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魔法使いの漂流者  作者: 三幸奨励
絶海孤島編
15/22

第15話 東の声

朝、デルタが拠点に来た。


いつもより早い時間だった。川の霧がまだ残っている。

「何かあったか」と僕は聞いた。


案内人が伝える。


デルタが少し間を置いた。それから、「東の声が、昨夜また近づいた」と言った。


『「近づいただけではない。止まった。待っている」』

「分かった。今日、みんなと話したい」

案内人が伝える。

デルタが頷いた。それだけで、火のそばに座った。



全員が揃ったのは、朝食の後だった。

珍しい顔ぶれだった。カルド、シロ、ファル、ドナン、レイス。それにデルタ。


ゴブリンたちは少し離れた場所で作業をしている。ネグルだけが、なぜか端のほうに陣取っていた。「聞こえないくらい遠い」という程度の距離に。聞こえているだろうと思ったが、追い払わなかった。


「東の気配の話をします」


「昨夜、波長で『明日会いに行く』と送りました。反応がありました。今朝、デルタから『待っている』と聞きました」

誰も口を挟まなかった。


「害意は読めない。でも確信はない。向かうかどうか、みんなの意見を聞きたい」


しばらく、沈黙があった。

「デルタ」とファルが言った。「東の声とは、何だ」

案内人が伝える。


デルタが少し目を細めた。それから、ゆっくり話し始めた。

『「古い言い伝えだ。この島に最初からある声、と言われている。悪いものではないと言われてきた。ただ、正体を知る者は誰もいない。近づこうとした者もいたが、近づけなかった」』


「近づけなかった、というのは」とレイスが言った。


『「道がなかった。東の森は深い。魔物も多い。たどり着く前に引き返した」』


「でも今は、向こうから来ている」


デルタが頷いた。

『「そうだ。それが変わったことだ。昔の言い伝えでは、声は呼ぶだけだった。こちらに来ることはなかった」』


「ダンジョンを攻略してから動き出した」とシロが言った。「僕たちが何かを変えた」

「可能性はある」

レイスが静かに言った。

「石板には『試された者よ、上に還れ。問いは続く』とあった。ダンジョンのボスを倒したことで、次の段階に進んだのかもしれない」


「山の頂の話と繋がるか」

「そう考えると筋が通る」

ドナンが腕を組んだ。

「行くなら全員か」

「それを決めたい」

僕は真剣な顔で言った。


「危険があるなら、人数を絞る方がいい場合もある。でも今回は、戦闘のための接触ではないと思っている」

「なぜ」とファルが聞いた。


「向こうが選べるなら、もう動いていたはずです。ダンジョンをクリアした直後から、観察している。でも攻撃はしていない」


「それは今まで、という話だ」

「そうです。だから断言はしない。でも、これは会話だと思っている」


ファルが少し間を置いた。


「……会話のために全員で行く必要があるか」

「ない。でも、全員に知っておいてほしい。僕が何をしようとしているのかを。それで、行きたい者だけ来てほしい」

シロが「行く」と言った。間を置かずに。


ドナンが「俺も」と言った。それだけだった。


レイスが「記録が必要だ。私も行く」と言った。

全員がファルを見た。

ファルは少し視線を落とした。火のそばで、両膝に手を置いたまま、何かを考えていた。


「ファル」と僕は言った。「無理に来なくていい」

「そういうことではない」とファルが言った。「……少し、思い出したことがある」


誰も急かさなかった。


「前に組んでいた仲間が、いた。四人いた。ある場所で、原因が分からない何かに接触した。一人が先に進もうとした。止めることができなかった。その者は戻ってこなかった」

静かな声だった。感情を乗せていない声だが、だからこそ、重かった。


「詳しくは話せない。まだ話す準備がない。ただ——」ファルが顔を上げた。

「正体が分からないものに近づくときは、引き返す条件を決めてから行け。あのとき、それをしていなかった」

「……ありがとうございます」

「礼はいい。条件を決めるなら、一緒に決める」

それがファルの答えだった。



引き返す条件を決めた。

《波長理解》が敵対的な波長を感知したら即撤退。案内人が「断定できない」と言った時点で立ち止まる。デルタは拠点で待つ。ゴブリンたちには理由を伝えて、僕たちが戻るまで拠点を守ってもらう。


デルタが「分かった」と言った。それから付け加えた。

『「戻ってこい」』


「戻ります」

デルタが短く頷いた。

ネグルが端のほうから近づいてきた。袖を引っ張った。

「聞こえてたのか」

ネグルが何かを言った。

案内人が伝える前に、なんとなく分かった。「気をつけろ」と言っているようだった。

案内人が訳した。『「早く帰ってこい。隣が空く」』

「……帰ります」

ネグルが満足そうに離れた。

コトが遠くから見ていた。目が合った。短く頷いた。それだけだった。



東へ向かった。

五人と一匹。

森の密度が増した。昼間でも薄暗くなってきた。木の根が複雑に絡み合っている。足元に苔が多い。

「《波長理解》はどうだ」とファルが聞いた。

「近い。ずっと同じ場所にある。動いていない」


「待っているのか、それとも動けないのか」


「動けない、という感じではない。意図して待っている」

シロが鼻を鳴らした。

「匂いがある。嗅ぎ慣れた匂いが。」

「どういう意味だ」とドナンが言った。


「この島で、ずっと嗅いできた匂いだ」


「ずっと」


「この島に生まれてから、ずっと」


誰も言葉を続けなかった。

シロがこの島の生まれであることを、全員が知っている。


「シロ」と僕は言った。

「怖いか」

シロが少し間を置いた。


「分からない」と言った。「でも、逃げたくはない」

「それで十分です」


木々が開けた。

小さな空間があった。岩が積み重なって、自然には作られたとは思えない形をしている。正確に、ある意図を持って積まれている。石柱の丘と似ているが、もっと小さい。

その中央に、何かがいた。

形は、はっきりしない。人間でも魔物でもない。光の塊のようで、でも光よりも密度がある。波長が、ここから全方向に広がっている。

《波長理解》が、それを読んだ。

害意はない。

でも、それ以上が分からない。

「案内人」

『感知しています。既知の生物・魔物のパターンと一致しません。ただし、敵対的な波長は検出されていません』

「何者かは」


『断定できません』


それが、東の声だった。

ファルが剣に手をかけたまま、でも抜かずに立っている。ドナンが僕の横に位置を取った。レイスが後方で全体を見ている。シロが前に出た。


東の声が、動いた。

ではなく、波長が変わった。


言語ではない。でも、意味がある。《波長理解》がそれを読もうとする。

「……何かを言っている」

「分かるか」とレイスが言った。

「言葉じゃない。でも——」


集中した。

波長の中に、形があった。島の形。山の頂。石柱の丘。ダンジョン。そして、拠点の場所。


「島のことを言っている。全部知っている」

次の波長が来た。

今度は、問いの形をしていた。

言葉にするなら——

「お前たちは、何をしに来た」

そういう意味だと、思った。

僕は、東の声を見た。


……漂流してきました。


波長に乗せ答えた。

東の声が、静止した。

それから、また波長が来た。


今度は長かった。複雑だった。《波長理解》だけでは全部は読めない。でも、断片は分かった。

驚いている。そういう答えを、待っていなかった。


「一度引き返しましょう。意思疎通ができました。詳しくは拠点で。」


シロが低く息を吐いた。ファルが剣から手を離した。ドナンが一度だけ瞬きをした。レイスもほっとした様子だ。




帰り道は、行きより静かだった。

誰も余計なことを言わなかった。でも、重い沈黙ではなかった。何かが始まったという、少し不思議な感覚が、全員にあったと思う。


「正体は分からないままだな」とドナンが言った。

「そうですね」

「でも、悪いものではない、という感じはした」


「俺は素材を見るとき、形だけじゃなく匂いも確かめる。あれは、悪い匂いじゃなかった」

ドナンなりの判断だった。


ファルが「条件は破らなかった」と言った。

「ファルのおかげです」


「違う。お前が決めた。私は手伝っただけだ」

「……それでも」


ファルが短く息を吐いた。それ以上は言わなかった。

シロが僕の隣に来た。

「あの匂い」と、小さな声で言った。

「うん」

「また嗅いだことがある。産まれたとき、最初に嗅いだ匂いに似ている気がする」


僕は何も言えなかった。


シロが「気のせいかもしれない」と続けた。「でも、気のせいではない気もする」


「次に会うとき、聞いてみよう」


「……聞けるのか」


「何とかして聞きます」


シロが短く息を吐いた。

拠点が見えてきた。


ネグルが入口のそばで待っていた。僕を見て、素早く自分の定位置に戻った。何食わぬ顔で。


「待ってたんじゃないのか」

案内人が伝える。

ネグルが何かを言った。


『「待っていない。たまたまここにいた」』

「そうか」

コトが遠くから見ていた。目が合った。短く頷いた。今日で二度目だった。


火を起こした。

地図を広げた。


東の岩場に、小さく印をつけた。「東の声」と書いた。

それから、余白に記した。「問いは続く——」

石板に刻まれていた言葉が、今日初めて、本当の意味を持った気がした。

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