ロング・ドライブの終わりと始まり
「ロング・ドライブ」とは食用牛を繁殖地から消費地まで輸送する、西部開拓時代ならではのビジネスを指す言葉である。
このビジネスのはじまりは繁殖地であるテキサスから、ゴールドラッシュによる人口の急増で食料需要が激増したカリフォルニアへと運ぶものであったが、この時には購入額の10倍、20倍と言う、とんでもない値が付いたと言う。
輸送コストや移動のリスクを差し引いても莫大なカネを手に入れられるとして、やがてロング・ドライブは、西部開拓時代における花形職業になった。今日の「西部劇」の象徴であるカウボーイたちの起源もここにあり、西部開拓時代のイメージの半分は、このロング・ドライブによって形作られたと言っても過言ではないだろう。
しかし何にでも終わりがくるもので――開拓が進み、大陸横断鉄道が全米を網羅し、西部に牧場が林立するようになった頃には、わざわざ長大な距離を牛に歩かせる必要性がなくなり、ロング・ドライブは過去のものとなっていった。
とは言え「はるかなる旅」に憧れ、思いを馳せる人間は、現代にも大勢いる。数多の冒険小説やRPGゲームのほとんどは主人公にやたらと旅をさせているし、SUVの販売パンフレットには自然の真っ只中を駆け抜ける写真がずらりと並ぶ。
ロング・ドライブの本来の目的と経済価値が失われた今日においてもその象徴、即ち長い旅路そのものに惹かれる人間は確実に存在し――そしてその途方もない道のりにわざわざ挑もうとする人間がいることも、決して特異ではないのだ。
その日、旅の牧師であるデイモン・サリヴァンは、立ち寄った港町で――少なくとも真面目なキリスト教徒として生きてきたつもりの彼にとっては――奇妙で奇怪な者たちが船員を囲んでわめきちらしている場に出くわした。
「***!? ****! ****!」
「あ……なんだって? 困るなぁ、英語で話してくれんかねぇ……うーん」
良く分からない言葉でまくし立てる彼らは、総じて浅黒く見えた。肌の色や髪の色だけでなく、服装や持ち物までもが垢じみて、おしなべて薄汚かったからだ。
(インディアン……いや、船で来たようだし、中国人か?)
デイモンは当初そう予想したが、そうでないことはすぐ、彼らの中心にいた女が、はっきりとした英語で怒鳴って明かしてくれた。
「あーもう、じれったいねぇ! 休むトコあるかって聞いてんだよ! こちとらニッポンからえっちらおっちら2ヶ月も船に揺られ続けて、いい加減地面の上でぐっすり寝たいんだよ!」
(ニッポン? ……日本人なのか)
それを聞いた瞬間、デイモンはきびすを返して立ち去ろうとした。太平洋の向こうに住む民族と言う、「典型的な合衆国国民」、「真面目なキリスト教徒」である己の36年間の人生の中に一度として出くわさなかった相手にどう対応していいか、さっぱり分からなかったからだ。
(賢き者は災いを見らば避けよ、だ。そもそもあんなワケの分からないモノに関わっても、ろくなことにはならないだろう)
しかし次の、この女が放った言葉には、やはり「真面目なキリスト教徒」としては立ち止まらざるを得なかった。
「ねえ頼むよ、異人さん……いや、ココじゃアタシらがそーなるのか。いや、まあ、とにかくだ、ぐったりして動けない娘もいるんだよ」
気付けばデイモンは、その女の前に立っていた。
「宿を探しているのか?」
「そーだよ。ああ、やっと返事してくれた」
「君が落ち着いて話をしないからだ。雄弁は銀、沈黙は金と言う言葉もある。必要なことだけ話したまえ」
「その言葉そっくりアンタに返したいね。説教はいらない、……いや、折角来てくれたアンタに突っかかっちゃ不調法だ。うん、ともかく寝るトコだ。横になってぐっすり眠れるトコを案内してくれないかい?」
「カネはあるのか?」
デイモンがそう質問したところ、女は一転、小声になる。
「こっちのカネはないんだが、コイツと交換……、買ってくれるトコはあるかい?」
そう言って女は懐から袋を取り出し、キラキラと光る櫛を差し出した。
「黄楊の櫛だ。ニッポンじゃ高級品なんだが。あとはニッポンの銀貨と銅貨がいくらか……」
「ふーむ……どうだろう。とりあえず町で聞いてみるのがいいだろう。付いてきてくれ。いや、君だけでいい。みんなでぞろぞろ来られたら、まとまる話もまとまらなくなる」
「ソレもそーだねぇ。分かった、……あー、と? アンタ、名前は?」
尋ねつつ、女は自分の薄い胸をドン、と叩いた。
「ちなみにアタシはキツネだ。よろしく」
「……デイモンだ」
「なんだって!?」
名前を聞いた女は、ぎょっとした顔をする。この反応は子供の頃から嫌と言うほどされていたため、デイモンは淡々とした口ぶりで、彼女の誤りを正した。
「スペルはDamonだ。君はDemonと勘違いしている」
「あっ、……ゴメンよ、デーモンさん」
「デ・イ・モ・ン、だ」
その後、キツネと名乗るこの女が、デイモンの納得が行く程度に発音できるようになるまでには600ヤードの距離を要したが、その甲斐あってこれ以降は二度と、キツネがこの発音を間違えることはなかった。