第11話 ダンジョン攻略②
第三層の空気は、違った。
一歩目から分かった。
遮断板を通してでも、魔力が皮膚に触れてくる感覚がある。押しつけられているような重さ。呼吸するたびに、肺の中に何か濃いものが入ってくる気がした。
「……重い」
「慣れろ」とファルが言った。「最初の五分は誰でもこうなる。体が適応する」
「適応できるんですか」
「完全にはできない。ただ、感覚が麻痺してくる」
「それは良いことですか」
「良くはない。ただ、そうしないと動けない」
シロが鼻を鳴らした。
「匂いが変わった。第二層とは別の種類の魔物がいる」
「どのくらい」
「多い。ただ、今はこちらを気にしていない。縄張りがある」
「縄張りを荒らさなければ来ないか」
「通路の中央を通れ。壁際は縄張りに入る可能性がある」
ファルが「シロの言う通りにする」と言った。
全員で通路の中央を一列になって進む。
魔力灯の光が、第二層より短い範囲しか届かない。魔力が濃すぎて、光が散乱するらしかった。
「暗いですね」
「目を慣らせ。シロ、前方は」
「三十メートル先に一つ。通路の端にいる。縄張りから出ていない」
「避けられるか」
「中央を通れば問題ない」
全員で静かに通り抜けた。
壁際にいた魔物は、こちらを見ていた。
でも動かなかった。
「……縄張りを守るタイプか」
「そういう個体は戦わずに通れることがある」とファルが言った。「ただし、こちらが攻撃的な魔力を出すと反応する。戦闘中の魔力は広がるから、近くで別の戦闘をすると引き寄せられることもある。気をつけろ」
「了解」
通路が、ここで分岐した。
左と右。
《波長理解》では、どちらも霞がかかったように不鮮明だ。
「シロ」
「左は魔物が多い。右は……奥に何かある。大きい」
「大きい、とは」
「一匹だけだ。ただ、波長が他と違う。強い」
「右に大型一体か、左に多数か」
「どちらを選ぶ」とファルがカルドを見た。
判断を求めている。
「……右です。多数相手は消耗が読めない。一体なら《慧眼》で弱点を把握して集中できる」
ファルが少し間を置いた。
「同意だ。行く」
右の通路に入った。
*
三十メートルほど進んだところで、それが現れた。
大きい。
第二層の魔物とは格が違う。
四本脚の獣型魔物。体長は三メートルを超えている。全身に毛が生えているが、所々が魔力で発光している。目が四つある。
「……なんだ、これ」
『四眼光毛獣型魔物です。全身から魔力を放射する特性があります。放射した魔力は周囲の魔物を活性化させる効果があります』
「活性化させる。つまり、長引かせると縄張りの魔物が来るか」
『可能性があります』
「速攻で倒す」とファルが言った。「カルド」
「今見てます——首の右側。発光していない部分があります。そこだけ魔力が薄い」
「一点集中。シロ、引きつけろ」
シロが前に出た。
魔物の四つの目が、全部シロに向いた。
「シロが見られてる。全部の目が」
「問題ない」とシロが言った。低い声だった。「動きは読める」
魔物が突進した。
速い。
シロが跳んで回避する。
魔物が通り過ぎる瞬間——
「今だ」とファルが言った。
ファルが右側に飛び込んで、首の薄い部分に剣を当てる。
同時に僕が火球を叩き込む。
魔物が怯んだ。
ドナンが近距離から棒を突き刺す。
「もう一発」とファルが言った。
再び火球。
より収束させて。
魔物がよろけた。
シロが喉に牙を当てた。
倒れた。
「……速かった」
「一体に集中できたからだ」とファルが言った。「これが複数だったら全員消耗していた」
レイスが後方で息を吐いていた。
「正しい判断だった、カルド」
「ありがとうございます」
シロが「活性化は始まっていない」と言った。「早く動いたおかげだ」
「行こう」とファルが言った。
*
第三層を進むにつれて、異変が出始めた。
最初に気づいたのは、レイスだった。
「……少し頭が重い」
全員が止まった。
「魔力酔いか」とファルが聞いた。
「分からない。ただ、第二層では感じなかった感覚だ」
「視界は」
「揺れてはいない。ただ、集中力が少し落ちている気がする」
ファルがレイスの顔を確認した。
「瞳孔は正常だ。初期症状の手前だろう。ペースを落とす。無理に急がない」
「撤退しますか」とドナンが聞いた。
「今は判断の手前だ。悪化したら即撤退」
「了解」
「私も同じような感覚が出始めている」と僕は言った。「《波長理解》に霞がかかってる。ただ、まだ機能はしてる」
「シロは」
「問題ない。魔物には元々こういう環境に慣れているものが多い」
シロが静かに言った。
「ただ、少し魔力が体に入ってくる感覚はある。外とは違う」
「体内に取り込まれている魔力を定期的に発散させろ」とファルが言った。「呼吸に合わせて意識的に外に出す。溜め込むのが一番まずい」
「どうやって」
「魔法を少量使い続ける。小さな炎でいい。常に出し続けることで、体内の魔力が飽和しにくくなる」
「……そんな方法があるんですか」
「探索者の基本だ」
小さな炎を手のひらに灯した。
指先で、ゆっくりと回す。
少しだけ、頭が軽くなった気がした。
「……効果がある」
「慣れてくると自然にできるようになる」
レイスも同じようにした。小さな光が、暗い通路に二つ浮いた。
「続けよう」とファルが言った。
*
第三層を半分ほど進んだあたりで、通路の造りが変わった。
岩肌だった壁が、加工された石積みになっている。
人の手が入っている。
「……建物だ」とレイスが言った。声のトーンが変わった。「自然の洞窟じゃない。誰かが作った」
「第二層でも文字がありましたね」
「あれは自然の岩に刻んだものだ。ここは違う。石を積んで壁にしている。相当な労力だ」
「いつ頃のものですか」
レイスが壁に触れた。
「……古い。石の劣化具合から見ると、数百年は経っている。もしかするともっと前かもしれない」
「数百年前に、この島に人がいたということですか」
「少なくとも、この場所を作った者がいた」
ドナンが壁の接合部分を確認した。
「石の組み方が精巧だ。当時の技術としては相当なものだ」
「ヴァルク国の建築と比べてどうですか」
「……引けを取らない。いや、一部は上だ」
全員が少し静止した。
ヴァルク国の建築家と鍛冶師が、上だと言った。
通路が広くなった。
部屋に入った。
四方が石積みの壁。天井が高い。
中央に、石でできた台座がある。台座の上に、何かが置かれていた。
近づいた。
石板だ。
平たい石に、文字が刻まれている。
第二層で見たものと同じ文字の形だ。でも、量が全然違う。
石板全体を埋め尽くすように、細かい文字が刻まれている。
「……これが古代の記録か」
レイスが台座に近づいて、石板を覗き込んだ。
「第二層の文字と同じ形だ。でも、精度が高い。同じ人間が、あるいは同じ集団が作ったものだろう」
「この場所のためだけに、こんなものを」
「台座もそうだ」とドナンが言った。「石の加工精度が高い。単なる記録を残すためじゃない。誰かに読ませるために作っている」
「誰かに」
「ここに来た者に、だ」とドナンが言った。「入口から降りてきた者が、最終的にここに辿り着くように設計されている」
「ダンジョン全体が、この石板に繋がるように作られているということか」
レイスがゆっくりと頷いた。
「そういうことになる」
『文字パターンを記録します。照合を試みます』
しばらく待った。
『一部、解析が可能です。完全ではありませんが、断片的に意味を取れます』
「読んでくれ」
『……「この島は境界である」「内と外を分かつ場所」「力を試される者のみが降りてくる」』
「内と外を分かつ場所」
レイスが静かに繰り返した。
「境界、か。境界とは何と何の間の境界なんだ」
ファルが「内と外、と書いてある」と言った。「この島が内で、外が……大陸側か」
「あるいは逆かもしれない」とレイスが言った。「この島が特別な場所で、外は普通の世界だとしたら」
「どちらにしても、この島には意味がある」
『不明です。ただ、別の部分に「山の頂に至る者に問いかける者がいる」という記述があります』
山の頂。
「……山の頂の存在と、このダンジョンが繋がっているんですか」
『断定はできません。ただ、この石板を作った者は、山の頂の存在を知っていました』
ファルが台座の周囲を歩きながら確認した。
「他にも何か書いてあるか」
『「落ちた者よ、恐れるな。この島はお前たちを試している」……以上です。残りの文字は解析できませんでした』
落ちた者。
「落ちた者」とファルが言った。「私たちのことじゃないか」
「そうかもしれない」
シロが石板を静かに見ていた。
「……この島に生まれた私も、落ちた者か」
誰も答えられなかった。
「分からない」と僕は言った。「でも、シロがここにいることにも、意味があるかもしれない」
シロが短く息を吐いた。何を考えているか、分からなかった。
「この島に流れ着いた者を、誰かが——あるいは何かが——試している、ということか」
頭の中で、案内人の言葉が蘇った。
「条件を満たしたのは、カルド様です」
この島に来たのは、気まぐれじゃなかった。
条件があった。
「……カルド、何か心当たりがあるか」とレイスが静かに聞いた。
「少し。案内人に聞いたことがあって。この島に来たのは偶然じゃなく、条件があったみたいだと」
「条件、とは」
「分からない。ただ、この石板と繋がるなら——僕だけじゃなく、みんながここに来たのも、何かの流れの中にあるのかもしれない」
ファルが少し目を細めた。
「……難破したのも、か」
「分からない。でも、そう考えると、色々と腑に落ちる部分がある」
ドナンが壁の文字を見ながら言った。
「この文字を刻んだ者は、何を伝えようとしたんだ」
「恐れるな、と書いてある」とレイスが言った。「試されているが、恐れるなと」
「……励ますつもりだったのかな」
「あるいは、警告かもしれない」とファルが言った。「試しは、必ず終わるとは書いていない」
誰も、すぐには答えなかった。
石板の文字が、魔力灯の光を受けて揺れている。
「続けよう」とファルが言った。「考えるのは後でいい。今は前に進む」
*
部屋を出て、通路を進む。
魔力の濃度がさらに上がった。
「……頭が、少し痛い」
「酔いが出始めている」とファルが言った。「小さい炎を絶やすな」
「絶やしてない。でも追いつかない感じがする」
「ドナン」
「問題ない」とドナンが言った。「ただ、集中力を保つのに意識が要る」
「レイス」
「悪化はしていない。ただ、良くなってもいない」
ファルが少し考えた。
「先を急ぐ。深部にいる時間を短くした方が全員にとっていい」
「了解です」
通路の先が、また広くなっていた。
そこに、三匹いた。
第三層に来てから見た中で、一番大きい。
人型に近い体型。四本腕。発光している目が二つ。
「《慧眼》で確認します」
三匹を順番に見る。
弱点が、見えにくい。
「……硬い。魔力の膜が厚い。外側からの攻撃が通りにくい」
「どこかに薄い部分は」
「……関節部分。あと、発光してる目の周辺は魔力が集中しすぎて逆に不安定になってる。そこなら——」
一匹が動いた。
速い。
「来る——」
ファルが前に出た。
四本腕の攻撃を捌く。
一本、二本、三本——
四本目が、ファルをかすった。
「ファルさん!」
「問題ない」
血が出ていた。
「問題ない」とファルが繰り返した。「浅い。続けろ」
「目を狙う。《慧眼》から目を離さないで」
火球を目に向けて叩き込む。
命中。
魔物がひるんだ。
「今だ」とシロが言って、関節に牙を当てた。
一匹目、動きが鈍くなった。
ドナンが棒を関節に突き刺す。
倒れた。
残り二匹。
「注意しろ」とレイスが言った。「右の個体、腕を引き絞っている。溜めている」
「大きな攻撃が来る——」
ジャンプして回避。
着地と同時に、地面を衝撃が走った。
腕を叩きつけた攻撃だ。
「あぶない——」
レイスが転んでいた。
「レイスさん!」
「問題ない。立てる」
でも時間がかかっている。
その間に二匹が動いた。
シロが一匹を引きつける。
もう一匹が——
レイスに向かった。
「レイス、右!」とドナンが叫んだ。
間に合わない。
割り込んだのは、僕だった。
魔物の腕が、肩を直撃した。
痛みで視界が飛んだ。
壁に叩きつけられた。
立てない。
もう一撃が来た。
暗転。
*
「——っ!」
同じ場所。
「カルド!」とレイスが言った。
「大丈夫——戻ってきた」
「戻ってきた、とは」
「後で説明します。今は——」
『スキル《死に戻り》を使用しました。エネルギー残量、少』
『スキル《認識転写》を使用します。15秒間のみ、1つの追加スキルの取得が可能です』
光が浮かぶ。
『四腕型魔物の攻撃原理理解:衝撃耐性向上』
『魔力圧縮:魔力を一点に絞り込み密度を上げる。解放時の威力を増大させる』
『目部位弱点詳細解析:目周辺への攻撃精度向上』
「《魔力圧縮》」
ファルが《圧剣》でやっていたことだ。
魔力を絞り込んで密度を上げる。
頭の中で、感覚が組み上がる。
引き込む。
縮める。
密度を上げる。
今まで火球を出すとき、魔力を外に向かって押し出していた。
それを逆にする。
内側に引き込みながら、一点に集める。
光が消えた。
残り二匹がまだ動いている。
「火球を変える」
魔力を引き込む。
絞る。
いつもより小さく——でも、密度が上がっていく。
手のひらの中で、火球が縮まっていくのが分かった。
ゆっくり圧縮する。
「カルド——」とファルが言いかけた。
「今です」
放った。
小さな火球が、魔物の目に直撃した。
爆発の規模が、さっきとは違った。
魔物が大きくよろけた。
「今だ!」
ファルが関節に剣を入れた。
シロが喉に牙を当てた。
倒れた。
最後の一匹はドナンとシロで仕留めた。
静寂。
全員が息を吐いた。
「……カルド」とファルが言った。
「はい」
「今、戻ってきたというのは」
「……死にました。一回」
沈黙。
レイスが「だから傷がないのか」と言った。
「はい。それと、新しいスキルを取得しました。《魔力圧縮》。ファルさんの《圧剣》を観察していたから、取得できました」
ファルが少し目を伏せた。
「……私のせいで」
「違います。レイスさんを守ろうとして動いた結果です。後悔してない」
ファルが短く息を吐いた。
「……さっきの火球、威力が変わっていた」
「《魔力圧縮》を使いました。初めてだったので粗かったですが」
「粗くてあれか」
「練習します」
ファルがまた息を吐いた。今度は少し違う音がした。
「……馬鹿め」
怒っているのか、呆れているのか。
でも、どちらでもない気がした。
「エネルギーの確認をする」
全員が答えた。
カルドが戻ってきたことで、全体的にまだ余裕はある。
「先に進めるか」とファルが聞いた。
「進めます」と全員が答えた。
*
部屋から先の通路が、急に広くなった。
そして、重い扉が現れた。
高さ四メートルはある。
石でできているが、表面に魔力の紋様が刻まれている。閉じている。
「……これが」
《波長理解》を向けると、扉の向こうから魔力が漏れてきた。
今まで感じた中で、一番濃い。
重厚な、古い波長だ。
「ボスだ」とシロが言った。
「……間違いない」
扉の前で、全員が立ち止まった。
「エネルギーを確認する」とファルが言った。
「五割」とカルドが答えた。《死に戻り》の消耗があった。
「私は六割」とシロが言った。
「六割」とドナンが言った。
「六割弱」とレイスが言った。
「私も六割だ」とファルが言った。「撤退ラインには余裕がある。ただ——」
「少し休もう」とファルが言った。「エネルギーを落ち着かせてから入る」
全員で壁に背をつけて座った。
しばらく誰も何も言わなかった。
「……ドナンさん」と僕は言った。
「何だ」
「この扉の石の組み方、どうですか」
ドナンが扉を見た。
「……精巧だ。石板の部屋と同じ手だ」
「鍵はないですよね」
「ない。押せば開く」
「押すだけで開くのに、なんでこんなに重そうなんだろう」
「威圧だ」とドナンが言った。「入る者に、覚悟を問うている」
レイスが小さく笑った。
「職人の発想だな」
「そうか」
シロが「腹は決まったか」と言った。
全員が少し顔を見合わせた。
「決まってます」と僕は言った。
「なら行こう」とシロが言った。
ファルが立ち上がった。
「撤退の判断は私がする。いいな」
「了解」と全員が答えた。
ファルが扉に手をかけた。
ゆっくりと、石の扉が動き始めた。
重い音が、通路に響いた。
扉の向こうに、広大な空間が広がっていた。
暗い。
でも、中央に何かがいる。
巨大な何かが、こちらを見ていた。
カルドは息を吸った。
次の瞬間、扉は完全に開いた。




