第22話 動く地図
朝、カルドは一人で北側の岩場に向かった。
昨日感じた波長をもう一度確認したかった。地面の下から来る、静かな意思のようなもの。ノームと呼ぶべきかどうかも、まだ分からない。ただ、あそこにある何かが、昨日よりも気になっていた。
岩場に入った。
《波長理解》を向けた。
「……消えた」
昨日あった波長が、薄い。完全に消えたわけではない。ただ、昨日と場所が違う気がした。西に、少しずれている。
足元を見た。地面は何も変わっていない。草が生えていて、岩が転がっていて、いつもの地面だ。
でも、波長の位置が違う。
西に向かった。五十メートルほど移動したところで、また感じた。昨日北側で感じたものと同じ波長だった。
「移動した、のか」
断言はできない。昨日の感知が不正確だったのかもしれない。それとも本当に位置が変わったのか。
もう少し探ろうとして、地面に目印を探した。特徴のある岩を探して、位置を確認しようとした。
「……ここは、来たことがない」
昨日歩いた場所のはずだった。でも、地形が少し違う。岩の並び方が、記憶と合わない。
地図を開いた。
自分がいる場所を確認しようとした。でも、目印にしていた大岩が見当たらない。
「おかしい」
《波長理解》で周囲を確認した。危険な気配はない。ただ、空気が少し重い。昨日より湿っている気がした。土の匂いが濃い。
地面の下から、波長が来ている。
静かだ。脅していない。ただ、そこにある。
「……今日は一人では無理だ」
声に出すと、少しだけ楽になった。
踵を返した。
*
拠点に戻ると、ファルが訓練場でテオと向き合っていた。カルドの顔を見て、「何かあったか」と言った。
「少し変なことがあった。全員に話したい」
ファルがテオに「今日はここまでだ」と言った。テオが「まだ続けられる」という顔をしたが、カルドの様子を見て黙った。
全員が集まった。
「昨日感じた地面の波長が、今日は場所が変わっていた」カルドは言った。「昨日いた場所に行ったら、波長がなかった。西に移動したら、また感じた。それだけなら感知のズレかもしれない。でも、地形も少し違った気がする」
「地形が変わったということか」レイスが言った。
「分からない。僕の記憶が間違っているだけかもしれない。でも、以前のダンジョンに似た感覚がある」
ドナンが「あのときか」と言った。目が少し細くなった。
シロが「匂いは」と言った。
「土の匂いが昨日より濃かった。湿っていた」
「雨は降っていない」
「そうです。だから余計に気になった」
ファルが「一人で戻るつもりか」と言った。
「戻るつもりはないです。全員で行きたい。人数がいた方が確認が早い」
ファルが少し間を置いた。「それだけか」
「……それだけではないかもしれない」カルドは少し考えた。「一人では、何かあったときに対処できる自信がない。今日の、そういうことです」
誰も笑わなかった。
デルタが「村組はどうする」と言った。
「今日は拠点に残ってもらえますか。何かあったとき、ここを守れる者がいた方がいい」
デルタが頷いた。「分かった」
コトが「俺は行く」と言った。それだけで、列に並んだ。ネグルが黙ってその隣に来た。
「コト、ネグル——」
「行く」コトが繰り返した。それ以上言わなかった。
カルドは少し間を置いた。「……分かりました」
*
全員で北側の岩場に向かった。
カルド、シロ、ファル、ドナン、レイス、テオ、ガンズ、ウルジ、コト、ネグル。
岩場に入った。
「ここだ」カルドが言った。「今朝、波長を感じた場所です」
全員が足を止めた。
シロが鼻を下げた。「匂いがある。昨日と違う場所から来ている」
「どっちだ」
「……北東。少しずれている」
カルドは《波長理解》を向けた。さっきと、また場所が違う。北東にある。さっきは西だった。
「また動いた」
「確かか」とファルが言った。
「確かではない。でも、今朝西にあったものが、今は北東にある」
レイスが地面を見た。「足跡を確認する。お前たちが今朝歩いた跡が残っているはずだ」
全員で足跡を探した。
「ここに跡がある」テオが言った。「カルドのものか」
カルドが確認した。「そうです。今朝歩いた跡だ」
「だとすると」レイスが周囲を見た。「岩の位置が違う。朝は右にあった大岩が、今は左にある」
「岩が動いたということか」ガンズが言った。
レイスは岩と足跡を交互に見た。何か言いかけて、止めた。「……嫌な感じがする」それだけ言った。
「俺も」とウルジが言った。「方向感覚がいい方だ。でも今、少し狂っている気がする」
空気が重かった。土の匂いが濃い。風がない。
「散開して探索しよう」カルドは言った。「ただし、二人一組で。一人にはならないでください。十五分したら、ここに戻る」
「仮に地形が変わっているなら、戻れなくなる可能性がある」レイスが言った。
「そうですね。だから時間を区切る。十五分で何も見つからなければ、一度引き返す」
ファルが「組み分けは」と言った。
「ファルとテオ。シロとガンズ。ドナンとウルジ。レイスとネグル。僕とコトです」
コトがカルドの隣に来た。それだけで準備完了という顔をしていた。
各組が散った。
*
カルドとコトは北側を進んだ。
「コト、足元に気をつけてください」
コトは無言で頷いた。視線が低い。地面を見ている。
「何か感じますか」
「くすぐったい」コトは言った。「昨日から続いている。今日は少し強い」
「どのあたりから来てる」
「足の裏全体。特定の場所ではない」
《波長理解》を向けた。波長が動いている。一定ではない。引いたり、近づいたりしている。
「呼吸しているみたいだ」カルドは小声で言った。
「何が」
「地面の下の波長が。一定じゃない。動いている」
コトが地面に膝をついた。手のひらを地面に押し当てた。しばらくそのままでいた。
「……動いている」コトが言った。「分かる。少しだけ、動いている」
「何が動いていると思いますか」
コトは少し間を置いた。「土の中に、何かいる。眠っているわけじゃない。起きているわけでもない。その間」
「その間」
「何かを待っている、みたいな感じ」
カルドは地図を開いた。現在地を記そうとして、止まった。
「……さっきと地形が違う」
コトが立ち上がった。周囲を見た。「あの岩、さっきなかった」
「そうだ。確かにそうだ」
大きな岩が、二十メートル先に立っている。来るときには気づかなかった。迂回した記憶がない。
「戻れるか」とコトが言った。
「戻れます。足跡をたどれば」
「でも足跡がなかったら」
カルドは少し間を置いた。「……そのときはシロを呼びます」
コトが「それでいい」という顔をした。
十五分が経った。元の場所に戻ると、全員が集まっていた。
「何か見つかったか」
ファルが「地形がずれている」と言った。「行きと帰りで、岩の位置が違った。テオも確認した」
「俺も」とシロが言った。「匂いで方向を確認していたが、途中で匂いの位置が変わった。地面が動いているとしか思えない」
「ドナンは」
「基礎を打ったことがある地点を通った」ドナンが言った。「位置がずれていた。建物の基礎が動いているとしたら、相当の力だ」
レイスが「入口を探すべきだ」と言った。「第十話のダンジョンは地表に入口があった。今回も同じ構造なら、どこかに入れる場所がある」
「でも動いているなら、入口も動く」
「そうだ。だから今探す必要がある」
全員で再度散開した。
今度は広い範囲を。
*
見つけたのはドナンだった。
「来い」という短い声が届いた。
全員が集まった。
森の縁、岩と木の根が入り組んだ場所に、地面の裂け目があった。
あの時の入口とは違った。あのときは石でできた扉だった。これは地面そのものが裂けている。幅は人一人が通れるくらい。深さは見えない。暗い。
「匂いが濃い」シロが言った。「土の匂いだ。深いところから来ている」
全員が裂け目を見ていた。
そのとき、声が聞こえた。
低くもなく、高くもない。子供の声に近い。どこから来ているか分からない。地面の下からのようでもあり、空気の中からのようでもあった。
「やっと来たね」
それだけだった。
全員が静止した。
「やっと、か」カルドは裂け目に向かって言った。「待っていたのか」
返事はなかった。
代わりに、裂け目が動いた。
ゆっくりと、左右に広がっていく。扉のように開くのではない。地面そのものが、回転するようにずれていく。岩が動き、根が引っ張られ、土が静かにほぐれていく。
開いていく。
止まらない。強制的でもない。ただ、自然に、呼吸するように開いていく。
三メートルほどになったとき、止まった。
中は暗い。でも、最奥にかすかな光がある。土の色をした、赤みのある光だった。
「入るか」とファルが言った。
「入ります」
「全員か」
「全員で」
誰も異論を言わなかった。
コトが最初に一歩踏み出した。カルドが続いた。全員が入った。
最後にシロが入った。
裂け目が、静かに閉じ始めた。
振り返った。地面が戻っていく。根が絡まり、岩が戻り、土がふさがっていく。
閉じた。
完全に、閉じた。
前には、土色の光が続いている。後ろには、地面だけがある。
「後戻りはなさそうだ」とレイスが静かに言った。
「そうですね」
カルドは前を向いた。
光の方向に、また声が聞こえた。
「こっちだ」
ただそれだけだった。悪意はなかった。怒りもなかった。ただ、無邪気に、先を示していた。
全員で、光に向かって歩き始めた。
最初の一歩で、床が少し沈んだ。
固い土のはずだった。でも、踏んだ瞬間だけ、柔らかくなった。次の一歩は普通だった。
テオが「足元が」と言いかけた。
「分かった」ファルが短く答えた。
誰も止まらなかった。ただ、全員が少しだけ、歩く速度を落とした。




