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魔法使いの漂流者  作者: 三幸奨励
絶海孤島編
13/22

第13話 ゴブリンたち

朝、拠点が騒がしかった。


ドナンが岩壁に金具を打ち込んでいる音。

レイスが設計図を広げながら何かを呟いている声。


ダンジョンから戻って三日が経っていた。


全員の傷は癒えた。ファルの腕の傷も、もうほとんど分からない。ドナンが打ち身を二か所負っていたが、「問題ない」と言って翌日から作業を再開した。


「今日はどこまで伸ばすんですか」


レイスが設計図を指差した。


「北側にもう一棟。それと、東の岩壁を利用して貯蔵庫を作りたい。素材の量が増えてきたから」


「ゴーレムから取れた岩の欠片も置き場が必要ですね」


「そうだ。ドナンが加工できるものを選り分けてくれている」


ドナンが遠くから「使えるものが多い」と言った。


「ゴーレムの岩は密度が高い。武器の素材になる」


「武器、か」とファルが静かに言った。コーヒーのように煮出した木の実の汁を飲みながら、外を見ている。「そういう段階になってきたな」


「拠点が広がれば、守る必要も出てくる」とレイスが言った。「早めに考えておく方がいい」


「今日は北側を探索したいと思っています」と僕は言った。「まだ白紙の部分が多い」


「全員で行くか」


「体力的には問題ないです。ダンジョンより楽なはずなので」


ファルが立ち上がった。


「行こう。ドナンとレイスは今日は作業があるか」


「私は行ける」とレイスが言った。「設計は頭の中に入っている。現場を見ながら考えたい」


「俺も行く」とドナンが言った。作業の手を止めずに、でも立ち上がりながら。「北側の地形を見ておきたい。素材が眠っているかもしれない」


シロが「出発するなら早い方がいい」と言った。すでに入口の傍に立っている。


全員で、北へ向かった。



北側の森は、今まで探索した場所と少し違った。


木が太い。密度が高い。足元に苔が多い。光が届きにくくて、昼間でも薄暗い感じがする。


「《波長理解》、どうだ」とファルが聞いた。


「反応が多い。ただ、ほとんどが小型で、遠い。近くには——」


少し、引っかかった。


「……何かいる。魔物じゃない。もっと細かい波長だ」


「人間か」


「人間とも違う。でも、知性がある感じがする」


シロが鼻を鳴らした。


「匂いがする。煙だ。火を使っている」


「この先に何かある」


全員で慎重に進んだ。


木々の間から、何かが見えてきた。


小さな建物が、いくつか並んでいる。木と泥で作られた小屋だ。大きさはまちまちで、丁寧に作られたものもあれば、急いで建てたような粗いものもある。


村だ。


「……こんな場所に」


「魔物の村か」とファルが低く言った。手が剣に伸びかけた。


「待って」と僕は言った。「敵意はない。《波長理解》で読める。怯えてる。こっちを怖がってる」


「怖がっているなら逃げる。逃げていない」


「何かに困っているからだと思う」


そのとき、茂みが揺れた。


小さな影が、転がるように飛び出してきた。


緑色の肌。大きな耳。丸い目。


ゴブリンだった。


一匹ではない。二匹、三匹——気づけば周囲に十匹ほどのゴブリンが集まっていた。でも誰も武器を持っていない。全員が、こちらを見て何かを言っている。


言葉が分からない。


「案内人、言葉は」


『解析します。……ゴブリン語系の方言です。標準的な魔物語とは少し異なりますが、基本的な意味は取れます』


「何て言ってる」


『「助けてくれ」「来てくれ」「早く」——繰り返しています。何かが急いでいる様子です』


「助けを求めてる」


ファルが剣から手を離した。


その中の一匹が、他より少し大きかった。年老いてはいないが、他のゴブリンよりも目に落ち着きがある。リーダーだろうと思った。


そのゴブリンが、僕の方に真っ直ぐ近づいてきた。


胸に手を当てて、頭を下げた。


「……デルタ」


自分の名前を言っているのだと分かった。


「カルドです」と僕は答えた。


デルタが顔を上げた。目が合った。


「カルド」とデルタが繰り返した。それから、森の奥を指差した。


その方向から、地面が揺れた。


「来る」とシロが言った。



森の奥から現れたのは、巨大な熊型の魔物だった。


体長は四メートルを超えている。全身の毛が逆立っていて、目が赤く充血している。普通の熊型魔物とは違う。魔力が膨れ上がっている。凶暴化しているか、縄張りを荒らされて怒り狂っているか。


村の方向に向かっていた。


「村を狙ってる」


『警告。凶暴化した大熊型魔物です。通常個体より身体能力が約二倍に増強されています。魔力も不安定な状態です』


「不安定というのは」


『感情的に暴走しています。理性的な判断ができない状態です。ただし、それが弱点にもなります』


「どういうこと」


『冷静な個体は弱点を本能的に守ります。この個体は守りません』


「つまり弱点を狙いやすい」


「状況を説明してくれ」とファルが言った。剣を抜きながら、でも目は魔物から離さずに。


「弱点が露出している大型魔物です。ただし速くて力が強い。《慧眼》で急所を確認します——」


《慧眼》を向ける。


凶暴化した状態でも、急所は変わらない。首の付け根。左前足の関節。腹部の毛が薄い部分。


「首の付け根、左前足の関節、腹部の薄い部分。三か所です」


「連携で各部位を同時に崩す」とファルが言った。「シロ、左前足を頼む。ドナン、腹部に入れるか」


「できる」とドナンが、短く言った。目が鋭くなっている。


「私は後方で状況を見る」とレイスが言った。「全体の動きを把握する」


「カルド、首の付け根を頼む。《魔力圧縮》を使え」


「了解」


そのとき、デルタが声を上げた。


他のゴブリンたちが散った。でも逃げたわけじゃない。村の方向に走りながら、何かを取ってきた。


石を括りつけた棒。粗末な弓。


武器だ。


「……一緒に戦うつもりか」


デルタが短く何かを言った。


『「私たちの村だ。私たちも守る」』


「案内人、デルタに伝えてくれ。左前足の付け根に集中してほしい。そこが一番崩れやすい」


『伝えます』


案内人が何かを言った。デルタが頷いた。他のゴブリンたちに素早く指示を出す。


「行く」とファルが言った。


魔物が、こちらに気づいた。


赤い目が、向いた。


「来い——」


魔物が動いた。


速い。凶暴化した分、動作が荒い。でも力は本物だ。


ファルが正面から向かう。


魔物の爪を、剣で流す。一本、二本。


「シロ!」


シロが左前足の関節に飛びかかった。牙が関節を捉える。


同時に、ゴブリンたちが棒で左前足の付け根を叩き始めた。ばらばらではなく、デルタが指示した通りに、集中して。


魔物の左前足が揺れた。


「今だ」


魔力を引き込む。圧縮する。


首の付け根に向けて放つ。


《魔力圧縮》を乗せた火球が、首の付け根に直撃した。


魔物が大きくよろけた。


ドナンが腹部に棒を突き刺す。


「続けて」とファルが言った。


魔物が向き直った。今度はシロを狙った。


「シロ、右!」


シロが跳んだ。


魔物の爪がシロをかすった。


「シロ!」


「問題ない」と、少しだけ荒い息で言った。「続けろ」


魔物がもう一度こちらを向いた。


ゴブリンたちが叫びながら棒を振り続けている。怖いはずなのに、誰も逃げない。デルタが先頭に立って、一番近い場所で戦っている。


レイスが後方から言った。


「右後足、さっきから庇っている。元々傷があるはずだ」


「急所じゃないが、そこに集中すれば動きが鈍る」とファルが言った。「カルド」


「分かった。デルタに伝えてほしい」


案内人が伝える。


デルタが即座に動いた。ゴブリンたちが右後足に集中し始める。


ファルが正面から圧力をかける。


魔物の動きが落ちた。


「今」


シロが首の付け根に飛びかかった。


僕が《魔力圧縮》を重ねた火球を腹部に叩き込む。


ドナンが関節に棒を捻じ込む。


爆発。


魔物が倒れた。


地面が、揺れた。


静寂。


ゴブリンたちが、一瞬止まった。


それから、一斉に声を上げた。


喜びの声だった。



「……みんな、無事ですか」


「問題ない」とファルが答えた。腕の古傷の近くを少し押さえているが、新しい傷ではないようだ。


「シロ」


「かすり傷だ」と、耳を少し伏せながら言った。「問題ない」


ゴブリンたちが、こちらに集まってきた。デルタが先頭に立って、全員に頭を下げた。


『「ありがとう。村を守ってくれた」』と案内人が訳した。


「一緒に戦ったのはあなたたちだ」と僕は言った。「案内人、伝えてくれ」


案内人が伝える。


デルタが少し目を見開いた。それから、照れたように鼻を鳴らした。


「デルタ、一つ聞いていいか」と僕は言った。「案内人に頼んで伝えてもらう」


デルタが頷いた。


「あの魔物は、前からここにいたのか。それとも最近来たのか」


『「最近だ。三日前から現れた。ダンジョンの方から来た」』


ダンジョンの方から。


「ゴーレムを倒したから、縄張りが崩れたのかもしれない」とレイスが静かに言った。「ダンジョン内の生態系に影響が出た可能性がある」


「僕たちのせいでこの村が危険になったということか」


「結果としては、そうかもしれない」


レイスが少し眉をひそめた。


「ただ、こうして解決できた。次のことを考えよう」


デルタが何かを言った。


『「あなたたちは、どこから来た。この島に人間がいるとは知らなかった」』


「この島の南側に拠点を作っています。僕たちは流れ着いた者です」と僕は答えた。「この島で、一緒に生きていきたいと思っている。良ければ、仲間になってほしい」


案内人が伝える。


デルタが黙った。


他のゴブリンたちを見回した。何か話し合っている。


長くはかからなかった。


デルタが振り返った。


『「条件がある」』


「聞かせてほしい」


『「村は残す。ここは私たちの場所だ。ただ、若い者と手先が器用な者は、あなたたちの拠点で学びたい。行き来できるようにしたい」』


「もちろんです」


『「それと——」』デルタが少し間を置いた。『「あなたたちのことを、もっと知りたい。この島で何をしようとしているのか」』


「強い者も弱い者も、人間も魔物も関係なく、生きていける場所を作りたい」


案内人が伝える。


デルタは少し目を細めた。


「どんな顔をしてる?」と僕は案内人に聞いた。


『……笑っているようです』


デルタが何かを言った。


『「面白い人間だ」』


「よく言われます」


デルタが短く笑った。言葉が分からなくても、笑いは分かった。



「一つお願いがある」と僕は言った。


デルタが頷く。


「みんなに名前をつけさせてほしい。もし良ければ、こちらで呼び名を考えたい。嫌なら断ってくれていい」


案内人が伝える。


デルタがしばらく考えた。


それから、何かを言った。


『「私たちは名前を持たない者が多い。リーダーと古い者だけが名前を持つ。若い者たちに名前をつけてくれるなら、嬉しい」』


「分かった。ただ、今日はまだ顔も覚えられていない。一緒に過ごしながら、一人ずつつけていきたい」


案内人が伝える。


デルタが少し目を細めた。それから、笑った。


『「焦らなくていい。名前は、その者を見てつけるものだ」』


「そうします」


デルタが何かを言った。


『「ただ、一つだけ言っておく。私たちの言葉では、名前はつけた者への誓いだ。名前を受け取った者は、つけた者に忠誠を誓う。それでもいいか」』


静かな言葉だった。


全員が、こちらを見ていた。


ゴブリンたちだけじゃない。

ファルも、シロも、ドナンも、レイスも。


「……受け取ります」


案内人が伝える。


デルタが深く頭を下げた。


それから、顔を上げて、笑った。


『「では、よろしく頼む、カルド」』



拠点への帰り道は、にぎやかだった。


十五匹のゴブリンが一緒に歩いている。きょろきょろしている一匹がシロの尻尾を追いかけようとして、シロに睨まれた。道具好きらしい一匹はドナンの工具袋をずっと眺めていた。一番小さい一匹は途中から僕の隣を歩き始めた。子供のはずなのに、一番堂々としていた。


「ドナン」と僕は言った。


「何だ」


「その子、道具に興味があるみたいです」


ドナンが後ろを見た。その子がさっと目をそらした。


「……こっちに来い」


おずおずと近づく。


ドナンが工具袋から小さな鉄片を取り出した。手渡した。


その子が、両手で受け取った。しげしげと眺める。


「素材が分かるか」


案内人が伝える。


少し考えてから、頷いた。何かを言った。


『「硬い。でも、熱を加えると変わる」』


ドナンが少し目を細めた。


「……正しい」と、低い声で言った。


それだけだったが、その子は嬉しそうに鉄片を抱えた。


レイスは腕の長い一匹に気づいて、「建築の仕事に向いている」と言った。その子が首を傾けた。案内人が伝えると、目が輝いた。


ファルはずっと自分を観察している一匹に気づいていた。


「何を見ている」と剣に手をかけながら聞いた。


案内人が伝える。


その子が真剣な顔で何かを言った。


『「あなたの剣の動きを見ていた。速い。どうやって動くのか知りたい」』


ファルが少し間を置いた。


「……探索者になりたいのか」


案内人が伝える。


力強く頷いた。


ファルが短く息を吐いた。そして、少し口角を上げた。


「教えられるかどうかは分からないが、見ていろ」


拠点が見えてきたとき、十五匹のゴブリンが全員立ち止まった。


広い空間。岩壁に支えられた小屋。川の音。火の跡。


ルカが何かを言った。


『「大きい」』


「まだ大きくなります」と僕は言った。


ルカが目を丸くした。


コトが僕の袖を引っ張った。


『「ここが、新しい場所か」』


「そうです。みんなの場所でもある」


コトが拠点を見た。


それから、短く何かを言った。


『「悪くない」』



夜、火を囲んだ。


今までで一番多い人数だった。


ゴブリンたちは慣れない場所でも、思ったより落ち着いていた。ルカだけがずっとそわそわしていたが、シロの傍に座ることで落ち着いたようだった。シロは特に何も言わなかった。ただ、追い払いもしなかった。


「今日は疲れた」とレイスが笑いながら言った。「いい疲れだが」


「一気に増えましたね」


「三十人分の名前をこれからつけていくのか」とファルが、少し呆れた目で言った。


「一人ずつ、顔を見ながらつけます」


「……そういうものか」


ドナンが鉄片を抱えたまま眠ってしまったゴブリンの子を見た。手から離さずに。


「……使える」と、静かに言った。


「弟子にするつもりですか」


「そんな大袈裟なものじゃない」と言いながら、少しだけ口角が上がっていた。


レイスが腕の長い一匹を見た。その子はレイスの設計図の切れ端を借りて、何かを描いていた。


「何を描いているんだ」


案内人が伝える。


見せてもらった。


小屋の絵だった。ゴブリンの村の小屋を、拠点の建築と組み合わせたような設計だった。荒削りだが、発想が面白い。


「……なるほど」とレイスが言った。「ゴブリンの建築様式は知らなかった。学べることがあるかもしれない」


ファルが剣を観察し続けている一匹を見た。


「もう寝ろ」とファルが言った。


案内人が伝える。


「明日教えてくれるか」と返ってきた。


「……考える」とファルが言った。


でも、断らなかった。


小さな一匹が僕の隣で丸まっていた。いつの間にか眠っていた。小さな体が、規則正しく上下している。


「増えたな」


「そうですね」


「以前は一人だった」


「今は——」


数えた。カルド、シロ、ファル、ドナン、レイス。そしてゴブリンが十五匹。


「二十人だ」と、シロが言った。


「村に残った十五匹も仲間です。向こうにも顔を出すつもりだから、実質三十人」


「国の始まりだな」


シロが、珍しくそう言った。


「そうかもしれない」


「お前が望んでいたものに、少し近づいた」


「まだ遠い。でも、近づいてる」


シロが短く息を吐いた。


「……急ぐな」


「急いでないよ」


「急いでないなら、寝ろ。明日も探索がある」


コトが僕の隣で丸まっていた。いつの間にか眠っていた。小さな体が、規則正しく上下している。


地図を広げた。


北側の森に、ゴブリンの村を書き加えた。


デルタという名前も。


それから、余白に小さく記した。「名前、29人分——これから」。


三十の命。


「……忘れない」


火が、静かに燃えている。


川の音が続いている。


東の気配が、また揺れた。


いつもより、はっきりしている。


でも今夜は、怖くなかった。


三十の名前を預かった夜は、なんとなく、大丈夫な気がした。

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