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魔法使いの漂流者  作者: 三幸奨励
絶海孤島編
7/24

第7話 流れ着いた者

朝、浜へ向かった。

定期的に確認するようにしていた。魔物の死骸が打ち上げられることがあるし、何より海の様子を見ておきたかった。帰れる可能性が、ゼロではないと思っているから。


シロが隣を歩く。

すっかり、当たり前の光景になっていた。


浜が見えてきたとき、《波長理解》が揺れた。


「……ん?」


反応が、いつもと違う。

魔物じゃない。もっと細かくて、複雑な揺らぎ。知っている感覚だ。


「シロ、止まって」

シロが足を止めた。耳がぴんと立っている。


「人間だ」


『確認します。複数の人間の魔力反応を感知。敵対的な波長はありません』


人間。

この島で、初めてだ。


胸の奥が、少しだけざわめいた。

怖いわけじゃない。ただ、久しぶりすぎて、どんな顔をすればいいか分からない感覚があった。


慎重に、茂みの端から浜を覗く。


船の残骸が打ち上げられていた。

かなり大きな船だ。帆は引き裂かれ、船体の半分が砂浜に乗り上げている。昨夜の嵐か。波の音がいつもより荒かったのを思い出した。


その残骸の傍に、三人がいた。


一人は大柄な男で、船の板材を黙々と確認している。手つきが手慣れている。道具を扱う人間の動きだ。感情を表に出さない、職人の静けさがある。

一人は中背の男で、残骸を眺めながら何かを書き留めている。落ち着いた様子だ。消耗しているはずなのに、所作が整っている。

一人は女で、剣を腰に下げている。浜の周囲を絶え間なく警戒するように見回していた。三人の中で一番、生き残ることに慣れた目をしていた。


三人とも、消耗している。

濡れた服。疲れた顔。でも動いている。諦めていない。


『三名です。重傷者はいません』


「……助けに行くか」


シロがこちらを見た。


「大丈夫そうか?」

「敵意はない。でも警戒はしてる」

「そりゃそうだよね」


僕は茂みを出た。



女が、真っ先に気づいた。


剣に手が伸びる。

素早い。鍛えている。


「待って、敵じゃないよ」


両手を上げた。


女は剣を抜かないまま、こちらを見据えている。鋭い目だ。でも手は止まっている。判断できる人間だ、と思った。


大柄な男が顔を上げた。

中背の男が書き留めるのをやめた。


三人の視線が、僕に集まる。


そして——シロに。


女の目が、わずかに見開いた。

大柄な男の手が、腰の工具袋に伸びかけて止まった。

中背の男だけが、「ほう」と小さく声を漏らした。


「その魔物は……」と女が静かに言った。「飼っているのか」

「仲間です」


間を置かずに答えた。


三人がまた顔を見合わせた。


「……仲間」と中背の男がゆっくり繰り返した。「魔物が、人間の仲間」

「変ですか」

「変だな」と大柄な男が低い声で言った。「だが、嘘をついているようには見えない」


シロは何も言わなかった。

ただ、静かに三人を見ていた。値踏みしているわけでも、怯えているわけでもない。ただ、見ている。


中背の男が一歩前に出た。


「失礼した。私はレイスという。建築を生業にしている。こちらはドナン、鍛冶師だ。そしてこちらがファル、探索者だ」


丁寧な口調だった。消耗しているのに、崩れていない。この人は、どんな状況でもこういう人なんだろうと思った。


「カルドです。冒険者、だったかな。今は……この島にいます」


「この島に、か」とレイスが言った。「君も流れ着いたのか」

「そうです。少し前に」


少し間を置いてから、聞いた。


「どちらの出身ですか」


レイスがドナンとファルを一度見てから答えた。


「ヴァルク国だ」


思わず声が出そうになった。

工業技術で大陸随一と言われる国。鍛冶も建築も、あそこの職人は別格だと冒険者仲間から聞いたことがある。


「……ヴァルク国の方が、なんでこんな場所に」

「それはこちらが聞きたい」とレイスは苦笑した。「嵐に巻き込まれて気づいたらここにいた」


ドナンが低く「ああ」と言った。

ファルは何も言わなかったが、表情が少し緩んだ。


ファルが剣から手を離した。

ドナンの肩から、少し力が抜けた。


「助かった」とファルが短く言った。「ここが無人島だと思っていた」


「無人島と思って来たんですか?」

「いや」とレイスが苦笑した。「嵐に巻き込まれて流れ着いた。そもそもこの島の存在を知らなかった」


「地図にないですよね、ここ」

「……知っているのか」

「案内人に確認しました」


また、三人が顔を見合わせた。


「案内人……スキルか?」とファルが聞いた。

「そうです」

「それも変わったスキルだな」


ドナンが静かに言った。

批判じゃない。ただの感想だった。こういう言い方をする人間は、信用できる気がした。



残骸から使えるものを引き上げる作業を、一緒に手伝った。


ドナンは無口だが、手が早い。何をどう使うかを瞬時に判断して、黙々と動く。僕が「これはどうですか」と聞くと、短く「使える」か「いらない」か答えた。余分な言葉がない。でも必要なことは全部言う。


「この金具、鍛え直せば別の用途で使える」


そう言って、ドナンは慎重に金属部品を外し始めた。大きな手が、細かい作業を丁寧にこなしていく。


レイスは板材の状態を確かめながら、何かを計算しているようだった。「この板材なら小屋が一棟建つな」と独り言のように言った。そして僕の方を見て付け加えた。「雨露をしのげる建物があった方がいい。岩壁の下だけでは、長雨に耐えられない」


「そうですね」


「どのくらいの人数を想定している」


「……まだ分からないけど、増えるとは思っています」


レイスが少し目を細めた。何かを考えている顔だった。


ファルは警戒を続けながらも、少しずつ口数が増えた。


「魔物はどのくらいいる」

「結構います。でも拠点の周辺は把握できてるので、そこまで危険じゃない」

「把握、とは」

「魔力の波長を読んで、位置や状態を確認できます。スキルで」


レイスが立ち止まった。


「……それは、案内人とは別のスキルか」

「そうです。《波長理解》という」


三人が、また顔を見合わせた。

今度は、さっきより少し長い沈黙だった。


「二つ持っているのか」とレイスが静かに言った。

「そうなりますね」

「……」


スキルは原則、一人一つ。二つ持っているだけで、神に愛された者と呼ばれる。


レイスは何か言いかけて、やめた。

ドナンが低く「なるほど」と言った。

ファルだけが、少し目を細めてこちらを見ていた。


誰も深く聞いてこなかった。

三人とも、そういう人間らしかった。


「……それは便利だな」とファルが言った。

「助かってます」

「拠点があるのか」

「川沿いの岩壁の下に。簡単なものだけど」


「案内してもらえるか」

「もちろん」


シロがこちらを見た。

『警戒は続いています。ただ、敵意ではありません』


「分かってる」と小声で返した。


ファルが目を細めた。「今、魔物と話したのか」

「少し」

「……本当に変な人間だな」


でも、と彼女は続けた。


「嫌いじゃない」


シロがぴくりと耳を動かした。



拠点に着くと、三人は無言で周囲を見回した。


岩壁の天井。川の音。干した肉。壁に刻んだ地図。


レイスが地図に近づいた。

「これは君が作ったのか」

「うん。まだ全然途中だけど」

「……丁寧だな」彼は地図を眺めながら言った。「ここに来てどのくらいになる」

「少し経ちます」

「一人で、か」

「最初は。今はシロがいる」


レイスが振り返った。

シロが岩壁の端に座って、三人を静かに見ている。


「……慣れるな、なかなか」とレイスは言ったが、笑っていた。


ドナンが火の跡を確認して、「火の管理は上手い」と短く言った。

褒めているのか確認しているのか分からなかったけど、悪い気はしなかった。


ファルは拠点の入口から外を見ながら、「ここは守りやすい」と言った。「岩壁が背後を塞いでいる。川が外敵の接近を知らせる。悪くない場所を選んだ」


「ありがとう」


三人が落ち着いたところで、食事にした。

鎧熊の干し肉と、川で獲った魚。質素だけど、量はある。


ドナンが一口食べて、「悪くない」と言った。

レイスが「助かります」と頭を下げた。

ファルは何も言わずに、でも綺麗に食べた。


シロは少し離れた場所で、自分の分を静かに食べていた。

三人はそれを横目で見ながら、何も言わなかった。干渉しない。それがこの三人の流儀らしかった。


食事が落ち着いた頃、ファルが口を開いた。


「一つ聞いていいか」

「どうぞ」

「魔物と暮らして、怖くないのか」


率直な質問だった。


「最初は怖かったよ」と僕は答えた。「でも、シロは怖い存在じゃない。怯えながら生きてる存在だって分かったから」


「怯えながら」


「この島は弱肉強食だから。強い魔物が縄張りを持って、弱い魔物はその隙間で息を潜めて生きてる。シロもそうだった」


ファルが少し黙った。

レイスが静かに聞いていた。


「……人間と、似ているな」とレイスが言った。「どこの国でも、弱い者は隙間で生きる」


「そうですね」


「だから国を作るのか」


レイスの声は穏やかだった。責めているわけじゃない。ただ、繋げていた。


「うん」


レイスが口を開いた。


「カルド、もう一つ聞いていいか」

「どうぞ」

「この地図を見ると、かなり広範囲を把握している。この島で、何をしようとしているんだ」


三人の視線が集まった。

シロも、こちらを見ていた。


僕は少し考えてから、正直に言った。


「国を作ろうとしてます。強いも弱いも関係なく、生きていける場所を」


沈黙。


レイスが静かに目を細めた。

ドナンが腕を組んだ。

ファルが、少し口を開けた。


「……一人で?」とファルが言った。

「今はシロがいる」

「魔物と二人で」

「うん」


また沈黙。


それからレイスが、ゆっくりと笑った。


「荒唐無稽だな」

「よく言われます」

「でも」


レイスは地図を見た。


「こうして地図を作って、拠点を整えて、魔物を仲間にしている。荒唐無稽なことを、着実にやっている」


ドナンが低く唸った。


「……船に戻れない」と彼は言った。「修理には時間がかかる。それまでの間、厄介になることはできるか」


「もちろん」


ファルが立ち上がった。


「私は探索者だ。この島の地図を完成させる手伝いくらいはできる」


「助かります」


レイスが最後に言った。


「国を作るというなら、建物が必要になる。私にできることがあるかもしれない」


僕は少し笑った。


「ありがとう」


ドナンが、ぼそりと付け加えた。


「道具が要るなら、作る」


それだけだった。でも、それで十分だった。


シロが、ぽつりと言った。


「……増えたな」


「うん」


火が、静かに燃えている。

川の音が、遠くで続いている。


夜が深まるにつれて、少しずつ会話が生まれた。

レイスが各地の建築様式の話をして、ドナンが素材の相性について短く補足した。ファルが探索中に見つけた奇妙な遺跡の話をして、僕は石柱の丘のことを少し話した。


「それは気になるな」とファルが言った。「明日、案内してもらえるか」


「もちろん」


シロはずっと黙って聞いていた。

でも眠ってはいなかった。耳が、会話の度に微妙に動いていた。


「シロは口数が少ないな」とレイスが言った。

「そういう性格で」

「悪いことじゃない。私も職人は口より手の方が正直だと思っている」


ドナンが無言で頷いた。


シロが、ほんの少しだけ、レイスの方を見た。

それだけだった。


でも、確かに見た。


地図の余白に、三つの名前を刻んだ。

ドナン。レイス。ファル。


二人目、三人目、四人目だ。

まだ白紙の部分の方が多い。

でも今日、また大きく埋まった。

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