無法街アイドル
「羽路色美。年齢二十歳、職業アイドル、交際経験なし、元『カラーガーデン』のリーダー。仕事先で問題ばかり起こすせいで事務所をクビになり、アイドルグループも脱退。業界からの信用はゼロ」
パイプ椅子とテーブル以外何もない殺風景な会議室で、番組プロデューサーの高橋は机上の資料を楽しげに眺めていた。こちらに顔を上げ、巨大なサングラスの奥がキラリと光る。
「素晴らしい。今回の企画にピッタリな逸材だ」
「そ、それ褒めてるんですか?」
高橋の正面に腰かける色美は、二人きりの部屋で訝しげに眉をひそめる。
「当然だろう。何せ今回やる企画は破天荒な人間にしか務まらない」
高橋は資料の中に混ざった色美の履歴書を指で小突く。写真の顔は十五歳時のものだが、肩口の辺りまで伸びた黒髪と歯並びの良い口元は今と変わらない。
「君、報告によると仕事先のお偉いさんを腹パンしたそうじゃないか」
「それはあのおっさ、おじさんがメンバーにセクハラする瞬間が目に入って、それでついカッとなってしまって……」
「本番当日に生放送番組をブッチしたのは?」
「それもその……よく私を応援してくれてた親友が成功率半々の手術を受けるって聞いて、気づいたら病院に駆け込んでたっていうか……」
「いいね、イカれてるよ」
「嬉しくないですよ!」
不満の声を上げても高橋は余計ニヤつくだけだった。
「それで高橋さん、その企画っていうのは何なんですか? 確か地上波じゃなくてサブスク限定の配信番組って聞きましたけど」
「よく聞いてくれたね。いやいいね、ベストなタイミングで質問できる子は伸びるよ」
テキトー言いやがって。
重みも信憑性もない空っぽな経験則に多少イラっとするも、表情には出さなかった。
高橋は手元の資料を脇にどけ、クリアファイルから企画書の束を二つ取り出した。一つをこちらに差し出してくる。
「『無法街アイドル』?」
「そう! 色美ちゃん、『無法街』って知ってる?」
「いいえ」
「『無法街』っていうのはね、法律のない空白地帯にできた街の事さ。街の住民達は殆ど悪党だけど、それを取り締まる法律はない。だからみんな好き勝手暴れて暮らしてる。そういう危険な場所らしいんだよ」
「そんな所本当にあるんですか?」
「意外とあるんだなそれが。世界は広いねー」
ペラペラと企画書をめくる。舞台は外国らしい。
もう一度最初の企画名を確認する。
『無法街アイドル』。
この時点で大変嫌な予感がする。もしかしなくても、一度引き受ければとんでもない無茶振りをされるのではないだろうか。
「あの、多分ないとは思うんですけど……まさかこの『無法街』に行ってアイドル活動をしろ、なんて言うつもりは……」
「そうそう。理解が早くて助かるわー」
ダメだった。色美は背もたれに体重を預け、無機質な天井を仰ぐ。
何を食ったらこんな無茶な企画を実行に移そうと思えるのか。これの許可が下りるような業界はもうダメだ。関係者全員にビンタして目を覚まさせてやりたい。
「正確には、『無法街』にいる可愛い女の子達をアイドルにスカウトして、番組産のアイドルグループを作りたいっていうのがコンセプトなんだよね。どう?」
「どうって言われても……危険じゃないですか?」
「そりゃ危険がないとは言えないね。でも他のスラム街とかと比べたらやりやすい方だと思うよ。『無法街』は比較的日本語が浸透してる街だからね」
高橋は色美の許可も得ずタバコの箱を取り出した。
「それでどう? 企画、引き受けてくれない?」
「うーん……」
中々踏ん切りのつかない色美の態度に思うところがあったのか、高橋は溜め息を零してタバコを一本口に咥えた。
「色美ちゃんさ、トップアイドル目指してるんだよね?」
「あ、はい……」
「正直言って今の色美ちゃんじゃ無理でしょ。どこの誰が拾ってくれんの?」
「それは……」
ライターでタバコに火をつけ、口から盛大に煙を吹く。
突然浴びせられた主流煙に咳き込む色美を見ても、高橋は知らん顔だ。
「仕事もない。事務所もない。グループもない。ファンも少ない。こんな状態で這い上がるなら無茶の一つもしないとさあ」
「確かに、そう、ですけど……」
「じゃあ道は一つでしょ」
高橋は肩を落とした色美をグラサン越しに睨み、声を低くして呟いた。
「やるの? やらないの? どっち?」
その恐喝紛いの問いかけが引き金となった。
バシンッ、と。色美が企画書をテーブルに叩きつける。
「どっちじゃねえだろボケがッ!」
身を乗り出した色美は、面食らった高橋の胸倉を思い切り掴んだ。タバコが彼の指から落ちる。
「さっきから何様なんだよテメェ! 滅茶苦茶な企画持ってきたと思ったら途中から偉そうにタバコ吸いやがって。それが人に仕事を依頼する態度か? 心臓に根性焼き入れてほしいならさっさとそう言え!!」
「な、何だ君! プロデューサーに向かってその口は……っ」
「ていうか『無法街』かなんか知らねえけど、まずテメェが現地に行けや。行って安全かどうか確かめてこい。仕事はそれからだろうが」
「い、一応日本語を話せる現地のギャングにボディーガードしてもらう予定だから、安全だとは思うけど……」
「ああ? ギャング?」
色美の声色が一層荒くなる。
「つまり何か? いつ誰に襲われるかもわからない場所でギャングの隣歩いてビラ配りでもしろってか? アイドル舐めんのも大概にしろよ」
「で、でも色美ちゃんっ! まだ言ってなかったけど、成功すれば新曲を貰えるんだよ? きっと今よりグンと注目度も上がるし!」
「そんな程度で満足できるか! こっちは命かけろって言われてんだぞ。だったらせめてドーム会場ぐらいドカンと用意してみろやグラサン野郎! お前の悲鳴で新曲作ってやってもいいんだぞ!」
「ひっ、ひいい。わかった! 上に掛け合ってみるから」
「大体、崖っぷちのアイドルなら何依頼してもいいって考えてそうなその根性がムカつくんだよな。お前も腹パンいっとくか?」
「すみませんでしたああああああああああああああああああああああ!」
羽路色美。アイドルでありながら問題児と称される所以がここにあった。