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魔法使いの漂流者  作者: 三幸奨励
精霊試練編
19/22

第19話 サラマンダー

朝、東の方向から風が来た。


いつもの風とは違った。乾いている。少し焦げた匂いがする。


シロが鼻を上げた。「焦げている」


「火事か」カルドも《波長理解》を向けた。魔物の反応はない。ただ、空気の流れに違和感がある。魔力の残滓が混じっている。


「火事ではない」シロが言った。「何かが燃えた跡だ。でも、今は燃えていない」


「どこだ」


「北東。昨日まで反応がなかった場所だ」


カルドは拠点に向かって声をかけた。「少し見てきます。すぐ戻ります」


「一人か」ファルが振り返った。


「偵察だけです」


ファルは少し間を置いた。「……十五分で戻れ。過ぎたら行く」


「分かりました」


シロが「俺も行く」と言った。


「頼みます」


二人で北東へ向かった。



五分ほど歩いたところで、それが見えた。


草原の一角が、円形に焼けていた。


直径は十メートルほど。地面が黒く変色している。でも、その円の外側は何も焼けていない。縁の草がそのまま立っている。円の内側と外側の境界が、定規で引いたように鮮明だった。


「……何だこれは」


カルドは円の縁まで近づいた。境界に膝をついた。内側の地面は炭化している。外側の草には露がついたまま、風に揺れている。


「焼け方がおかしい」シロが言った。「火は広がる。でもここは広がっていない」


「制御されている」


「何が」


「炎が。必要な場所だけ、必要なだけ燃やした」


カルドは《波長理解》で地面を読んだ。魔力の痕跡がある。密度が高い。そして均一だ。ムラがない。一点から広がって、円の縁で止まっている。


「これを」カルドは言葉を選んだ。「意図してやれるものか」


自分の《炎舞剣》を思い浮かべた。昨日の訓練で、ようやく形が安定してきた。でも、それはあくまで刃の形を保つという話だ。円形に、均一に、必要な範囲だけを焼くなどということは、考えたことすらなかった。


「僕にはできない」


声に出ていた。


シロが横で「そうか」と言った。否定も肯定もしない。ただ聞いていた。


円の中央に、何かがあった。


小さい。拳ほどの大きさの塊が、地面に転がっている。近づいて見た。


魔物の核だった。


体ごと消えて、核だけが残っている。


「魔物がいたのか」


「昨夜、ここに小型の群れがいた」シロが言った。「確認していた。拠点から遠いので放置していた」


「その群れが」


「核だけ残って、体が消えた」


カルドは核を手に取った。焦げていない。傷もない。ただ、魔力が完全に抜けきっている。


体だけが消えた。核は残った。


「選んで燃やした」カルドはもう一度円の縁を見た。「草は燃やさず、魔物の体だけを燃やして、核は残した。それを、この精度で」


シロが鼻を鳴らした。「何者だ」


「分からない」


《波長理解》をもう一度向けた。魔力の残滓を追った。痕跡は北東に続いている。まだ遠い。でも、確かにある。


「……まだいる」


「拠点に戻る」カルドは立ち上がった。「みんなに話す」



全員が集まった。


カルドが見てきたことを話した。焼け跡の円。境界の鮮明さ。魔物の核だけが残っていたこと。


レイスが「精霊か」と言った。


全員がレイスを見た。


「昔、文献で読んだことがある。四大精霊という存在がいると。実在するかどうかは分からなかったが——あの焼け方は、人間や魔物の仕業ではない」


「害意はあるか」カルドは《波長理解》の感覚を思い返した。「敵対的な波長はなかった。ただ——」


「ただ」


「格が、違う気がした」


誰も笑わなかった。


ドナンが「格、か」と言った。「素材を見るとき、同じ鉄でも、叩き方次第で別物になる。お前が感じたのはそういうことか」


「……そうかもしれない」


ファルが「今日は全員で動くか」と聞いた。


「もう少し様子を見たい。今日は訓練を続けてほしい。僕は観察だけしてきます」


「一人でか」


「《気配遮断》を使います。接触はしない」


ファルは少し間を置いた。目が何かを言いたそうだった。でも何も言わなかった。


シロが「俺も行く」と言った。


「シロには拠点を頼みたい。一人の方が気配を消しやすい」


シロは少し間を置いた。耳が動いた。「……戻れ」


「戻ります」



《気配遮断》を発動して、北東へ向かった。


魔力の痕跡を辿る。《波長理解》で残滓を拾いながら進む。


一時間ほど歩いたところで、地形が変わった。岩が増えた。地面が乾いている。空気が薄く熱い。


また焼け跡があった。小さい。一メートルほどの円。縁が鮮明だ。


その先に、また焼け跡。点々と続いている。足跡のようだった。


追った。


空気が熱くなってきた。


岩陰の先に、それがいた。



大きさは、猫ほどだった。


四本足。全身が炎でできているのか、それとも炎のような何かなのか、判断がつかない。体の輪郭が揺れている。炎のように揺らいでいるが、消えない。瞳があった。黄金色の、細長い瞳。


その瞳が、こちらを見ていた。


《気配遮断》を使っているのに。


「……見えているのか」


声が出てしまった。


存在がゆっくりとこちらを向いた。


「気配を遮断しても、熱は残る。お前が生きている限り、炎には映る」


低く、乾いた声だった。人間の言葉だった。


カルドは《気配遮断》を解いた。


「あなたが、昨夜の焼け跡を」


存在は答えなかった。ただ、瞳でカルドを見ていた。


「魔物の体だけを燃やして、核を残した。草は燃やさなかった。あれはどうやって」


「お前の炎と同じ種類のものだ」


「同じではない。僕の炎は、あの精度では使えない」


存在がゆっくりと首を傾げた。炎の首が、静かに傾いた。


「同じではない、と言ったな」


「否定しても仕方ない」


「……そうだな」


存在の尾が揺れた。それから、突然視線を外した。そばにあった岩の一点を、じっと見始めた。


何も起きなかった。五秒ほど、ただ岩を見ていた。


それから、何事もなかったようにカルドへ視線を戻した。


「お前の炎を見ていた。昨日、一昨日も」


「見ていたのか」


「見ていた。まだ暴れている」


「暴れている」


「制御が甘い炎は、形になる前に膨らもうとする。お前の炎はまだそうだ。ただ——」存在がカルドの右手を見た。「歪んではいない。暴れているが、方向は間違っていない」


炎の比喩だと分かった。褒め言葉ではない。ただの観察だった。だからこそ、重かった。


「……あなたは何者ですか」


「サラマンダー」


短く、それだけだった。


「精霊が、なぜこの島に」


「この島は俺たちの場所だ。お前たちが来る前から、ずっと」


「知らなかった。すみません」


「謝るな。面白くない」サラマンダーが立ち上がった。炎の体が揺れた。「お前に聞きたいことがある」


「聞いてください」


サラマンダーの瞳がカルドを正面から見た。


「負けたことがあるか」


「……あります」


「負けた相手を、憎んだか」


想定していない問いだった。


少し間を置いた。


「……憎みました」


「今は」


「今は、違います」


「なぜ変わった」


カルドは答えを探した。言葉を選んだ。


「憎しみで強くなれると思っていた。でも、憎しみで手に入れた力は、向ける相手がいなくなったとき、自分に向かう気がした。そうなりたくなかった」


サラマンダーは動かなかった。


「完成した答えではないと分かっています。体で完全に分かっているなら、もっと別の言い方ができるはずだから」


「なぜ足りないと思う」


「言葉になりすぎているから。まだ頭で言っている」


沈黙があった。


炎の尾がゆっくりと揺れた。


それから、サラマンダーは突然横を向いた。近くの草を、じっと見始めた。炎の先端が草に近づいた。草が一枚、静かに燃えた。燃えた草だけが消えた。隣の草は無傷のまま揺れている。


それだけで、また視線を戻した。


何の意味があったのか、分からなかった。


「仲間は何人だ」


「今は——人間が五人、ゴブリンが三十人います」


「その者たちも、問いに答えられるか」


「……どういう意味ですか」


サラマンダーは答えなかった。代わりに立ち上がった。炎の体が少し大きくなった。


「飽きた」


「え」


「今日はここまでだ」サラマンダーが歩き出した。岩の向こうへ向かう。「次に来るなら、炎を持ってこい」


「待ってください。まだ——」


サラマンダーが止まった。振り返らずに言った。


「届けば、次の段階へ進ませてやる。届かなければ、ここで終わりだ」


「届く、とは」


「お前の炎で、俺に触れてみろ。ただし、俺の炎が消えないように」


それだけだった。


サラマンダーは岩の向こうに消えた。炎の気配が薄れていった。《波長理解》が波長を追おうとしたが、すぐに読めなくなった。


カルドは一人で岩の前に立っていた。


「触れる。ただし、消えないように」


自分の右手を見た。《炎舞剣》を出してみた。刃の形が出てきた。


昨日より安定している。でも、あのサラマンダーの炎と触れたとき、自分の炎が相手の炎を消してしまわないか。あるいは、自分の炎が呑み込まれてしまわないか。


どちらも、十分にあり得る気がした。



拠点に戻ったのは、夕方に差し掛かる頃だった。


全員に話した。サラマンダーという名。気配遮断が通じなかったこと。問いを受けたこと。そして条件を言われたこと。


ファルが「届かなければ終わり、か」と腕を組んだ。


「そう言われました」


「何が終わるかは言わなかったのか」


「言いませんでした」


ドナンが「見せろ」と言った。


「《炎舞剣》をですか」


「ああ」


カルドは《炎舞剣》を出した。刃の形が安定して出てきた。


ドナンがそれをじっと見た。「揺れている」


「分かっています」


「鍛冶でいう、焼き入れが甘い状態だ。形は出来ているが、密度が足りない。冷やす前に、もっと叩く必要がある」


ファルが「制御の話だ」と言った。「威力ではなく、精度を上げる。小さく絞る練習から始める。明日から切り替える」


「……その者たちも問いに答えられるか、と言っていました」シロが静かに言った。「俺たちのことを指していたのか」


「そう思います」


シロは少し間を置いた。「……つまり、一人の話ではないということか」


「かもしれない」


誰も余計なことを言わなかった。火が静かに燃えていた。


デルタが「精霊は古い存在だ」と言った。「この島のことを、俺たちより知っているはずだ」それだけで黙った。それで十分だった。



夜、火を囲んだ。


炎を見ていた。


普通の炎だった。木が燃えている。揺れている。風が来れば傾く。


でも、今日見たサラマンダーの炎を思い出すと、同じ炎がまったく別のものに見えた。


ネグルが隣に来た。


「難しい顔をしている」


「考えごとをしています」


「何を」


「炎のことを。届かなければ終わり、と言われた。何が終わるのか分からない」


ネグルが火を見た。「分からないなら、届かせるしかない」


「そうですね」


「簡単な話だ」ネグルはそれだけ言って丸まった。


ファルが隣に来た。


「今日の問いに、お前はちゃんと答えた」ファルは火を見たまま言った。「憎んだと言った。今は違うとも言った。どちらも本当だったか」


「本当です」


「……そうか」ファルは少し間を置いた。「俺はまだ答えられない。同じ問いを自分に向けると、止まる」


「ファルが答えられるようになったとき、聞かせてください」


「……いつになるか分からないが」


「待ちます」


ファルが短く息を吐いた。それだけで、自分の場所に戻った。


シロが「寝ろ」と言った。


「もう少し」


「今日は特にそれを言うな」


「……そうですね」


地図を広げた。


北東の岩場の近くに小さく印をつけた。「サラマンダーの痕跡」と書いた。それから、余白に一行だけ記した。


「届かなければ、終わりだ——」


火が燃えている。


川の音が続いている。


《炎舞剣》を右手に出してみた。安定している。


でも、触れられる気が、しなかった。

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