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魔法使いの漂流者  作者: 三幸奨励
精霊試練編
21/23

第21話 沈む地

翌朝、地面が静かだった。


いや、静かすぎた。


最初に気づいたのはドナンだった。


作業場に向かう途中、岩盤の上を歩いていたドナンの足が、一瞬だけ沈んだ。


靴の底から伝わる感触が、いつもと違った。岩が柔らかくなったわけではない。ただ、踏んだ瞬間に、地面が一呼吸分だけ、下に向かって動いた。


ドナンは足を止めた。もう一度踏んだ。


今度は何も起きなかった。


「……」


そのまま作業場に向かった。でも、しばらく足元を見ながら歩いた。



次に気づいたのはシロだった。


朝の見回りをしていたシロが、拠点の北側の岩場で立ち止まった。


「おかしい」


「何が」とカルドが聞いた。


「地面の匂いが変わっている。昨日と違う」


「どう違う」


「深いところから来ている。地表の匂いではない。もっと下の、普段は届かないところの匂いだ」


カルドは地面を見た。何も変わっていない。草が生えていて、岩が転がっていて、いつもの地面だった。


《波長理解》を向けた。


地表は何も感知しない。ただ——


「……深い」


「何かいるか」と、シロが聞いた。


「分からない。ただ、何かある。地面の下に、波長がある。遠い。でも、確かにある」


「魔物か」


「魔物の波長とは違う。もっと——」カルドは言葉を選んだ。「静かだ。動かない。でも、意思がある感じがする」


シロが鼻を下げて、地面に近づけた。深く吸った。「……生き物ではない。でも、死んでもいない」


二人でしばらく地面を見ていた。


地面は何も答えなかった。



朝食の後、カルドはドナンに話しかけた。


「今朝、足元で何か感じませんでしたか」


ドナンが少し間を置いた。「感じた。作業場に向かう途中だ」


「地面が沈んだ感覚がありましたか」


「一瞬だけ。気のせいかと思ったが」


「気のせいではないと思います。シロも地面の匂いが変わっていると言っていた。《波長理解》でも、地面の下に何か感じる」


ドナンが地面を見た。自分の足元を、じっと。「建築でいう、地盤の変化か」


「そうかもしれない」


「地盤が変わると、建物が傾く。基礎から揺らぐ」ドナンは腕を組んだ。「どこから来ている」


「北側が強い。南は今のところ普通です」


ドナンが立ち上がった。「見てくる」


「一緒に行きます」


レイスも加わった。三人で拠点の北側を歩いた。


レイスが地面を指で押した。「硬い。いつもと変わらない」


「でも匂いが違う」とシロが言った。後ろからついてきていた。


「匂いは地表ではなく地下から来ている」とカルドが言った。「《波長理解》で感じるのも、かなり深いところだ」


「どのくらい深い」


「感覚だが——十メートルより深い気がします。もしかしたらもっと」


レイスが「地下に空洞がある可能性がある」と言った。「建築の知識で言えば、地下に空洞ができると地表が少し動く。ドナンが感じた『沈む』感覚はそれかもしれない」


「空洞が、最近できたのか」


「あるいは、ずっとあったものが、最近動き始めた」


三人でしばらく黙った。


「炎だけが試練ではない」カルドは小声で言った。


レイスがカルドを見た。「サラマンダーが言った言葉か」


「そうです。」

まだ試練は終わらないのか…



その日の午後、ゴブリンたちの間でも話題になった。


キズラが「北側の柱が少し傾いた」と言った。昨日建てたばかりの支柱が、今朝見たら角度が変わっていた。わずかだが、確かに動いていた。


「地面が動いたのか」とレイスが聞いた。


「動いたとしか思えない。土台は固めたはずだ。でも、土台の下が変わったなら防ぎようがない」


ドナンが柱を見に行った。しばらく調べて「修正できる」と言った。「ただ、また動くなら意味がない。原因を先に分からないといけない」


ガンズが「地震か」と言った。


「地震ではない」シロが答えた。「揺れはなかった。静かに動いた」


「静かに動く地面なんてあるか」


「あった。今日それを経験した」


ガンズが「怖い」という顔をした。それから「でも戦えるか」と聞いた。


「地面と戦うのは難しい」とカルドが言った。


「精霊か」


「分からない。でも、可能性はある」


テオが「炎の次は土だな」と言った。前回のサラマンダーとの一件から、テオは精霊の話題に敏感になっていた。「炎舞剣みたいに、土に触れる方法を考えないといけないか」


「それは違うかもしれない」とカルドは言った。「サラマンダーとのことも、炎に触れることだけが目的じゃなかった。問いに答えることが核心だった」


「じゃあ土の問いは何だ」


誰も答えなかった。



夕方、カルドは一人で北側の岩場に戻った。


《波長理解》を向けた。


昨日よりも、波長が近くなっていた。


地面の下から来ている。深い。静かだ。炎の波長とはまったく違う。炎は揺れていた。動いていた。熱があった。


これは、動かない。


沈黙している。でも、確かにそこにある。


「……聞こえますか」


声に出してみた。


地面は何も答えなかった。


「炎の精霊とは接触しました。あなたのことは、まだよく分からない」


沈黙。


「地面が動いているのは、あなたがいるから?」


沈黙。


「それとも、僕たちに気づいてほしかったから?」


少し間を置いた。


地面が動いた。


足の裏から伝わる、わずかな振動だった。揺れではない。ただ、一瞬だけ、地面が呼吸するように動いた。


カルドは地面を見た。


答えではないかもしれない。偶然かもしれない。


でも、タイミングが合いすぎた。


「……いるんですね」


地面は何も言わなかった。


《波長理解》が、深いところの波長を拾った。昨日より近い。でも、まだ深い。地表まで出てくる気はないらしい。


「今日はここまでにします。またきます」


踵を返した。


三歩歩いたところで、足元が一瞬だけ沈んだ。


さっきドナンが経験した感覚と同じだった。


振り返った。


地面はいつも通りだった。


「……返事ですか」


答えはなかった。でも、悪い感じはしなかった。



夕食の後、全員に話した。


「地面の下に何かいる。まだ確認は取れていない。ただ、波長がある。意思があるように感じる」


「精霊か」とファルが聞いた。


「サラマンダーが『炎だけが試験ではない』と言った。四大精霊のうち、炎はサラマンダーだった。土を司る精霊がいるなら——」


「ノーム」とレイスが言った。「文献ではそう呼ばれていた。土と岩を司る精霊だ」


「ノーム」カルドは繰り返した。「地面の下にいるのかもしれない」


「接触するか」とシロが聞いた。


「まだ分からない。今日、声をかけてみた。返事とも取れる反応があった。でも確信はない」


「サラマンダーのときと違うな」ファルが言った。「あれは向こうから来た。今回は、こちらが探している」


「そうです。向こうの都合があるかもしれない。急かしたくない」


ドナンが「建物は直せる」と言った。「地面が動くなら、それに合わせた建て方をすればいい。素材の性質に逆らうより、従う方が長持ちする」


「さすがですね」


「職人の話だ。精霊とは別の話だ」ドナンは言ったが、少し口角が上がっていた。


コトがカルドの隣に来た。「地面の下の声、俺も感じた」


カルドは少し驚いた。「感じましたか」


「今日の朝から。ずっと足の裏がくすぐったかった」


「それを言ってくれたら——」


「言葉にしたくなかった」コトは静かに言った。「なくなる気がして」


コトらしかった。


「でも今は言いましたね」


「お前に話すのは別だ」それだけ言って、コトは丸まった。


ネグルが「俺は何も感じなかった」と言った。少し悔しそうな顔をしていた。


「ネグルは見る方が得意だから」


「見えもしなかった」


「地面の下は見えないので」


「……それはそうだな」ネグルは納得した顔で丸まった。



夜、火を囲んだ。


炎を見ていた。


この前の夜と同じ炎だった。でも、今日は炎より地面が気になった。足元がいつもより気になった。


炎は揺れる。動く。熱い。


土は動かない。静かだ。重い。


サラマンダーとの一件は、揺れを止めることが鍵だった。自分の炎の揺れを止めて、接触した。


ノームとの接触があるとしたら——土に触れる、とはどういうことか。


逆だろうか。


炎の揺れを止めることが接触だったなら、土に対しては——動かないことか。重さを受け入れることか。


「分からない」


独り言だった。


シロが「寝ろ」と言った。


「もう少し」


「毎日それを言う」


「毎日考えることがあるので」


シロが短く息を吐いた。


地図を広げた。


拠点の北側に小さく印をつけた。「地面の変化・波長あり」と書いた。それから、別の余白に記した。


「炎=揺れる。土=動かない。次の試験は——」


続きが書けなかった。


火が燃えている。


川の音が続いている。


足元が、一瞬だけ静かに動いた。


気のせいかもしれなかった。


でも、カルドは地面を見た。


「また明日」


地面は何も言わなかった。

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