第7話:灰の中の名
祈りが消えた聖堂は、もはや信仰ではなく恩寵の総量を管理する場所と化していた。
『教団中央財務聖所』。
内部は、神聖でありながらも冷たい秩序で満ちていた。
アーチ型の天井には神々の物語の代わりにマエストロの業績を称える巨大なフレスコ画が描かれ、床の大理石には魔法回路が血管のように伸び、低いマナのハミングを響かせている。
窓口の審査司祭たちは自らをそう呼び、実用的に仕立てられた制服を身に纏っていた。服の裾と袖の先には、複雑な銀糸で教団を象徴するルーン文字が刺繍されている。
アッシュは隣の窓口から聞こえる声に、何気なく耳を傾けた。一人の女が、青ざめた顔で訴えている。
「夫の霊魂等級が、なぜ引き下げられたのでしょうか? 私たちは毎週祈りを欠かさず、浄化税も……」
審査司祭は、穏やかだが機械的な笑みで答えた。
「記録を確認した結果、ご主人の祈りの総量が平均値に満たず、魂の影が濃くなったものと判断されます、シスター。影を払うためのカウンセリングをご予約いたしましょうか?」
女は結局、夫の医療魔法支援を受ける資格を失ったという通告に、絶望しながら背を向けた。
彼女が去った場所に、幼い息子の手を引いた若い夫婦が立つ。子供は、見るからに重い熱病を患っていた。
夫婦は震える手で、家門の印章が刻まれた小さな光輝石を差し出した。司祭がそれを受け取り記憶の水晶に乗せると、眩いばかりの黄金の光が放たれる。
司祭の機械的な笑みが、初めて温かく真実味を帯びた。
「ああ、お二方の先月の聖所浄化奉仕の記録が確認できました。素晴らしい。治療魔法支援の等級を最上位に調整いたします。マエストロの恩寵が共にあらんことを」
夫婦は互いに抱きしめ合い、感激の涙を流した。彼らは窓口の向こう、壁に掛かるイゾルデの肖像画に向かって深く頭を下げた。
アッシュはその全てを、声もなく見つめていた。一人を奈落に突き落とし、もう一人を救い上げる完璧なシステム。
口の中に、微かな甘みが広がった。パンの味でも、希望の味でもない。全てが腐り落ちる寸前に漂う、吐き気を催すような甘ったるさだった。
ついに、アッシュたちの番が来た。
窓口の審査司祭はアレクトの手配書を受け取ると、机のマナ感応石板の上に慎重に乗せた。指先から淡い光が流れ石板に染み込むと、依頼書の情報が青い光のルーン文字に変換され、宙に浮かぶ。
「貴族狩りアレクト。懸賞金の支払いが確認されました。処理された方の教団騎士紋章か、帝国臣の固有マナ波長を登録してください」
「そんなものはない」
ドレイクが言った。司祭の穏やかな笑みが、初めて翳りを見せた。
「でしたら、お支払いは困難です。聖所の規定上……」
その時、沈黙していたアッシュが口を開いた。声は気怠げだったが、静まり返った空間で奇妙なほど鮮明に響いた。
「アッシュ。アッシュ・ヴァレンタイン」
壁際で警護していた騎士が、「フン」とあからさまに鼻で笑った。無骨な手が、腰の剣の柄にかかる。「貴様ごときが、あの方の名を口にする資格があるのか」という、無言の威嚇だった。
瞬間、司祭の指先から流れ出ていた青い光が、不吉な紫に変わり激しく揺らめいた。その指が、凍りついたように止まる。
聖所を満たしていた全ての騒音が、氷結した。ただ、司祭の額に浮かんだ汗が一粒、ぽつり、と床に落ちる音だけが空間を支配した。
彼はパニックに陥る代わりに、訓練通りに石板の特定のルーン文字を強く押し込んだ。
アッシュの足元から、刻まれた回路が紫の光を放ち始める。光は蛇となり、音もなく床を滑って、向こう側の管理者室の扉の下へと吸い込まれていった。
アッシュは、眉間に皺を寄せたまま、黙ってそれを見ていた。
結局、これか。俺が捨てた名は忘れられぬ亡霊のように、最も望まぬ瞬間に、執拗に過去を呼び覚ます。
やがて、それを証明するように。奥から更に高位の司祭が現れ、丁重に頭を下げた。
「ヴァレンタイン卿。第四使徒、サイラス様がお待ちです。こちらへどうぞ」
使徒。
マエストロが新しい秩序を大陸に打ち込むために使う、最も強力で忠実な十二本の楔。教団の軍事、財政、諜報、尋問の全てを掌握する、実質的な支配者たち。
その四番目は、いつも最も胸糞の悪い匂いをさせた。金の匂いと、血の匂いが混じった匂いを。
アッシュは返事の代わりに、声もなく歩き出した。遠い昔から定められた道を歩む者のように。畏敬と軽蔑の入り混じった、他の聖職者たちの視線を背に受けながら。