第4話 嫌だな
翌朝、海の魔物の肉で腹を満たしてから、僕は島を歩き始めた。
目的は二つ。
地形の把握。
この島が、どんな場所なのかを知ること。
《波長理解》を薄く流しながら進む。派手に使えばそれだけ疲弊する。昨日で学んだ。
森は深い。
木々の根が地面を蛇のように這い、足場が悪い。しかし魔物の反応は少ない。
静かだ。
……静か、すぎる。
茂みの奥に、揺らぎを感じた。
《波長理解》が、怯えの波長を拾う。複数。小さい。
足を止めた。
木陰に、兎に似た小型の魔物が数匹、身を寄せ合っていた。耳が長く、目が大きい。体は丸く、魔力はほぼない。こちらには気づいていない。
「……可愛いもんだな」
その瞬間だった。
草むらが割れた。
爪。牙。鱗に覆われた細長い胴体。
蛇型の魔物が、兎の群れに飛び込む。
悲鳴。逃げ惑う。
一匹が捕まった。
他は散り散りに消えた。
蛇型の魔物は、静かに獲物を飲み込み始めた。
僕はただ、見ていた。
助けに行く理由も、手段も、なかった。
これは自然だ。弱いものが食われる。それだけのことだ。
……分かっている。
でも。
「……嫌だな」
声に出すつもりはなかった。
ただ、出た。
『感情を検知しました』
「うるさい」
『失礼しました』
僕は踵を返した。
足が、少し重かった。
*
丘の上から、島を見渡す。
森。浜。山。
そして、あちこちに点在する魔力の揺らぎ。
強いものが縄張りを持ち、弱いものはその隙間で息を潜めて生きている。
「ねえ、案内人」
『はい』
「この島の魔物、弱いやつはずっとこのまま怯えて生きるのかな」
『現状の生態系では、そうなります』
「誰も、変えようとしたことはないの?」
『記録にはありません』
記録にない。
つまり、いないか、いても失敗したか。
昨日の狼の言葉が頭をよぎる。
――落ちた者は、選ばれた者だ。
「……僕が来たのは、偶然じゃないのかもな」
独り言のつもりだった。
でも、口に出した瞬間、何かが固まった気がした。
強いものだけが生き残る島。
弱いものが怯えながら死んでいく島。
それを変える奴が、いない島。
荒唐無稽だと分かっている。
一人の、才能のない冒険者が言うことじゃない。
でも。
仕方ない、で諦めるのは、もう飽きた。
『目標を設定しますか』
「うん」
『内容は』
「強いも弱いも関係なく、生きていける場所を作る。この島で」
しばらく間があった。
『……了解しました。補助します』
案内人が、珍しく一拍置いた。
感情があるのかないのか、よく分からない声だ。
でも、悪い気はしなかった。
*
決意したはいいが、現実は厳しい。
まず、飯がいる。
寝る場所がいる。
そして、もっと強くならないといけない。
森を進んでいると、開けた川沿いの場所に出た。
川幅は五メートルほど。水は澄んでいる。飲める。魚の影も見える。
「ここ、使えそう」
川沿いを歩く。
少し下流に、岩壁が張り出した場所があった。天然の屋根だ。奥行きも十分ある。
「拠点はここにしよう」
決めてから、《波長理解》で周囲を確認する。
魔物の反応は遠い。魔力濃度は低め。悪くない立地だ。
荷物を下ろし、枯れ枝を集め始める。
そのとき。
川上から、揺らぎが近づいてきた。
大きい。
昨日の七匹より、密度が違う。
『警告。中型個体が接近中です』
「……なんだ、こいつは」
姿が見えた。
熊に似た体躯。ただし前足が異様に長く、爪が鉄のように光っている。体の表面に薄い魔力膜が張っている。毛並みの下で魔力が脈打つのが、《波長理解》で見える。
『鎧熊型魔物です。魔力膜により物理攻撃への耐性があります』
「火球は?」
『外殻を溶かせれば有効ですが、現状の出力では時間がかかります』
逃げるか。
いや——
「戦う」
『推奨しません』
「分かってる。でも逃げてばかりじゃ何も変わらないから」
魔物がこちらに気づいた。
低く、唸る。
「よし——」
火球。
直撃。
魔力膜が揺れる。しかし、貫けない。
魔物が突進してきた。
速い。
横に転がる。爪が空を切る。
もう一度、火球。
膜が薄くなっている。削れてはいる。
でも、削るより先に——
爪が、胴を薙いだ。
視界が、回った。
……ああ。
暗転。
*
「――ぐっ!」
再び、川沿い。
魔物は数メートル先でこちらを見ている。
『スキル《死に戻り》を使用しました。エネルギー残量、少』
『スキル《認識転写》を使用します。15秒間のみ、1つの追加スキルの取得が可能です』
光が浮かぶ。
『魔力膜構造理解:貫通攻撃の最適化』
『鎧熊の筋力波長理解:行動予測精度向上』
『火球収束技法:単点集中出力向上』
「……膜構造理解」
頭の中に、何かが流れ込む。
薄い膜。均一に見えて、均一じゃない。節がある。魔力の継ぎ目がある。そこを狙えば——
魔物が再び唸る。
「今度は違う」
火球。
ただし今度は、収束させる。細く、鋭く。
《波長理解》で膜の継ぎ目を探す。
右の前足の付け根。そこだ。
命中。
膜が、裂けた。
魔物が咆哮する。
怯んだ一瞬に、もう一発。
同じ場所。
裂け目が広がる。
三発目。爆発。
魔物が、後退る。
畳み掛けた。
四発。五発。裂け目から火球を叩き込む。
咆哮。
地面が揺れる。
そして——静寂。
魔物が、倒れた。
『敵対個体の生命反応、消失』
『討伐によるエネルギー回復を確認。残量、中』
『経験値を獲得しました』
「……はぁ」
その場にへたり込む。
手が震えている。
「勝ったの?」
『はい』
しばらく、川の音だけが聞こえた。
「ねえ、案内人」
『はい』
「弱点を狙うって、当たり前のことだよね」
『はい。ただ、見えなければ意味がありません』
見えなければ意味がない。
《波長理解》があるから、継ぎ目が見えた。
《認識転写》があるから、それを理解してスキルにできた。
死んだから、分かった。
「……えげつない成長方法だ」
『否定はしません』
苦笑いして、立ち上がった。
*
魔物の肉を解体する。
鎧熊の肉は固いが、量がある。しばらく食いつなげる。
川で手を洗いながら、改めて周囲を見渡した。
岩壁の下。川の近く。魔力濃度は低い。
枯れ枝を集め、岩壁の奥に積む。
平らな石を並べて簡易的な床を作る。
火を起こす場所を決める。肉を吊るす枝を組む。
地味な作業だ。
才能のある冒険者が見たら笑うかもしれない。
でも、これが始まりだ。
壁に、石で線を刻む。
浜。森。川。岩壁の拠点。石柱の丘。山。
まだ行っていない場所の方が多い。
「国を作るって、まず何から始めるんだろうな」
『土地の把握。安全の確保。信頼できる関係の構築。順に進めることが現実的です』
「信頼できる関係、か」
昨日の狼の顔が浮かんだ。
落ちた者の島。弱いものが怯えて生きる場所。
「あの子も、仲間になってくれるかな」
『不明です』
「だよね」
火が、静かに燃えている。
川の音が、遠くで続いている。
カルドは地図を眺めた。
山への道は、まだ白紙だ。
でも今は、ここから始める。




