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廃墟の魔女  作者: からり
対の木片
5/27

5.

 俺が生まれ育った南九図市には海も山もある。得体の知れない森や林もあちこちにある。家やビルの壁には蔦が這いずりまわって、道路はひび割れて雑草がたくましく突き出している。

 自然の豊かな場所だ。

 でも別に田舎じゃない。人はそこそこいるし店だってたくさんある。小さなグロッサリーや雑貨店が市内の至るところにあって買い物で困ったことはない。

 だが何でも一発でそろう店はない。それで需要があると見込まれたのか5年くらい前に大手コンビニチェーンがいくつかの店舗をオープンした。

 24時間営業で、自動ドアがあって、店に入ると小ぎれいな制服を着た店員が「いらっしゃいませ」と言う。最初は気取ってやがると思ったけど慣れれば悪くなかった。

 高いけど置いてる商品に外れがない。食べ物は腐っていないし、箱書きにも嘘がない。5個入ってるって書いてあったらちゃんと5個入ってる。タオルやハンカチも新品だ。

 だけど残念。万引きや強盗が多発して営業時間がどんどん短くなって全部つぶれてしまった。

 結局コンビニの跡地は、市内の有力者エッグリップおばさんが仕切る『リトルエッグ』になった。グロッサリーも雑貨店も食堂もカフェも全てリトルエッグ。元コンビニもリトルエッグ、という訳だ。

 予想通り、予定調和。お決まりの展開だったけどそこにはだるさと同時に安心感もあった。

 市外の文化と流儀は時々入り込んできては淘汰されていく。俺たちは南九図市をクズな場所だと馬鹿にしながら守っている。ピカピカのコンビニに憧れながら汚したい壊したい気持ちを抑えられなくて強奪する。裏で操っている奴が誰かなんて考えもしない。

 クズなのは場所じゃない。人ってことだ。

『リトルエッグ』の看板にはひび割れた卵の絵が書いてあるが、俺たちにはぴったりだ。いつまでも何も生まれない。ひよこにさえなれない卵のまま。ひび割れから外の世界を眺めているだけ。

 リトルエッグの中はクズにとってはなじみ深く快適だ。

 飲食店じゃなくても座れるスペースがあって、水は10円、炭酸水は30円、限りなく薄いコーヒーは50円。

「リトルエッグに行こうぜ」「どこの?」「一番近いやつ」「一番近いって3つくらいあるぜ」そんな会話がしょっちゅう交わされる。

 俺たちは『リトルエッグ』の薄汚さに文句を言いながら入り浸る。腐りかけの食べ物で腹をきたえて、10個入りと書かれたキキャラメルの箱を振って、いくつ入っているか賭けて遊ぶ。

 だが気をつけなきゃいけないルールはある。

 例えばリトルエッグで盗みはご法度だ。ばれたらきついお仕置きが待っている。

 1年半前、ガムを一箱盗んだユウは次の日にいなくなった。10日後に服とサンダルの片方が浜辺に落ちていた。

 ユウは俺と同じビル街に住んでいた。

 所属テリトリーは第二安井ビルで、リーダーはギムナ・ママだ。

 サラサラの髪、大きな目に長い睫毛、いつもうつむきがちで当時16才だったけど痩せすぎてるせいか14才くらいに見えた。

 ユウはテリトリー内の女たちから嫌われていた。ガムを盗んだのは女どものボスのニッカに命令されてやったって噂だった。

 ガムより軽い命が、ガムみたいに吐き捨てられる。南九図ではありふれた話だ。人が死ぬのは珍しくない。死んだ奴が間抜け。それが常識だ。

 なのに……なぜだろう。

 俺はユウのことをずっと考えている。


 ユウと初めて話したのは、3年前の8月の蒸し暑い夜だった。

 深夜2時の仕事帰り、疲れ切った俺は涼みがてら浜辺を歩いていた。

 南九図では夜に活動する人間が多い。他にも涼みに来てる連中が結構いて、泳いだり砂の上に寝転んだりしていた。

 満月が砂浜を白く鈍く光らせ、海は重く波打っていた。

 浜辺には色々なものが落ちている。貝殻に魚の死骸、ビンやプラスチックや木の破片。ほとんどはゴミだが、ビルで待つガキ共の土産になりそうなものも少しはあった。

 7歳以下のガキはパパやママの許可無しにはビルの外に出られない。だから外のものをやると何でも喜ぶ。珍しい貝殻やきれいな色のビンなんかは特に人気だ。

 犬が描かれた空き缶を拾う。きっと奪い合いになるなと思いながら手持ちの袋に放り込むと、わぁっとはしゃぐ声がどこからか聞こえた。

 顔を上げると、遠目にギムナ・ママの巨体が見えた。第二安井ビルのやつらを引き連れているようだった。

 俺はニッカに見つからないように浜辺のそばの松林に避難した。ニッカはやたら俺に構ってきて、腕を組んだり肩や背中をベタベタ触ってくる。普段なら悪い気はしないがこの時は相手をする気力がなかった。

 松林の中は浜辺よりは薄暗い。でも木々はまばらで月明かりは十分に届く。砂が土に変わって歩きやすくなる。針葉樹特有の尖った影が地面に落ちていた。時々、潮風が吹いて夜露に湿った土の匂いと混じり合った。

 波音と蝉の声と自分の足音以外は何も聞こえない。滅多にない静かな一人きりの時間だ。

 仕事で味わった屈辱と我慢で心に生えた無数の棘が、ようやく少しずつ抜け落ちていった。

 南九図では15歳を過ぎると市外に仕事に行かされる。初めはビルのパパに付き添われて、そのうち一人で行くようになる。

 外は豊かで小ぎれいで満ち足りている。

 道路は滑らかに舗装され、ビルの壁は蔦に覆われることもなく太陽を反射する。懐かしのコンビニも真夜中にキラキラ輝いている。

 色々なことがあまりに違った。

 時々南九図に帰りたくなくなった。仕事が終わった後、用もないのにふらふら歩き回ってコンビニに寄ったり公園で過ごしたりした。でも結局はなじめないものを感じて南九図に帰る、その繰り返しだった。

 これは15歳病と言って、外に仕事に行き始めるとほとんどのやつが罹るらしい。

 大概は俺と同じようにちょっと寄り道するだけで、大人しく南九図に帰ってくる。だが本格的に逃げようとする奴もいる。そうすると大人たちは捜索隊を編成する。逃げた奴は必ず捕まって厳しい罰をくらう。

 俺は16歳になり外での仕事を初めて一年経っていた。働くのは嫌いだしうんざりするが慣れた。

 15歳病は終わった。

 俺は、ビルで一番の稼ぎ頭だった。稼げることを誇りに思っていた。大人たちからほめられ、ガキどもにまとわりつかれ、他のビルの女の子に後をつけられる。そのうち俺はどこかのビルの“パパ”になるかもしれない。

 パパになるとファミリーの面倒は見なきゃいけないがビルの中では王様だ。ビルの外でも一目置かれるし市内の決め事にも関われる。

 悪くない。

 俺は南九図以外での生き方を知らない。だからここでいい暮らしができるなら満足だ。ただ少しだけ……

 考えにふける俺の目の前を人影が横切った。

 白い服、白い髪、やたら細長いシルエット。

 月明りの下をそいつはモヤのようにユラユラふらつきながら歩いていた。

 よそ者だと直感的にわかった。

 らりってるのか?

 南九図には時々そういう連中が入り込んでくる。ここでなら何をしてもいいと勘違いしている奴らだ。

 周囲に他の人間の気配がないか探る。薬をやってる奴らに取り囲まれたら何をされるかわからない。波音と蝉の声の隙間に神経をはりめぐらせる。

 大丈夫、誰もいない。

 白いモヤは立ち止まる。後頭部がゆっくり左右に動く。長い髪が合わせて揺れる。どこへ行くべきか迷っているようなそんな揺れ方だった。

「おい」

 警戒しつつ声をかけた。向こうはようやくこっちに気づいた様子だった。

 目が合う。

 一瞬息をするのを忘れる。

 切れ長の目、小さな鼻、服と同じくらい白い顔、唇だけが薄いピンクだ。

 人形。

 そう思う程、整った顔。

 目が吸い寄せられる。間抜けなほど見とれてしまう。だが何故か同時に背筋がぞくぞくした。

 整いすぎた顔には、何かが欠けている。だけどその何かが分からず不安になる。

 化け物。

 そんな言葉が浮かんだ。まさかと打ち消す。ただの人間に決まってる。

 ピンクの唇がうごめく。

「こんばんは、いい月だね」

 そいつは呑気な口調で言った。俺をじっと見て

「あぁ、きみが片割れを持っていたんだね」と訳のわからないことをつぶやいた。

「なんなんだ、お前、ここで何をしている?」

 間延びした声を聴いた瞬間、悪寒は消えた。俺は戦闘モードに入る。少しでもおかしな素振りを見せたらぶん殴ってやる。体格的に俺の方が背も高いし負けることはない。

「色々と事情があって逃げているんだ」

「逃げてる?」

「でも見つかりそうだからもう行かなければいけない」

「だったらさっさと行けよ」

 逃げているということは犯罪者か。南九図の人間は、俺も含めて大小問わず犯罪と無関係じゃない。だが外から紛れ込んでくる犯罪者は危険だ。ここの秩序を守らないからだ。もしこいつが危険なよそ者なら大人たちに知らせなければならない。

「残念だよ、とても気に入っていたのに。海も彼女も、とても素敵だった」

 奴は目を細め顔を横に向ける。松の木の向こうにある海を見ているようだった。寂しそうな横顔には邪気がなかった。変な奴だが危険はなさそうだ。

「海はともかく彼女ってどういうことだ?」

 奴は海を見つめたまま答えない。俺も別に追求しない。これだけきれいな顔なら市民の誰かがこっそりかくまっていても不思議じゃない。だがよくこれまで噂にならなかったなと考える。

「何に追われてんだか知らないけどさ、ここはよそ者が隠れるのには向いてねーよ」

「警察がほとんど機能していないと聞いて来たんだけどね」

「たしかに警察はハリボテ状態だけど、よそ者はすっげー目立つんだよ。俺も一目であんたが市民じゃないってわかった。潜伏するんならもっと人がたくさんいるところにしな。とはいってもあんたの外見じゃどっちにせよ目立つだろうけど」

「ありがとう。アドバイスだね」

「あ?何言って……」

「ついでに教えてくれるかな。なぜ目立ってしまうんだろう?」

「自慢か?そんな顔で、それだけ細くて背が高けりゃ嫌でも目立つに決まってんだろ」

 奴は首をかしげて考え込み、

「もしもっと小柄で横幅があったら目立たないだろうか?」

「少しはましかもな」

「なるほど。実はこの体は雑誌を参考にしたんだ。標準体型かと思っていたんだが違うという事だね」

 雑誌ってことはモデルでも参考にしたのか、と考えて納得しかけたが、参考にしたからってなれるわけがない。

 どうやら、こいつはただの頭のおかしい奴みたいだ。俺はため息をつき

「ほかの人間見てみろよ、そんな体型のやついないだろ」

 と教えてやると

「確かにそうだね」と真剣な表情で深くうなずく。

「ありがとう。私は縮んで横幅を広げることにするよ」

「顔も変えた方がいいぜ」

「顔は変えられない」

「じゃ、メガネでもかけろ」

「素晴らしいね、そうするよ」

 妄想と現実の区別がついていない人間は南九図市にはたくさんいる。そういう連中と話す時には、妄想を壊さないほうがいいことを俺は良く知っていた。

 変なやつだった。それなのに話していると、心が奇妙なほど落ち着いていく。まるで凪いだ海のように穏やかな気分だった。何年ぶりだろう、こんな静かな安らぎに満ちた感覚は。

 こいつの顔がきれいだからか?違う。どっちかっていうとこれは不安をかきたてる顔だ。

 ではなぜ?

 理由はさっぱりわからなかった。だが俺は奴に好意と興味を持ち始めていた。

「なぁ」俺は言った。「よそ者は確かにここじゃ目立つ。でもさ、隠れ方はあるんだ」

「うん?」

「あんたをかくまっていたのが誰かは知らないけどさ。俺はきっとそいつより頼りになるぜ。市内の事に詳しいし信頼できる仲間もいる。たとえば誰も来ない廃屋や森や山とかも知ってる。もしあんたが良ければ案内してやってもいい」

 奴は寂しそうに微笑んだ。

「ありがとう、でも追手が迫ってるんだ。彼らはすごく鼻がきく。恐らくここにいたら逃げきれない。だから行かなくちゃならないんだ」

「鼻がきくって犬でも連れてるのかよ」

「犬より厄介だ。目や耳がいい場合もある」

 また訳のわからないことを言いだした。まぁいい、少し残念だが決意はかたそうだ。

「そっか、頑張って逃げろよ」

 奴は微笑んで、

「ねぇ、一つ、お願いがあるんだ」と言った。

「お願い?」

「ぼくが去ったら林の奥に行ってみてくれないか」

「なんで」

「片割れが待っているから」

「片割れ?」

「行けば分かるよ、あの道を進めばすぐに着く」

 奴が指さしたのは松林の奥だった。今いる場所より松が密集してほかの木々も生い茂っている。

「道?」

「ほら、そこだよ、右、左、あとはひたすら真っすぐ進めばいい。簡単だよ」

 俺は目をこらす。確かに木々の間に細い道があった。

「じゃぁね」

 奴が身をひるがえす気配がした。

「待てよ、ちゃんと説明しろ」

 振り返ると誰もいなかった。ただ満月の光が奴の立っていた場所を照らしていた。


 林の奥へ行くほど松の木は密集していて、月明かりはわずかにしか届かない。夜目はきくほうだが、かろうじて辺りの様子がわかるレベルだ。

 それにしても変なやつだった。なぜあんなやつの言うことを真に受けて仕事で疲れた体で歩き続けているのか。自分でもわからない。

 ただあいつのお願いを聞いてやるのは悪くない気がした。ただそれだけだ。

 数分歩き続けたところで道が左右に分かれていた。右に進む。少し行ったらまた道が分かれる。今度は左に進んだ。後はひたすら真っすぐに行く。

 どんどん足元が悪くなった。木の根につまづき、ぬかるみに足をとられかける。フクロウがホォホォとため息のような鳴き声をあげる。蛇かネズミがいて狙っているのかもしれない。

 さすがにそろそろ引き返そうと思いだした頃、少し開けた場所にでた。広場のようなその空間には、巨大な松の木が一本生えていた。ぶ厚い幹には人間の顔よりでかい瘤がでこぼこと盛り上がり、枝は曲がりくねり夜空に広がっている。

 その根元で少女が眠っていた。

 俺は一瞬、松の木の化け物が人間を取り込んでいるように見えた。だがすぐに違うとわかった。少女の寝顔は安らかだった。松の木を信頼しきって寄り添っている、松の木も少女を大事に守っている、そんな感じだった。

 見覚えのある顔だった。でもすぐには誰だかわからなかった。安らかな寝顔と普段の印象がかけはなれていたからだ。

 浜辺で見かけたギムナ・ママのことを思い出してようやくつながる。

 第二安井ビルのはみ出し者の「ユウ」だ。

 ユウは外見的にはけっこうかわいくて、同世代の男たちの間では時々噂になった。でも話しかけるやつはいなかった。はみ出し者と関わるとろくなことがないからだ。

 どのビルにも一人ははみ出し者がいる。はみ出し者の見分け方は簡単だ。仲間たちの輪からはじきだされ、いつも一人ぼっちで離れたところにいる。

 ユウもそうだった。でも他のはみ出し者とは少し違った。

 ほとんどのはみ出し者はおどおどしたり、絶望したような暗い目をしている。だがユウは堂々としていて大きな目はいつでも冷たく冴えていた。一人でいることを恥じても不安に感じてもいない様子だった。

 そのユウがあどけない顔で眠っている。邪魔するべきじゃない。俺は引き返すことにした。

 その時、肩を何かがかすめた。

 反射的に近くの木の影に身を隠す。

 海岸沿いの低層ビル街で頭のおかしい連中が手製の空気銃で無差別に人を狙ってるって噂を思い出す。まさかこんなところで?ありえない気がした。だが南九図で生きるには警戒心は強いほうがいい。

 何も起きない。

「……誰?」

 俺の動く気配にユウが目を覚ました。

 今度は右肘のあたりに何かが触れた。狙撃されている。身をかがめる。右側を木々や茂みに隠すように別の木の影へ移動する。だがその際、ユウに姿を見られてしまった。正面のユウからは俺が丸見えだった。

「ウミ?」

 突然現れた俺にユウは驚いているようだった。同時に俺も驚く。他人に関心のなさそうなユウが俺の名前を知っていたからだ。

「狙撃だ」

 と短く叫んで、別な茂みの暗がりに転がり込む。

 ユウはあれだけ目立つ場所にいて狙われていない。ターゲットは俺だ。

「狙撃?なにそれ」

 俺は答えない。声を出せば敵に位置を絞られる。

 呆れたようなため息をついてユウが立ち上がる。こちらに向かって歩いてくる。まずい、いくらターゲットじゃないとしても巻き添えになる可能性がある。

「来るな!」

 と叫んだ瞬間、耳から肩へかけて何かが触れた。

 飛びのく。

 と、同時に枝のすき間からこぼれる月光が地面に転がる松ぼっくりを照らしだした。


 松ぼっくり、とつぶやいたユウのクスクス笑いが止まらない。いつもは白けた感じの冷たい表情が柔らかく崩れる。恥ずかしさと同時に、あぁ、こいつってこんな顔もできるんだ、と考える。

「俺は用心深いんだよ」照れ隠しに言うと、ユウは真顔に戻り俺をじっと見て「確かにウミはいつも用心深そうな目をしてるよね」といった。

「そうか?言われたことないけど」

 自分で言う分にはいいが、他人に言われるのは臆病者みたいで嫌だ。

「ほかの人は気づかない。ウミはちゃんと目の奥に隠してるから」

「じゃぁ何でユウにはわかるんだよ」

「私も同じだから」

「なんだよ、それ」

「用心深さは疑い深さでもある。みんな、今の環境に盲目的に従順だけど私もウミも違う」

「なんだよ、それ、よくわかんねーよ」

 ふふっとユウは含み笑いをした。

「だけど、どうしてウミがここに?」

 こっちの台詞だ。

「髪の白い変なやつに行けって言われたんだよ。ユウ、あいつのこと知ってる?」

「知ってるよ」

 あっさり答える。俺は少々面食らい

「まさか、あいつをかくまっていたのお前か?」

「かくまうって程じゃないけど」

「あいつって……なに?」

「何って」ユウは地面に視線を落とす。「よそ者でしょ」

「おかしなやつだよな」

「どこが?」

「どこって。人間離れしてるだろ、顔なんか人形みたいだし」

「ウミも人のこと言えないでしょ」

「は?俺?」

「人形みたいな顔。ニッカがいつも、ウミ、かわいーって騒いでる」

「勘弁してくれよ」俺はうんざりする。

「お前んとこのファミリー、おかしいだろ。ニッカはやたらべたべたしてくるし、ほかの奴らは妙によそよそしいし」

「ニッカのお気に入りと仲良くしたら仲間外れにされるからだよ」

「はぁ、なんだよ、それ」

「ニッカは自分の感情に素直すぎるの。大好きな玩具を独り占めしたい子供」

 妙に大人びた口調だ。

「じゃぁ、今こうして一緒にいるのもまずいな」

「平気だよ」なぜかユウは力強く答えた。「ここには誰も来ない、私だけの秘密の場所だから」

 確かにここにたどり着くには、木の合間のけもの道に気付き、さらに右、左、真っすぐという順序を知らなければ無理だ。

「秘密なのに邪魔して悪いな」

「いいよ。でも誰にも教えないで」

「わかった」

「約束」

「あぁ」

「ウミはニッカと付き合うの?」

 不意打ちの質問だった。苦笑まじりにごまかそうと思ったが、間近で俺を見つめるユウの表情は真剣だった。熱っぽい視線に捕らえられ心臓がドクドク脈打つ。

 こいつ、こんな顔するんだ、と、また思った。

「つきあうの?」

「つきあわない」

 俺の口は勝手に答えていた。

「そっか」

 ユウの表情が柔らかくほどける。

 俺はこれまでユウを“はみ出し者”の一人だとしか認識していなかった。特に興味もなかった。でもこうやって話してみて、俺はユウをもっと知りたくなっていた。

 クールで無表情のユウと、目まぐるしく表情を変えるユウ。きっと両方を知っているのは俺だけだ。どっちが本当のユウなのだろう。

 なんだか急に二人きりでいることが照れくさくなり、俺は話を変える。

「そういえばさ、ここに来るとき、白い髪の奴が片割れがどうとか言ってたんだけど、意味わかるか?」

「片割れ?」

 予想以上にユウの反応は鋭かった。

「なんか片割れが待ってるとかなんとか。意味わかんないだろ?」

「ううん、わかる」

 そう言ってなぜかユウは目を閉じた。

「どうした?」

「静かに」

 よくわからないが俺はだまる。すると色々な音が耳に入り始める。

 蝉の声、遠い波の音、風が木々を揺らす音。

 1分ほどしてユウは目を開けて俺が手に持っていた袋を指さした。

「何が入っているの?」

「何って、ガキ共への土産のガラクタだよ」

「見せて」

 有無を言わせぬ口調だった。俺は袋を差し出す。ユウは真剣な表情で中を探った。

「これ」

 しばらくしてユウは一枚の木切れを取り出した。さっき砂浜で拾ったものだ。

 ユウは大事そうに木切れの表面を指先でなぞった後、耳にあてた。

 訳がわからなかった。でも俺はユウのすることをただぼけっと見ていた。ユウの仕草には確信めいたものがあった。そこに俺が入り込む余地はなかった。

 ユウは目を閉じてつぶやいた。

「声がする」

「声?」

 ぎょっとして周囲を見渡す。

「誰かいるのか」

「人の声じゃない」

 ユウは目を開けて俺に木切れを返した。それからシャツをまくった。胸の下から腹にかけての滑らかな肌がのぞく。

「おい」

 俺は反射的に顔を横に向ける。

「あ、ごめん」

 恥ずかしそうにユウは立ち上がる。俺に背を向け、シャツをめくったままごそごそと何かしている。

「シャツの裏に秘密のポケットを作ったんだ」

 得意げに振り返ったユウの手には木切れが握られていた。

 俺は思わず自分が持っている木切れを見る。大きさも形も厚みもそっくりだった。

「あの人がくれたの」

 あの人とは、白い髪の奴のことだろう。

「一か月前、砂浜で声が聞こえたの。引き寄せられるみたいにしてこの場所にたどりついた。あの人はこの松に寄りかかって立っていた。あまりきれいだから、人間だとは思えなくて。天使とか精霊じゃないかって本気で思っちゃった。でも話してみたら何か変なんだよね。どこかずれてるの。私たち、色々とおしゃべりをした。生まれて初めてってくらいたくさん話した。そのうちにどうやってここに来たのって聞かれて。声のことを言ったらあの人はなぜかすごく嬉しそうな顔をしてこれをくれた」

 ユウは木切れを持ち上げた。

「声の主がこの木の板だってすぐにわかった。なんて言ってる?とあの人に聞かれて、私は耳を近づけたけど言葉はわからなかった。ただとても悲しそうに何かを訴えかけていた。そう伝えたら、あの人は、片割れを海に落としてしまったからね、と言った」

 ユウは俺の手から木切れを取り上げて、自分の木切れと重ねた。

「二枚で一つなんだよ」

 ユウはまた目を閉じて木切れを耳にあてた。

「すごく嬉しそう。歌うみたいに共鳴してる。ウミには聞こえる?」

 板切れから声がするなんて普段なら笑い飛ばす。だけど、袋の中に“片割れ”の板が入っていることをユウは言い当てた。それにうっとりと語るユウには不思議な雰囲気があった。俺は板に耳を寄せた。

「何も聞こえない」

「聞こえる人は少ないんだって」

「奴が言ってたのか?」

「うん」

 半信半疑だったが聞こえないのは残念な気がした。

「それやるよ」

 ユウは何故か首を振った。

「いい、ウミが持っていて」

「二枚で一つなんだろ?」

「だからウミが持っていて」

 何なんだ。よくわからなかったが俺は木切れを受け取り袋に入れようとした。

 すると「ポケットに入れて」とユウが言う。

「袋だとダンダ・パパに見つかるでしょ?」

 ダンダ・パパがこんな木切れに興味を持つとは思えなかったが俺は立ち上がりズボンの尻ポケットに押しこんだ。

「じゃぁな」

「帰るの?」

「あぁ」

 いつもより大分遅くなってしまった。

「さっさと帰らないとダンダ・パパに怒られるからな」

「ギムナ・ママが言ってたよ。ダンダ・パパがビル街で偉そうにしているのはウミのおかげだったって。ウミは整形もしていないのに顔がきれいだし愛想もいいから外でたくさん稼げる仕事に就けた。お前たち、顔は無理でもウミの愛想のよさを見習いなさいって」

「大したことねーよ」

 褒められて照れくさくなる。だが、

「私は見習いたくない」

 凍り付くような冷たい口調でユウは言った。さっきまでの笑顔は消えていつもの無表情に戻っていた。

「15歳を過ぎたら外に稼ぎに行く。皆、当たり前のようにパパやママのいう事を聞いてるけど私は嫌」

「何言ってんだよ?だったらどうやって食ってくんだよ」

「ウミは嫌じゃないの?」

 一瞬、言葉に詰まる。

 だが俺の15歳病は終わった。

「別に」

「本当に?子供たちの仕事はどれもハードだけど、ウミがさせられているのは一番ひどい仕事だよ。ねぇ、ウミ、自分で自分に問いかけて。本当に嫌じゃない?」

 ひどい仕事、という言葉が胸に刺さる。稼げることを誇りに思っていた自分を否定された気がした。

 同時に手首の痛みがよみがえる。

 今夜の……ついさっきの記憶がリアルによみがえる。ゴージャスなホテルの部屋。ドアを開けるなり俺をベッドに組み伏せた筋肉メガネ野郎の体臭が鼻先をかすめた。

「知るかよ!」俺は怒鳴っていた。「働かなかったら食ってけねーだろうが、嫌だとか嫌じゃないとか言ってらんないんだよ」

「そう思い込まされているだけだとしたら?」

「は?」

「この土地は豊かだよ。山も森も海もある。食べ物には困らないはず。人口もそこまで多いわけじゃない。自給自足でも十分やっていける」

「何言ってんだよ」

「数十年前まではそうだったらしいよ。大人も子供もみんな漁業や農作業をしていたんだって。外に稼ぎに行ったりする子供はいなかったし、ビルのファミリー制度もなかった。子供は本当の親に育てられるのが主流だった」

 俺は驚く。

「そんなの誰に聞いたんだよ?」

「あの白髪の人。前にも南九図に隠れて住んでたことがあったんだって」

 思わず笑う。

「おかしいだろ、それ。どう見たってあいつ数十年前は生まれてないか小さなガキだろ。だまされたんだよ。今だって漁業や農作業をしている大人は多いしさ」

「一応、形だけはね。でもよく見て。今の大人たちはまともには働いていない。だって子供たちが外で稼いでくるから」

「あのな、いい加減に……」

「白髪の人は、ここは特別な町の一つだと言ってた。あの人は少し変わっているけど、ずっと旅をしていて色々なことに詳しかったよ。世界には南九図と同じ“特別な町”がいくつもあるんだって。ビルのファミリー制度と似たようなシステムも見たことがあるって。でも子供たちの仕事について相談したら悲しそうな顔で“何かが間違っているね”と言った」

「何でよそ者に相談なんか」

「じゃぁ誰に相談すればよかった?」

 俺は答えられなかった。

「私ね、調べたんだ」

「何を」

「いつから、なぜ、子供たちが外で働くことになったのか」

 ユウは真剣な顔をしていた。

「資料も残ってないし正確なことはわからなかった。でも色々な大人たちに話を聞いて回った。それをつなぎ合わせると、37年前の大火災が始まりだった。親が死んだ子供がずいぶんいてビルのファミリー制度がスタートした。ひどい状態だったから、珍しく国からも色々と援助があった。ライフラインの整備やビルや道路の補修、食料の供給とかね。……そして子供たちに仕事が斡旋された」

 俺は驚く。

「国が斡旋したってことか?」

「わからない。大人たちが都合のいいように主語をごまかしているだけかもしれない」

「じゃぁ一体誰なんだよ」

「大火災の混乱に紛れて南九図に入り込んできた奴ら。非合法な組織か、影で悪いことをしてもごまかせる権力者か。可能性はいくらでもある」

「結局、何もわかってないってことか。意味ねー」俺はいらだち始めていた。

「お前さ、要するに自分が働きたくないだけだろ?」

 ユウは目を伏せた。

「働くのは怖いよ。でもそれだけじゃない」

「じゃぁなんなんだよ」

「私は……ウミが外で働くのが嫌だった、どうしようもないほど。だから調べたの」

 思ってもみなかった言葉だった。俺の頭は生まれて初めて位に混乱していた。

「帰る」

 逃げるようにその場を離れようとした。

「次の満月の夜」

 ユウの声が背中を追いかけてくる。

「同じ時間にここに来て」

 だんだん早足になり、気づいたら走り出していた。振り払いたかった。ユウに対して無性に腹が立っていた。

 なんであんな訳のわからない話を聞かせるんだよ。

 頭の中がぐちゃぐちゃだった。だけど同時に頭の奥の方の暗かったスペースで明かりが点滅していた。これまでずっとそこには何かがあるような気がしていた。でも暗闇の中で手探りさえせずじっとしていた。

 不穏な光の点滅の中に浮かび上がるもの。

 やめろ、明かりを消せ。俺は顔を背けて目を閉じる。だが手遅れだ。残像は脳みそに刻まれ、何があるのか俺は知ってしまった。

 光は残酷だ。

 一度見えてしまったら、もう見えなかった頃には戻れない。


 海沿いを抜けて蛇行した坂道を登る。息が切れても走り続ける。暑い夜だから、涼みに外に出ている連中が結構いた。大人達の多くは道路の端にだらしなく座って酒を飲んでいた。

 よぉ、今夜も稼いだんだろ?

 呂律の回らない口で呼びかけてきたのは漁師のビックだ。

 ビックと一緒に飲んでいた連中がどっと笑った。

 今までの俺なら「まぁな」とか「当たり前だ」とか得意気に返していた。だが今日は無視した。奴らの笑い声に蔑むような調子が潜んでいる気がしたからだ。

 ついでに、いつもビックが俺をなめ回すように見ていたことを思い出す。海でガキ達と泳ごうとシャツを脱ぐ時、あいつは絶対に俺をじろじろと見るのだ。

 ちっくしょう。

 坂道が終わり、ようやく地面が平になる。右手の小さな路地を抜けるとビル街への近道だ。

 真ん中のでかい道路を挟んで左右にずらりとビルが並ぶ。全部で50近いビルがあるが3分の1は崩れかけて立ち入り禁止だ。使えるビルは年々減っている。

 ビル街にはファミリーが住んでいる。パパかママを頂点として、18才以下の独立前のガキたちが共同生活を送る。7才までは外出禁止で南九図での生き方を叩き込まれる。外は危険でパパとママと一緒じゃなきゃ出てはいけないと教えられる。

 実際、ガキがビルの外で無事でいるのは難しい。この間も無断外出した5才の子どもが立ち入り禁止のビルで足場が崩れて死んだ。その前は6才で、砂浜に溺死体が打ち上げられた。

 晴れない気分で俺は自分の住むビルに入る。不動ビル。ビル街では比較的新しいビルだ。

 エントランスのソファに二つの人影が座っていた。一つは小さくてもう一つは大きい。

「ウミ!」

 小さな影がソファを勢いよく飛び降りて俺に向かって走ってくる。

「ウミが戻らないって、スミレが心配していてね」

 もう一つの影はダンダ・パパだった。

 スミレは俺の左足を抱きしめる。今年5歳になったばかりのスミレはガキたちの中で一番俺に懐いていた。

「ぼくも心配だったよ」

 ダンダ・パパが言った。

「遅くなってすみません」

「いいんだ、無事帰ってきてくれたんだから」

 俺とダンダ・パパはスミレをガキたちのいる部屋に連れていく。1階の奥の広いフロアで20人くらいのガキたちが眠っている。そっと扉を開けると安らかな寝息が部屋の中を満たしていた。スミレは俺のそばを離れたがらなかったが、ダンダ・パパが「寝なさい」と言うと素直に部屋に入った。空いている布団の上に寝転がりタオルケットを体に巻き付けてすぐに寝息をたてはじめた。

 俺とダンダ・パパは三階へ行く。

 三階は大人たちの階層だ。事務室に行き俺は袋をダンダ・パパに渡す。

 ダンダ・パパは袋の中身をデスクの上に全部出す。一つずつ点検した後、また袋に入れる。

「ウミはいつもお土産をたくさん拾ってきてくるね」

 俺はズボンのポケットにいれた木切れのことを思い出して居心地が悪くなる。

「今日の彼はどうだった?乱暴にはされなかったかい?」

「うん」

 強引にベッドに組み伏せられたが乱暴という程じゃない。

「一応、確認をするよ」

 ダンダ・パパがデスクのスイッチを押す。部屋の中がぱっと明るくなる。俺はシャツを脱ぎ木切れが飛びださないようにズボンをおろす。もちろん下着も脱ぐ。

「後ろを向いて」

 言われるまま後ろを向く。

 ダンダ・パパが近づいてきて全身を確認する気配がする。

「傷はないね、服を着て」

 シャツを頭からかぶる動作がぎこちなくなる。いつもこの瞬間、緊張する。特に今日は。いつもより遅くなった。そのせいでスミレに心配をかけた。

 俺は悪いことをした。でも、そこまで悪い事じゃない。だから今日は大丈夫なはずだ。きっと。

 首をシャツからくぐらせて、デスクの上に視線をやる。

 血の気が引いた。

 デスクの上にあの木切れが置かれていた。

「ウミが後ろを向いた瞬間にね、そっと抜き取ったんだよ、なかなか素早いだろ?これは何だい?なぜ袋にいれずポケットに隠していた?」

「入れ忘れていて」

 声がうわずった。

「なるほどね」

 ダンダ・パパはデスクの引き出しを開けてキーを取り出した。

「もう一つ質問だよ。今日はどうしてこんなに帰ってくるのが遅くなったんだい?」

 優しい言葉、優しいまなざし。俺はすがりつきたいような気持で本当のことを言いたくなる。白い髪のよそ者や、ユウがいた松の大木の広場について、ユウと話したことについて。

 だが喉はカラカラで言葉がでない。言うべきじゃない、と本能的な直感がささやく。頭の奥でまた明かりが点滅する。

「……浜辺で寄り道して」

「一人で?」

「そう、散歩をしてて」

 事務室の電気がふっと消える。冷汗が流れ落ちる。

「いいんだよ、理由なんて」

 いつの間にか背後に立ったダンダ・パパが耳元でささやく。

「理由はどうでもいいんだ。でもきみは二つも約束をやぶった。袋に入れるべきものを入れなかった、そして時間通りに帰らなかった」

 キーが背中に当てられる。意識が一瞬吹っ飛ぶような電流が流れる。俺はその場に崩れ落ちる。ダンダ・パパがしゃがみこみ大きくたくましい掌が俺の頭を撫でる。

「いい子だ」

 隠し事は悪いことだ。帰ってくるべき時刻に帰らなかったことも悪いことだ。でも罰を受けて許された。俺はひどく安心した気持ちになって目を閉じた。

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