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廃墟の魔女  作者: からり
対の木片
1/27

1.

 午前6時50分に起きてシャワーを浴びる。お湯はぬるくて浴びるほどに寒くなるのでさっさと済ませる。歯を磨き、伸びた髪をきっちり結び、手袋をはめる。ジャケットを着ると袖がまた短くなった気がした。

 部屋を出て、ぎしぎしと鳴り響く螺旋階段を降りて一階に行く。吹き抜けのホールには天井まで届く巨大な柱時計がある。

 7時20分。

 いつも通りの時刻だ。

 早足でホールを通り抜けて右手の細い廊下を進む。廊下の片側は壁で、逆側は全面窓だ。エンジ色のベルベット調のカーテンは開けっ放しなので日差しが降り注いで廊下は明るい。カーテンは色褪せて何カ所かが破れ、窓も何枚かは割れている。

 春の朝の冷たい空気が入り込んできて頬を撫でる。窓の外には緑があふれて小鳥たちがにぎやかにさえずっている。

 廊下の突き当たりにたどりつく。この屋敷の一番奥深い場所だ。焦げ茶色の大きなドアがぼくを静かに待っている。

 毎朝、繰り返される儀式なのにいつまで経っても慣れない。かすかな緊張とともにドアをノックする。

 入れ、と冷たい声が言う。

 ぼくは鍵束から鍵を選びだす。今では指先で触れるだけで、どれがどのドアの鍵かわかる。

 鍵を鍵穴に差し込む。

 ノブをひねりドアを押す。

 瞬間、野性味のある花の香りが漂ってくる。

 薄暗い部屋の中央に彼女が座っている。

「おはようございます、ガラリス様」

 深々と一礼する。

 彼女は肘掛けに頬杖をついて不機嫌な顔をしている。

「さっさとここからだせ」

「はい」

 ぼくはガラリスを観察する。一番重要なのは彼女の右手だ。それは、ぼくがしているのと同じ真っ黒な手袋に覆い隠されている。

 ゆるみも破れもなさそうだ。

 手袋の確認後、壁際へ行く。ぼくの腰位の高さにタッチパネルが埋め込まれていて、隣に日めくりカレンダーがある。一枚破りゴミ箱に捨てる。『4/17』が目の前に現れる。

 それからガラリスのそばに行きひざまづく。彼女の座る車イスのストッパーをはずす。背後に回り持ち手を握る。

「空気が乾いている」ガラリスは言った。

「今日は雨は降らないだろう。川に行き水底の石をとってくるといい」

「今日は11時にキャラン様が見える予定なので午後に行きます」

 そう言うと彼女は鼻で笑った。

「ずいぶん嬉しそうだな」

「そんなことは」

「ごまかすな。私との契約は今日を含め5日も残っている。それまでクオンは私の世話人だ。私を最優先にしろ」

「失礼しました。では朝食の後、すぐに行きます」

「そうじゃない」

 ガラリスは不服そうなため息をつく。

「時間が足りず選別が甘くなっても困る。午後でいい」

「承知しました」

「契約の件だが更新の申請ができるらしい。考えてやってもいいと思っている。クオンは私の繊細な味覚を理解できた数少ない人間だからな。次に来る者がそうとは限らないし」

 一瞬の間の後、

「後任にきちんとレシピを引き継ぎます」

 と答える。

 ガラリスの小さく形のいい後頭部が不満げに傾いた。黒い長い髪が揺れて白い首筋がのぞく。

 5年前、ここに連れて来られた時からガラリスは何も変わらない。髪の長さも、首筋の滑らかさも。

 変化の乏しいこの屋敷で、なにも変わらないガラリスと暮らしていると時間が止まっているような気がしてしまう。

 でも確実に時は流れている。

 ぼくの背は40センチ以上伸び、ジャケットの袖はどんどん短くなる。視点が高くなり、以前よりガラリスが小さく見える。

「……さっさと食堂に連れて行け」

「はい」

 車イスも軽々と押せる。

 4日後の4月21日、ぼくは16歳になる。


 この古くて広い屋敷は南側が玄関で、吹き抜けのホールを中心として東西にいくつか部屋がある。

 ガラリスの部屋はホールの奥、北の壁際から東へ向かう廊下の先だ。食堂は玄関を背にして西側の位置だ。なのでぼくは毎朝、車イスを押しながらホールを突っ切っていく。

 食堂は殺風景だ。

 広々とした空間にぽつんと大きな長方形のテーブルが置かれ、くすんだ壁には風景画が一点飾られている。

 風景画はにじんだ暗い色彩で中央に長い道が伸びている。深夜なのか夜明けなのか夕闇なのかわからない曖昧さの中に光の塊が浮いている。光の塊も月なのか太陽なのかわからない。夢の中のような不思議な絵がこの食堂の唯一の装飾品だ。

 ガラリスはこの絵を気に入っているので、テーブルの絵が見やすい位置に車イスをつける。それから食堂のドアに鍵をかけて、ぼくは厨房室へ向かう。

 厨房室は食堂よりは狭いが、窓があるせいか開放的な雰囲気だ。窓の横には幅が2mはある巨大な冷蔵庫が置かれている。背の高いラックに電子レンジ、オーブン、フライパンと鍋が一つずつ収まっている。

 ぼくはいつもの手順でガラリスの食事を用意する。

 数分もかからず出来上がり、湯気がたち昇る皿を運ぶ。

 ガラリスはぼんやりと風景画を見ている。

 テーブルに皿を置くとはっとしたように姿勢を正す。スプーンは左側に添える。

「ふむ」とつぶやきガラリスはスプーンを手に取る。

 優雅に料理をすくい口に入れる。

「まろやかだな、悪くない」

「ありがとうございます」

「オリーブオイルか?」

「はい」

「まろやかさの奥に何かが隠されている。隠し味というやつだな、私にはわかる」

「ブラックペッパーです」

「悪くない」


 8時頃、食事が終わる。ぼくはガラリスを図書室に連れていく。

 図書室は東側にあるので、またホールを突っ切っていく。

 図書室は広く、食堂や厨房とは逆に物があふれている。見渡す限りの本棚にぎっしり本が詰め込まれている。彼女が使わないので椅子は倉庫に片付けたが、テーブルも大小様々にいくつもある。

 本棚の上には小さな丸い窓が整然と並び、床に光の円が落ちる。天井にも同じ窓がある。計算された採光のおかげで、晴れていれば夕方まで灯かりはいらない。とても静かな空間で、ホールや他の部屋に比べて空気のざわめきみたいなものがない。紙が音を吸うのかもしれない。無数の本が音を拒んでいるようにも感じる。

 ガラリスが言う。

「今日は動物の本を読む」

「はい」

「あっちだ」

 指をさされた方向へ車椅子を押す。

「止まれ」

 ぼくはテーブルを移動させてガラリスの横に置く。彼女の指示通り本棚から本を選びだす。図鑑や学術書などの分厚くて重い本や、動物について書かれたエッセイや小説などの文庫本をテーブルに積み重ねていく。どうやら彼女の今の興味は動物にあるらしい。

 ホコリがきらきら舞い踊る。

 8冊目で「もういい」と言われた。

 ガラリスは既に図鑑を膝にのせて読み始めている。窓からの光がガラリスの横顔を包んでいた。うつむき加減の表情は神々しいほどに美しい。一瞬、見とれるが、同時に目の端で彼女の右手を確認する。右手は肘掛けの上にあるし、手袋もきちんとはめられている。

「10時50分に迎えに来ます」

「……ん」

 書斎を出て鍵をかけて食堂へ引き返す。柱時計は8時32分を指していた。いつもとほぼ同じ時間だ。

 食堂のテーブルに残された彼女の皿とスプーンを持って厨房室に行く。軽く水で流してから食洗機にいれる。

 今度は自分の食事だ。

 冷蔵庫を開けるとずらりと固形栄養食のパッケージが並ぶ。適当に一つとると後ろの分がずれて前に押し出される。

 今日はチーズと書かれたパッケージを選びレンジにいれる。1分でできあがる。パッケージの中には三本の丸みをおびたスティックだ。三本で一食分の完璧な栄養素が詰まっているらしい。

 味の良し悪しは余りよくわからない。美味しいともまずいとも思わない。食べることに興味がないのかもしれない。空腹は感じるけど食べたいという欲求がわかないのだ。

 でもキャランにもガラリスにも食事をするように命令されている。だから一日に最低三回はこの固形栄養食を食べる。習慣として、あるいはノルマとしての食事。

 厨房室を出たら掃除を開始する。

 今日は一階と二階、全体に掃除機をかけて、窓の拭き掃除をする。ぼくは食事よりも掃除や片付けが好きだ。汚れていたものをきれいにするというのは、本当の美しさを取り戻す作業のように感じる。窓を拭いてくもりがとれると、心まで透き通るような気がする。

 10時30分。掃除を終える。

 いつもなら午前中いっぱいは掃除をして、その後に昼食となる。でも今日は違う。

 ぼくは二階の自分の部屋に戻る。鏡の前に立って髪を結びなおす。ジャケットにほこりがついていないかチェックする。真正面から自分を見つめる。

 顔がゆるんでいる。軽くたたいてみる。だめだ、いまいちしまらない。ガラリスにからかわれるのも仕方ないほど表情がにやけてる。

 原因はわかっている。

 キャランに会えるからだ。


 10時50分、ぼくは時間ぴったりに図書室に行く。まだ本を読みたいとごねるガラリスを半ば無理矢理に連れ出して、食堂の隣の応接室へ移動する。

「紅茶を淹れてきます」

 そう言っていったん応接室を出て鍵をかける。厨房室に行って紅茶を入れる。キャランの好きなアールグレイ。華やかな香りが殺風景な空間を満たす

 10時55分、ポットとカップを応接室に運ぶ。片手で鍵を開けるのも慣れた。ガラリスの何か言いたげな視線を無視して、テーブルにティーセットを置いて周囲を見渡す。応接室は昨日掃除したばかりだ。調度品は念入りに磨き棚にも床にも埃は見当たらない。

 よし。

 応接室を出て鍵をかけ忘れそうになる。習慣化したつもりだったのにやっぱり浮わついてるみたいだ。玄関へ向かうのも早足になる。

 玄関の前で深呼吸をする。

 11時ちょうど、呼び鈴が鳴った。

 ドアを開けると、春の日だまりの中にキャランが立っていた。

「久しぶりです、クオン」

 キャランは白いシャツに明るいグレーのロングスカートを身に付けていた。シンプルだけどとても洗練されている。服が白っぽいせいかキャランの全身が淡く輝いて見えた。

 ふと袖の短いジャケットが恥ずかしくなる。

 なるべく彼女の視界に袖口が入らないように体の影に隠して「お待ちしていました」と一礼する。

「なんか異様にドア開くの早くない?なになに?まさか、ドアの前で待ってたとか?」

 キャランの背後から、からかうような声がする。

 黒のスーツにネクタイというかっちりした服の上に、好き勝手に跳ねたくせ毛のショートカットの頭が乗っている。

「ベル鳴らして2秒で開くとかおかしいでしょ」

 朝田ミツル。

 彼女はキャランの部下、兼、護衛だ。

 女性にしては背が高いミツルは、目線の位置もぼくと変わらない。切れ長の二重が一瞬でぼくを上から下までチェックする。

「また背が伸びたね」

「はい」

「一応、中を見せてもらうよ」

 ミツルがホールに足を踏み入れる。鋭く辺りを見回してショルダーバッグからデジタルブックを取り出してかざす。

 デジタルブックは二つ折りのマルチID端末だ。略してデジックと呼ばれている。

 ミツルがデジックをかざしたのは危険物感知アプリで有毒物質や爆発物が周囲に無いかを確認するためだ。

 この屋敷のセキュリティは万全だが、念のため決められた手順を守っているのだとミツルは以前に説明してくれた。今の時代はテロの脅威はいつでもどこでもつきまとっているからね、と。

 でも最近ようやく気づいた。

 疑われている“脅威”とはぼくのことかもしれないと。

 ミツルが玄関まで戻ってきて

「いいよ、おいで」

 外で待つキャランに呼びかける。

「お邪魔します」

 キャランがぼくの前を通り抜ける。ぼくはドアを閉めながら胸が詰まって苦しくなる。嬉しいのに苦しい。キャランにあうといつもこうなる。近づきたいのに離れたい。すっと見ていたいのに背を向けたい。矛盾した感情に支配される。

「ガラリスは応接室?」ミツルが聞く。

「はい」

 応接室の鍵を開ける必要があるので、早足でミツルに追いつく。

 歩きながらミツルの視線を横顔に感じる。思わず振り返ると目が合った。

「クオンってかっこいいよな」

 突然そんなことを言われて面食らう。

「でも影がある。雰囲気も態度も落ち着きすぎてるしさ。なんていうか16歳の男の子らしくない」

「まだ15です」

「あ、そっか。来週だよね、誕生日」

「いよいよですね」キャランが言った。

 そう、いよいよだ。あるいは“ようやく”と言ってもいいかもしれない。

「おめでとうございます」

「祝いの言葉はまだ早いんじゃないか」

「良いことには何度でも感謝と祝福を送りたいものです。当日が待ちきれません」

 応接室の前にたどりつく。

「当日って」ぼくはおずおずと聞く。「お二人ではなく別の担当者が来るのでは?」

「キャランがごねたんだよ」

「私は、私たちこそがクオンを迎えに行くのにふさわしいと上に進言しただけです」

「感謝しろよ、クオン、スケジュール調整大変だったんだからな」

「来週には、クオンは私たちの仲間ですね。誕生日と新しい人生の始まりをお祝いしましょう」

 ありがとうございます、とつぶやいた。

「もっと嬉しそうな顔しろよ」とミツルがぼくの背中をたたく。

 嬉しかった。でもこういう予想外の幸運にぼくは慣れていない。

「どうした、固まっちゃって?まさか鍵がどれか忘れたのか?」

 鍵束を握りしめてじっと見つめていたのでミツルに誤解されたようだ。

「いえ」ぼくは慌てて鍵を選んでドアを開ける。

「新しい仲間、しっかりしろよ」

 からかうようにミツルが言うと、

「クオンはしっかりしていますよ」

 とキャランが言った。顔と目が熱くなるのを感じた。

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