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09_嫌われ悪女になってしまいまして

 

 一週間後の朝、ペリューシアは王都のニルソン伯爵邸で目覚めた。

 ロレッタとセドリックに追い出されたあと、ニルソン伯爵家の空き部屋を借り、居候をさせてもらうことになったのだ。彼は妻と小さな息子、数名の使用人たちと慎ましく暮らしている。


『公爵家から勘当とは……情けないねぇ。君のしたことを考えれば自業自得だ。家を追い出された身で、他人を当てにして雨風凌ごうとは図々しい』

『…………』

『だが、行き場のない娘を追い出して野垂れ死にでもされたら目覚めが悪いからね。君が学園卒業するまでは置いてやろう。その後は自分でなんとかしなさい』


 屋敷に置いてくれないかと頼んだとき、彼に呆れながら言われた言葉を思い出す。伯爵は公爵家から事の仔細をすでに聞いていた。

 呆れていたというより、失望されていたという方が正しい。


 伯爵はかなり気の良い人で、ペリューシアとロレッタが幼いころからずっと可愛がってくれた人だったし、ペリューシアも彼のことを慕っていた。だから、やってもいない罪のせいで彼に嫌われてしまうのはあまりに切なかった。


 どうせ信じてくれないと諦め半分で、訴える。


『わたくしは、嫌がらせなどしておりませんわ。伯父様に失望されるような事は、誓ってございません』

『全く。言い訳の言葉なら聞きたくないよ』

『……』


 ほら、やっぱり。ロレッタの姿では何を言っても信じてもらえない。それだけ彼女がこれまで、周りの人たちから信用されていなかったのだと分かる。


 入れ替わりの事実を打ち明ける訳にもいかず、冤罪だったと言っても納得してもらえず、ペリューシアはただただもどかしい気持ちを抱えていた。


 しかし、ただ飯を食う訳にはいかないと、ペリューシアが率先して家の掃除や皿洗い、洗濯などの家事に勤しむので、伯父は不思議そうにしていた。本来のロレッタであれば、使用人の真似事など絶対にしないはず――と。


 ペリューシアは起床後すぐに洗濯をし、厨房で朝食作りの手伝いをした。エプロン姿のまま、あとから起きてきた伯父に挨拶をする。


「おはようございます、伯父様!」

「お、おはよう。ロレッタちゃん」

「今日のパンはわたくしが焼いたんです。とっても美味しいって料理長が褒めてくださったんですよ。食堂にご用意したのでもしよろしければ、ご家族の皆さんとお召し上がりください! 奥様がチーズがお好きだとうかがいましたので、クリームチーズを入れたシナモンロールにしました」

「…………」


 伯父がぽかんとしているので、ペリューシアは不安げに尋ねる。


「……もしかして、勝手な真似をしたことをお怒りですか?」

「い、いいや違うよ。君のおかげで仕事の負担が減ったと使用人たちみんな喜んでいるんだ。頑張って働いてくれているから、給金を支払わなくてはね」

「そういう訳には参りませんわ! わたくしは、住まわせていただいている身ですので、このくらいやって当然です」


 ペリューシアの殊勝な態度に、彼はもうすっかり訳が分からないといった風に混乱していた。


「まぁっ! いけませんわ伯父様」

「ど、どうしたんだいそんな大声を出して……」


 ペリューシアはふわりと微笑みながら彼に歩み寄り、そっと手を伸ばす。


「ネクタイがズレておりますわよ」


 ネクタイを整えて目配せし、自室にぱたぱたと忙しなく戻っていくロレッタ。伯爵の知るロレッタとあまりに違う気さくで優しい娘に、思わず首を傾げた。


 自室に戻ったペリューシアは、急いで制服に着替える。


「よし、いい感じね」


 大きな鏡の前で、王立学園の制服を着た自分の姿を確認する。


 ロレッタに押し付けられた荷物の中には、王立学園の制服が入っていた。なぜか――校章ピンだけが見つからなかったのだけれど。


(一体どこに行ってしまったのかしら。もしや、公爵家に置いてあるとか?)


 このまま見つからなければ、新しいものを買うしかないだろう。


 この国の多くの貴族の子どもたちが通う王立学園だが、女子は男子の四分の一と圧倒的に数が少ない。


 政略結婚によってどこかの家に嫁ぐことが決まっている令嬢たちは、学園に通うという選択をせず、自宅に家庭教師を招いて花嫁修行に勤しむことも多いのだ。


 ペリューシアとロレッタは学園に通っていたが、妊娠をしたロレッタは休学している。ふいに、お腹を愛おしげに見下ろしながら撫でていた姉のことが脳裏を過ぎる。


 ペリューシアは愛されない妻だったはずなのに、ロレッタはペリューシアの身体で彼の子どもを妊娠したというので驚いた。ペリューシアはセドリックのことを慕っていたけれど、一方的な片思いで、彼はこちらを愛してなどいなかった。子どもについては、優秀な養子を迎えればいいと言っていたくらいで。


 そんな彼が、中身が入れ替わったことでペリューシアと夜をともにしたというのだろうか。


 ざわつく胸を抑えながら、小さくため息を零す。


(だめね、悩んでもどうしようもないのに、ついつい思い出してしまうわ。起きてしまったことは仕方がないじゃない。今はあまり考えないようにしましょう)


 そしてペリューシアは、もしかしたら誰かが入れ替わりに気づいてくれるかもしれないという思いから、姉の身体で学園に通うことにしたのだが――。




 ◇◇◇




「この悪女!」

「きゃあっ――」


 王立学園の敷地内を歩いていたら、校舎の三階あたりの窓から誰かがバケツをひっくり返して、ペリューシアの頭に汚水が降り注いだ。


 ペリューシアはびっくりしてその場にへたり込む。はっと顔を上げるが、汚水をかけた生徒は窓の奥に引っ込んでいて、姿を確認することができなかった。


 そして、横切っていく生徒の誰かが嘲笑混じりに囁く。



「早く学園を辞めればいいのに」

「地位を鼻にかけて散々人のこと見下してたくせに、公爵家から除籍されるなんて本当にいい気味」

「所詮は卑しい――売春婦の娘ね」



 その言葉は紛れもなく――ロレッタに向けられたものだ。


 ペリューシアは鼓膜に注がれる悪口を無防備に受け止め、目をぱちぱちと瞬かせる。


(まさか、こんなシビアないじめを学園で受けることになるなんて……!?)


 頭の中で、ロレッタとして学園に通い始めてからの一週間を回想する。

 まず、教室の机に落書きがされている。荷物はどこかに隠され、教科書がぷかぷかと池に浮かんでいることも。

 廊下を歩けばひそひそと悪口を言われ、白い目を向けられる。


 ロレッタは地位や己の美貌や優秀さを鼻にかけた、高慢で横柄な令嬢だった。


 自分より身分が低い令嬢に陰湿な嫌がらせをしたり、恫喝をしたりして、自主退学まで追い詰めたことも。この学園の中での評判は最悪だった。


 その嫌われ悪女が、身分を失ったということで、生徒たちはここぞとばかりに腹いせのような嫌がらせを始めた。ロレッタはどこか良い家に嫁ぐことが決まっている訳でもない。更には公爵家から勘当されたという噂がまたたく間に広がっており、生徒たちは好き放題だ。


(悪女……。お姉様がしてきたことを考えれば、当然の報いね。もっとも、わたくしもその被害者のひとりなのだけれど)


 はぁとため息を零し、全身びしょ濡れのままよろよろと立ち上がる。


 地面にぽたぽたと水滴を落としながら歩いていると、よく見覚えのある令嬢ふたりを見つけた。彼女たちはロレッタではなく、ペリューシアの友人だ。


 ペリューシアは自分の姿が姉であることを忘れて思わず駆け寄り、彼女たちに声をかける。


「ルーシャ! ロゼ……!」

「「…………」」


 満面の笑みを向けるペリューシアだが、友人ふたりはひえびえとした表情を浮かべた。

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