05
――
「っ、だから抱えなくても歩けるって!」
「ダメだ。那津、靴ずれしてんだろ?普段ヒールなんか履かないんだから。」
「あーもう、そんなんいいから下ろして!」
「嫌だ。てか、却下。」
―さて、どうにか謝り倒して許しを得たのはいいが、現在。
私を横抱きに抱えながら悠々と廊下を歩き広間に戻る聖悟。
じたばたと足を動かし反論するがやはり聞き入れてくれず、一蹴されてしまった。てめ、このやろ。
おかげで道行く人の視線は一人占め。行きよりさらに人の注目を集めてしまう。
私は唇をかみしめ、どうにか顔を見られないように俯くのが精いっぱいだった。
「あら、聖悟くん。」
「ごぶさたしています、雪佳さん。」
――そうこうするうちに、広間にたどりついてしまったようだ。
突然聞こえてきた乾夫人の声に体が跳ねる。私は反射的に顔をあげ、彼女を見た。
先ほど見たときと変わらず美しい姿の彼女は、腕を組み私の上方-聖悟を見ていた。
「ホント久しぶりじゃないの。相変わらず嘘くさい紳士面ねえ。」
「はは、雪佳さんも相変わらず厚化粧ですね。」
「…減らず口も変わらないわね。成長したのは図体だけかしら?」
「ちゃんと中身も成長していますよ、老いていくしかない雪佳さんには分からないようですが。」
にこにこと背筋がうっすらと寒くなるような笑顔を互いに浮かべている両人。
私は聖悟の失礼な発言にひやひやとしていたが、この人たちにとっては日常茶飯事のようだ。
…同族嫌悪ってやつなのかな。
「で、わざわざこの子を連れ戻してくれたの?」
「いいえ。俺、もうこのまま帰りますから。」
「そう?じゃあその前にアタシの娘を返してくれるかしら?」
「那津はあなたの娘じゃありませんよ、俺のですから。」
「え?圭の彼女でしょ?」
「いいえ、何を勘違いしたのか知りませんが、俺の彼女です。貴方がたにはあげません。結婚もしません。」
淡々と答えていく聖悟だが、私には彼の中にまだ怒りがくすぶっているように見えた。
やばいやばい。これはまずい。
「……本当なの、ナツさん?」
首を傾げ、私を覗きこむ乾夫人。振ってこないでください、頼むから。
「はい…すいません。」
私は小さくそう呟き、肯定する。乾夫人は目を丸くし、呆気にとられたような表情を作った。
聖悟は満足げに私を見降ろし、乾夫人にドヤ顔。
性格悪いなあ、まったく。
「じゃあ、そんなわけで。俺たちは行きますから。」
そして、くるりと踵で回り玄関のほうへ一歩、踏み出す。ぶらりと私の足が左右に揺れる。
「あ、ちょっと待って、降ろして聖悟。」
しかし私がそう言うと、聖悟は怪訝そうな顔をしながらも下ろしてくれた。
そのままかつかつとヒールを鳴らして(靴ずれは本当だったので若干歩みは遅かったが)乾夫人の右側に立つ乾の正面に立った。
「ごめんね、乾。せっかくのパーティだったのに。お兄さんも、すいませんでした。」
なんだかんだでパーティを台無しにしてしまったことを彼と、その隣にいる乾悠十に謝罪する。
…いや、もうなんか散々だった。全部が私のせいじゃないけど。
頭を下げていると、ぽんっと頭の上に手がのり、なでられた。
「いいえ、気にしないでください。聖悟に気付かなかった俺が悪いんです。」
と、乾が寛大なのか何なのかよくわからない言葉をかけてくれる。
頭をなでる優しい手つきが私を安堵させた―が、先程まで私を抱いていた男に、その手を即座に払われてしまった。
「…とっとと行くぞ、那津。」
ぶすっとした顔の男は、また強引に私の腕を引く。
…まったく、挨拶くらい自由にさせてくれればいいのに。私もやれやれと肩をすくめて聖悟に続く。
――と、ぴたりと足を止めた。
そういえば。
「あー!聖悟!」
「なんだよ、うるせぇな。」
「高級ワイン!あとカクテルとか、まだ全然飲んでない!」
「いいだろ、後で。」
「いーやーだー!こんな機会逃したらもう一生飲めないかもしれないのにっ!」
「…はあ、分かったよ。」
きゃんきゃんと喚く私をうるさそうに一瞥し、聖悟はまた乾の方を向いた。
「おい圭太朗。その辺のワイン二、三本もらうぞ。」
「それ、ひとつひとつがかなりの希少品なんですけどねえ。」
「迷惑料だよ。…あとでお前にもきちんと礼をしねぇとな。」
「……分かりましたよ、何本でも持っていってください。その代わり、暴力はやめて下さいよ。」
「…ふん。」
聖悟はテーブルに置いてあったワインを物色し、『こんなもんだろ』とその中から数本取り出す。
…って、え?ボトルごと!?
…いいんだろうか?なんか今有名な柄がちらっとみえたような。
無造作にワインをひっつかむ聖悟を戦々恐々と覗く私。
彼はメイドさんにそれを梱包してもらうと、袋を手に取った。
「―もういいだろ。今度こそ帰るぞ那津。」
「…何、そんな急ぐ用事があるの?」
「決まってんだろ。お前にお仕置きするんだよ。」
「え!」
「え、じゃねぇ。明日が日曜でよかったなあ、那津。…覚悟しろよ?」
「ちょ、ちょっとオシオキって、さっきやったでしょ!?」
「あれくらいで済むと思ってんのか?」
「お、思う!思います!」
「残念、ハズレだ。全然足りない。」
「弁解の余地もなし!?」
私は結局聞き分けのない彼氏に引き連れられ、車に(強引に)押し込められた。
行先は――当然のごとく国崎聖悟さんのお宅。
待って、このパターン、恒例にしないで頼むから。
――という私の心の叫びは誰にも届かないまま、いつもより荒っぽくエンジンがうなった。
****************
あわただしくひと組のカップルが去っていた後、乾圭太朗は、ため息をついた。
傍の椅子に腰かけ、長い足を組む。
普段の彼にしては行儀の悪い行為だったが、今はそれを気にする余裕もないくらい憔悴していた。
「…なあ、圭太朗。」
「黙ってくれませんか、兄貴。」
「お、怒るなって。…悪かったよ、勘違いしたのは謝る。でも、お前が女性と一緒なんてめったにないことだし…。」
「初めから言ったでしょう、彼女は俺の友人だと。」
ギロリと眼鏡の奥から睨みつけてやると、三つ上の兄は顔を青くした。
――昔からロクなことをしない兄だったが、今夜の出来事はまったく酷過ぎる。過去最悪と言っても過言ではない。
…那津が気分を害していなければいいのだが、と彼はまたため息をついた。
「…あと、何故篠原未央にも招待状を送ったんですか。ついでに聖悟の恨みも買ってしまったではないですか。」
「いや、だって欲しいって言われたし…てか、その冷たい眼差しやめて?俺、泣くよ?」
「勝手に泣けばいいじゃないですか。」
ふん、と鼻を鳴らしてやると兄は本当に泣きそうな顔になった。
…いい気味だ。この兄にはいい薬だろう。圭太朗はそう思った。
「…圭ちゃん。」
と、今度は、年甲斐もなく真っ赤なドレスを着た女性が近づいて来る。
紛れもなく自分の母親である、雪佳だ。
心配そうに瞳を揺らす彼女も、今夜はかなり余計なことをしてくれた。圭太朗はじっとりとした視線を向けた。
「その言い方、もうやめて下さいって言いましたよね、母さん。」
「…ごめんなさい。でも、圭ちゃんは圭ちゃんでしょ。」
俯きながらぼそっとそう呟く雪佳。先ほどとは打って変わってしおらしい姿だ。
さらに言うと、口をとがらせて子どものように不貞腐れる彼女はもうただの駄々っ子のようにしか見えない。圭太朗は眼鏡をあげるふりをしてそっと息をついた。
――ああもう、勘弁してほしい。
昔からそうだった。二人の兄は自分になにかと構い倒すし、母である目の前の彼女は自分を『圭ちゃん』と呼び可愛がる。
つまるところ、乾家の人々は総じて圭太朗に甘いのであった。
「…よかったの?」
「ああ、母さんは気にしなくていいです。全部兄貴のせいですから。」
「俺のっ!?」
「元凶は貴方でしょうが。後で罰金です。」
『そんな!』と叫ぶ兄は無視だ。それよりまだ何か言いたげに口を開閉する雪佳を見下す圭太朗。すると、彼女は意を決したように口を開いた。
「…そうじゃなくて、あの、本当によかったの?」
「何が、ですか?」
「だって、」
綺麗に化粧が施された顔を正面からとらえる。
――聖悟の言うとおり、これは厚化粧にしか見えない。と、他人事のように思った。
「圭ちゃん、那津さんのこと、本当は好きなんでしょう?」
「………。」
赤い口紅がそうささやくと、どくん、と心臓が大きく鼓動する。
表情は変わっていない、だが彼の眉はすこし引きつっていた。
「…そうなのね?」
「…マジか?圭太朗……」
「………。」
確信めいた色でそう問うてくる母親。そして兄。
――今日の自分は自分で思っているより浮かれていたらしい。
…他人に己の恋心が気付かれてしまう程度には。
「…圭ちゃん、ナツさんと話してる時、すごく楽しそうだったものね。」
「そう、ですか。」
「あんな子は、他にはなかなかいないわよ?」
「…分かってます。」
「諦めるの?」
「………。」
宥めているのか諫めているのか。彼女の声色は真剣だった。
しかし、――諦めるも何も。
圭太朗は口角をあげ、何時もの隙のない笑みを作ってやった。
「でも、俺は彼女の相手ではありませんでした。…仕方のないことです。」
―そう言ったきり、彼は彼の家族を残し部屋を去った。
バタンと戸を閉め、もたれかかる。暗闇の中、彼は息づくようにその場に立ち尽くした。
―そう。
彼女が選んだのは、自分の友人――国崎聖悟という男。
それを否定するつもりもなければ奪い取ろうなんて邪な気持ちも起こらない。
むしろ、彼らの仲を半分ほど取り持ってやったのは自分である。
…彼らは驚くほど不器用だったから。
それがもどかしくて見ていられなかったから。
それが自分の恋を諦めた理由とは言わないが、彼らを応援してやりたいと思ったことは嘘ではない。
狙った通り彼らはようやく付き合い始め、幸せそうな毎日を送っている。
―彼女が幸せなことが一番で、それ以外は何もいらない。それがいつしか自分の幸福に変わったのも、本当。自分の気持ちが一生知られなくてもよいと思っていたのも、本当だった。
―――でも、今夜だけは。
彼女は自分が買い与えたドレスをまとい、艶やかな髪を揺らし、自分の隣に立って腕を組み、自分をその瞳に映して笑った。
――彼ではなく、自分を。
そのことにどれだけの情欲を覚えたか、幸福を感じたか。
胸が熱くなる、という体験を彼は人生で初めて経験した。
―しかし、彼女はすでに迎えに来た彼のもとに戻った。
当然だ、これは最初からたった一晩の夢だったのだから。
浅はかで、傲慢で、下らない、自分の自己満足。
でも、それでも。
「俺には、それで十分だったんですよ。……那津さん。」
圭太朗はあざけるように自嘲した。
その言葉が、嘘か真かは本人にも分からない。
しかし彼は満足したのだ。彼の、くだらない小さな願望が叶った瞬間、確かにそう感じたのだった。
廊下を歩き、ふと手慰みにカーテンを開けると真っ白い月が浮かんでいた。
明るく空を照らす三日月が、闇にはひどく不釣り合いのような気がして、彼は知らず知らず笑みを浮かべた。
――今夜、ここで一人の男の想いは、誰にも知られず断ち消えた。
END
乾家にはあと旦那と長男もいますが、出番がなかったので紹介は割愛させていただきます(笑)