【4月2日】——昨日の続きを、誰も知らない
◆相川太一・現実パート
午前7時58分、目覚ましより早く目が覚めた。
昨日の夜、いつもより30分も早く寝たせいだ。
夢を見ていた気がする。リボンを結んで、誰かと走っていた。
けれど内容は、目覚めた途端すぐにこぼれ落ちてしまった。
洗顔、歯磨き、スーツ、朝の即席スープ。
いつもの動作をひとつずつ確認しながら、太一は昨日の“日記”のことを思い出していた。
「……なかなか、悪くなかったな」
風呂あがり、パジャマのまま書いたその文章。
“あいか”という女子高生が、まだたった一日分しか生きていない。
けれど、その一日が、妙に自分の中に残っていた。
職場ではいつもどおり無言が流れた。
「おつかれさまでーす」の声が、自動販売機の音と同じように耳をすり抜けていく。
昼休み。社員食堂の端っこで、弁当を食べながらスマホを開く。
検索履歴には「女子高生 髪型 2024」「高校生 家庭科 春の授業内容」
同僚の背中越しにそれを見られぬよう、太一はスマホを胸の下に押し込んだ。
夜。
冷凍うどんにネギをのせて食べたあと、再びパソコンを開く。
そして、彼は続きを書き始めた。
◆女子高生日記パート《あいか》
4月2日(火) はれ
学校、まだ本格的には始まってないけど、なんか“始まっちゃってる感”がすごい。
今日の朝、ホームルームでいきなり班決めあった。あたし、緊張しすぎて声うわずった。
でも遠藤くんが「じゃあ、一緒の班でいい?」って言ってくれて、
そのあとの記憶、なんか曖昧(笑)
お昼は杏ちゃんと購買でサンドイッチ買った。
高2になっても、やっぱりチキンカツサンドは正義。
家に帰ったらお母さんが夕飯作ってて、キッチンが玉ねぎのにおい。
「今日も学校楽しかった?」って聞かれて、ちょっとだけ泣きそうになった。
なんでかわかんないけど、
こうやって“普通のこと”がちゃんとあるって、ありがたいんだなって思った。
明日は家庭科あるかも。
ミシンの針で指、刺さないようにしなきゃ(笑)
太一は書き終えたあと、しばらく画面を見つめていた。
誰にも見せるつもりのない文章。
けれど、たしかに誰かが“ここ”に生きている気がした。
彼女の名は、“あいか”。
その日記をつづる男の名は、相川太一。
彼女の毎日が少しずつ進むごとに、彼の心にも何かが宿っていく。