軽く流すように謝る那津にはあまり反省の色は見られない。また一段と室内の雰囲気が悪くなり、一触即発の空気を感じた俺は慌てて二人の間に割り込んだ。


「で、でも那津、今度の夏休みには帰るんだろ?」

「ああ、うん。」

「なら、久しぶりに家族水入らずでのんびりすれば?どうせ10月まで授業ないんだし。」

「……でも、やっぱりちょっときついかな。往復の電車の切符、買えないかも。」

「はあ?」


そこでツッコミを入れたのはお兄さんだ。俺と一緒になって怪訝そうな顔を作った。


「は、なんでだ?交通費くらい…父さんが今月は大目に生活費を振り込んだって言ってたから、余裕だろ?何お前、そんなに金使ってんの?」

「うん、まあ……そうでもないけど…」


そこで、一瞬降りた沈黙。

那津はやはり目線を合わせず、お兄さんは探るような目つきで妹を見ていた。

俺は二人の様子を傍から伺いつつも、彼女の方の異変に気付いていた。


―こいつ、平静を装いつつもどこか焦っている、と。



「…那津、通帳見せろ。」



まず、静かに口を開いたのはお兄さんの方だった。不機嫌そうな声色で那津に詰め寄る。

それにびくりと肩を震わせる那津はまるで追いつめられた子ウサギのよう。

…やっぱこの人、ヤーさん向きだって絶対。


「嫌だよ。他人に見せるもんじゃないでしょ。」


負けじと眉をひそめ、抵抗する子ウサギ……違った、妹の那津。

ぴしゃりとはねつけるような口調はいつも通りのようだが、やはりどこかおかしい。

彼女の心の中が随分と不安定なような気がする。俺は段々と激しくなる兄妹喧嘩の最中、首を傾げた。


「いいから見せろ!家に帰れないほど何に金使ってんだよ!」

「だから使ってないし!おい、勝手にヒトの部屋あさるなよ!」

「あ、お兄さん、そこの右から三番目の引き出しです。」

「これか!」

「ちょっと、聖悟!教えんな!!」


―何を。迅速な解決を図っただけではないか。

ギンッとこちらを睨みつけて来た那津を、俺はしれっと流した。


何をそんなに不安がっているのか、俺も知りたいしな。



「あった!」


そうこうしているうちに那津が『大事なもの入れ』にしている引き出しの中から、彼女の普通預金の通帳を見つけ出したらしい。

お兄さんは待って、という那津の静止の声も聞かず、勢いよくそれを開ける。

あれだけの金を何につぎ込んでるのか――男は呆れ交じりの表情で通帳にさっと目を通した。


―だが、一瞬後に彼が浮かべたのは驚愕の表情だった。



「――は?何だこれ。こんなに少ないわけ、ないだろ…?」



彼が目にしたのは、親が毎月少なくない金額を振り込んでいるにしては、あまりにも少ない額の数字だったようだ。驚きのあまり目が飛び出んばかりに見開かれている。

それを横目に、妹は無表情で立ち尽くしていた。


「違う、これじゃない。これはお前のバイト用だろ?生活費と学費が振り込まれてる通帳だ。それを出せ。」

「………。」

「…那津?」


兄が覗きこんだ妹はやはり無表情のまま、無言を貫く。だが強いて言うなら、その表情が語るのは。



「――ないよ。」

「は?」

「私の手元には、ない。」



――ああ、ばれてしまった。


という諦めにも似た、虚無の色だった。






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