命懸けの勧誘
死刑。そう告げられた色美だが、別に専用の処刑場に連れて行かれるなんて事はなかった。
寧ろ、牢屋の真ん前。錆びついた鉄扉が開くや胸倉を掴まれ、狭くて薄暗い空間の端に投げ出される。
色美を狙う銃口が、周囲の蓄光石の輝きを受けて威圧感を増す。
「ヒガンさん、ここで殺しちゃうんですか……?」
「ああ。お前達への見せしめにもなるだろう」
不敵に笑うラギリが口笛を鳴らした。
ロメリアは残念そうに首を横に振る。
「気の毒に。ナンシー、キミは見ない方がいいだろう」
ここにいる誰もが色美の死を確定させていた。逃れられるはずがない、と。
だけど色美にだって退けない理由がある。こんなところで諦められるなら、色美はそもそも『無法街』になど来ていない。
色美は尻餅をついた状態から片膝を立て、湿ったコンクリの壁に背を預ける。負けじとヒガンを睨み返す。
「ヒガンちゃん、何だか焦ってるみたいだね」
「何?」
「そんなにあの娘達の力が借りたいんだ?」
ほんの微かにヒガンの目尻がピクついた。
「どういう事だ」
「ラギリちゃんとのやり取りを聞いて何となく察したよ。ヒガンちゃんはあの三人の力が必要だったけど、問題ばかり起こすから仕方なくここに監禁してるんだって」
「知った風な口を利くな。命乞いならもっとマシな文句を考えてこい」
「じゃあどうしてあの三人をさっさと殺さないの?」
獄中で縛られた少女達と目が合う。色美が食い下がっている状況に驚いているみたいだ。
「必要ないなら私みたいに殺せばいい。あなたは殺人を何とも思わない性格なんだから。でもそうしないのは、あの三人に未練があるから。そうじゃない?」
ヒガンの蹴りが飛んできた。
横なぎの一撃を咄嗟に両腕で防ぐが、勢いだけは殺せない。汚れた地面に倒される。
擦りむいた手首から流血があった。蹴られた箇所がじわじわと鈍い痛みを伝えてくる。
だけど、顔だけは守り切った。アイドルの意地だ。
「口先だけでは生き残れないぞ。余計に痛みを増やすだけだ」
「でも図星でしょう? だってわざわざ牢屋の前で、私を見せしめに使おうとするくらいなんだから」
分厚い靴底が色美の背中を踏みつける。何度も何度もいたぶられ、目尻から涙が溢れ出す。
本当は叫びたい。
助けて。痛い。怖い。もう蹴らないで、って。
だけど舐められたら終わりだ。指先の震えが止まらなくたって、起き上がろうにも力が入らなくたって、それでも負けられない。
倒れたまま、ヒガンを笑って睨みつける。
「何故笑う。温室育ちの小娘の癖に」
「諦めたくないものがあるから。あなたと同じように……」
ヒガンは不機嫌そうに口端を歪めていた
口先だけでは生き残れない。それは正しいかもしれない。だが現に色美はまだ殺されずに済んでいる。
銃弾一発で黙らせても良かったはずなのに、そうしなかった。それは色美の言葉が多少なりともヒガンの胸に刺さったからだ。
「リリーちゃんの仇が取りたいんでしょ?」
「お前に何がわかる」
「リリーちゃんが実際に生きているかどうかは関係ない。あなたは悔しかったんだ。日常を奪われた事が……自分の無力さが……」
言葉を止めるな。例えどんなに最悪な殺戮者でも、その胸には心がある。そこを揺さぶる力がアイドルにはあるはずだ。
「どれだけあなたが強くても、1人で全て成し遂げられる訳じゃない。そんなのは『茨の秩序』のみんなから逃げ出した時点でわかってた。だから仲間が必要だった。それも自分と対等に渡り合えるくらい尖った仲間が。そうでしょ?」
色美の腹部が下から蹴り上げられた。込み上げてくる吐き気を必死に抑える。アイドルが嘔吐なんかできるか。
「もう一度問うぞ。お前に、一体、私の何がわかる?」
「わかるよ。だって私も、大事なものを失ったから」
一瞬、ヒガンの両目が少し見張った。だがものの十秒も経たない内に元の仏頂面に戻る。
だがヒガンは自覚していただろうか。色美に向ける拳銃の照準がいつしか足元へと下がっている事に。
「私には幼馴染がいた。一緒にトップアイドルになろうって誓った親友だった。けど途中で重たい病気を患ったあの娘は、とてもアイドルを続けられるような状態じゃなかった。そんな時、あの娘から言われたんだ。頑張れって。色美がトップアイドルになる日まで、ずっと見守ってるって……っ」
殆ど地べたに這いつくばった状態から何とか起き上がり、乱れた黒髪をそのままにヒガンと正面から対峙する。
「私は決めたんだ。あの娘の分まで頑張るって。絶対にトップアイドルになって、デッカイステージで派手なライブをやってやる。それで届けるんだ……私の歌を。天国にいるあの娘のもとまでッ!」
今度は色美が踏み込んでいく番だった。ボロボロの体でヒガンに近寄り、目と鼻の先まで距離を縮める。
「だから私はトップアイドルになる。どんな手段を使っても成し遂げる。この想いはあなたにだって負けない。どれだけ傷つけられようと屈したりなんかするもんか!」
「なるほど。お前の信念は本物らしい。だが私がお前を見逃す理由にはならんな」
「いいえ、あなたは私を殺さない」
「何故?」
「私なら、あの三人を纏められるから」
至近距離だからこそわかる。ヒガンの赤い瞳は先よりも揺れていた。
「殺し屋集団としては無理かもしれない。けどアイドルグループとしてなら纏められる。これでも一応リーダーやってたんだから」
「何かと思えばまたアイドルか。そんなもので纏められるか。あいつらがアイドル活動とやらにうんと頷くとでも?」
「頷くよ。だってさっき言ってたもん。ずっと地下牢にいるよりアイドルやる方がマシだって」
「何?」
そうだ。ようやくここに繋がった。
ヒガンが望むのはチームの団結で、ラギリ達が願うのは束縛からの解放。色美は彼女達をアイドルにしたい。
ならば話は意外と簡単だ。全員で窮屈な地下牢から抜け出し、外でのアイドル活動を通して団結力を高めれば、部分的にみんなの目的は達せられる。
その後に分岐するであろう各々の細かい願望については、後で対処すればいい。
ヒガンは咄嗟に獄中の少女達に視線を投げた。
「貴様ら、こいつの言ってる事は本当か?」
「そうだよね、みんな?」
いきなり注目を受けたフィラムとロメリアは僅かに面食らったようだが、ラギリは何でもない顔で即答した。
「そんな事言ったかしら」
「え?」
「その場しのぎの悪あがきじゃない? とっとと殺しちゃえば?」
「ちょっと!!」
約束して数分もしない内に裏切りやがった。
必死にラギリを問い詰めるが、舌を出して知らん顔される。そうだ、この少女は損得なしに嘘を優先して楽しむクソ野郎だった。
「では殺すぞ」
「待って待って待ってええええええええええ!」
厳めしい面をしたヒガンに胸倉を掴まれる。トレーナの裾が持ち上がり、へそを晒した状態で手前に引き寄せられる。カチャリと無慈悲な音が地下に響いた。
「待ちたまえヒガン。今のはラギリの悪い癖さ。正しいのは覇王クンだ。ワタシが保証する」
「ろ、ロメリアちゃん……」
「ほら、ナンシーもそうだと頷いているぞ。もっと言ってやれナンシー。あれ、どこ行った? ナンシー? どこに消えたんだい?」
何もない虚空をキョロキョロ見渡すロメリアを、ヒガンは冷めた目で眺めていた。やがて何事もなかったように銃口が色美の額に突き付けられる。恐怖で声が出ない。
「ま、待ってくださいヒガンさん……っ。ロメリアさんの言う通り、今のはラギリさんの嘘ですよ……!」
咄嗟のフィラムのカバーで死のカウントダウンが止まる。ヒガンがフィラムの方へ向き直る。
「本当か?」
「はい……。ラギリさんの真意は知りませんけど、少なくともわたしとロメリアさんは色美さんの誘いに乗りました……」
「フィラムちゃん……っ」
間一髪で差し伸べられた救いの手に、色美は感銘を受ける。彼女こそ『迷子の花達』の良心だ。きっとファンにも好かれるだろう。
「正直者のフィラムが言うなら間違いないか」
そう言ってヒガンは色美を足元に落とした。
やっとまともな話し合いに持っていける。
咳き込みながらそう思ったのも束の間、狭い地下に乾いた銃声が鳴る。ビクッと肩を震わせて顔を上げると、獄中にヒガンが拳銃を向けていた。
「が……ッッ」
ラギリの呻きだった。胴体への直撃は免れたものの片頬から大量の血が流れていた。
見れば鉄格子の一部が大きくへこんでいる。ラギリの頬をかすって壁に直撃した弾丸が、跳躍して与えた衝撃だろう。
「すまん。威嚇に留めようと思ったが狙いが逸れた。耳が吹き飛ばなくて良かったな」
「ふざ、けんな……ッ! わざとでしょうが殺戮野郎ッ!」
引き金にかかった指先が再度動くのを見て、ラギリが慌ててかぶりを振る。
「わ、わかった! もうしないわよ。嘘つかない。アイドルにもなる。だから撃つのはやめなさい!」
「報いですね……」
フィラムは両手で目を覆いながらも、指の隙間からラギリを覗き見ていた。
ヒガンは傷つけた仲間から躊躇なく目を離し、色美に向き直る。
「三人がお前の提案に乗ったのは本当のようだな。殺せ働けと私が喚いていた頃は、こいつらの意志が重なる事なんかなかった」
ヒガンの声音にはほんの些細な弾みがあった。とうに捨て去ったはずの希望を、地平線の彼方に見つけたと言わんばかりに。
「どうする、ヒガンちゃん? 後はあなた次第だと思うけど」
無慈悲な流血を招いた銃口が、今度は床に転がる色美の顔を捉える。
命を掌握されている感覚があった。ヒガンの気まぐれで色美の額に風穴が開くかどうかが決まる。
だけど色美は臆さない。例え非力でも気持ちだけは対等であれ。
「あなたがこの流れに加われば、きっと私達の歯車は大きく動き出す」
震える足に何とか力を込め、ヒガンの正面に立ち上がる。眉間に照準を定められたまま歩み寄る。
自分から銃口へ額を押し付けるようにして、至近距離からヒガンに訴えかける。
「もう一度言うよ。ヒガンちゃん、アイドルになってみない?」
相手の息遣いが明確に聞こえる間合いで、二人の少女は視線を交える。
どれくらい見つめ合っていただろう。やがてヒガンの綺麗な唇が重たい沈黙を破る。
「もしもお前の案が失敗するような事があれば、その時は命をもって償ってもらうぞ」
「いいよ。まあ何があってもアイドルになってもらうけど」
「実際、勝算の方は? 私達がアイドルになれると思うか?」
「相当頑張らないと無理だろうね。人生全部賭けるくらいじゃないと」
甘えた希望は与えない。現実を突きつけ、その上で色美は明るく笑う。
「でも大丈夫。命以外全部失うまで頑張ってもらうから」
ヒガンはそっと口元を緩めた。拳銃を下ろす。
「悪党め」
「どの口が」
二人の少女は硬い握手を交わす。
契約は締結した。各々の利害を飲み込んで、『迷子の花達』の運命が動き出す。