3.
この世界には異者と呼ばれる特殊な存在がいる。彼らはハハ様と呼ばれる”始まりの異者”から受け継いだ不思議な力をいくつか持っている。
たとえば『消去』。彼らはある特定範囲内における、あらゆるものを自在に消し去ることができる。これは質量保存の法則を守らない。本当にきれいさっぱり消してしまう。
恐ろしい能力だが、『消去』は封じる方法が確立されていてコントロールしやすいとされている。ガラリスの右手の黒い手袋もその一つだ。手袋は特殊な素材で作られていて異者の力を封じる。
異者の力で、『消去』よりも重視され畏れられているのは『異物』を創りだす力だ。
異物は人知を超えた力を持つ。
使い方によっては役立つが、同時に人間社会の秩序を根本から破壊しかねない危険な存在でもある。
そのため今からおよそ100年前、異物管理機構、『Gift control mechanism』という国際機関が発足した。異物管理機構は略して異機構、もしくはGCMと呼ばれる。異機構は異物の収集、保管、管理を行っている。
「誘拐とは穏やかじゃないな」
ガラリスが楽しげに言う。
彼女は異機構に所属する異者だ。
異機構に所属する異者は色々な義務を負う。鑑定もその一つだ。異物は世界中のあちこちで不定期に発見されるが、どんな力を持つのかは創作した異者しか知らない。
その力を解き明かすことを“鑑定”と呼ぶ。
「で、異機構は、これを呪いと祝福のどちらだと予想している?」
呪いと祝福は、異機構で使われる隠語だ。異物が人間社会にとって役立つと判断されたら祝福、リスクをもたらす可能性がある場合は呪いと呼ばれる。
キャランが肩をすくめる。
「今のところは何とも」
キャランとミツルは異機構の職員で、ガラリスや異物を管理する立場だ。
「ほぉ?つまり誘拐は誰を傷つけることもなく平和に行われたのだな?」
「誘拐が平和ってなんだよ」
ミツルがつぶやく。
「詳細を聞かせろ」
「そんなんどうでもいいだろ」
ミツルが面倒くさそうに言った。
「発見の状況がわかれば鑑定の精度もあがる。誰がどんな風に誘拐されて、この異物はどう関係している?聞かせろ、チンアナゴ」
「いい加減にしろよ、私はチンアナゴじゃない!」
「いいからさっさと話せ」
キャランがくすりと笑った。
「何がおかしい?」
「最近のあなたは、鑑定で異物の正体を解き明かすことより、思索で予測することを楽しんでいるように見えます。だから事件について知りたいのではないですか」
ガラリスは首を傾げ少し考えた後「まぁたしかに」とうなずいた。
「この牢獄的な車イスから、世界を見透かすのは悪くない気分だ」
「安楽椅子探偵気取りかよ」
「探偵?それはいいな」ガラリスはぼくを見て「ならばクオンが助手だ」と言った。
一体何の話だろう、と思ったが
「いいか、クオン、今からお前はわたしの世話人、兼、探偵助手だ」
どうせ断ることはできないので「はい」と返事をした。すると
「何が『はい』だよ。クオン、適当に何でも受け入れるな」
半ば八つ当たり気味にミツルに怒られる。どうすればいいかわからず、失礼しました、ととりあえず謝る。
だがミツルの怒りはおさまらず
「キャラン、ガラリスの探偵ごっこに付き合う必要なんかない。この後の仕事も詰まってる」
と早口で言った。
対象的にキャランはのんびりとした様子で、
「急ぎの仕事はなかったはずですよ」と紅茶を飲む。
「せっかくですしガラリスに事件の概要を話してもいいのでは?」
「いやだ」
「ミツル、異者の望みを叶えることも仕事の一つです」
「十分すぎるほどやってるじゃないか、鑑定のたびにこんな僻地まで飛んできてさ。しかもクオンみたいな……」と言いかけてミツルは口を閉じた。
ぼくは言葉の続きを考える。
ぼくみたいな……奴隷、生け贄、人形、玩具。
そう、ぼくはガラリスの望みを叶えるためにこの屋敷に連れて来られた。世話人とはそういう存在だ。命じられればぼくは料理人、執事、時には探偵助手にもなる。ガラリスのわがままと気まぐれに付き合うのが仕事だから。
「とにかくうんざりなんだよ、人の気も知らないでいつもガラリスは私を馬鹿にしてさ、チ、チンアナゴとか言って」
声が細くなって消えた。ぼくはぎょっとする。ミツルの切れ長な目が赤くにじんでいた。
「ミツル」優しくキャランが呼びかける。「なぜ異者の望みを叶えなければならないかわかっていますか?」
「それは」
「異者の精神状態を良好に保つことで、良質な異物が創られるからです」
「お前は本当に嫌なやつだ、キャラン」ガラリスが顔をしかめる。「まさしく異機構の化身のようだ。力ずくで私たちをカゴの中に閉じ込めた癖に、愛でてやるから卵を産めと堂々と言い放つ」
「気に障りましたか。でも私の愛は本物ですよ」
「お前に好かれても嬉しくない。おい、チンアナゴ、いつまでいじけている。キャランは変態だが仕事というものを心得ている。少しは見習って私のために働け」
ミツルはうつむいたまま顔をあげない。
「チンアナゴは水族館の人気者ですよ、かわいくて私は好きです」
キャランが言った。あまり慰めになっていない気がする。
「しおれたチンアナゴなどチンアナゴではないな。キャラン、お前が事件概要を話せ」
「わかりました」
ミツルの肩がぴくりと震えた。キャランがデジックを取り出して開く。ガラリスは舌なめずりしそうな顔でキャランを見ていた。余程事件について知りたいらしい。
ぼくはこっそりため息をついた。キャランもガラリスもミツルを置き去りにすることを気にしていない。さすがに気の毒だった。
「事件は4月5日に起きました。場所は目黒区城岡のマンションで、相葉サトカという16歳の少女が誘拐されました。母親が昼の12時35分頃に部屋に行くとサトカがいなくなっていました。家の中や近所を探しても見つからず、14時10分にサトカを誘拐した旨の電話が母親のデジックに入り、身代金の要求がありました。警察に知らせるなと言われた家族は、兼ねてから契約していた民間の警備会社に連絡。警備会社の人間がマンションの玄関とエレベーター内に設置された防犯カメラを確認すると、午前11時32分に使用人の伊東ウタミが大きなダンボール箱を台車に乗せて運ぶ姿が映っていたそうです。伊東ウタミはそのまま行方をくらませ、防犯カメラにも他に疑わしい出入りはなかったため、このダンボールにサトカが入っていたことが予想されます。その翌日の午後、警備会社と家族で何か手がかりはないかとサトカと伊東ウタミの部屋を捜索したところ、サトカの部屋で異物を発見、異機構に通報があった、というわけです」
「警察には通報しないのに異機構には通報したのか」
「犯罪には通報義務がありませんが異物発見にはありますから」
ガラリスが首をかしげる。
「だが色々と奇妙な話だ」
「何がです?」
「なぜ警察に通報していないのに防犯カメラを確認できた?」
「相葉家がこのマンションのオーナーだからです。5階の最上階フロアは相葉家が占有していて専用エレベーターがあり家族と使用人のみがカードキーを持っています」
「カードキー?」
「エレベーター内にかざすところがあり、それがないと動かない仕組みです。カードキーは全部で5枚。両親とサトカの分で3枚、使用人2人の分の2枚。サトカが消えた日、11時過ぎに母親はサトカが部屋にいたことを確認しています。11時以降でサトカがいないことが分かった12時35分までの間に専用エレベーターが使われたのは、たった一回。使われたカードキーは伊東ウタミのものでした」
「ずいぶん無用心な犯人だ。自分のカードキーで専用エレベーターを降りて防犯カメラにも堂々と映るとは」
「伊東ウタミについては面白いことがわかっています」
「ほぉ?」
「彼女は経歴を詐称していました。履歴書に書かれた内容はすべて嘘でした。推薦書も偽造。伊東ウタミという人間はこの世に存在しません」
「つまりサトカを誘拐するために相葉家にもぐりこんだ可能性が高いということか」
ガラリスの左手の指がピアノを弾くような動きでひじ掛けを叩いた。何かを考え込んでいる時の仕草だった。
「なぜ相葉家は異機構に通報した?」
奇妙な問いだった。通報があったのは異物が発見されたからに決まっているのに。
キャランもガラリスの真意をはかりかねて
「どういう意味ですか?」と聞き返す。
「異物の見た目は普通の“物”と変わらない。実際、これもただの木の板にしか見えない。それを異物と判定するには感知者がいなければ無理だ。相葉家か警備会社の人間に感知者がいたのか?」
「いいえ」
「では何かしらの“ありえないこと”が起きて異物の関与が疑われて通報に至ったということだ。だが今の話を聞く限りでは、ただの誘拐事件だ。異物が関与した要素はない」
「異物は二つともサトカの部屋のクローゼットから発見されました。サトカの持ち物ではなく、誘拐の前日にはクローゼットに入っていなかったものだと両親と使用人が証言しました。警備会社の担当者が異物と判断し、相葉家に通報を進言したそうです」
「ずいぶん鋭い警備員だ」
「異物の存在は今では広く知られていますし、民間の警備会社でも取り扱い講習が行われていますから。異機構の地道な啓蒙活動が実を結んだというところでしょう。それに」
「それに?」
「感知者でなくても異物に精通したスペシャリストはいます。我々異機構でも色々な講習や資格試験を用意していますし」
「大切な収入源なのだろう?」
「それだけ異物は人を魅きつけるということです」
「で、結局、少女は帰ってきたのか?」
キャランがデジックを操作する。
「今、最新データを確認しましたが帰っていませんね」
「身代金の受け渡しは?」
「その後、犯人サイドからの連絡がなく行われていません」
「連絡がない?一度も?」
「えぇ。最初の連絡時に、次に電話した時に具体的なことを指示すると言っていたそうですが、それっきりのようですね」
「やはりおかしな話だ」
「犯人サイドの事情が変わった可能性もあります。16歳の少女を監禁し続けるのは難しいですから」
「殺されているという事か」
「考えたくはありませんが……殺害によりリスクが高くなり身代金をあきらめた可能性はあるでしょう」
「ふむ」
「そもそも身代金目的の誘拐がブラフという可能性もあります」
「ブラフ?」
「最近の傾向では未成年者の誘拐の場合、人身売買の可能性が高いそうです」
「わざわざセキュリティの高いマンションに潜り込んでか?だったらその辺でさらったほうがいい。それに人身売買目的なら、誘拐後、なぜ身代金要求の電話をかけた?」
「警察に連絡をしないように釘をさして時間稼ぎしたのでは?」
ガラリスの左手の指先がまた動く。芸術品の陶器のような指先がバラードを奏でるようにゆっくりとひじ掛けを叩いた。
トン、トン、ト
指先が止まる。
「結局、家族は警察には通報をしたのか?」
「サトカがいなくなって3日後の4月8日に通報をしています」
「警察か」とガラリスがつぶやいた。
「もしサトカが見つかれば警察から異機構に連絡が入る予定です。異物について証言を得なければなりませんから」
キャランがデジックを閉じる。
「これで私たちが入手している情報は全てお話ししました」
「すべてか?」
「はい。隅から隅まで」
「ふむ」ガラリスは考え込むような面持ちで、
「キャラン、警察からもっと捜査情報を手に入れることはできるか」と聞いた。
「内容によってというところですが」キャランが首を傾げる。「何を知りたいんですか?」
「主に鑑取りと呼ばれるあたりだな」
「カンドリ?」
「事件関係者に対する捜査のことだ」
「よくそんな言葉をご存じですね」
「私はお前たち人間よりも人間世界について勉強熱心だからな」
ぼくは以前、ガラリスがミステリー小説を読み漁っていた時期があったことを思い出す。多分そこで覚えたのだろう。
「異物と明らかに関係している人間の情報は警察も提供してくれますが、それ以外については多少の無理や言い訳が必要ですね。異機構としての必要範囲を超えますから」
「いい加減にしろよ、ガラリス!」
突然ミツルが顔を上げて怒鳴った。
「事件は事件。異物は異物だ。鑑定に関係ないじゃないか。キャランを困らせるな」
「報酬でいい」
「は?」
「この異物の鑑定の報酬として、警察の鑑取りの捜査情報を入手せよ」
「ふざけるなよ!」
「ふざけていない。私は確かめたいことがある。たぶん警察の捜査力ならつかんでいるはずのことだ。私はどうしてもそれを知りたい」
キャランが苦笑しつつ「わかりました」と言った。
「キャラン、警察に借りをつくることになる。また管理統括部ににらまれて……」
「心配してくれてありがとう、ミツル。でも大丈夫、問題ありません」
キャランはガラリスを真っ直ぐに見た。
「報酬として承りました、ガラリス、あなたの望むままに」
「鑑取り以外も手に入れられそうな情報はすべてほしい」
「よくばりですね。でもできる限りの努力を誓います」
「お前の物わかりがいいところは嫌いじゃない」
「嬉しいです」
「明日までに入手できるか?」
「承知しました」
「では私も今夜中に鑑定を終わらせることを約束しよう」
「ありがとうございます」
キャランは紅茶を飲んだ。カップの中が空になった。お代わりを注ごうとすると
「ありがとう、クオン、でも私たちはそろそろ帰ります」
「誰かさんのせいで仕事が増えたからな」
苦々し気にミツルが言い捨てる。
「クオン、異物を金庫にしまっていただけますか?」
「はい」
ぼくは二枚の木片を慎重に箱に戻す。それから応接室の壁際に置かれた一人がけのソファをどけて、裏側に隠れていた小さな扉を開ける。中にはダイヤル式の古くて堂々とした金庫がある。夜の鑑定までの間、異物はここにしまっておく。
「ではまた明日」
異物が金庫にしまわれたことを見届けるとキャランとミツルが立ち上がった。
ぼくは二人を玄関まで見送る。
ドアをあけるとミツルは別れの言葉もなく早足に行ってしまった。キャランは空をまぶしそうにあおいでのんびり歩いていく。
陽だまりの中、キャランが振り返り手を振ってくれた。ミツルが屋敷前の広場に停めていた車のドアを開けてキャランに乗るように促す。キャランが車に乗り込む。車が走り出す。
いつもはそうやってキャランが去ってしまうと、景色が色と温度を失って、別世界に一人ぼっちで立っているように不安になった。
でも今日は違う。明日になれば彼女にまたあえる。さらにもう少しすればぼくは彼女と一緒に外の世界へ行ける。
車が森の道に入り木々に隠されて見えなくなる。やっぱり少し胸が痛む。でも広場を照らす春の光は明るく優しかった。