第18話 炎のかたち
「右手を見せろ」
朝、ファルが開口一番にそう言った。カルドが手を差し出すと、指先から手首にかけてをじっと確認した。昨日の爆裂型魔物との戦いで赤くなっていた皮膚は、一晩経ってだいぶ落ち着いている。
「焼けた跡がある」ファルは手を放した。「《炎舞剣》を使ったとき、自分の熱で傷めたか」
「少し。制御が甘かったと思います」
「制御できていないスキルは自分を傷つける。まずそこから直す」ファルは岩壁の前に立った。「やってみろ。ゆっくりでいい」
テオ、ガンズ、ウルジが少し離れた場所で見ていた。ドグロとバルチもいる。少し後ろにネグルが陣取っていた。
「見るなら前に来い」ファルが振り返らずに言った。
五人がぞろぞろと前に出た。ネグルだけが「俺は見るだけだ」という顔で立っている。
「《炎舞剣》」
カルドは右手に意識を集中させた。魔力を手のひらに引き込む。熱が集まってくる。前回は形を固めることに必死で、熱の制御が後回しになった。今日は順番を逆にする。まず熱の範囲を決める。手のひらの、どこからどこまでが炎の領域かを確定させてから、形を作る。
じわじわと、刃の形が出来上がっていった。
前回より時間がかかった。でも、手が熱くない。
「どうだ」
「熱くない」
「見せろ」ファルが近づいた。炎の刃を横から見た。「密度が低い。前回よりは安定しているが、まだ揺れている。《威力補正》は使えるか」
「使えます」
「魔力量を絞りながら形を固める練習をしろ。威力は後でいい。今は形だ」
カルドは《威力補正》を重ねた。魔力の量を少し落とす。炎の刃が小さくなった。でも、揺れが減った。
「そっちの方がいい」ファルは腕を組んだ。「大きければいいわけじゃない。安定した刃の方が、当たったときの威力は出る。分かるか」
「分かります」
テオが前に出た。「俺も触っていいか」
「触るな。燃える」
テオが「そうか」と言って引いた。それでも目は刃から離さなかった。
「次は高速移動と組み合わせる」ファルが岩壁から少し離れた。「まず単体で動かしてみろ。走りながら形を維持できるか確認する」
カルドは《高速移動》を発動した。魔力を脚に集中させながら、右手の炎の刃も保ちつづける。
走った。
刃が揺れた。
着地の衝撃で形が崩れかけた。建て直した。また崩れた。
「止まれ」ファルが言った。「走っているとき、右手に意識が向いていない。どこを見ている」
「前を」
「前を見ながら右手も意識しろ。二つ同時にやれ」
「難しい」
「難しくなければ特訓する必要がない」ファルの声は淡々としていた。責めていない。ただ、正確だった。「もう一度」
ガンズが小声でドグロに言った。「カルドでも難しいのか」
「当たり前だろ」ドグロが返した。「初めてのスキルだぞ」
「でもカルドならすぐできそうだと思ってた」
「お前はカルドを何だと思ってるんだ」
カルドはその会話を聞きながら、もう一度走った。
今度は、右手ではなく炎の「形」に意識を置くことにした。手ではなく、空間の中に刃があると思う。走りながら、その形が崩れないように空気を押さえるイメージで。
着地した。刃が揺れた。でも、崩れなかった。
「今のは保った」ファルが言った。「何が違った」
「意識の置き方を変えました。手ではなく、空間に形があると思った」
ファルが少し間を置いた。「……なるほど」腕を組んだまま、何かを考えている顔をした。「それは正しいかもしれない。剣も同じだ。刃を意識するより、切る空間を意識した方が安定する。お前は剣を持たずにそこに辿り着いた」
「偶然です」
「偶然でも、正しければいい」ファルは岩壁の方へ歩いた。「もう二十回やれ。形が崩れたら最初からやり直し」
テオが「俺たちは」と言った。
「見てろ。自分の訓練に置き換えろ」
テオは頷いて、カルドの動きを目で追い始めた。
*
午前中、繰り返した。
二十回、また二十回。《炎舞剣》を出して走る。形を保つ。着地する。消す。また出す。
十回目あたりから、形の維持が安定し始めた。走り出しの一歩目から意識を置けるようになってきた。
三十回を超えたころ、ファルが「踏み込みながら放てるか」と言った。
「試します」
踏み込んで、岩壁に向けて炎の刃を叩きつけた。
岩壁に熱の跡が残った。
「威力は低い」ファルが岩壁を見た。「だが、形は保ったまま放てた。次は《魔力圧縮》を重ねろ」
「消耗が大きくなります」
「分かっている。一回だけやれ。感覚を掴む」
カルドは《炎舞剣》に《魔力圧縮》を通した。刃の密度が上がった。熱が増した。踏み込んで岩壁に叩きつけた。
今度は、岩壁に深い跡が残った。
「それだ」ファルは岩壁の跡を指でなぞった。「これが本来の威力だ。普段は《魔力圧縮》を使わずに形を固める。使い時を見極める。消耗が大きいから、乱用すると後半に響く」
「昨日は三回目に使いました」
「それは正しかった。仕留めに行く一撃に使った。今後もそうしろ」ファルはカルドを見た。「昨日より明らかに安定している」
褒め言葉ではなかった。ただの事実だった。でも、ファルがそう言ったことに意味があった。
「ありがとうございます」
「礼はいい。続きをやれ」
ガンズが「俺たちの訓練は」と言った。
「今から始める」ファルはガンズたちの方を向いた。「カルドは自分でやれ。お前たちは付き合え」
テオが「やっと」という顔をして立ち上がった。
*
ファルのゴブリン組の訓練は、今日も容赦がなかった。
まず走った。岩場を上って下りて、また上る。バルチが早々に「足が痛い」と言った。
「痛いのは慣れていない証拠だ」ファルは並走しながら言った。「慣れれば痛くなくなる」
「いつ慣れる」バルチが息を切らしながら言った。
「走り続ければ慣れる」
「どのくらい走れば」
「走り続ければ分かる」
バルチが「それは答えじゃない」という顔をした。でも走り続けた。
テオは走りながら周囲を確認する訓練を課せられていた。岩の位置、木の影、視界の端に何があるか。走りながら報告する。
「左に岩。高さは腰くらい。右に——待て、動いた」
「何が動いた」
「木の影。小動物か」
「正しい。見えていた」ファルは前を向いたまま言った。「今日は昨日より早く気づいた」
テオは黙って走り続けた。でも少しだけ背筋が伸びた。
ウルジは別のメニューだった。攻撃を受けながら体を流す練習。受けるのではなく、当たる瞬間に体を逃がして衝撃を散らす。
「前回お前は体で受けた。次は体を流せと言った。やってみろ」
ファルが木の棒でウルジの側面を打った。ウルジが体を傾けた。棒が肩をかすめた。
「今のは流れていた」
「でも当たった」
「かすった、だ。受けるのと流すのと、当たる面積が違う。かすった方がいい」
ウルジは「なるほど」という顔をした。もう一度打たれた。今度は完全に外した。
「行き過ぎた」ファルが言った。「流し過ぎると体勢を崩す。ほどほどにしろ」
「難しい」
「そういうものだ」
カルドはその様子を横目で見ながら、自分の練習を続けた。走って、形を維持して、踏み込んで放つ。走って、維持して、放つ。
繰り返しの中で、体が少しずつ覚えていく感覚があった。
考えなくても形が出てくるようになってきた。最初は「炎の形を作ろう」と意識していた。今は走り出しと同時に自然と出てくる。
「案内人、《炎舞剣》の安定度は」
『前回使用時より制御精度が向上しています。ただし、長時間の連続使用では揺れが生じる可能性があります』
「長時間というのは」
『現時点では推定十分以上の連続使用で精度が低下します。使用間隔を置くことで改善されます』
「分かった」
昼前、ファルが「休憩にしろ」と言った。
全員が倒れるように地面に座った。バルチが「死ぬかと思った」と言った。
「死なない」ファルは水を飲みながら言った。
「足が言うことを聞かない」
「明日には少し楽になる」
「本当か」
「本当だ」ファルはバルチを見た。「お前は走り方が悪い。つま先で蹴りすぎている。かかとから着地して前に転がせ」
バルチが「そんな細かいことが」という顔をした。
「細かいことが積み重なる」
テオが「俺の走り方は」と聞いた。
「悪くない。腕の振りが少し大きい。もう少し小さくしろ」
ガンズが「俺は」と聞いた。
「問題ない」
ガンズが「そうか」と言って満足そうにした。
ドグロが「俺は」と言った。
「まだ見ていない」
「見てくれ」
「午後に見る」
ドグロが「分かった」と言って水を飲んだ。
カルドはネグルの隣に座った。ネグルは訓練に参加していなかった。ずっと観察していた。
「ネグルは走らないのですか」
「俺は見る方が好きだ」ネグルは前を向いたまま言った。「走るより、見ている方が分かることがある」
「何が分かりましたか」
「テオは走りながら周りを見ているとき、目が右から左に動く。左から右には動かない。癖だと思う」
カルドはそれをファルに伝えた。
ファルは少し目を細めた。「……正しい。気づいていたか」ネグルの方を見た。「お前は偵察に向いている」
ネグルは「知っている」という顔をした。
*
午後の訓練が終わったころ、シロが戻ってきた。
「拠点の北側に弱い魔物の群れがいる」シロは言った。「小型が十五匹ほど。ただ、数が増えている。放置すると拠点に近づく可能性がある」
ファルがカルドを見た。「やるか」
「やります。《炎舞剣》の実戦確認にもなる」
「ゴブリン組は来るか」ファルはテオたちを見た。
テオが「行く」と即答した。ガンズとドグロとバルチも頷いた。ウルジだけが「足がまだ痛い」と言ってから「でも行く」と続けた。
「行くなら動けることが条件だ」ファルがウルジを見た。「無理なら残れ」
「動ける」
「分かった。後衛で全体を見ろ。前には出るな」
全員で北側へ向かった。
*
小型魔物の群れは、岩場の窪みに固まっていた。
体長は膝くらいの高さ。爪が長く、動きは速い。単体では大した脅威にならないが、数が多く一斉に来ると厄介だ。
「《波長理解》でどうだ」シロが聞いた。
「統率はない。でも、一匹が動くと釣られる。先頭を仕留めれば残りが散る可能性がある」
「それを狙え」ファルが言った。「《炎舞剣》で先頭を一気に潰す。残りは俺とシロで対処する。ゴブリン組は外周を固めろ。逃がすな」
カルドは《炎舞剣》を出した。
午前中の練習で体が覚えた形が、すぐに出てきた。安定している。揺れていない。
「行きます」
《高速移動》を発動した。
地面を蹴った。岩場を三歩で駆け抜けた。群れの先頭に向けて踏み込んだ。
炎の刃を叩き込んだ。
先頭の三匹が吹き飛んだ。
群れが反応した。バラけた。いくつかが逃げようとした。
「テオ、右」
「見えてる」テオが右側に回り込んだ。逃げようとした二匹の前に立ち塞がった。棒を構えた。怯んだ魔物が一瞬止まった。
シロが左側に飛び込んだ。二匹を仕留めた。
ファルが正面から三匹を押さえた。剣を使わず、柄で打った。手加減していた。訓練の延長として扱っている。
「ガンズ、左後ろ」
ガンズが振り返った。一匹が岩の隙間から逃げようとしていた。棒で叩いて追い払った。
「ドグロ、バルチ、前を詰めろ」
二人が前に出た。魔物が後退した。
群れが縮んでいく。逃げ場が消えていく。
カルドは《炎舞剣》をもう二度使った。どちらも形は崩れなかった。踏み込みで揺れなかった。昨日とは全然違った。
最後の一匹が岩の上に逃げた。
シロが跳んだ。岩の上で仕留めた。
静寂。
「……終わったか」
「終わった」シロが岩から降りた。
全員の顔を確認した。擦り傷一つなかった。
ウルジが後ろから来た。「全部見えていた」と言った。「三匹、右の茂みに逃げようとしたのが見えた。でも間に合わなかった」
「声を出せ」ファルが言った。「見えているなら伝えろ。一人で抱えるな」
「次は声にする」
「そうしろ」
バルチが「足が痛かったけど動けた」と言った。
「それでいい」ファルは答えた。「痛くても動ける体を作るのが訓練だ」
バルチが「なるほど」という顔をした。
テオがカルドに近づいた。「《炎舞剣》、今日は違った」
「違いましたか」
「昨日の話では、形が崩れて苦労したと聞いた。今日は崩れていなかった。走るのと同じだ。繰り返すと体が覚える」
「テオも同じです。今日の走りは昨日より安定していた」
テオは「そうか」という顔をした。それだけで、何も言わなかった。でも少し胸を張った。
*
拠点に戻ると、ドナンとレイスが西壁の補強を終えていた。
「終わったか」ドナンがカルドを見た。「《炎舞剣》はどうだった」
「安定してきました。実戦でも崩れなかった」
「昨日より顔が落ち着いている」
「そうですか」
「昨日は疲れ果てた顔だった。今日は使い切った顔だ。違う」
カルドは少し考えた。「……確かに、違います」
「鍛冶も同じだ」ドナンは作業場に戻りながら言った。「素材を叩き続けると、ある日突然馴染む。それが今日だったんだろう」
レイスが設計図から顔を上げた。「北側の魔物は」
「片付けました。ただ、また増える可能性がある」
「ダンジョン周辺の生態系がまだ落ち着いていない。定期的に確認が必要だ」
「そうします」
夕方、ファルがカルドのそばに来た。
「今日の《炎舞剣》」ファルは腕を組んだ。「午前と午後で別のスキルみたいだった」
「そんなに変わりましたか」
「変わった」ファルは少し間を置いた。「一日でここまで安定させるのは、普通じゃない」
「ファルが教え方を変えてくれたおかげです。空間に形があると思うという発想も、ファルの言葉から来ました」
ファルは少し目を細めた。「俺はそこまで教えていない。お前が自分で辿り着いた」
「きっかけをもらいました」
「……」ファルは何かを言いかけて、止めた。それから「明日も続きをやる」と言って自分の場所に戻った。
でも、その背中は少し軽かった。気がした。
*
夜、火を囲んだ。
テオが「明日の訓練はまた走るか」と聞いた。
「そうだ」ファルは答えた。
テオが「覚悟する」という顔をした。
ガンズが「俺は走りは問題ない」と言った。
「お前は別の課題がある」ファルが言った。
「何だ」
「動きながら考えることだ。お前は止まっているときの判断は速い。でも動きながらになると遅れる」
ガンズが「そうか」と言った。少し意外そうだった。「自分では気づいていなかった」
「だから言った」
バルチが「俺の課題は」と聞いた。
「走り方だ。つま先の話をした」
「覚えている。かかとから転がす」
「そうだ。意識しろ」
ドグロが「俺は」と言った。
「午後に見た。腕が下がる癖がある。構えたとき、右腕が少し落ちる。意識して保て」
ドグロが「見てたのか」という顔をした。「何も言わなかったから気づかれていないと思った」
「全員見ている」ファルはそれだけ言って火を見た。
ネグルがカルドの隣でうとうとしていた。目が半分閉じている。それでも「帰るな」と言いたげに、肩がカルドに寄りかかっていた。
コトが遠くから見ていた。目が合った。短く頷いた。
「コトも訓練に来ますか」と声をかけた。
コトは少し考えた。「俺は剣じゃない」
「何がしたいですか」
「まだ分からない。でも、分かったときに教える」
「待ちます」
コトは頷いて、丸まった。
地図を広げた。
北側の岩場に「弱小魔物群、一掃」と記した。それから余白に小さく書いた。「《炎舞剣》、形になってきた」。
火が静かに燃えている。
川の音が続いている。
東の気配が、今夜も静かにそこにある。
また会いに行かなければと思っている。でも今日は、それより先に眠くなった。
ネグルが肩に寄りかかったまま、完全に眠っていた。




