04
「どう…ですか。」
「そう。」
私は、気付かれぬ程度に眉をひそめた。
…最後にして、なんて難しい質問だろう。私はどう答えようが迷ってしまう。
そもそも、今日の私の立ち位置って一体何なんだろう。
恋人の振りをしろって頼まれたわけでもないし、ましてどこぞのご令嬢として参上したわけでもない。フツーの友人として同席しているんだ。
なら、私は。
「腹のうちが中々見えない、似非紳士ですかね。」
――友人として、正直に話すべきなんだろう。
「え?」
乾夫人、金髪男、そして乾本人までもが、その言葉に固まった。
私は彼らの反応を待たず、言葉をつづける。
「頭がよくて上手い立ち回り方をよく知っています。でもそれ以上に腹黒なので、正直敵にはまわしたくないです。普段、胡散臭い笑顔を振りまいていますが実際、心は全く笑っていないので。」
「は、腹黒…?」
「はい。あと若干毒舌なところもありますね。」
「ど、毒舌…?」
「ええ。」
口を開くたびに目を見開き絶句する乾一族。もちろん、乾もだ。
…悪いとは思うけど、ささやかな仕返しができて気分がいい。私はニヤリと口角を上げた。
「でも、なんだかんだで友人の相談に乗ったりしてくれる、優しい人です。私も彼に助けられました。」
私は、ドレスに負けないくらいの鮮やかな笑みを浮かべてそう言った。
…まあ、正確には助けてもらったのは聖悟と私、なんだけど。
―彼の意見は正しすぎるほど正論だ。他はどうか知らないが、私たちの前では。
だから、主観に左右されない公平な立場でものを見る彼を私はスゴイと思う。
乾はホント友達思いだよなーって思ってはいた。
自分の心の中だけで自己完結していると、乾夫人がふっと笑った。そして、紅い唇を開く。
「…うん。合格よ、圭。なかなかいい子連れて来たじゃない。」
「―は?」
…ん?
「改めまして、乾 雪佳よ。よろしくね。」
「?は、はあ…」
にっこりと笑って、突然手を差し出してきた乾夫人。何故、今更自己紹介。
私はよくわからないうちにその手をとって何気なく握り……
「で、式はいつなの?」
…そのままびしっと固まった。
「し、式?」
「そうね、大学があるから卒業後でもいいと思うけど、もう成人でしょう?アナタたちがよければ在学中でも結構よ。」
「え、ちょ、何の話で」
「ナツさんが私の娘になると思うと楽しみだわ。いつでもうちに遊びにいらっしゃいね。」
―だから、何の話だっ!!
弁解する暇を与えてください、乾母!いや、手を離して下さい、先に!
何でそんな強く握りしめられてんのっ!
「え、だから、あの式とかって」
「結婚に決まってるじゃないの。」
「えっ!?」
嫌な予感がしたので、なんとかはぐらかそうとしたもののズバリそう言われて、つい声を上げてしまった。
いやいやいや、ちょっと待て。何で私がイキナリ乾の彼女に?
つーか段階すっ飛ばして嫁に、だと!?
あ、そういえば現在進行形で誤解中だったっけこの家族!?
「違います、私、乾の彼女じゃ、」
「うらやましいなー、圭。母さんに即認められるなんて、なかなかないぜ?この分だと俺より先に結婚しそうだな。」
すると、今度は他方からの妨害。
言いながら乾の肩に手をまわしてニヤニヤしている乾悠十が、私の方を見ていた。
…おい!バカ金髪男が、ここで入ってくるんじゃない!空気読めや、少しは!
だが、顔を若干引きつらせている乾に『俺も本命ほしい』だの『今日の主役は俺なのに』だのくだをまいている男には私のやぶ睨みは通じないらしい。
よし、とりあえず黙れ。
「で、ナツさん?どうかしら。」
「―!」
金髪男に気をとられている隙に背後からの攻撃。麗しき女性が二コリと妖艶に笑う姿。
れ、連携ぷれー、ですか!?
「あの、だから違うんです!私…」
「何が違うのかしら?ああ、そうねいきなり結婚なんて、話が早かったわね。」
「だっそうじゃ…」
「そうだよ。まずはご両親に挨拶しないと。順番がおかしいぜ、母さん。」
「…………。」
「ナツさん?」
乾によく似た底の見えない笑顔が、二人分。
いつの間にか遠巻きに私たちを覗いていた人たちも集まってきていた。
その中心で、パクパクと口を動かす私。だがもう何を言うべきか言葉が見当たらず。
…やだ、待って。無理。
このひとたちはなしつうじないよ。
しかもなんかしせんがいたいよ。
いつのまにかひとがたくさんいるよ。
………。
「………ご、」
「ご?」
「ごめんなさい!!」
勢いよく頭を下げ、叫ぶ私。
――迫力ありすぎっていうか、もう誤解解けそうにないっていうか、
とにかく私にはこの空気に耐えきれる力はない!ごめん乾あと頼んだ!
―と、心の中で謝罪しつつ乾にすべてを請け負わせた私は、
「あ、ナツさん!?」
ヒールを打ち鳴らして彼らを横切り、脱兎のごとくその場から逃げ出した。
―――
――
「はぁ……」
手すりを掴んで息をつく。会場から逃亡してたどりついた先は、三階のとある部屋、バルコニーのような小スペースだった。
先程の喧騒が嘘のように人気はなく、ひっそりとしている。
私はひじを手すりにくっつけてもたれ、ぐてっと体を倒して空を仰いだ。
憎らしいくらい綺麗な三日月が、初夏の空を照らしているのが見えた。
――まったく。何でこんなことになったんだか。
思い返してもちょっと意味が分からない。
乾に兄を紹介してもらったと思えば勝手にヤツの彼女だと勘違いされ、挙句嫁認定だって?
…うわ、絵に描いたようなシンデレラストーリーだな。や、望んでないんだけど私は。
しかも、ここまで逃げてくる間にも奇異の視線をどの方面からも感じるわ、どっかのご子息A、Bとかに声はかけられるわ。
…ああもう。マジで今日来ない方がよかった。
はあ、とまたため息をつく。
しかし急いで逃げて来たはいいものの、露出の多いドレスに夜の冷気は肌寒い。
くるりと踵を返して屋内へ戻る。
「――わっ!?」
その時。
ぐいっと腰に手を回されて身体をひかれる。
呆気なくバランスを崩した私は、背後の人物に抱きとめられた。
「…お嬢さん、こんなところで何をしてるのかな?」
「…っ!」
丁寧な言葉にそぐわない乱暴な動作。
いつの間に追ってきたのか、背後から私を抱きしめる謎の人物。
なんだ、今度はご子息Cか――と、思っていたが、違った。
この声。聞いたことある…ってか、知ってる。
うん。昨日、きいたばかりだよ。
私は容易にその答えにたどりつき、身体を凍らせた。
「せ、せいご……?」
「―あたりだよ、お嬢さん。」
私の彼氏は、底冷えのする声で囁いた。
「…な、んっ?ここ……」
乾いた声が私の喉から出る。
まずい、驚きすぎて日本語が不自由だ。
しかも背を流れ落ちる汗の量が半端じゃない。後ろの人物が、本気で怖い。
「…未央に付き合わされたんだよ。『玉の輿を目指す!』とかなんとか言って。あいつ、招待状を悠十からもらってたらしい。」
「へ、へぇ。そーなん、だ?」
「なあ、那津?俺も聞いていい?」
私を背後からぎゅうっと抱きしめる聖悟は相変わらず冷ややかな空気を醸し出していた。
私は一瞬、びくんと身体を痙攣させる。
「何で、ここにいる?補講は、どうしたんだ?」
「………。」
「その後の、飲み会は?」
「………。」
…いつもの艶っぽい、色気のある声なのに、なんで急激に体温が下がっていくのでしょう。
耳元でささやかれる声に、私は無言を返すことしかできなかった。
言い訳を何パターンも考えて脳内シミュレーションをしてみたが、結果、どう動いても私の負けであった。
「那津。」
「…あ、あの、えと。これには理由があってですね、」
「理由?何だ。」
「……えっと。」
言い淀む私。もちろん大した理由があるわけなく、頭も真っ白だ。
だが、そのまま何も答えられないでいるとふいに聖悟は口を開いた。
「…分かってんだよ。」
「へ?」
絞り出したような声に驚き、私は背後を振り返った。
そして、今日初めて彼の顔を仰ぎ見る。
きちんとしたスーツ姿の聖悟の瞳はその綺麗な色を濁していた。
「どうせ、無理矢理連れてこられたんだろ、圭に。」
「え?」
「用意周到な圭のことだ、餌でも用意してあったんだろ?で、まんまと釣られたってわけだ。」
「…え、ああ……よくご存じで。」
聖悟はすらすらと、まるで今まで私たちのやり取りを見ていたかのように語る。
…何だ、お見通しだったのか。
だったら初めからそう言っておけばよかった、と今更ながら後悔する。
しかし、そうやって少し苦く思いながらも、私は安堵した。
勝手にドタキャンして怒っているわけではなさそうだ――
「俺が言いたいのは、そうじゃない。」
―って、へ?
とぼけたような間の抜けた顔を作り、聖悟を真正面から見つめる。
意図が読み取れない。しかし、彼の表情は真剣そのものだった。
「何で、俺に何も言わないんだ、お前は。」
「―っ」
ずい、と彼はまた顔を近づける。鼻が擦れ合いそうなくらい近い。
何度も経験して慣れたはずの距離。
だが顔が赤くなるよりも先に、なにやら不穏な空気を感じ取り、私はさっと身を引いた。
だいぶゆるくなっていた彼の腕の中から逃げ出し、室内に逃げ込む。
聖悟は、ゆらりと身体を重そうに動かし私を追いかけて来た。
「正直に言えばいいじゃねぇか。どうして嘘までついて俺から離れるんだ。」
「せ、せいご?」
「しかも何だ、圭の彼女だって?結婚だって?一体何の冗談だよ。」
聞いてたの!?や、そりゃごもっともなことですが!
…それよりなんでこっちに近づいて来るんですか、聖悟クン!?
じりじりと距離を詰める男にある種の恐怖を感じ、逃げ惑う私。
だが、ガタンと背後の艶消しの黒い机が私のお尻辺りにあたって音を立てたの聞き、顔を青くする。
しまった。逃げ場が……
「――お前は、俺のだろ。」
「――っ」
この男が、その機会を逃すはずがない。
あっという間にその腕に再度捕えられ、口を塞がれてしまった。
「―っ、ふ、……む!」
何度も何度も降ってくる激しい口付け。容赦なく絡みついて来る男の厚い舌。
息するのもままならないまま、いつの間にか私は傍のベッドに倒され、押さえつけられていた。
シーツの上に散らばる黒い滑らかなドレスを我が物顔で踏む聖悟の長い足が、隙間からちらと見える。
「や、……せ、い……っ」
彼の攻撃は依然として止まない。
熱い身体を密着させ、深い深いキスを私にしてくる。私は唇が離れるわずかな瞬間に必死に息を吸いこみ、声を上げるが、抗議の声はまたも彼の口に飲み込まれた。
――ああ、こりゃダメだ。
と早くも諦めモードに達した私は力を抜いて聖悟の気が済むまで翻弄される。
しばらくして、聖悟は満足したのかゆっくりと口を離し、下にいる私を見下した。
「…那津。」
「っん……」
耳元に軽いキスを落とし、また私の肢体を抱きしめる聖悟。
ぎゅっと音がなるかと思うくらい、強く。私が身をよじると彼はじゃれつくように髪に鼻をすりつける。
「那津。お前は、俺のものだから。」
「…うん。」
「誰にもやらないから。」
「うん。」
「分かってんのか?ホントに。」
「…ハイ。」
言い聞かせるように何度も言葉を連ねる聖悟。私は呟きながら、内心で嘆息していた。
―ええ、分かりましたよ。君を無視したりないがしろにするとロクな目に合わないってこと。
…いや、今回は私が全面的に悪いからどうとも言えないけど。
とにかく、野獣のごとく迫ってきた聖悟にはかなり危機感を感じた。
このままではヤンデレ化しかねない聖悟は非常に危険である。
てか、非常にまずいことになる。私が。
―そう判断した私は平謝りすることを決めた。