嘘つき、情報屋、快楽の魔女
色美は鉄格子を掴んだままへなへなと腰を下ろす。
想像以上に過酷なロケだ。まさかここまでの試練とは。数時間前に中央区で逸れた遠藤達の安否も気になる。一人でも死んでいたらシャレにならない。
「それにしても、ヒガンが連れ帰るなんて珍しいわね」
四人だけになった狭い地下牢でラギリが喋る。
「アンタ名前は?」
「羽路色美です。『はろー』って呼んでください」
「よろしく覇王」
「『はろー』です」
色美の訂正なんか聞いていないのか、ラギリは特に反応もなく話を先に進めていく。
「アタシはラギリ。一応『迷子の花達』のメンバーよ。一応って付け足したのはこの有様を見ればわかるわよね?」
「えっと、ヒガンちゃんの仲間って事だよね?」
「ええ。ああ、言っておくけどリリーみたいな使い走りじゃないわよ? 言うなればヒガンが直々にスカウトしてきた正規構成員って感じ? それとも精鋭? ヤバ、自分で言ってて恥ずかしくなってきた……」
「でも裏切ってここに捕まっちゃったんだよね? 他の二人もそうなの?」
「まあそんな感じよねぇ」
左右の壁際にもたれかかった少女達が、ラギリの発言を受けて微妙な表情を浮かべる。
「裏切ったのは、ラギリさんだけだと、思います……」
左端でお姫様座りをする童顔の少女が及び腰に異を唱えた。当然のように日本語が飛び出す辺り、『無法街』での浸透具合が伺える。
花飾りをつけたロングの金髪と、長いまつ毛に縁取られた両の碧眼。厳めしい鎖で縛られてさえいなければ、童話のプリンセスが絵本から抜け出してきたのかと疑うほどだ。
「わたしはただ、ヒガンさんと楽しいお話をしていたら、いつの間にかこんな所に閉じ込められていただけなので……」
「フィラム、アンタ『無法街』一の情報屋の癖に、自分のやらかした行動については全部忘れてる訳?」
「いいえ。わたしは全部覚えてます……。街のみんなから聞かせてもらったお話、わたしが街のみんなに聞かせたお話、全部大切な思い出です……。もちろんヒガンさんとお話した思い出も……」
フィラムは目を閉じて小さく微笑んだ。清廉を絵に描いたような横顔だった。獄中にも関わらず、今にも森の奥からたくさんの動物達が少女のもとに遊びにやって来そうだ。それくらい穏やかな人柄が溢れ出していた。
「でもアンタこの前ヒガンの家燃やしたじゃない」
「えっ」
思わず声を上げて驚いた色美と違い、フィラムは「ああ……」と何かを思い出したようにぼんやり呟く。
「それはヒガンさんが、妹さんが死んだって嘘をついたからです……。色んなお話を聞きたいわたしにとって、嘘は一番の悪なので……。だから嘘つきの家は燃やすって決めてるんです……」
「そ、それでヒガンちゃんの家にも火を……?」
「はい。悲しいけど、それが正しいことだと思うんです……」
「一応悲しいんだ……」
「だって、たった一度の嘘で家を無くしてしまうなんて、そんなの、かわいそうじゃないですか……」
お前が燃やしたんだろうが、とは言えなかった。
フィラムが本気で涙ぐんでいたからだ。妹をお化け扱いして路上で大量殺人を行うヒガンとはまた別の歪さを感じる。下手に突っ込むと変なスイッチを入れてしまいそうで怖い。
ラギリはあからさまに不快な顔になる。
「嘘が一番の悪って、それ情報屋のアンタの都合よね? 仕入れた情報に嘘が混ざってたら困るもの」
「単純に嘘がきらいなだけです……。それに正直、自分が情報屋という自覚は、あんまりないんです……。ヒガンさんからは、情報屋の力を求められていたみたいですけど、わたしは色んな人のお話を広めている内に、いつの間にか、そう呼ばれるようになっていただけで……。『迷子の花達』に入ったのも、みんなと仲良くなって、たくさんお話を聞いて広めたかっただけですし……」
「その『話を広める』ってのやめなさいよ。アンタが好き勝手ばら撒いた情報のせいで南区のギャング同士の紛争が五年続いたんだから」
「あ、生き残ったギャングさんに聞きました。もう何のために戦ってるのか、途中でわからなくなったって……。大変だったんですね……」
「うん。だから全部アンタのせいだからやめなさいって」
「やめません……」
色美はもう、愛想笑いになり損ねた苦笑を浮かべるだけしかできなかった。会話に混ざる気が一気に失せる。とにかくこの空気に慣れるしかない。
そんな色美の心境を察してか、ラギリがイタズラ顔で話を振ってくる。
「どう、覇王? アタシとフィラム、どっちがマシだと思う?」
「えぇ……」
割と本気で困る質問が来た。ラギリは愉快そうな、フィラムは期待を込めた視線を寄越してくる。
「正直どっちもゴミ、じゃなくてぶっ飛んでるからなあ。うーん……でも僅差でフィラムちゃんの方がマシかな……」
フィラムがにっこりと満足げに微笑む。
ラギリはややつまらなそうにそっぽを向いた。
「まあ、そうよね。誰がどう見てもアタシのやった事はクズの極みだもの。弁解の余地もないわ」
色美から目を逸らしたままのラギリだが、やがてその口元に自嘲的な笑みが刻まれていくのを色美は見逃さなかった。静かに俯いたラギリが口唇を開く。
「……でも、続けるしかない」
そっと、その場に置くような一言だった。
「あの子を助けるためなら、アタシは何だってやるって決めたんだから……」
そのままラギリは何も話さなくなった。
空気が重い。それほどまでに彼女の言葉には無視できない含みがあった。
悪事に対する後ろめたさと覚悟。そして、それらを両立させる原因となる『あの子』とやらの存在。
それだけで、ラギリの抱えている重荷が垣間見えた気がした。
色美は自分の立つ場所を思い出す。ここは『無法街』。法律がなく、悪事が当たり前となった異世界だ。
果たして、この世界に生まれ落ちた者が一切の悪事を働かずに生き抜く事などできるのだろうか。
色美にその自信はない。それが誰かを助けるためとなれば尚更だ。
「ごめん、ラギリちゃん。あなたの事を知りもしないでテキトーな評価をつけて」
「気にしないで。例えどんな事情があろうと、アタシが悪人である事に変わりはないんだから」
ラギリは儚い微笑を咲かせ、色美に視線を戻す。先刻までの人をからかうような瞳はどこへやら、そこにはただ今を生き抜こうと足掻く少女の強さが映っていた。
「ラギリちゃん……」
「ぷっ、はは」
その時、小さく吹き出す声が聞こえた。笑いを堪えきれなかったと言わんばかりに肩を揺らすのは、右端の壁面に背を預けて座り込む少女だった。
白のロングヘアーを冷たい床に垂らし、他の少女と同じく頑丈な鎖を痩せぎすな肢体に巻かれている。どこか道端に捨てられた花を思わせる哀愁があった。
仄かに薔薇の香りを漂わせ、白髪の少女はゆっくりと首を横に振る。
「キミ、真に受けない方がイイぞ。今のは全部ラギリの嘘だ」
「え、嘘って……えっ?」
咄嗟にラギリに目を移すと、彼女は舌打ちを交えて溜め息を零した。
「ちょっとロメリア、せっかく騙せそうだったのに邪魔するんじゃないわよ」
「相変わらず趣味が悪いね。キミの馬鹿げた嘘に巻き込まれる身にもなりたまえ」
ラギリは舌を出してロメリアを挑発する。
「え、ホントに嘘なの!? さっき言ってた『あの子』は!? その子を守るためにやむを得ず悪い事をしてるんじゃないの?」
「そんなヤツいる訳ないでしょ。嘘よ」
「ちょっと儚げなあの表情も!?」
「うそウソ嘘ぜーーんぶ嘘! 人を騙すのに深い理由なんかない。楽しいからやってんのよ。文句ある?」
色美は開いた口が塞がらなかった。特に何の背景もなく嘘と裏切りを繰り返す悪女。それがラギリの本質であるようだった。
清々しいほどのクズっぷりに、呆れとか失望とか怒りとか、その他マイナス面の感情が行く先を求めて胸中を彷徨っている。いっそ笑いそうになるくらいだった。
「という訳で覇王クン。まともな話し相手を望むならワタシで我慢したまえ。悪事の経験はあれど、そこに悦を見出す人間ではないのでね」
ラギリが何故か鼻で笑った。フィラムはにこやかなままだ。
「ロメリアちゃんは、どうして閉じ込められてるの?」
「さあ、何故だろう。ワタシは薬草を広めていただけなのにね」
「薬草?」
「ああ。傷ついた心を癒してくれる植物さ。家族に捨てられて孤独だった幼少期に、偶然迷い込んだ山奥で発見したんだ。それ以来、薬草の魅力に取り憑かれてしまってね。今では薬草の品種改良にまで手を出す始末さ。そのせいで『快楽の魔女』なんて呼ばれたりもしているが」
「薬草って確か、路上でぐったりしてた人がブツブツ連呼してたような……」
ロメリアは鎖で身動きを封じられながらも僅かに身を乗り出す。
「その人、他にはどんな反応をしていた?」
「え? なんかボーッとしてただけだった気が……」
「そうか……それは良かった。その人はきっと世界で一番の幸福を噛み締めていたんだろうね」
ロメリアはどこか満足げに頷いた。背中を硬い壁にくっつけ、一人感慨に耽っているようだった。
「薬草は色々なものを与えてくれた。親友、金、幸福。薬草はいつか『無法街』を……いや世界中を癒す万能薬になるよ。そうなるようワタシも努めるつもりだ」
いまいち要領を得ない色美は小さく首を傾げる。
「あの、よくわからないんだけど……薬草って多分病気の治療とかに使うヤツだよね?」
「まあ、そうとも言えるかな。外傷は治せないが、薬草を使えばどんな病人だってたちまち幸せになれるからね」
「……あの、ちなみにそれってどういう使い方するか教えてもらっていい?」
「簡単さ。まず火をつけるだろう? そこから出る煙を吸えば得も言われぬ多幸感に包まれるんだ。これにハマれば抜け出すのは至難の業だね」
「クスリじゃねえかッ!!」
いきなり声を張り上げたからか、ロメリアの目が丸くなる。
「ゴリゴリのクスリでしょそれッ!!」
「……そりゃあ薬だろうさ。薬草だからね。しかしワタシの扱う薬草はもっと不思議で興味深いんだ。煙を吸った瞬間、全身が性感帯になったような快楽が押し寄せてくる。あるいは天国に飛ばされた気分と言い換えてもいい。明らかに普通ではない。恐らく異世界との扉を繋ぐ鍵ではないかとワタシは睨んでいるのだが——」
長い白髪を揺らし熱心に薬草語りを始めたロメリアから、色美はそっと目を逸らす。聞き入ってはならないと本能が警鐘を鳴らしていた。
しかし視線を逸らした先に映る二人の少女もまた危険だ。どいつもこいつもイカれてやがる。
ラギリは色美の心境を察してか、追い打ちとばかりに更なる事実を告げる。
「ちなみにロメリアが地下牢にいるのは、ヒガンの妹が中毒になったからよ」
「でしょうね。何となく想像つくよ。それでロメリアちゃんを引き入れた理由もどうせ本物の魔女と勘違いしたとか、そんな馬鹿げた話でしょ」
「わかってるじゃない。ロメリアはロメリアで薬草を求める人の助けには応える性格だから、互いに勘違いしてたってワケね。アホが多くて悪口のネタに困らないわ」
「わたしは少し、困ってます……。『無法街』に薬草が広まってる元凶が、ロメリアさんですからね……。お話をまともに話してくれる人が減って、寂しいんですよね……」
現状一番困っているのは三人の狂人に囲まれている色美だが、フィラムが気づくはずもない。
散々薬草について一方的に語ったロメリアは、満足そうな顔色を浮かべていた。
「とまあここまで語り切った訳だが、正直薬草の事なら、ワタシよりナンシーの方が詳しいだろうね。興味があるなら彼女に尋ねてみたまえ」
「はあ……その人も『迷子の花達』のメンバーなの?」
「当然だ。メンバーじゃないなら共にこの牢屋に入っていないだろう」
「ん?」
ロメリアの言い回しが少し引っ掛かった。ラギリとフィラムの様子を見ると、二人とも気まずそうに無視を決め込んでいた。
「あの、ロメリアちゃん。もしかして日本語の使い方間違ってない? その言い方だと、ナンシーさんって人がこの牢屋にいるみたいに聞こえるけど……」
「ああ、そこにいるじゃないか」
ロメリアが顎先で示した方を確認するが、当然そこには誰もいない。
「い、いないけど……」
「何だい、キミもナンシーを無視するのかね。確かに彼女は変わり者だ。見る度に蛇や蜘蛛に姿を変えるし、今なんか羽虫の群れになってその辺を飛び回っている。だがだからといっていない者扱いはあんまりだと思うがね」
「え、いや……それって、え?」
「ほら、今は空飛ぶ妊婦になってキミを見下ろしているよ。仲良くしたい証拠だね。ナンシーはワタシが初めて薬草を摂取した時からの付き合いなんだが、どうもその頃からシャイでね。できるだけキミの方から話しかけてやってくれないか」
「それ幻覚だよ! どう考えても薬草の副作用だよ!」
ラギリとフィラムが目を逸らしていたのはこれか。
ロメリアは肩をすくめ、何一つ疑う事なく幻覚のイマジナリーフレンドと雑談を始める。何もない空間に語り掛ける少女の姿は大変シュールで危うい。
ヒガンが彼女達を幽閉した理由がわかった気がする。世に解き放ってはならない悪女ばかりだ。『無法街』の中でもかなり尖った部類に属するのではないだろうか。
正直、関わりたくない。近くにいるだけで厄介事に巻き込まれそうだ。
だけど。いやだからこそ、色美の胸の内にはある欲求が芽生えていた。
「ねえ、三人とも」
ラギリ。フィラム。ロメリア。色美の呼びかけに反応した少女達に、勇気を持って切り込んでいく。
「私とアイドルやってみない?」