狂殺のヒガン
狂殺のヒガン。その登場にギャング達の間に緊張が走る。
「嘘だろ、こっちの縄張りまで踏み込んできやがったのか!」
彼らの銃口が一斉にヒガンに向く。
複数対個人。ざっと数えて三十人はいる男達から殺意を浴びせられても、ヒガンの表情はピクリとも動かなかった。
「お前らよせッ!」
起き上がったスカラブが声を張り上げる。
彼らは気づいていただろうか。ヒガンの赤い双眸が、眼下の一人一人を品定めするように微細に蠢いていた事を。
「覚えているか」
少女の口から出たのは日本語だった。小さい。それでいてしっかり通る声で彼女は告げた。
「十年前。お前達に命を奪われた、私の妹の名を」
その挑発が合図になった。ギャング達の人差し指が次々と殺しのトリガーを引いていく。
空気を裂く銃声の群れに色美の心臓が縮み上がる。
対するヒガンは屋根から跳躍し、宙返りの体勢で路上の真上を泳いだ。その間も両手のサブマシンガンはしかと標的の位置を補足していた。
弾丸の雨が降り注ぐ。周囲の建築や遮蔽物を巻き込みながらも、的確にギャング達の全身に風穴を開けていく。
「ぐぎゃあああああああああああああああああああああああああああッ!?」
野太い悲鳴に混じってグロテスクな赤が飛沫を上げていた。路面を真っ赤に染め、ウジ虫好みの餌を一息に増やしていく。
ヒガンが路上に着地する頃には、半数以上のギャング達が息絶えていた。
「リリーへの手向けだ」
残党らは息を飲むが、慌てて再度拳銃を構え直そうとする。
その一瞬が彼らの生死を分けた。躊躇なくサブマシンガンを手放したヒガンの袖口から、別の小型銃が掌に落ちる。
男達が発砲する時にはもう三、四人の額が撃ち抜かれていた。
ヒガンはどういう運動神経をしているのか、彼らの銃弾を回避した姿勢から敵陣に飛び込み、一人ずつ至近距離で鉛玉をぶち抜いていく。
猛撃はその一手に止まらない。
ある時はギャングの銃を奪って発砲し。
ある時はベルトに差し込んだナイフを敵の首に投げつけ。
またある時は自身を狙った銃弾を味方同士の相打ちに利用する。
その殺戮はさながら踊りであった。血潮の紙吹雪で会場を満たし、客席から悲鳴という名の喝采を引き出す血染めの芸者。
そんな不謹慎な例が脳裏によぎるほど、色美は彼女の殺しに見惚れていた。
「色美、そこから離れろ! ヒガンは危険だ! こっちの路地裏に来い!」
「ボス、あの小娘はもう間に合いません。我々だけでも逃げるべきです」
「何を言うチャールズ! あの娘を守る事が僕達の役目だ」
「いいえ、最優先は『茨の秩序』の存続です。あなたが死ねば全てが無駄になりましょう。少しは先代の冷徹さを見習っていただきたいものですな」
「それは……っ」
ようやっと我に返った色美は、横合いの路地裏に目を向ける。スカラブとチャールズの背中があった。ゴミや動物の死骸が転がった狭い道を、二人して走り去っていく。
見捨てられた、のか。
再びヒガンを見やると、彼女は軍服に似た衣服の内側に拳銃を仕舞い、代わりに小さなスケッチブックを取り出していた。瓦礫の上に倒れる死体のもとに屈みこみ、髪を引っ張って顔を持ち上げる。死者の顔面とスケッチブックを交互に見比べているようだ。
すぐに立ち上がり、他の死体にも同じ事を繰り返す。誰かを探しているのか?
そして。色美から僅か五メートルほど先で転がる死体に、ヒガンは目を付けた。
近づいてくる。死体とスケッチブックを確認する。作業を終えたヒガンはそっと息を零した。
「……間違えた」
何故だろう。彼女の腹の内は読めないのに、その一言は絶対に聞いてはならない気がした。
ヒガンはしつこいくらい何度もスケッチブックを眺め、目を細める。
「全然リリーの仇じゃないな。誰だこいつら」
色美の額から嫌な汗が垂れる。
ヒガンは恐らく日本語を間違えているのだろう。そうに決まっている。だってあれだけ因縁深い関係を匂わせてから皆殺しにしたのだ。間違ってギャングに喧嘩売って殺したなんて、そんなマヌケな話は……。
「まあでも、あいつは顔似てたし。多分合ってるだろう。多分」
前言撤回。あの少女は超がつくほどいい加減な殺戮者だ。
彼女の近くにいても寿命が縮まるだけだし、一刻も早くここから離れるべきだ。
四つん這いからゆっくり腰を上げようとした色美は、そこで鋭い視線を感じた。
ヒガンが無言でこちらを眺めていた。ヒビ割れた地面に転がる薬莢を踏みつけながら悠々と近づいてくる。
色美は動けなかった。蛇に睨まれた蛙とはこの事だろうか。瞬き一つしないヒガンの顔が目と鼻の先まで迫る。
あまりの圧に色美は尻餅をつき、返り血を浴びた少女を見上げた。
「お前、日本人か」
「は、はい……」
「奇遇だな。私にも一部日本の血が流れている」
家族か遠い先祖に日本人がいるのだろうか。日本語ばかり話すのはそういう事だったのか。
「ここに載ってる顔を見た事があるか?」
ヒガンからスケッチブックを渡された。恐る恐る受け取り、ページを開く。
似顔絵、と呼んでいいのだろうか。幼稚園児の落書きみたいな人間の顔が色鉛筆で一枚ずつ描かれている。どいつも髪は雲みたいな形で、両目や口のサイズ、耳の位置が極端にズレている。かろうじて髪の長さで男女の区別がつくといったクオリティだ。
「これ、何ですか……?」
残虐な殺戮者の前だが思わず尋ねずにはいられなかった。
「見ての通り殺害リストだ。リリー……私の妹は昔この中央区でギャング同士の抗争に巻き込まれてな。妹の死に関わったクソ野郎どもの情報をそこに纏めてる」
「……あの。そういうのって、写真とか載せとくものじゃないんですか?」
「写真はない。だから十年前の記憶を頼りに標的の顔を描いたんだ。写真ほど精巧ではないが、まあ特徴は捉えている方だろう」
自信ありげにそう言う割には、三ページに一枚は眼球がデカすぎて口に重なっている怪物が目に入るのだが、いくら『無法街』でもこんなモンスターが闊歩している訳はないだろう。
「まあ多分、こいつはさっきので死んだな」
「多分って……」
ヒガンはポケットから出した色鉛筆で似顔絵に大きくバツをつける。
鼻が矢印の形をしたギャングなんぞ見覚えはないが。
「残りのヤツらは全て間違いだな。あまりややこしい顔をしないでもらいたい」
ヒガンは自分の失敗を特に気にした様子もなく、次のページを開く。長い黒髪の似顔絵だった。右目が長方形で、口元から伸びた氷柱のような鋭い歯が顎を貫いている。
ヒガンは片手で色美の頬を掴むと、まじまじとスケッチブックと見比べる。
「似てる……」
「似てないよ」
「お前、スコーピオンか?」
「誰なのそれ!」
色美の頬を鷲掴みにしていた右手は、持ち主の衣服の内側に伸びる。立ち上がったヒガンが小型の銃口を色美の頭頂部に突き付ける。
「ちょっ、待って! 人違いだよ!」
「いいやお前はスコーピオンだ。結構似てる」
「結構って何!? 百パーセント似てなきゃダメでしょ!?」
「死に行く肉塊がベラベラ喋るな」
「……っ」
冷徹な眼光に色美の全身が奇妙な震えを発する。
本気で殺す気だ。標的と定めた以上、この少女はきっと一切の容赦をしない。
見つめ合う。ヒガンという悪党の佇まいを瞳に焼き付ける。遠くで瓦礫の崩れる音や逃げ惑う人々の悲鳴が聞こえるが、ヒガンは一切視線を脇に逸らさなかった。
色美もまた目を離さない。
「最期に言い残した事は?」
標的を逃すまいと真っ直ぐ射抜かれた殺意は、色美の鼓動を極端に加速させていく。『無法街』を包むあらゆる音が遠のいていく。
先刻の、可憐で悲惨な殺戮劇が何度も脳内再生される。
色美はそっと呟いていた。
「あなた、アイドルになってみない?」
時が止まった。無機質な銃口からは何も射出されず、色美の脳天を地面に散らす事もない。
ようやく色美の言葉の意味を理解したのか、ヒガンの眉がおもむろに揺れた。
「……は?」
あれだけ、だ。あれだけ表情を崩さなかったヒガンが初めて虚を突かれていた。口をポカンと開け、地べたに尻をつける色美を凝視する。
「どういうつもりだ、お前」
「ああ、ごめん。アイドルっていきなり言われてもわからないよね? アイドルっていうのは——」
「いや知っている。知っているからこそ尋ねているんだ。どういうつもりなのかと」
「そのままの意味だよ。私と一緒にアイドルやってみない?」
銃口を向けられた状態なのに、色美は笑みすら浮かべていた。
やっと条件に合う存在が現れたのだ。色美をトップアイドルに押し上げてくれる最凶の逸材が。
「あ、自分が変な事言ってる自覚はあるよ? 私だって普通なら殺し屋なんて誘わないし。でも今なら逆にそれがいい。一人で危険な悪人達の縄張りに踏み込んで三十人以上殺していくイカレ具合。しかも殺害リストは超テキトーで、殺したのも無関係なギャングばかりっていうカスっぷり。いいね……いや良くない。良くないけど私が求めてた人材には違いないよ。顔も結構可愛いし」
「狂ったか? それとも新手の命乞いか? 死にたくないならハッキリ言え」
「死にたくないよ。生きたいに決まってる。だってこんなにも胸が高鳴ってるんだもん。あなたとなら、絶対にトップアイドルになれる! なるしかないよ!」
「殺す」
改めて拳銃を押し付けられ、色美は小さな悲鳴を出す。恐怖に涙が出そうになるが、それでもヒガンを見つめ返す。
「……いいよ」
「何?」
「殺されてもいい。トップアイドルになった後ならいくらでも」
ヒガンの瞳が僅かに見張った。唇を歪め、何かを見定めるような目線を放つ。
「何故お前は、そうまでしてアイドルに拘る?」
「……私は——」
タイヤと地面の擦れる音が色美の返答を遮った。
ヒガンの振り返った先に黒塗りのワゴンが一台停止した。運転席の窓から赤髪のショートヘアの少女が顔を出す。
「お姉ちゃん、一人で中央区行かないでよ!」
「すまんなリリー」
「えっ……」
運転手から丁寧な日本語が聞こえてきたのもいちいち感動してしまうが、それより驚いたのは彼女の名前だ。
「リリーって、妹さん亡くなったんじゃなかったの?」
「ん? ああ、お前にも妹が見えるのか。気にするな、あれはお化けだ」
今度こそ頭がパンクするかと思った。
リリーと呼ばれた少女は窓から顔を出したまま溜め息を吐いた。
「お姉ちゃん、また私が死んだとかテキトーこいたの?」
「何を言う。私はこの目で自分の家が爆破される瞬間を見たんだ。中にいたお前が無事なはずないだろう」
「だから何度も言ってるけど、私はその日西区に出かけてたんだって。そもそも中央区の家にいなかったの。おわかり?」
「お化けの戯言だ。耳を貸すな」
ヒガンはベルトにつけた腰巾着に指を突っ込むと、何やら白い粉を摘まみ、運転席の窓から車内にばら撒いていく。
「ちょっと、塩撒かないでよ!」
「黙れ。早く成仏しろ」
頑なに妹の生存を認めないヒガンに対して、妹のリリーはふくれっ面だった。
「ていうかお姉ちゃん、それどころじゃないよ! 基地局に待機してた『茨の秩序』の増援がこっちに向かってるんだよ!」
「何故ここで『茨の秩序』の連中が出てくるんだ?」
「お姉ちゃんが『茨の秩序』のギャング達を一掃したからでしょう!?」
「……ああ、あいつら『茨の秩序』だったのか。仇と勘違いして撃ったからな」
「別に私死んでないし、その無意味な復讐やめたら?」
「やめん。少なくともお前が成仏するまでは」
そう言ってヒガンは遠くの基地局を眺めた。
「私が中央区を離れてからもうすっかり変わったな。あれを建てるために住人の蓄光石を無理矢理取り上げたと聞いたが」
「……どういう事?」
色美の質問に、ヒガンは振り返らずに答える。
「この街の蓄光石には電波を遮断する性質がある。日々の暮らしに大量の蓄光石を使われると、基地局を建てたい『茨の秩序』にとっては都合が悪い」
だから奪ったのか。
日々の暮らしに寄り添っている蓄光石を回収し、基地局の建設を優先させた。
やはり『無法街』。天秤に乗せられるのは悪しかない。
ヒガンは引き金を囲むトリガーガードに指先を引っかけ、器用に拳銃を回転させる。
「こちらは中央区出身だ。どうせなら義理でヤツらを潰してやろうか」
「ダメだよ! 三百人以上のギャングが四方から集まってきてるんだから! せめてこっちも残りのメンバーを揃えておかないと」
「揃うはずがないだろう、あいつらが……」
ヒガンはそこだけ残念そうに囁いた。
横合いの路地裏から複数の足音が聞こえてくる。
ヒガンは舌打ちと共に拳銃を袖口に引っ込める。助手席に駆けて扉を開け放った。このまま車で逃走するつもりだ。
「待って!」
急いで立ち上がった色美は、閉じた助手席の扉を引っ張り、ヒガンとリリーの膝上にダイブする。
「なっ、何のつもりだお前ッ!」
「私とアイドルやろうよ」
「ふざけるな」
色美を追い出そうとするヒガンだが、路地裏から飛び出してきた『茨の秩序』の増援を見るやリリーの肘を小突く。
「出せ」
中途半端に助手席の扉を開けたまま、ワゴンが発進する。
正面から増援をはね飛ばし、辛うじて助手席の扉にしがみついたギャングをヒガンが蹴落とす。
後方に何発か見舞うと、ヒガンは膝上の色美を後部座席に投げ飛ばし、扉を閉めた。
「ていうかお姉ちゃん、この人誰!?」
「スコーピオンだ。多分」
未だに疑いを持たれているので、色美は後部座席からバックミラーに笑顔を送る。
「はろはろー。日本から来た未来のトップアイドル羽路色美でーす。『はろー』って呼んでほしいなー」
「スコーピオンじゃないみたいだよ」
「窓から放り出せ」
多少の掴み合いが車内で巻き起こった。