【4月3日】——無風の日に、窓だけが開いた
◆相川太一・現実パート
「……今日、水曜日か」
朝の通勤電車、吊り革を握ったまま太一はつぶやいた。
スマホをいじるでもなく、イヤホンを差すでもなく、ただ、ぼんやり窓の外を見ていた。
曇り。天気予報は晴れのち雨と言っていたが、傘を持っている人は少なかった。
会社では、隣の席の後輩が咳をしていた。
「あ、花粉症です」と言い訳のように言っていたが、太一は何も返さなかった。
聞かれてもいないし、答える必要もない。
午後、コーヒーを買いに行く途中、女性社員たちの笑い声が聞こえた。
「新しい派遣さん、可愛いよね」「ねー、若いしね!」
太一は自販機の前で立ち止まったまま、聞こえないふりをした。
定時を過ぎた後、少しだけ資料を直して帰宅。
途中のコンビニでメロンパンと豆乳を買った。
メロンパンは女子高生が好きな食べ物の定番だ――なぜかそんなことを思い出した。
夜。
着替えもせずに椅子に座り、パソコンを開く。
“あいか”は、今日、何をしているだろうか。
◆女子高生日記パート《あいか》
4月3日(水) くもりのちはれ
朝、めっちゃ寒かったけど、お昼はポカポカ。春って気まぐれすぎない?
今日の家庭科で、エプロンの布地を決めた。
あたしは、ラベンダー色のチェック。落ち着いた感じで、ちょっとだけ大人っぽい。
杏ちゃんはピンク選んでたけど、絶対あれ飽きると思う(笑)
途中、ミシンの針で軽く指を突いた。ちょっとだけ血が出たけど、
「大丈夫?指かしてみな」って遠藤くんが言ってくれて、
……ほんとに、やばいくらい心臓バクバクした。
でも「おー、ぜんっぜん大丈夫だな!」って笑われた。
ちょっとムカついたけど、
あの笑い方、すっごい好きなんだよな。
あいかわらず意味わかんないけど、
なんか……いい一日だった。
太一は、画面の前でしばらく指を止めていた。
自分が書いたはずなのに、“あいか”が何を考えてるのか、よくわからなかった。
だが、それでいいと思った。
わからないからこそ、また書ける。
誰かになって、誰かの日々を歩いていく。
その空虚な悦びが、彼の“現実”をほんの少しだけ塗り替えていく。