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魔法使いの漂流者  作者: 三幸奨励
精霊試練編
23/28

第23話 核

光に向かって歩いた。


通路は狭くはなかった。人が二人並んで歩けるくらいの幅がある。天井は低い。手を伸ばせば届きそうなくらいの高さだ。壁は土と岩が混じっていて、触れると少し湿っている。


足元が時々、ほんの少しだけ沈む。


昨日から続いている感覚だった。でも地上とは違う。ここでは、沈むたびに何かが返ってくる気がする。押し返されるのではなく、確認されるような、そういう感触。


「生きてる」


コトが小声で言った。


「何が」


「壁も、床も」


その通りだと思った。地上では地面が動くことに違和感があった。でもここは最初から、全部が動いている。壁が静かに呼吸している。床が少しずつ脈打っている。天井の土がわずかに揺れている。


《波長理解》を向けた。


波長が、至るところにある。一点ではない。壁から、床から、天井から、全方向から来ている。密度が高い。濃い。でも、攻撃的ではない。ただ、充満している。


「どのくらい続くんだ」ガンズが前を見たまま聞いた。


「分からない」


「分からないのか」


「分からないです」


ガンズが「そうか」と黙った。


シロが鼻を上げた。「匂いが濃くなっている。前に進むほど強くなる」


「深くなってるんだと思います」


「地下に向かっているのか」


「多分」


通路が少し下に傾いている。歩くたびに、少しだけ地面が低くなっていく感覚がある。地下に向かって、緩やかに潜っていっている。


ネグルが立ち止まった。「あれ」


前方に、光が広がっている。通路が終わって、広い場所に出るらしい。土色の光が、そこから滲んでいた。


全員で進んだ。



部屋は広かった。


直径は二十メートルほどあるだろうか。天井は通路より高い。三メートルはある。岩と土でできた壁が丸く囲んでいて、中央に向かって床が少し盛り上がっている。


そして、全体が動いていた。


床が波を打っていた。大きな波ではない。水面に小石を投げたときのような、細かい波紋。中央から外に向かって、絶えず広がっている。壁も同じだった。岩の表面が、ゆっくりと呼吸するように膨らんで、引いている。天井の土が、たえず少しずつ落ちては、また戻っている。


部屋全体が、生きていた。


「……すごい」テオの声から力が抜けていた。圧倒されている。


レイスが壁に近づいた。手のひらで触れた。「波動がある。一定のリズムで来ている」


ファルが中央を見た。腕を組んで、何かを確認している顔だった。


「危険か」シロが聞いた。


「今のところは感じない」《波長理解》を広げたまま、部屋全体を読んだ。敵意はない。でも、何かを待っている気がする。


コトが床を踏んだ。波紋が、コトの足元から広がった。それが壁に届いて、壁の波紋と混ざった。


「ここ、全部繋がってる」コトが低く言った。「壁も床も天井も。全部同じ何かでできてる」


「同じ何か」


「うまく言えない。でも、分けられてない」


そのとき、声が聞こえた。


どこから来るのか分からない。部屋全体から来ているような、そういう声だった。


「やっと来たね」


幼い声だった。女の子の声に近い。でも、年齢が分からない。子供のようでもあり、もっと古いもののようでもある。


「よく来たね。みんなで来たんだね」


「そうです」と僕は言った。「あなたがここに招いてくれた」


「招いた、かな」声が少し笑った気がした。「そうかもしれない。よく来たね。私はノーム。大勢で来たのは悪くないよ。」


「みんなで来たことに、意味がありますか」


「さあ」声は軽かった。「それじゃ、頑張ってね」


それだけだった。


部屋が動いた。


中央の盛り上がりが、もっと高くなった。土が押し上げられて、岩が浮き出てきて、それが形を作り始めた。


腕ができた。足ができた。胴体が固まった。頭が生まれた。


ゴーレムが立ち上がった。


高さは二メートル半ほど。全身が岩と土でできている。目はない。口もない。ただ、巨大な岩の体が、こちらを向いていた。


「来る」ファルが剣を構えた。



最初の一撃は、ファルが受けた。


ゴーレムの右腕が横に薙いだ。ファルが一歩下がって、剣で受け流した。衝撃が腕に来た。ファルの足が少し滑った。


「硬い」


「岩だから」テオが横から言った。


「言わなくていい」


テオが「すみません」という顔をして横に動いた。


「散れ」ファルの声が低くなった。「正面に立つな。囲め」


全員が動いた。ゴーレムを中心に、円を描くように展開する。


シロが右側から駆けた。ゴーレムの脚に噛み付いた。岩の表面が欠けた。でも、深くはない。シロが離れた。


《岩礫生成》を発動した。地面から石を集めた。《魔力圧縮》を重ねた。圧縮した石の塊を、ゴーレムの胴体に向けて放った。


岩が砕けた。胴体に穴が開いた。


でも、穴がすぐに塞がった。


「再生する」レイスが壁際から声を上げた。


「分かってます」


再生する。でも、砕けることはできる。継続して攻撃すれば削れるはずだ。問題は速度だ。削るより再生が速いと、意味がない。


ドナンが横から回った。重い岩を持ち上げていた。両手で抱えて、ゴーレムの背中に叩きつけた。


大きな音がした。ゴーレムがよろけた。


「ドナン、そこ」ファルが叫んだ。


ファルが正面から踏み込んだ。剣を胴体に刺した。深く入った。ゴーレムが止まった。


全員が集中した。


テオが脚を叩いた。ウルジが腕を押さえた。ガンズが後ろから石を投げた。シロが首の部分に噛み付いた。


ゴーレムの体が、少しずつ崩れていった。


腕が落ちた。脚が砕けた。胴体が割れた。


倒れた。


地面に崩れて、岩と土の塊に戻った。


全員が止まった。


「倒した」ガンズが息を切らしながら周囲を見た。


「終わりか」ウルジが肩で息をしながら聞いた。


「……待て」シロが鼻を上げた。


地面が動いた。


崩れた岩と土が、また集まり始めた。ゆっくりと。でも確実に。岩が引き寄せられて、土が固まって、形が戻っていく。


腕が生まれた。脚が立ち上がった。


ゴーレムが、また立った。


「……」


全員が黙った。


「核を壊せていない」ファルが腕を組んでゴーレムを見た。「倒したが、再生した。核が残っている」


「核はどこだ」ガンズが周囲を見渡した。「さっき胴体をかなり砕いた。でも再生した。胴体にはないのか」


《波長理解》でゴーレムの内部を読んだ。


『核らしい波長、感知できません。ゴーレムの体内に該当する反応はありません』


「ない。体の中にはない」


「じゃあどこだ」


全員が周囲を見た。


ゴーレムがまた動き始めた。「また来る」ファルが前に出た。


「時間を稼いでください」


「分かった」


ファルとシロがゴーレムの相手をした。テオとウルジが補助に入った。ドナン、ガンズ、バルチが壁際に下がって様子を見ている。


《波長理解》を広げた。


部屋全体を読んだ。ゴーレムではなく、部屋そのものを。


波長が、至るところにある。床、壁、天井。全部に来ている。一点ではない。でも——


「……」


一箇所だけ、違う場所がある。


壁の一部。北東の方向。そこだけ、波長が来ていない。波打っている壁の中に、波打っていない一点がある。動いている壁の中に、動いていない場所がある。


「コト」


コトが来た。


「あそこを見てくれ。北東の壁。一部だけ動いていない」


コトが見た。しばらく黙っていた。それから床に手をついた。波紋を感じている。目が細くなった。


「……ある」コトが静かに言った。「そこだけ、繋がってない」


「繋がってない」


「他の壁は全部繋がってる。床も天井も全部。でもそこだけ切れてる」


切れている。繋がっていない。


「部屋全体が核なのか」と僕は小声で言った。


そのとき、声が来た。


「よく分かったね」


幼い声が、笑っていた。くすくす、という感じの笑い方だった。悪意はなかった。ただ、楽しそうだった。


「部屋全体が核ということか」と僕は聞いた。


「さあ、どうかな」声は答えなかった。でも、笑いは続いていた。


「繋がっていない場所が、弱点か」


「頑張ってね」


それだけだった。


「カルド」レイスが壁際から声を飛ばした。「早く。ファルたちが」


ゴーレムが再び体を再生させながら、ファルを押していた。ファルが後退している。シロが横から牽制しているが、ゴーレムの動きが速くなっている。


「場所を教えてくれ、コト」


コトが北東の壁を指差した。「あそこ。岩が三つ並んでるところ。その真ん中」


見た。


確かに、三つの岩が縦に並んでいる。周囲の壁は波打っている。でもその三つだけ、動いていない。固定されている。他と切り離されている。


《岩礫生成》を発動した。地面から石を集めた。今度は量を増やした。複数の石を集めて、一塊にする。


《魔力圧縮》を最大まで重ねた。


『魔力圧縮、限界密度に近づいています』


石の塊が、手のひらの中で縮んだ。体積は小さく、密度は上がった。熱を持ち始めた。


「みんな、離れてください」


全員が後退した。ファルがゴーレムを引き付けながら横に動いた。シロが離れた。


北東の壁に向けた。


放った。


圧縮した岩の塊が、壁に激突した。


爆発するような音がした。岩が砕けた。粉塵が広がった。


部屋が揺れた。


大きく揺れた。今までの小さな波紋ではない。全体が震えるような揺れだった。壁から土が落ちた。天井が鳴った。


ゴーレムが止まった。


動かなくなった。


少しずつ、崩れ始めた。


腕が落ちた。脚が砕けた。胴体が割れた。今度は再生しなかった。岩と土に戻って、それが地面に吸い込まれていった。


全部消えた。


部屋の波紋が、静かになっていった。壁の動きが、ゆっくりと落ち着いた。天井が止まった。床が平らになっていった。


『部屋全体の波長、急速に低下しています。敵対的反応、感知されません』


「波長が引いていっています」


「終わりだな」ファルが剣を下ろした。確認ではなく、判断だった。


静寂が来た。


全員が、しばらく動かなかった。


「……終わったか」ガンズが壁に背中を預けた。


「終わったと思います」


「思います、か」


「確信はない」


「そうか」


粉塵が少しずつ落ち着いていった。崩れた壁の跡が残っている。砕けた岩の欠片が、床に散らばっている。


シロが鼻を上げた。「匂いが変わった。さっきより薄くなった」


「波長が引いていっています」



全員がその場に座り込んだ。


戦闘中は動き続けていたが、止まると疲れが来た。ゴーレムの衝撃がそれぞれの体に残っている。ファルの腕に傷がある。ウルジが肩を押さえている。軽傷だが、無傷ではない。


「コトが気づいた」レイスが記録帳を開きながら言った。「動いていない場所を最初に見つけた」


「コトが教えてくれなかったら、分からなかった」


コトは何も言わなかった。ただ、壁の跡を見ていた。


「なぜ分かったのか聞いていいか」テオが膝に肘をついてコトを見た。


コトは少し間を置いた。「くすぐったくなかった」


「くすぐったくなかった?」


「足の裏がくすぐったかった。でもあそこだけ、くすぐったくなかった。だから」


テオが「なるほど」という顔をした。「俺には全然分からなかった」


コトは「そういうものだ」という顔をして、また壁を見た。


ドナンが岩の欠片を拾い上げた。しばらく手の中で転がした。「ゴーレムの岩は変だった」


「変だったか」


「硬さが一定じゃない。部分によって全然違う。こんな岩は鍛冶では見たことがない」


「精霊が作った岩だからかもしれない」


「そうかもしれん」ドナンは欠片を見つめたまま考えた。「また見たい」


「また戦いたいということか」


「そういう意味じゃない。素材として見たい」


ドナンらしかった。


レイスがすでに記録帳に書き込んでいた。「覚えているうちに書く。後で変わるかもしれないが」


ネグルがカルドの隣に来た。目が弱点を破壊した壁の跡に向いている。「叩いたとき、どんな感じだった」


「爆発するかと思ったが、そうじゃなかった。繋がりが断ち切れる感じがした。糸を一本引き抜いたら、全部がほどけていくような」


「糸、か」ネグルは少し考えた。「俺には見えなかった。でも、ほどけていくのは見えた。ゴーレムが崩れていくのが、さっきと全然違った」


「違ったか」


「さっきは部分的に崩れた。今回は全部いっぺんに。根っこから崩れた感じ」


ネグルはよく見ている。いつも、よく見ている。


「ありがとう、ネグル」


ネグルが「礼はいい」という顔をした。それから腹を押さえた。「腹が減った」


「ここを出たら食べましょう」


「早く出よう」



出口を探した。


部屋の奥に、また通路があった。入ってきた方向とは逆側にある。


進んだ。


今度の通路は上に向かっていた。緩やかに、少しずつ地上に向かって上がっていく。壁の波紋は消えていた。さっきまであった脈動がない。静かな壁だった。ただの土と岩だった。


「終わったんだな」テオが通路の壁を手で触れながら歩いた。


「そう思います」


「次は何がある」


「分からない。でも、声の主はまだ出てきていない」


「次で会えるか」


「会えるかもしれない」


テオが「楽しみだ」という顔をした。サラマンダーのときと同じ顔だった。怖がっていない。純粋に、次が気になっている。


「楽しみなのか」ファルが前を向いたまま言った。


「楽しくないか」


「楽しいとは思わない。ただ、来るものは来る」


「それは楽しみと同じじゃないか」


「違う」


「どう違う」


「楽しみは感情だ。来るものは来るは事実だ」


テオが「……難しい」という顔をした。


通路の先に光が見えてきた。地上の光だった。朝の光とは違う。もう昼を過ぎているかもしれない。


全員で進んだ。光が近くなった。空気が変わった。土の匂いから、外の空気に変わっていった。


地上に出た。


岩場の中だった。入ったところとは別の場所だった。拠点とは逆方向にある。


空が広かった。


「出た」ガンズが空を見上げた。


シロが大きく息を吸った。「外の匂いだ」


全員が空を見上げた。誰も何も言わなかった。でも、全員が同じ顔をしていた。


「帰ろう」と僕は言った。


全員が頷いた。



拠点に戻ると、デルタが入口にいた。


「遅かった」


「時間が分からなかった。どのくらい経ちましたか」


「半日以上だ」


「そんなに」


「心配した」デルタは短く言った。それだけだった。


全員が中に入った。


キズラが水を持ってきた。バルチが「どこに行ってたんだ」と目を丸くした。ドグロが無言でファルの腕の傷を見た。モルダが食事の準備を始めた。


拠点が動いた。


いつも通りだった。


夜、火を囲んだ。


今日のことを整理した。


ゴーレムが再生した。核がゴーレムの中にはなかった。部屋全体が繋がっていた。動いていない一点を壊した。全部が崩れた。


それだけだった。でも、それだけではない気がした。


部屋全体が核だった。どこか一部ではなく、全体。繋がっていることが力だった。繋がりを断ち切ることが終わりだった。


それは何かに似ていると思った。でも、うまく言葉にできなかった。


「コト」


コトが火を見たまま答えた。「何」


「今日はお手柄だったね。おかげでなんとかなったよ。」


コトは少し考えた。「あそこだけ、仲間はずれみたいだった。」


「仲間はずれ?」


「仲間はずれは目立つ。みんなが同じなのに、一人だけ違うと、すぐ分かる」


コトがそれ以上言わなかったので、僕も聞かなかった。


ネグルが「早く寝ろ」と口を開いた。シロの台詞を使っていた。


シロの耳が少し動いた。「俺が言う」


「先に言った」


「……寝ろ」


「もう少し」と僕は言った。


地図を広げた。


岩場の中に、新しい印をつけた。出口の場所。入口とは別の場所に出たことを記した。


余白に書いた。


「部屋全体が核だった。コトが気づいた。繋がりを断ち切ることで終わった」


それから少し下に、小さく加えた。


「声の主はまだ姿を見せていない。」


火が燃えている。


川の音が続いている。


土の匂いが、まだ少しだけ服に残っていた。

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