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魔法使いの漂流者  作者: 三幸奨励
絶海孤島編
18/24

第18話 炎のかたち

「右手を見せろ」


朝、ファルが開口一番にそう言った。カルドが手を差し出すと、指先から手首にかけてをじっと確認した。昨日の爆裂型魔物との戦いで赤くなっていた皮膚は、一晩経ってだいぶ落ち着いている。


「焼けた跡がある」ファルは手を放した。「《炎舞剣》を使ったとき、自分の熱で傷めたか」


「少し。制御が甘かったと思います」


「制御できていないスキルは自分を傷つける。まずそこから直す」ファルは岩壁の前に立った。「やってみろ。ゆっくりでいい」


テオ、ガンズ、ウルジが少し離れた場所で見ていた。ドグロとバルチもいる。少し後ろにネグルが陣取っていた。


「見るなら前に来い」ファルが振り返らずに言った。


五人がぞろぞろと前に出た。ネグルだけが「俺は見るだけだ」という顔で立っている。


「《炎舞剣》」


カルドは右手に意識を集中させた。魔力を手のひらに引き込む。熱が集まってくる。前回は形を固めることに必死で、熱の制御が後回しになった。今日は順番を逆にする。まず熱の範囲を決める。手のひらの、どこからどこまでが炎の領域かを確定させてから、形を作る。


じわじわと、刃の形が出来上がっていった。


前回より時間がかかった。でも、手が熱くない。


「どうだ」


「熱くない」


「見せろ」ファルが近づいた。炎の刃を横から見た。「密度が低い。前回よりは安定しているが、まだ揺れている。《威力補正》は使えるか」


「使えます」


「魔力量を絞りながら形を固める練習をしろ。威力は後でいい。今は形だ」


カルドは《威力補正》を重ねた。魔力の量を少し落とす。炎の刃が小さくなった。でも、揺れが減った。


「そっちの方がいい」ファルは腕を組んだ。「大きければいいわけじゃない。安定した刃の方が、当たったときの威力は出る。分かるか」


「分かります」


テオが前に出た。「俺も触っていいか」


「触るな。燃える」


テオが「そうか」と言って引いた。それでも目は刃から離さなかった。


「次は高速移動と組み合わせる」ファルが岩壁から少し離れた。「まず単体で動かしてみろ。走りながら形を維持できるか確認する」


カルドは《高速移動》を発動した。魔力を脚に集中させながら、右手の炎の刃も保ちつづける。


走った。


刃が揺れた。


着地の衝撃で形が崩れかけた。建て直した。また崩れた。


「止まれ」ファルが言った。「走っているとき、右手に意識が向いていない。どこを見ている」


「前を」


「前を見ながら右手も意識しろ。二つ同時にやれ」


「難しい」


「難しくなければ特訓する必要がない」ファルの声は淡々としていた。責めていない。ただ、正確だった。「もう一度」


ガンズが小声でドグロに言った。「カルドでも難しいのか」


「当たり前だろ」ドグロが返した。「初めてのスキルだぞ」


「でもカルドならすぐできそうだと思ってた」


「お前はカルドを何だと思ってるんだ」


カルドはその会話を聞きながら、もう一度走った。


今度は、右手ではなく炎の「形」に意識を置くことにした。手ではなく、空間の中に刃があると思う。走りながら、その形が崩れないように空気を押さえるイメージで。


着地した。刃が揺れた。でも、崩れなかった。


「今のは保った」ファルが言った。「何が違った」


「意識の置き方を変えました。手ではなく、空間に形があると思った」


ファルが少し間を置いた。「……なるほど」腕を組んだまま、何かを考えている顔をした。「それは正しいかもしれない。剣も同じだ。刃を意識するより、切る空間を意識した方が安定する。お前は剣を持たずにそこに辿り着いた」


「偶然です」


「偶然でも、正しければいい」ファルは岩壁の方へ歩いた。「もう二十回やれ。形が崩れたら最初からやり直し」


テオが「俺たちは」と言った。


「見てろ。自分の訓練に置き換えろ」


テオは頷いて、カルドの動きを目で追い始めた。



午前中、繰り返した。


二十回、また二十回。《炎舞剣》を出して走る。形を保つ。着地する。消す。また出す。


十回目あたりから、形の維持が安定し始めた。走り出しの一歩目から意識を置けるようになってきた。


三十回を超えたころ、ファルが「踏み込みながら放てるか」と言った。


「試します」


踏み込んで、岩壁に向けて炎の刃を叩きつけた。


岩壁に熱の跡が残った。


「威力は低い」ファルが岩壁を見た。「だが、形は保ったまま放てた。次は《魔力圧縮》を重ねろ」


「消耗が大きくなります」


「分かっている。一回だけやれ。感覚を掴む」


カルドは《炎舞剣》に《魔力圧縮》を通した。刃の密度が上がった。熱が増した。踏み込んで岩壁に叩きつけた。


今度は、岩壁に深い跡が残った。


「それだ」ファルは岩壁の跡を指でなぞった。「これが本来の威力だ。普段は《魔力圧縮》を使わずに形を固める。使い時を見極める。消耗が大きいから、乱用すると後半に響く」


「昨日は三回目に使いました」


「それは正しかった。仕留めに行く一撃に使った。今後もそうしろ」ファルはカルドを見た。「昨日より明らかに安定している」


褒め言葉ではなかった。ただの事実だった。でも、ファルがそう言ったことに意味があった。


「ありがとうございます」


「礼はいい。続きをやれ」


ガンズが「俺たちの訓練は」と言った。


「今から始める」ファルはガンズたちの方を向いた。「カルドは自分でやれ。お前たちは付き合え」


テオが「やっと」という顔をして立ち上がった。



ファルのゴブリン組の訓練は、今日も容赦がなかった。


まず走った。岩場を上って下りて、また上る。バルチが早々に「足が痛い」と言った。


「痛いのは慣れていない証拠だ」ファルは並走しながら言った。「慣れれば痛くなくなる」


「いつ慣れる」バルチが息を切らしながら言った。


「走り続ければ慣れる」


「どのくらい走れば」


「走り続ければ分かる」


バルチが「それは答えじゃない」という顔をした。でも走り続けた。


テオは走りながら周囲を確認する訓練を課せられていた。岩の位置、木の影、視界の端に何があるか。走りながら報告する。


「左に岩。高さは腰くらい。右に——待て、動いた」


「何が動いた」


「木の影。小動物か」


「正しい。見えていた」ファルは前を向いたまま言った。「今日は昨日より早く気づいた」


テオは黙って走り続けた。でも少しだけ背筋が伸びた。


ウルジは別のメニューだった。攻撃を受けながら体を流す練習。受けるのではなく、当たる瞬間に体を逃がして衝撃を散らす。


「前回お前は体で受けた。次は体を流せと言った。やってみろ」


ファルが木の棒でウルジの側面を打った。ウルジが体を傾けた。棒が肩をかすめた。


「今のは流れていた」


「でも当たった」


「かすった、だ。受けるのと流すのと、当たる面積が違う。かすった方がいい」


ウルジは「なるほど」という顔をした。もう一度打たれた。今度は完全に外した。


「行き過ぎた」ファルが言った。「流し過ぎると体勢を崩す。ほどほどにしろ」


「難しい」


「そういうものだ」


カルドはその様子を横目で見ながら、自分の練習を続けた。走って、形を維持して、踏み込んで放つ。走って、維持して、放つ。


繰り返しの中で、体が少しずつ覚えていく感覚があった。


考えなくても形が出てくるようになってきた。最初は「炎の形を作ろう」と意識していた。今は走り出しと同時に自然と出てくる。


「案内人、《炎舞剣》の安定度は」


『前回使用時より制御精度が向上しています。ただし、長時間の連続使用では揺れが生じる可能性があります』


「長時間というのは」


『現時点では推定十分以上の連続使用で精度が低下します。使用間隔を置くことで改善されます』


「分かった」


昼前、ファルが「休憩にしろ」と言った。


全員が倒れるように地面に座った。バルチが「死ぬかと思った」と言った。


「死なない」ファルは水を飲みながら言った。


「足が言うことを聞かない」


「明日には少し楽になる」


「本当か」


「本当だ」ファルはバルチを見た。「お前は走り方が悪い。つま先で蹴りすぎている。かかとから着地して前に転がせ」


バルチが「そんな細かいことが」という顔をした。


「細かいことが積み重なる」


テオが「俺の走り方は」と聞いた。


「悪くない。腕の振りが少し大きい。もう少し小さくしろ」


ガンズが「俺は」と聞いた。


「問題ない」


ガンズが「そうか」と言って満足そうにした。


ドグロが「俺は」と言った。


「まだ見ていない」


「見てくれ」


「午後に見る」


ドグロが「分かった」と言って水を飲んだ。


カルドはネグルの隣に座った。ネグルは訓練に参加していなかった。ずっと観察していた。


「ネグルは走らないのですか」


「俺は見る方が好きだ」ネグルは前を向いたまま言った。「走るより、見ている方が分かることがある」


「何が分かりましたか」


「テオは走りながら周りを見ているとき、目が右から左に動く。左から右には動かない。癖だと思う」


カルドはそれをファルに伝えた。


ファルは少し目を細めた。「……正しい。気づいていたか」ネグルの方を見た。「お前は偵察に向いている」


ネグルは「知っている」という顔をした。



午後の訓練が終わったころ、シロが戻ってきた。


「拠点の北側に弱い魔物の群れがいる」シロは言った。「小型が十五匹ほど。ただ、数が増えている。放置すると拠点に近づく可能性がある」


ファルがカルドを見た。「やるか」


「やります。《炎舞剣》の実戦確認にもなる」


「ゴブリン組は来るか」ファルはテオたちを見た。


テオが「行く」と即答した。ガンズとドグロとバルチも頷いた。ウルジだけが「足がまだ痛い」と言ってから「でも行く」と続けた。


「行くなら動けることが条件だ」ファルがウルジを見た。「無理なら残れ」


「動ける」


「分かった。後衛で全体を見ろ。前には出るな」


全員で北側へ向かった。



小型魔物の群れは、岩場の窪みに固まっていた。


体長は膝くらいの高さ。爪が長く、動きは速い。単体では大した脅威にならないが、数が多く一斉に来ると厄介だ。


「《波長理解》でどうだ」シロが聞いた。


「統率はない。でも、一匹が動くと釣られる。先頭を仕留めれば残りが散る可能性がある」


「それを狙え」ファルが言った。「《炎舞剣》で先頭を一気に潰す。残りは俺とシロで対処する。ゴブリン組は外周を固めろ。逃がすな」


カルドは《炎舞剣》を出した。


午前中の練習で体が覚えた形が、すぐに出てきた。安定している。揺れていない。


「行きます」


《高速移動》を発動した。


地面を蹴った。岩場を三歩で駆け抜けた。群れの先頭に向けて踏み込んだ。


炎の刃を叩き込んだ。


先頭の三匹が吹き飛んだ。


群れが反応した。バラけた。いくつかが逃げようとした。


「テオ、右」


「見えてる」テオが右側に回り込んだ。逃げようとした二匹の前に立ち塞がった。棒を構えた。怯んだ魔物が一瞬止まった。


シロが左側に飛び込んだ。二匹を仕留めた。


ファルが正面から三匹を押さえた。剣を使わず、柄で打った。手加減していた。訓練の延長として扱っている。


「ガンズ、左後ろ」


ガンズが振り返った。一匹が岩の隙間から逃げようとしていた。棒で叩いて追い払った。


「ドグロ、バルチ、前を詰めろ」


二人が前に出た。魔物が後退した。


群れが縮んでいく。逃げ場が消えていく。


カルドは《炎舞剣》をもう二度使った。どちらも形は崩れなかった。踏み込みで揺れなかった。昨日とは全然違った。


最後の一匹が岩の上に逃げた。


シロが跳んだ。岩の上で仕留めた。


静寂。


「……終わったか」


「終わった」シロが岩から降りた。


全員の顔を確認した。擦り傷一つなかった。


ウルジが後ろから来た。「全部見えていた」と言った。「三匹、右の茂みに逃げようとしたのが見えた。でも間に合わなかった」


「声を出せ」ファルが言った。「見えているなら伝えろ。一人で抱えるな」


「次は声にする」


「そうしろ」


バルチが「足が痛かったけど動けた」と言った。


「それでいい」ファルは答えた。「痛くても動ける体を作るのが訓練だ」


バルチが「なるほど」という顔をした。


テオがカルドに近づいた。「《炎舞剣》、今日は違った」


「違いましたか」


「昨日の話では、形が崩れて苦労したと聞いた。今日は崩れていなかった。走るのと同じだ。繰り返すと体が覚える」


「テオも同じです。今日の走りは昨日より安定していた」


テオは「そうか」という顔をした。それだけで、何も言わなかった。でも少し胸を張った。



拠点に戻ると、ドナンとレイスが西壁の補強を終えていた。


「終わったか」ドナンがカルドを見た。「《炎舞剣》はどうだった」


「安定してきました。実戦でも崩れなかった」


「昨日より顔が落ち着いている」


「そうですか」


「昨日は疲れ果てた顔だった。今日は使い切った顔だ。違う」


カルドは少し考えた。「……確かに、違います」


「鍛冶も同じだ」ドナンは作業場に戻りながら言った。「素材を叩き続けると、ある日突然馴染む。それが今日だったんだろう」


レイスが設計図から顔を上げた。「北側の魔物は」


「片付けました。ただ、また増える可能性がある」


「ダンジョン周辺の生態系がまだ落ち着いていない。定期的に確認が必要だ」


「そうします」


夕方、ファルがカルドのそばに来た。


「今日の《炎舞剣》」ファルは腕を組んだ。「午前と午後で別のスキルみたいだった」


「そんなに変わりましたか」


「変わった」ファルは少し間を置いた。「一日でここまで安定させるのは、普通じゃない」


「ファルが教え方を変えてくれたおかげです。空間に形があると思うという発想も、ファルの言葉から来ました」


ファルは少し目を細めた。「俺はそこまで教えていない。お前が自分で辿り着いた」


「きっかけをもらいました」


「……」ファルは何かを言いかけて、止めた。それから「明日も続きをやる」と言って自分の場所に戻った。


でも、その背中は少し軽かった。気がした。



夜、火を囲んだ。


テオが「明日の訓練はまた走るか」と聞いた。


「そうだ」ファルは答えた。


テオが「覚悟する」という顔をした。


ガンズが「俺は走りは問題ない」と言った。


「お前は別の課題がある」ファルが言った。


「何だ」


「動きながら考えることだ。お前は止まっているときの判断は速い。でも動きながらになると遅れる」


ガンズが「そうか」と言った。少し意外そうだった。「自分では気づいていなかった」


「だから言った」


バルチが「俺の課題は」と聞いた。


「走り方だ。つま先の話をした」


「覚えている。かかとから転がす」


「そうだ。意識しろ」


ドグロが「俺は」と言った。


「午後に見た。腕が下がる癖がある。構えたとき、右腕が少し落ちる。意識して保て」


ドグロが「見てたのか」という顔をした。「何も言わなかったから気づかれていないと思った」


「全員見ている」ファルはそれだけ言って火を見た。


ネグルがカルドの隣でうとうとしていた。目が半分閉じている。それでも「帰るな」と言いたげに、肩がカルドに寄りかかっていた。


コトが遠くから見ていた。目が合った。短く頷いた。


「コトも訓練に来ますか」と声をかけた。


コトは少し考えた。「俺は剣じゃない」


「何がしたいですか」


「まだ分からない。でも、分かったときに教える」


「待ちます」


コトは頷いて、丸まった。


地図を広げた。


北側の岩場に「弱小魔物群、一掃」と記した。それから余白に小さく書いた。「《炎舞剣》、形になってきた」。


火が静かに燃えている。


川の音が続いている。


東の気配が、今夜も静かにそこにある。


また会いに行かなければと思っている。でも今日は、それより先に眠くなった。


ネグルが肩に寄りかかったまま、完全に眠っていた。

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