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33_新しい花婿候補

 

 二週間後。

 格式高いラウリーン公爵家の娘が古代魔道具を使用していたことで、世間は大騒ぎに……ならなかった。

 古代魔道具のそれぞれにどんな力があるのかは、秘密のベールに隠されている。万が一今回の件が知られれば、人々の古代魔道具に対する好奇心を掻き立て、同じような事件を誘発しかねない。


 ということで、やんごとなき王家の意向によって、入れ替え天秤及び惚れ香水の事件は――隠蔽されたのである。以前ネロが、王家の栄光の裏には犯罪の影が潜んでいると言っていたが、こういうことなのかと納得した。


 セドリックは今回のことで、実家である侯爵家からは除籍され、密かに国外追放が執行された。もちろんペリューシアとは離婚し、世間では離婚原因について様々な憶測が飛び交った。その多くが、セドリックに愛する人が他にできて駆け落ちしたのではないか、という疑いだった。


 ロレッタは修道院に入り、母も修道院の近くへと引っ越すことに。ラウリーン公爵家も魔道具紛失と破損の責任を問われ、一部の財産を没収された。

 そして父は、今回の責任を取って、公爵位を近々退くことを表明したのだった。


「甘くて美味しいです……!」


 ペリューシアはというと、平穏な日常を取り戻していた。

 昼休みの王立学園。庭園のテラスでルーシャとロゼと三人で昼食を食べていた。今日はペリューシアが、甘いパンを焼いてきていた。


 手のひらに収まるくらいの丸い形のパンの中に、カスタードクリームがたっぷり入っていて、スライスしたドライオレンジと砕いたナッツ、粉糖がトッピングしてある。


 パンを美味しそうに食べる友人ふたりを眺めながら、幸せを噛み締める。


(穏やかな日常が、こんなに幸せだったなんて……)


 こうして誰かと楽しく食事できることが、一度失ってみてどれだけ尊いか思い知った。するとルーシャは頬に手を添えながら、ゆるりと目を細めて言った。


「こんなに美味しいものばかり食べていたら、太ってしまいそうです。でも幸せ……」

「まぁ。喜んでもらえてよかったわ」


 ペリューシアはふわりと微笑む。するとそのとき、上から声が降ってきて、両肩に手が置かれる。


「――ペテュ」

「!」


 ペリューシアのことをその愛称で呼ぶのは、記憶の限りたったひとりだけ。低く涼やかなその声を聞くだけで、たちまち心が浮き立つ。


 顔を上げれば、ネロが不敵な笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。彼は相変わらず眼鏡をかけて、ルーシャとロゼにも瞳の色を隠している。そして彼は、事件解決後もこうして変わらず、ペリューシアに会いに来た。


「ネロ……!」


 ペリューシアはぱあっと表情を明るくさせる。

 するとロゼが、頬杖を突きながらからかうように彼に言う。


「出た、不法侵入者。当たり前みたいな顔してここにいるけど、あんた一応部外者なのよ?」

「ペテュのこと借りても?」

「あーはいはい、どうぞお好きに。相変わらず仲がよろしいことで。逢い引きなら神聖な学び舎の外でしてほしいものね」


 逢い引きという言葉が耳を掠め、ペリューシアの顔がほのかに赤く色づく。

 ペリューシアは気を取り直し、ふたつ用意してきたバスケットのうちのひとつを手に取り、椅子から立ち上がる。


「それじゃあ、行ってくるわね」

「ふふ、楽しんできてください」


 ルーシャにひらひらと手を振られながら、ペリューシアはネロのあとを付いていく。その背中に、ぶんぶんと激しく揺れる犬のしっぽの幻が見えた気がして、ルーシャとロゼは顔を見合せ、くすくすと笑い合うのだった。





 ◇◇◇





 ネロと一緒に昼食を食べるのが、ペリューシアの日課となっていた。ふたりが向かったのはもちろん、旧校舎の開放廊下。


 ネロは移動途中に、ペリューシアの代わりにバスケットを運んでくれた。

 いつものベンチに並んで腰を下ろす。パンの箱を取り出す前に、茶色い紙袋を引っ張り出した。


「それは?」


 紙袋を逆さまにすると、中から王立学園の校章ピンが、ペリューシアのしなやかな手のひらに転がる。そしてそれをネロの胸にそっと付けた。


「これはあなたのものよ」

「俺はこの学園の生徒じゃない」

「これからそうなるの。お父様があなたに『学園でしっかり勉強しなさい』と言っていたわ」

「ますます訳が分からないぜ。なんで俺がペテュの親父の言うことを聞かなきゃなんねーんだ」


 ペリューシアはにこにこしながらさらりと言う。


「だってあなたは、ラウリーン公爵家の新しい花婿候補だもの。ネロ・リングレスト第三王子殿下?」

「…………」


 本当の名前を呼ばれた彼は、目を皿のようにして固まる。


「どうして、俺の名前を……。つーか、花婿候補ってなんなんだ!?」

「筆頭公爵家の情報収集力を見くびってはだめよ。お父様が調べさせたら、すぐにあなたの身分に辿り着いたわ。もっとも……わたくしはそれより前から、薄々気づいていたけれどね」


 ウィルム王国には第三王子がいる。ネロと同じ名前で、病弱ゆえに自然豊かな場所で療養していることになっている。しかし真実は、魔の象徴である赤い瞳を持っているために、世間から隠されてきたのだ。


「そうそう、それでわたくしね、国王陛下にお会いしてきたの」

「へえお会いしてきたのか……って、はぁ!? いや、全然話についていけないから」

「それからこうお伝えしたわ。お宅の息子さんをわたくしにくださいってね」

「…………は?」


 ネロは絶句した。

 ペリューシアがくふくふと気の抜けた笑い方をすれば、彼は呆れながら言う。


「あんたって大人しそうな見た目の割に、大胆なところがあるよな。だが、あいつが結婚を許可するはずない。あの男はずっと、俺のことを首輪で縛り付けていいように使役してきたんだ。今更手放す気なんてないだろう」


 ペリューシアは首を横に振る。


「話を最後まで聞いて。国王陛下のお考えはこうよ。赤い瞳を持つ王子がいることを世間に知られれば、王政の信頼が揺らぎかねない。だから、リングレスト王家から除名した上でなら良い、と。あなたはもう、陛下の命令に従わなくていい。自由になれるの」

「……! そんな、馬鹿な。国王が、俺の自由を許したのか……?」


 国王は長らく、ネロのことを魔道具の回収のためにこき使ってきた。そして、ネロの瞳のことを疎ましく思っていたと言っていた。


 けれど、ネロを生まれたときに殺さず、王家から除名さえせずにいたのは、父親なりの情があったのではないか。少なくとも、王家に所属していれば、最低限の生活は保証されるから。


(……そう考えてしまうのは、わたくしが甘い人間だからかしら)


 国王は王権を維持するという重大な義務がある。それでもなお、ネロを排除できなかったのは、情があったからだとペリューシアは考えている。疎ましく思っていたのは事実としても、ネロが自立して自分の人生を切り開いていく時を、父は待っていたのではないか。


「陛下にも、父親なりの優しさがあったのだと思うわ」

「さぁな。そんなもんがあったとして、今まで受けてきた仕打ちを許すことはない」

「ええ……その通りね」


 親子の間にできた深い軋轢。

 ペリューシアは風になびく桃色の髪を耳にかけながら、寂しげに目を伏せる。


「陛下はこうおっしゃっていたわ。『ネロの好きなようにしたらいい』と。わたくしももちろん、無理強いするつもりはない。だから、選択肢のひとつとして、考えてみてくれる?」

「王家から除籍されれば……俺は本当にただの孤児になっちまう。おまけにこの目だ。婿入りなんかした日には、ラウリーン公爵家の名誉に傷がついちまうぜ」

「これは、わたくしを助け、当家の問題を解決してくれたネロに対する公爵家の誠意でもあるの。だから、あなたが気にすることは何もないわ」

「どうして、そんな……俺なんかを気にかけてくれるんだ?」


 ネロは別に、権力や地位を望んでいるわけではないだろう。けれど、王家に縛られて冷遇されている彼を救ってあげたかった。赤い瞳を持つ者が当主になれば、沢山の苦労が待ち受けているだろう。それでも構わない。なぜなら――


「肝心なことを言っていなかったわね。わたくしは、あなたが好き。その……男の人として、好きなの」


 あまりの恥ずかしさに、最後の方は尻すぼみになってしまう。顔は耳まで朱に染まっていて。

 ネロといると、自然体の自分でいられる。そして、傷ついてきたこの人に沢山のものを与えたい。喜ばせたい。笑っていてほしい。そんな風に思うのだ。心に根付く温かい感情はきっと――恋なのだろう。


「ただ、ネロと一緒にいたいの。ずっと……力になってくれて、ありがとう。わたくし……あなたが苦しんできたことを、何も分かってあげられないけれど、今度は力になりたくて……」


 話しているうちに色んな感情が込み上げてきて、目にじわりと涙が滲む。


 自分が信じ続けていたセドリックへの愛情は全部、偽物だった。手にしたはずの幸せ、奪われた幸せも全部、最初から幻想だったのだ。


 それでも、ネロに会えた。全てを壊されたけれど、もっと素敵なものは与えられたのだ。震える声を絞り出すようにして、思いを打ち明ける。


「この気持ちは絶対、嘘ではないわ。ネロが好き、好きなの。大好――」


 ペリューシアの言葉を遮るように、ネロはこちらの頬に手を添え、唇を重ねた。隙間なく押し当てられた唇の感触に、思わず目を見開く。ただ皮膚と皮膚が触れるだけなのに、信じられないほど心地よくて、くらくらと目眩がした。


 あの結婚式の日、セドリックとは誓いのキスができなかったから、ペリューシアにとって人生で初めてのキスだ。

 触れるだけの口づけのあと、彼は顔を離して諭した。


「もういい。もう充分、分かったから。俺は……あんたに思ってもらえるような人間じゃない」

「愛されてはいけない人間なんていないわ。愛される価値があるとかないとか、そんなものはその人が生み出した幻想に過ぎないの」

「俺は……」


 彼はゆっくりと身体を離した。ガーネットに似た赤い瞳から、ほろりと雫が落ちる。



「……………ずっと誰かに、愛されたかった」



 これまで孤独を抱き締めてきたネロの、切々とした思いが伝わってきて、胸の奥が締め付けられる。


 ペリューシアは首を横に振る。そして、ネロの眼鏡をそっと外して、彼の瞳をまっすぐ見つめた。初めて会ったときと変わらない鮮やかで美しい瞳に、何度見ても心が囚われてしまう。


「たとえ誰がどう揶揄しようと、わたくしはあなたの味方よ。そして必ず、わたくし以外にも、あなたの優しさや愛に気づく人が現れるわ。残酷なことは沢山あるけれど、世界はそれほど捨てたものではないと思うの。……だから、大丈夫」


 ネロは瞳の奥を揺らす。彼は唇を震わせ、言葉に迷った。ペリューシアは彼の葛藤を見透かして、続く言葉を穏やかに待つ。そして彼は、悩んだ末にようやく絞り出した。


「今まで会ってきた人間はみんな、俺をないがしろにして、虫けらのように扱ってきた。だが、あんたが俺を想って泣いてくれたとき……初めて生きていて良かったと思ったんだ。俺は、あんたに捧げられるものは何も持ってない。でも叶うなら、あんたの傍で――生きたい」


 彼のことを包み込むように掻き抱き、「もちろんよ」と力強く頷く。そして、ペリューシアの背に、ネロは腕を回した。


 ペリューシアをすっぽりと覆ってしまうくらい大きくて鍛えられた身体だけれど、どこか頼りない。ペリューシアが華奢な腕で彼を強く抱き締めると、彼は安堵したように身体の力を緩め、こちらの肩に顔を埋めた。

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